骨格が鮮明になってきた施設群 – 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第34回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』

この連載について

渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。

真壁智治(まかべ・ともはる)

1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。

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骨格が鮮明になってきた施設群

 公式サイトshibuya sakura stage 渋谷サクラステージを見かける(二〇二三年四月)。

 そこで初めて、桜丘口地区再開発再開発施設名称を知ることになった。

 それが「shibuya sakura stage」とあり(ここでの表記は「s.s.s」とする)、これまでがそうであるように再開発施設名称が示されるのはいつも、絶妙な建設工事進行を踏まえた突然のことになる。どうやら、これも劇場型工事の演出なのであろうか。

 「CONCEPT

 ビルでも、モールでもない。再生・渋谷駅の前にある、桜並木の上り坂、桜丘まちの入り口広場。

 めぐり歩いて、楽しいまち

 shibuya sakura stage、ここは桜の新名所。桜並木や大きな山桜で花見を楽しめたり、桜から受けるインスピレーションが、建物に描かれたり、至るところに桜の情緒を感じられるまち。

 そんな桜を楽しみ、にぎわう人は多種多様。

 昔からいる人、新しく訪れる人、かつてのまちの風情、目新しい風景が共存してできている。人それぞれ、思い思いの「好き」がシェアされ、新しいコミュニティカルチャーが、桜丘から発信される。

 そうここは一人ひとりが活気あふれる桜丘の一員になれる場所。

 ともにつくれる新しい渋谷のまち。

 音楽、アート・ストリートパフォーマンス、他にもたくさん。

 あなたの「好き」が、新しい彩りになる。

 ようこそ、訪れる先々に歓びがある桜丘へ。

 めぐる楽しみに出会えるまちへ。」

 施設概要として、施設名称shibuya sakura stage、敷地面積 約一万六九七〇平方メート

ル、延床面積 約二五万四七〇〇平方メートル、竣工 二〇二三年一一月(予定) ※竣工

後、商業店舗等は順次オープンし、二〇二四年夏まちびらきイベントを実施予定 とある。

ディベロッパーが開発する「まち」の概要とはこうしたものなのだ。

 以上の公式サイト及び直近の東急不動産からの発信を総合すると、桜丘口地区再開発が抱えた特殊性に依る必然的分棟型施設開発全体を、一つの施設名称「shibuya sakura stage」と名付け、その内のA街区(これまでA棟としていたもの)を「SHIBUYAサイド」と呼び、B街区(これまでB棟としていたもの)を「SAKURAサイド」、先端棟(これまで「薄い壁」としていたもの)を「SAKURAテラス」としている。

 そして、更に「s.s.s」に関して判明したことがある。

 それは嘗てあった渋谷駅桜丘口改札の復活がサイトに計画として記されていることだ。

 これで腑に落ちた。JR渋谷駅から「渋谷ストリーム」と「s.s.s」へと延びるあの「スカイウェイ」の存在がJR渋谷駅新桜丘口改札への伏線であったのである。新たな改札口の設置がより公共性の高いものだとする訴求を、そこに強く感じざるをえません。

 それにしても、公式サイトから発信される「s.s.s」のCONCEPTメッセージと、二〇一七年、「ヒカリエ」へ向かうブリッジ手前の仮設通路壁面に示された渋谷区からの当再開発計画へのエール・メッセージとも受け取れるものとの、語り口のトーン及び語りの構造が極めて近く、そこに官と民との絶妙な協奏が嗅ぎとれよう。

 そこでは共に、「あなた」が存在しなければつくれない(まちの)未来がある、ことを強調し、あなたの「好き」がまちの活気と多様性(ちがい)を担ってゆくもの、とする。このメッセージの論理は一見すると、「あなた」の「まち」に対する当事者意識を鼓舞するかたちで、「あなた」が「まち」へ参加すること誘導するものとなっている。

 が、しかし、そこでの「まち」はあまりに抽象的、捨象的すぎはしないか。資本の論理と消費の再生産をハブとする都市化社会そのものの本質を備える「まち」を無原則に、声高に語りかけること、特にそれが渋谷再開発の施設低層部やオープンスペースについて磊落に語られることは危険であり、私たちは慎重に対処すべきであろう。

