地勢の均し
– 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第18回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』

この連載について

渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。

真壁智治(まかべ・ともはる)

1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。

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地勢の均し

 大規模な再開発で物理的に壊されるものは既存の建物だけではない。建物を解体すると同時に細かく区分化されていた敷地のそれぞれの地勢も大きな区画に再編・整理され、整地されて微地勢がすっかり消失してしまうのである。地勢も取り壊されてゆく。
 渋谷再開発では特に、桜丘口地区の開発場面で多くの地勢のならしが遂行された。
 それには多くの地権が複雑に絡み、「敷地の入れ替え」や「敷地の集約化」などの個別の等価交換対応が積極的に図られた為だった。そうした背景を組して、結局、この桜丘口地区再開発だけが唯一、三棟分棟型の施設開発となっている。
 メインになるA棟は別にしても、先端棟や東棟には桜丘口地区の混み入った事情や事態が収容される形で建築化、施設化されようとしている。
 躯体が組み上がってきた東棟の立面からは上階に「住宅」のフレーミングも窺える。

 こうして進む都市の更新は大きく生来の地勢を蹂躙する方向で進み、それは施設建設の為の新たな地勢の統合化へと向う。そこでは微地勢の消去化を図り、地勢レベル(高低差)の「均し」が大規模に侵攻している。
 これをレベルのゼロ化(絶対的唯一のグランドライン)と呼ぶ。
 桜丘口地区の再開発工事現場で、躯体が建ち上がる前の広大な地盤面の調整工事を遠望するにつけ、レベルのゼロ化であるグランドラインの均し化に溜め息をつかざるを得なかった。

 私は渋谷再開発に対する「渋谷問題」として開発に伴う「地勢」への議論を欠いたら渋谷問題の本質を見失いかねない、と考えてきました。桜丘口地区再開発事業に対しては「地勢均し」に最大級の狼煙を上げることになる。
 「グランドライン」(GL)は建築建設時の絶対的根拠となる基準面に「±プラスマイナス 0」、つまりレベルゼロを意味することになり、このGLの認定を根拠として建設工事が進む。
 従って、GLへの改編とは多くの地権者を巻き込んでの「唯一のGL」、これは建築生産の為に設定される新たな基準面への統合化と読める訳なのです。
 桜丘口地区での地勢の均しの進行に最後まで抵抗していたのが、細かな地勢に対応して建っていた建物の地下階たちであったのが皮肉でした。
 建物の躯体の瓦礫が掘り起こされている様子を見ると、全ての地勢が「唯一のGL」へ向う裡で建物の地下階の存在だけが、そこに根付いていた微地勢のアリバイとなっていた。壊されてゆく地下階の躯体と瓦礫がそこに存在していた微地勢のアリバイと映ったのは新鮮な発見であり、驚きでありました。
 桜丘口地区の解体・整地作業では最後まで、地中に隠れ埋まっていた地下階のそれまでの細かな地勢に沿った建物の躯体の瓦礫が掘り起こされている。その様子を見ると、全ての地勢が「唯一無二のGL」へ向う裡で建物の地下階の存在だけが、その流れへの最後の抵抗となっているようで、そこに根付いていた微地勢のアリバイとして地下階の瓦礫が映ったのです。
 巨大な整地作業(「唯一無二のGL」化)に抗っているのが解体された建物群の地下階であることに感動を覚えると共に、それは意外な発見でもあった。
 それまでの桜丘口地区のソーシャル・キャピタルを形成する基盤であった小さな建物群の無数の地下階が、「唯一無二のGL」化にゲリラが微抵抗戦を挑んでいるように私には想えて感動したのだろう。なによりも地上階より地下階の解体の方が手間もかかる。元来地下階の存在は都市に多くの謎を生むものの一つ。地下階は地上からは全くブラインドな存在で、地上からは一切地下階は窺えない。既に謎を秘めている。
 しかも、各々の地下階は個別に存在していて、横には繋がってはいない。地上のコンテクストは一切地下階には通じないのです。
 従って、地下階体験は全く個別の穴蔵体験になり、通りや街並みの体験は一切そこには持ち込まれないし、介入してこない。こうした不連続な点状の地下階体験も渋谷の持つ「闇」の一翼を担って来たものだったのである。
 闇の穴蔵が最後まで抵抗して「唯一無二のGL」化と闘っていると想像するだけで、目の前で進行している桜丘口地区工事現場も多少ドキュメンタリーを観ているような感覚にもなろう、と言うものだ。
 桜丘口地区の解体・整地工事に際しては、当然対象建物の地下階概要は充分に把握されていただろう。
 階数・構造・壁体量・容積量・機械・設備などの基本情報が頭に入った上で解体・整地工事を始めることができるのだが、それでも問題は起きる。地勢に沿って建設されていた地下階を壊す中で、突然、地勢のレベルが異なる隣の地下階がいきなり剥き出しで現われたりする。それは想定外の穴蔵の出現を意味します。こうした微地勢と隣接する地下階とのレベルのギャップは、偶発的に垣間見せるズレた穴蔵を一瞬にして覗かせ、点在する想定外の様はとてもファンタスティックで都市の存在学の一断面を見る想いがした。
 地上階は壊せば壊す程、空が広く、高くなる。
 ところが、地下階は壊せば壊す程、穴蔵が深く、暗くなる。
 この二様の工事現場に見る解体の存在学には圧倒的に文学的で美学的な様相解読がそそられる。
 埋まっていた地下階が現われ、壁が剥き出しになり、壊された床の瓦礫が積み上がっている事態は工事現場に妙な生々しさを与えている。その他にも埋設されていた配管・ケーブルなどを分別し、安置している様からも地下階解体の方が地上階のそれよりも「解剖」の様態に近いものを強く感じる。
 そして、終には地下階穴蔵の埋め戻し作業が始まり、地下階の抵抗もそれまでとなるのです。深く暗かった穴蔵が何事も無かったように「唯一無二のGL」へ組み込まれてしまう。こうして広大な工事現場の眺望の内に繰り広げられた解体・整地の作業も次の工事ステージ(ボーリング・杭打ち作業)に入ってゆくことになるのである。

(つづく)

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