動的均衡を生きる
– 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第4回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』

この連載について

渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。

真壁智治(まかべ・ともはる)

1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。

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動的均衡を生きる

 渋谷再開発工事現場では、至る所で各種の工事が多重・多層・多元的に進行する。それに伴い、仮囲いや仮設の通路などが臨機に変更される。
 言葉を換えれば、工事の動きと、人々の往来や動きとが共に絡まりながら、この場の全体が動態的秩序を日々更新している眺めを持つ、といえる。この事態に対応(無意識の対応になる)するには、工事現場(環境)が生み出す動態と、私たちの臨機応変な身体的感受性とを呼応させる生き方が要るのです。これを「動的均衡」と呼ぶことが出来るかと思う。

 しかも、渋谷再開発は一五年以上にわたる工事期間を伴うものとなり、環境としての工事現場と私たちの身体との双方向の動態の内に、都市を生きるという生態的態度をも生んで来ている。
 つまりは長い期間にわたる都市の「動的均衡」を人びとが生きると言う現実の視点が「渋谷問題」には欠くことが出来ない、と言うことなのです。
 これも考え方に依っては、渋谷再開発の隠れた開発資質となるものかもしれない。
 工事そのものが都市生活者を巻き込む劇場型である以上、「動的均衡」も狼煙として立ち昇らせるべきだ。

 問題は一五年以上にわたる再開発工事を進めておきながら、開発主体サイドに工事現場が生む「動的均衡」に全く何の手も打ってこなかったことだ。恐らく、何のイメージも抱かなかったのだろう。唯一それに関しての発言は内藤廣の「工事を面白くさせたい」と言うものだけだったと記憶する。
 現在の東京では実に多くの基盤整備や都市更新の為の長期工事現場に遭遇することになる。
 そのどれにも、都市の現実的な生態的環境の一部を形成している、と言う自覚はみられない。
 それらと積極的に対応してゆく為には、工事期間の長さも原則的に私たちにもたらす新たな様態・様相としてのもう一つの開発資質として受け止めるべきだ。
 その為の条件の一つとして開発主体及び工事主体は長期化する工事現場を如何に劇場型工事として遂行出来るか、を考えなければなりません。工事を隠すだけではなく、工事の様態を環境化すべきなのです。
 なにも開発施設が完了しないと、新たな環境が整わないものではなく、日々更新されてゆく工事様態も私たちにとって都市の日常性を彩る環境そのものなのですから。

 ある意味では渋谷再開発は、都市生活者を巻き込む長き劇場型工事の根本的な開発資質の存在を体感させ、生きられるべき都市的機会を失してきたのである。

(つづく)

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