第28回「アメリカで高速鉄道時代が幕開け?!(1)―― ラスベガス−LA都市圏を2時間10分で走る鉄道が2028年に開通へ」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
南カリフォルニアとラスベガス(ネバダ州)を結ぶ高速鉄道ブライトライン・ウエスト(Brightline West)の工事が2028年の開業を目指して進行しています(Work starts on bullet train rail line from Sin City to the city of Angels, April 22, 2024)(Brightline West breaks ground on upcoming rail project., Associate Press, April 23, 2024)。アメリカでは、本格的な高速鉄道の第一号になります。
第27回「サンベルトのブーミングシティ オースチンの異変(3)―― テキサスがカリフォルニアに取って代われない理由」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
JETRO (日本貿易振興会)が「オースチン報告」を出しています(「オースティン」2022年4月)。副題は「芸術、音楽、革新、そして豊富な自然に包まれるオースティン」です。報告書全体が「オースチン賛歌」で埋め尽くされていました。報告書は、冒頭にオースチンが各種のアメリカ都市ランキング調査でトップにランクされている事例を列挙していました。「オースチンがビジネスに、あるいは暮らしの場面で如何に秀でているかを示す証拠です」という論旨でした。
第20回「高速道路は時代遅れになる⁈(2)――〈Highways to Boulevards〉の成功事例・苦戦事例」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
アメリカ都市で高速道路(州際高速道路=Interstate Highway System,「I-20」のように表記される)を解体、撤去する事例が増えています。
都市内を貫通する高架の高速道路を取り壊して側道にプラタナスを植栽し、高規格の並木道(boulevard)を整備する
都心を走る高速道,を地下に埋め込み、撤去跡を都市公園に造り替える
道路自体を廃止し、車を外縁部の道路に迂回させる
――などの取り組みが行われています。また、高速道路の拡張/延伸計画が潰される事例も増えています。
第19回「高速道路は時代遅れになる⁈(1)――解体、拡張/延伸計画の中止急増」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
アメリカ都市で高速道路(州際高速道路=Interstate Highway System,「I-20」のように表記される)を解体、撤去する事例が増えています。
都市内を貫通する高架の高速道路を取り壊して側道にプラタナスを植栽し、高規格の並木道(boulevard)を整備する
都心を走る高速道,を地下に埋め込み、撤去跡を都市公園に造り替える
道路自体を廃止し、車を外縁部の道路に迂回させる
――などの取り組みが行われています。また、高速道路の拡張/延伸計画が潰される事例も増えています。
第18回「大統領選を左右するラストベルトの近況(3)――ハイテククラスターの形成に伴走して街が活性化する」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
連載の前回では、昨今、幾つかのラストベルト都市でITハイテク/バイオクラスターの形成が急ピッチで進展している話題を紹介しました。しかし、物事には前段があります。ラストベルトでは、ハイテククラスター形成の前兆は、経済危機(2008年)前後に遡ります。このころからITハイテク/バイオ系のプロフェショナルがラストベルト都市に流入し始めました。当初は漸進的な動きでした。それがやがて前回記述したように、大きなハイテク投資を誘発する流れになりました。それには以下の事情がありました。
第17回「大統領選を左右するラストベルトの近況(2)――ハイテク/バイオの新たな集積でブーミングシティに」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
ラストベルトの都市には、理工系の研究/教育でレベルの高い州立大学があります。また、高度医療/先端医学を先導する総合病院/医学部附属病院、トップレベルのシンクタンクがあります。
いずれもかつて繁栄した時代に創設され、現在に受け継がれてきた歴史的レガシーです。
そうした遺産に恵まれた都市の幾つかは、ラストベルトにあってもハイテク/バイオクラスターの形成が急です。この分野で先行してきたシリコンバレー、テキサスのオースチン、東海岸のボストンなどに対峙し、「Silicon/Bio Heartland」と呼ばれる地域が育っています。
第16回「大統領選の勝敗を決めるラストベルトの近況(1)――光と影の斑模様」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
