第4回「アフターコロナのビジネスセンター(1)――都市機能を「足し算」へ」 連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』

この連載について

アメリカで展開されている都市政策の最新事情から注目の事例をひもときつつ、コロナ禍を経て変容するこれからの都市のありよう=かたちをさぐります。

筆者

矢作 弘(やはぎ・ひろし)

龍谷大学フェロー

前回の記事

第3回「戸建て住宅専用地区をめぐる分断をあおる“仮面”」 ―― 連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』

“後遺症”からの回復が遅れる

アメリカのビジネスセンター――ダウンタウンは超高層のオフィスビルが立ち並び、威風堂々としています。行政府の建物も連棟しています。しかし、COVID-19では、通勤者が途絶え、通行人の姿が消え、街が空っぽになりました。「ダウンタウンは終わった(Downtown is over forever!)」と書いたメディアもありました。

新型コロナ感染症が爆発して以来、3年半が経ち、流行は収束に向かっています。ただ、被患し、後遺症に苦しむ人々が多くいるように、都市も、特にダウンタウンは、後遺症からの回復が遅れています。ダウンタウンは都市活動の中心地です。そこが後遺症を抱えている状態は、経済の再生に足かせです。都市政府には、税財政運営の困窮につながっています。

ダウンタウンが後遺症を克服し、今後どのように「再生するか」「再生すべきか」をめぐって興味深い論争が起きています。その再生の姿は、都市の「かたち(可視的、建築的な意味に加え、人々の働き方/暮らし方の総体)」を決定します。

実際のところ、「ダウンタウンをどのように再生するか、我々は一世一代の好機にいる」(ワシントンポスト2023年1月23日、The Once-in-a-Generation Opportunity to Remake Downtown)――QOL /QOW(暮らしの質/働き方の質)を、COVID-19以前に比べより良く改善しよう、という掛け声が聞こえてきます。

ダウンタウンの「かたち」

明日のダウンタウンの「かたち」を考える際に、現在の「かたち」を形成するに至った歴史に、多くを学ぶことが出来ます。したがってダウンタウン小史から書き始めます。

それぞれの都市がどのような産業によって牽引され、現在の「かたち」になったかは様々ですし、地理的条件の影響を受けます――中西部の産業都市デトロイトと都市域を砂漠に拡散させた新興のフェニックスの違いなど――したがってダウンタウンの「かたち」も、当然、それぞれに色々です。それを了解しつつ、筆者がアメリカ各地のダウンタウンを訪ね歩き、見聞したところを踏まえ、少々、独断的な整理をします。

ミッドタウンと対比してダウンタウンを描くことが、理解を助けます(ニューヨークのダウンタウン/ミッドタウンについては次回に記述します)。ダウンタウンには、ビジネスオフィス、連邦/都市政府や裁判所などの官公庁、新聞社、百貨店などのビルがあります。また、そこで働く人々の消費需要を支える外食店(ランチやビジネス会食)、ホテル(出張者が投宿)があります。最近はコンビニ、スポーツジムがあります。また、立派な教会があります。一方、ミッドタウンには、大学、総合病院、美術館、図書館が集積しています。

ダウンタウン vs. ミッドタウン

このようにダウンタウンとミッドタウンが都市機能を分担する姿は、中西部の旧産業都市で典型的です。デトロイトのダウンタウンには、銀行/保険会社の本支店、ビジネスオフィス、連邦政府/連銀の出先、老舗ホテルの高層ビルがあります。地元新聞2紙の本社があります。一方、ミッドタウンには、ウエイン州立大学、総合病院、デトロイト美術館、図書館があります。

クリーブランドのミッドタウンは、ユニバーシティサークルです。豊かな緑陰にケース・ウエスタン・リザーブ大学、音楽/美術大学、高度医療医学複合体(クリーブランドクリニックス、子供病院、大学病院、退役軍人病院)、美術館、音楽ホールが点在しています。ピッツバーグのミドタウンは、オークランドです。ビッツバーグ大学、カーネギーメロン大学、大学病院、文化機能が集積し、ビジネスセンターのダウンタウンとの間で役割分担があります。中西部都市ほど鮮明ではないのですが、東海岸のフィラデルフィア、ボルチモアでも、類似した都市機能の分担を垣間見ることができます。

都市機能のこの役割分担は、都市史を考えると納得します。アメリカの歴史は浅く、19世紀に都市化が急進展しました。初期の都市化は、暮らし/働く空間を自己完結型に集積しました。ダウンタウンの形成です。同じ時期に産業革命を経験し、産業資本/鉄道資本が成立し、巨額の富を蓄積した新興の資本家が育ちました。彼等は、余裕のできたカネを美術館、病院、大学の創設に投資しました。「衣食足りて」のカネの流れです。19世紀末から20世紀初期のことです。いずれも広い土地が必要でした。そのため地価の安いダウンタウンの周縁部――当時の郊外で文化、医療関連の大規模投資が行われました。ミッドタウンの形成です。煤煙を吐く蒸気機関車がダウンタウンに頭を突っ込むことも忌避されましたから、中央駅は、多くの都市でダウンタウンとミッドタウンの中間地点に造られました。

「引き算」から「足し算」に!

その後の、20世紀のダウンタウン史は「引き算」でした。元来のダウンタウンは都市機能が揃い、自己完結型でした。そこからまず、住宅が郊外に流出しました。ダウンタウンと郊外を結ぶ路面電車が走り、さらに車社会を迎え、高速道路が整備され、郊外化が加速しました。

1950年代後半には、郊外に流れ出た小売需要を求めて大規模ショッピングセンターが発明されました。百貨店がショッピングセンターの核店舗になりました。小売業の流出です。デトロイトのダウンタウンにあったハドソン百貨店は、百貨店併設型の郊外ショッピンセンターを多店舗展開し、タコが自分の足を食う現象を起こし、本店が経営破綻に追い込まれました(矢作弘「ショッピングセンター葬送の鐘がなる」『思想』2017年11月号)。ダウンタウンが百貨店を喪失する動きは、他の都市でも起きました。1970年代以降は、ビジネスオフィスが郊外化しました。

20世紀後半のダウンタウンは、その大方がこの「引き算」現象から残ったオフィスビルに専有され、モノカルチャーの街に変容しました。モノカルチャー化した都市の「かたち」は、景気の変動やパンデミック、テロルなどの都市危機に対して脆弱です。

COVID-19が猛威を奮っていた時には、ダウンタウンでも、ミッドタウンでも、人影が消えました。沈静した昨今も、ダウンタウンは、リモートワークの影響で人の戻りが遅い。そのためオフィスビルの空き率が高い。それに比してミッドタウンは様子が違います。病院は人出が多い。大学には学生が帰ってきました。美術館や音楽ホールは、従前のレベルに来客が戻らなくても、ビジネスオフィスのように空きビルにはならない。元来、ミッドタウンには、非営利団体が所有する不動産が多く、税金を払っていない。したがって景気変動の埒外にあります。 「一世一代の好機」を主張する論者は、アフターコロナのダウンタンは、都市機能の「足し算」に転じ、多機能/混在型に甦るべきである、と訴えています。

デトロイトの活性化するダウンタウン――ランチ時間に、キッチンカーに列ぶオフィスワーカー。

(つづく)

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