 巨大な建物のヴォリュームとシルエットが克明になり、超高層施設としての解像度が一気に上がってきた。

 躯体(骨)に外装(皮)が施され、そこから桜丘口地区再開発施設の用途情報やディテール情報が窺えるようになってきたのです。

 そこで感知される施設のアウトラインはどのようなものか。

 まず際立つのがA棟「SHIBUYAサイド」低層部外装(皮)の様相である。低層部は商業施設をテナント想定しているのであろう、周囲にその賑わいを生む場所になることを示す為か、ピンクに彩色されたパターンが外皮に塗布されている。

 桜丘の「桜」を想起させる「ピンク」使いのパターンの塗布を介して、嘗ての界隈性を表象しようとしているのであろう。

 CONCEPTにも在った「桜から受けるインスピレーションが建物に描かれ、桜の情緒を感じられるまち」との施設説明が成されている。これも一種の「ビジュアル・ナラティヴ・ワールド」を駆使する施設外装デザインと言っていいものだろう。

 「渋谷スクランブルスクエア」東棟や「渋谷ストリーム」の建物外装はオプティカルな効果を意図した「破調」を主題にデザインされていたものだが、「s.s.s」の建物外装は、特に「SHIBUYAサイド」の場合、商業テナント構成を主眼とする低層部と、そこから上階のオフィス使用がメインになる上層部との分節化がより一層明確になる。

 この桜丘口再開発は他の街区と異なり、多くの施設用途が複合化せざるを得ない大型施設群開発となる為、建物外観の分節化は必然の設計作法になり、その上で低層部外装に商業としての賑わいを想起させる桜をモチーフに「色めき」を気配として表象している。

 もっとも低層部外装に「色めき」を施さないと、全く今の時点では施設用途は判然としないのではあるが。

 従って、ここでの建物外装の「色めき」はウォール・グラフィックに依る建築のパッケージデザインに過ぎない、と言えようか。

 「色めき」が感知される施設が他にもある。「薄い壁」と呼んできた「SHIBUYAテラス」の接地階がそれで、高いピラー(柱)の「ピロティ」部は地下階に誘導するのであろうか、前面道路に対して「サイン」となるハング状の自立架構体が設置されだした。架構体にしてはオブジェ感が強く、実は、この架構体の出現には少し目を見張った。

 これまでの桜丘口地区再開発工事現場ではこの「スケール」の架構体・建造物を見ることが一切無かったからだった。恐らくこの架構体「サイン」は地下階での「ライブパフォーマンススペース」の存在を色めきとして語ろうとするものなのだろう。

 これも「s.s.s」の小さなノイズとして「SHIBUYAテラス」と共に経験され、記憶の構造化が成されるに違いない。ところで、「フクラス」のファサード・デザインは「破調」を基調にして地域の猥雑さと呼応する「色めき」を表出していた。

 こうして見てくるとデザインアーキテクト共通に課せられるお題の他に、渋谷再開発における各地区・街区の特性に応じてデザインアーキテクトの問題意識やそこでの役割に差異を窺うことが出来るだろう。

 「渋谷スクランブルスクエア」東棟、「渋谷ストリーム」は、駅前街区にもたらす圧倒的なメガスケールによる圧迫感の少しでも緩和することがデザインテーマとして存在した。その方策として超高層ビル外装の「破調」が共に主題となり、そのオプティカル効果が追求されていた。

 一方、「s.s.s」では桜丘口地区のそれまでの特性を踏まえたデザインスタディがなされてる。地区の資源や地区に生まれてきた記憶などを、特に「s.s.s」の低層部・接地階に嘗ての界隈性を根付かせようと、「色めき」のデザインが試みられている。つまりは、地域にルーツのある場所の賑わいを前もって誘導する「色めき」を建物外装に施し、そこが目指すべき場所イメージ(場所性)であることを暗示させるやり方となっている。

 「SHIBUYAテラス」ピロティに見る自立する過剰な庇も、嘗て在ったライブスペースの記憶へと誘う「色めき」のオブジェと映る。

 「渋谷フクラス」でもこのルーツを持つ界隈の「色めき」を見ることが出来た。

 特に、そこでの「アーバンコア」のデザインには周囲の界隈と共振するような「色めき」が渋谷再開発のどの「アーバンコア」よりも濃厚に表出しているのが良く分かる。つまり、猥雑感が「色めき」として横溢しているのです。