11月の大統領選挙まで半年余という時期に、「R.トランプとJ.バイデンが中国製品に高率関税をかけるのを競っている」という記事が出ました(Trump and Biden’s appeal to Rust Belt turns on tariffs, POLITICO, March 14, 2024)。中国の自動車メーカーがメキシコでEV(電気自動車)を組み立て、アメリカに迂回輸出する戦略を練っている動きを捉え、トランプは「200%の関税をかけるぞ」といきり立って見せました。バイデンも、中国製EVに100%の関税をかける方針を打ち出しました。
第14回「突然、浮上した“ユートピア都市”開発(2)――賛否両論の中、郡民投票へ」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
「突然、浮上した「ユートピア都市」開発(1)――シリコンバレーの富豪が背後に」では、民間企業のCalifornia Forever(CF)がサンフランシスコ(SF)の北東100kmの農牧地に、将来、40万人が暮らす新都市計画を発表したことについて紹介しました。
ここでは、計画をめぐる賛否両論を紹介します。土地を所有する農家/牧畜家、開発予定地を選挙地盤にする政治家(州議会議員)、行政機関、それに都市計画家、ジャーナリスト、環境団体などの間に、大規模ニュータウン開発をめぐって意見の相違があります。
第12回「コロナ禍から回復が遅れるサンフランシスコ(3)――新たなハイテク産業の集積と再生」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
20世紀の代表的な都市学者であるL.マンフォード は、都市の輪廻転生を信じていたと思います。その著書『都市の文化』は、成長、発展した都市がやがて衰退し、荒廃し、ついには「ネクロポリス(死の都)」に至る、という史記ですが、しかし、荒廃した土地には、きっと新しい、小さな命が芽生えている、と書いています。マンフォードの都市思想の基礎には、都市は有機体である、という考えがあります。
サンフランシスコ(SF)は、コロナ禍からの回復でアメリカ都市の最後尾を彷徨っています。特に治安の悪化したダウンタウンの疲弊が深刻です。2月にも老舗百貨店だったメイシーズが閉店を発表しました。「SFは終わった(San Francisco is over!)」という悲観論があることについては、連載の前々回、前回で紹介しました。しかし、ここでは、都市は有機体説を踏まえて「明日のSF」を考えます。「いやぁ、SFは復活する。COVID-19以前に比べ、よりパワフルな先端都市に甦る」という楽観論です。
執着、あるいは四季【桃の節句】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」
「日本は四季のある国である」。この言葉の本当の意味がわかったのは、花屋になってからずっとあとのことだった。この国にはたくさんの季節行事があり、その多くが何百年も昔から受け継がれてきたものである。もちろんほとんどの場合オリジナルと全く同じというわけにはいかず、時代に合わせて少しずつ姿を変えてきた。7月の祇園祭は良い例で、今では祭のハイライトともいえる山鉾巡行は当初存在せず、登場した後もしばらくは八坂神社で行われる神事のオマケのような存在だった。伝統行事がどのように変化していったかを辿るとその社会の変遷が見えてくる。行事というものが時代に合わせて姿を変えていったのではなく、時代に合わせて変化することができた行事だけが、現代に受け継がれているのかもしれない。その中でも、3月3日の桃の節句は興味深い。節句という風習が整ったのは江戸時代に入ってすぐで、雛人形と桃の花を飾る一連の祭りもその頃から大きくは変わっていない。しかしその頃と現代では決定的に違うことがある。それは暦と気候の問題だ。
第11回「コロナ禍から回復が遅れるサンフランシスコ(2)――落ちぶれた都市イメージの再生策」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
COVID-19の打撃から回復が遅れるサンフランシスコ(SF)ですが、そのSFをめぐる悲観論には、治安の悪化も影響しています。経済活動が停滞し、街に人影が少なくなっています。
在野の都市研究家で秀でたジャーナリストでもあったJ.ジェイコブズは、都市学のベストセラー『アメリカ大都市の生と死』を書き、街の優れた観察者でした。彼女は、街が元気であるためには、人々の活動が街に高密度に詰め込まれていることが大切である、と考え、そのために必要な街づくりの条件を明らかにしました。同書では、昼夜、街路を通行人が行き交うか、あるいは近隣の知り合いが立ち話をしている街(人の眼がある)は安全である、と書いていました。しかし、COVID-19以来、SFのダウンタウンでは、それと真逆のことが起きています。
ゲスト、そのための覚悟【正月】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」
日本には、花を束ねて人に贈るという文化はなかった。
