物質の圧力態
– 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第6回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』

この連載について

渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。

真壁智治(まかべ・ともはる)

1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。

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物質の圧力態

 物質を語る指標にはその素性を物理的性質として示す物性が一般的であろう。
 しかし、建築や建設に関わる「物質」では建材・部材・資材や耐久財・消耗財さらには構成部位としてのスケルトン・インフィルなどの建築生産に関わる製品カテゴリーに収められスペック・イン、個々の物質の物性は前面に出ることはなく、むしろ後退する眺めに在る。
 ところが、建設や解体の工事中では物質の物性が前面に出てくることになり、物質としてのメタ・フィジカルな物性もそこでは顔をのぞかせるのです。
 渋谷再開発工事現場の今の事態(二〇一七年六月末)が生み出している圧倒的な物質世界の光景は、視覚優先の偏った私たちの感覚に揺さぶりをかけてくる。
 光景とは基本的に目の前の全景が粒子世界として立ち現れ、そこに視覚だけでは掬い切れない様々な感覚が横溢してくることへの、目に見えているものだけでの対応不全と混乱とを私たちに突きつけてくるのではないか。
 本来、環境を生きる感覚とはそのようなものとしてあったはずで、自然世界・人工世界が発する粒子の運動態から眼をそらし続けてきたのが近代という合理主義でした。
 近代が葬り去った代表的なものに環境から生まれる気や気配があったのは言うまでもなく、それらは神秘主義の対象とされ私たちが生きるための、生来の感覚の地位を疎まれてきた。
 渋谷再開発工事現場の光景は私たちの偏った感覚に揺さぶりをかけ、眠っていた「全身感覚」を一気にキックしだしたから愉快だ。ここでの光景は視覚情報と同時に温湿度・におい・音や鼓動、それに気や気配、そしてなによりも圧力が見えるものに重なって表出してくる濃厚な場所感覚を生んでいて、それらが迫力の要因となっている。
 混乱に陥っている脆弱化した私たちの全身感覚の狼狽振りが一気に工事現場に漂う濃厚な場所感覚で露わになったのである。
 工事現場が生み出す多くの物質からはそれぞれ固有な圧力がこもったり、放出されたりしている。こうした物質がもたらす様態を「圧力態」と呼ぶ。
 圧力の様態として物質と接することは視覚以上の身体的照応が生まれます。
 つまりは物質と身体との感応域が身体にダイレクトで全身的なのです。
 圧力態が皮膚感覚を振動し合ったり、脊椎や骨盤と圧力態とが振動として呼応し合ったりして物質が身体化される。
 そこには文字情報などに依る意味作用が介在しないので、全くピュアに「物質」を圧力態として感応することが出来、工事現場が粒子と圧力とが揺らぐ圧力態の環境として私たちの身体とのコレスポンデンスが進む。

 工事現場が生む圧力態の様態の裡を私たちは踊るダンスかのように「ウォーク」していた。この身体感応の記憶も再開発工事現場が招集した開発資質として指摘しておく。
 これも渋谷再開発が劇場型工事として遂行しているからこそ遭遇しえた体験で、この感応は今の工事現場からは窺うことは出来なくなっている。
 「工事を面白くさせたい」としていた内藤廣の言説も、もう少し本質的に語れば、「工事には面白さが溢れている」と言うことになろう。その面白さを開発主体も工事現場も全くその自覚も気付きも無かったのであった。
 だからこそ、物質の圧力態を渋谷再開発工事現場に問題群の一つとして狼煙を立ち昇らせておく。

 ここに挙げた渋谷問題への気付きは、詰まる所、科学と非科学との間に生じる物質や場所の現象学的感応の世界のリアルな実在を示すものだった。
 渋谷を粒子的光景として日常的に把握し、その物性が生起させる気配を察知することで不断の都市のノイズに出会えることになろう。

(つづく)

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