 「渋谷ストリーム」でも場所の記憶を主題とする「色めき」を散見することが出来た。

 嘗ての東急東横線渋谷駅の記憶に連なる独特なモダンデザイン壁面パネルや当時の線路が新たな「渋谷ストリーム」の人が多く往き交う公共性の強いオープンスペースや通路などの壁や床に組み込まれたり、埋め込まれたりしている。記憶のピースを活用する「色めき」デザインと言えるものだった。

 しかし結局の所、渋谷再開発でのデザインアーキテクトの関与が開発施設外観の「破調」及び「色めき」をノイズとしてデザインしたことが有徴なものとしてしか映らなかったとしたら、参加したデザインアーキテクトにとっても極めて不本意で不幸なことだろう。

 もっと葛藤したり、格闘したことが在ったはず。

 見落とされがちだが、新施設低層部には完全に定着していなくとも、下からの、内からの「公共性」が感知されるポイントが幾つも潜んでいる。 例えば、

•「渋谷ストリーム」三階「通り抜け通路」

 「渋谷スクランブルスクエア」東棟からのユッタリとした「フリーウェイ」を抜け、「渋谷ストリーム」の通り抜け通路に至る。快適な機能的公共性を実感しながら施設内通り抜け通路をユッタリと歩く。

 このユッタリ感がいずれも機能的公共性以上のものを感受させる。みんなの共通利益感覚を育む意味的公共性の発芽となっている。

•「渋谷フクラス」二階「外部通路」

 渋谷駅南口前の解放感のあるオープンスペースと対面する二階にあるバルコニー状の外部通路となる。機能的公共性は獲得していて、更に「独り」で佇むことが出来る意味的公共性がそこに芽生えようとしている。この施設通路は建築家側が強く要請したものだったと聞く。そのままでは施設内中廊下型通路が普通で、それでは外のオープンスペースとのふれあいは全く生まれようもないことになった。

•「渋谷スクランブルスクエア」東棟「アーバンコア」

 デザインアーキテクト隈研吾が「小さな部材」による「小さな建築」としてこだわった「アーバンコア」の架構体から窺う都市の空は、今までの公共空間には感じられなかった清澄感が生まれている。ここにもデザインの力を借りながら、機能的公共性を乗り越えて意味的公共性が生まれようとしているのではないか。隈の「小さな部材」に依る施設の「庇」も、意味的公共性を誘発させる「ノイズ」になっている。

 デザインアーキテクトたちの試みの内に民間主導開発であるが故に可能となったこと、甘くなったこと、そして全く出来なかったことなどを参加建築家はもっとオープンにすべきではないか。特に、ディベロッパー主導の都市開発には、強く計画の民主化を求めて然るべき、と考えるからだ。民間企業が都市を開発する際は、それなりの透明性が保たれなければならない。

 もしそれが無理ならば、問題は他にある。

 デザインアーキテクトの関与の総括をオープン化出来ないならば、「デザインアーキテクト制」そのものを問題とし、それを問うことになる。

 そして、二〇二七年完成までの最後に残された「渋谷スクランブルスクエア」中央棟・西棟(デザインアーキテクトSANAA)の動向を注視してゆきたい。建設がこれからとなる中央棟JR渋谷駅「空中広場」の開業が待たれると共に、どの様な公共性をその場に刻み得るのか、その管理のしかたも含めて大変な関心が私にはある。これ如何では渋谷再開発の意義も評価も全く変わろう、と言っても過言ではないだろう。

 その場所に佇み、群れることで、みんなの「共通利益」が育まれるようにアフォードされる「建築の力」は、そこに生起するであろうか。「空中広場」が示すあの微妙な床勾配がどんな身体的イマジネーションを惹起し共有化されるか、楽しみである。

 それはアーバニズムに「共感のヒューマニズム」を求めた建築家槇文彦の願いにも応えるものになろうか。それらの問いは、臨場から窺う「渋谷問題」のもっとも内奥の検証となるに違いない。

(つづく)

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