というのも、花はそれ単体で喜んでもらうのではなく、花をいけた部屋まるごとで来た人をもてなすことが日本の文化であった。花だけでなく、器や掛け軸やお料理など、その空間に用意されたすべてのものと余白とをお互いに引き立たせ合い、小さな対比を重ねて、座敷という一室を、季節感のある美しい空間に仕上げる。完成された花の作品をギフトの品として渡すのではなく、今あなたと共にしているこの季節を、最大限に表現すること。それがこの国が長い時間をかけて丁寧に作り上げてきた、もてなしのかたちである。
第9回「NYが米国初の混雑税導入(3)――車をめぐるNIMBYイズム」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
これまでにニューヨーク市(NY)が導入を計画している混雑税の仕組み、及びそれに対してニュージャージー(NJ)州政府とNYの1区になっているスタテン島が反対の訴訟を起こした話を紹介しました。
NJの訴えは、
NYが混雑税を導入すると州内からNYに向かう車のルートに変化が起き、思わぬところに渋滞が発生する心配があるが、それを含めて十分な環境アセスメント調査がなされていない
ハドソン川を渡る通行料を払っているのに(トンネル、大橋)、混雑税は州民にさらなる負担をかけることになる
の2点です。
異文化、ところが本質【クリスマス】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」
11月が終わりに近づくと、示しを合わせたように一面クリスマスの景色になる日本のまちの様子は、本場の方の目にはどう映るのだろうと思わないではない。
キリスト教が浸透している国の、家族で過ごす神聖な夜を話に聞くと、この商業的なお祭り感がやや否めない日本のクリスマスには、なんとなく後ろめたさを感じる。とは言え日本でも、歳時記として定着しているのは確かだ。キリスト教の祭事であると知った上で、デコレーションはもちろん、食事やケーキやサンタクロースやプレゼントを贈る習慣など、様々な面を取り入れて、みんな12月という季節を楽しんでいる。
伝統、実は無礼講【ハロウィン】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」
子どもの頃、英会話教室に通っていた。私はそこに行くのがとても嫌だった。今と違ってとても内向的な子どもだったので、外国人の先生がどんどん話しかけてくるのも、学校が違う子たちと仲良くするのも苦手だった。10月のある日に先生がいった。来週はハロウィンパーティだから、みんな仮装してきてね。最悪だ、と思った。でも何しろ内向的な子どもだったから、もちろん嫌とも言えず母に魔女の帽子をのっけられて、教室へ行った。子供教室だからいつも遊びみたいなものだったけど、その日はハロウィンパーティだと言って、みんなでゲームをしたりお菓子を食べたりした。
センス、ではなくスタンス【重陽の節句】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」
花店に来てくださった方が、一様に口にされる言葉がある。「センスないんで」。お家用のお花を買いに来てくださった方も、ギフト用のお花を見に来てくださった方も、皆口を揃えてそう言われる。「センスがないのでどの花にすれば良いかわかりません、自分では選べません」と。花を選ぶのに必要なことは、生まれ持ったセンスではない。私は色々な場所で、人に、そう言い続けている。これは気休めでもきれいごとでもなく、私の信条である。むしろセンスなどという、どうやって手に入れるのかわからない個人の感覚でしか測れないもので花を選ばなければならないという間違った考えが、花を難しく面白味のないものにしている、とさえ思う。では、何を拠り所に花を選べば、「花を楽しめる」のか。
恐れ、すなわち感謝【お盆】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」
焼けるように熱いアスファルトの上に、進んでいるのか止まっているのかわからない自動車の列。スタジオのアナウンサーが伝えてくれる上りと下りの渋滞情報、熱中症対策強化の旨。冷房を効かせた車内から排出されているらしい生暖かい空気が、蜃気楼を歪ませる。これぞ日本の、お盆。
その目的は、実家に帰って普段一緒に暮らしていない家族や親戚と夏の休暇を過ごすためであるが、ではなぜ親族と時を過ごすのかというと、ちょっと忘れられがちなのだけれど、この時期に、死んだ人の霊がこの世に帰って来るからである。休暇だから家族と過ごすのではなく、家族全員でご先祖様の霊と過ごすために、休日になっているのである。
祈り、そして遊び【祇園祭】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」
7月の京都。グーグルイメージでしか京都を知らない外国の方は、石畳の上で風に揺られる青もみじが、ひんやり涼し気で快適な古都とお思いだろう。実際の京都の気温は、そのイメージから感じる温度プラス15度、湿度はプラス50%といったところか。「こんなところでよく暮らしてるな」というのが夏の(実は冬もだけど)京都を訪れた人の正直な感想であり、同時に暮らしている人間の驚きでもある。高すぎる温度と湿度で食べ物はすぐに腐るし、いけた花は瞬く間に枯れる。熱帯並みの気候の中、冷蔵庫も冷房もなかった時代の人のことを思うと胸が痛む。日本で最も有名な祭りの一つ・祇園祭は、そのような場所で生まれた。