仮設空間の余地
– 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第9回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』

この連載について

渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。

真壁智治(まかべ・ともはる)

1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。

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仮設空間の余地

 都市機能を停滞させることなく、長い工事期間を必然化する渋谷再開発は膨大な仮設空間と出会う場でもある。
 同時にそれは、豊潤なブリコラージュの秩序世界に出会う場でもあった。
 従って、渋谷再開発工事現場の臨場には仮設空間への感応と思索とが必至となるものなのです。
 とは言え、これまでの建築・都市分野の内からは自覚的・積極的に仮設空間に対しての言語化が成されることはほとんどなかった。
 それらは建設工事の中の取るに足らない場面や空間として誰もが認識していたからであろうし、脇役以下の存在と映っていたはず。
 それにしても仮設空間はいずれもその出現が唐突だ。
 私たちには、こうした不可解で不整合な仮設空間が持つ素地の考察機会は、極めて少なかった。今、渋谷再開発工事現場が体現している外科的な仮設空間と内科的な仮設空間との、一切脈絡のない不連続なシークエンスを積極的に検証してみることは、これからの建築の余地を考えることになるのではないか。
 「外科的な仮設空間」とは、これまでJR渋谷駅中央改札から「ヒカリエステージ」に接続するための仮設階段室カートリッジや仮設バイパス通路を見てきました。これらはさながら人工臓器やチューブをアドオンさせた外科手術のように体感されたものだ。
 一方の「内科的な仮設空間」とは「渋谷スクランブルスクエア」東棟接地階の大きながらんどうの躯体に封入された整った大きな仮設通路は、そこを往来する人たちには新たな都市の中の「シェル」(殻で包まれた空間)と映りだしているに違いない。
 このシェルの様相が工事進行に伴う整備として、白いシートが重層的に張り替えられたり、表示・サイン類が多く付けられたり、照明に配慮が施されたり、床が整えられたり、剥き出しの鉄骨の端部にガード・テープが張られたり、と仮設通路の改善が次第に図られてゆく。これからは薬物を投与しながら、内臓の疾患を改善(治療)させてゆく臨床内科的な光景もイメージされたものだ。この改善に力を発揮しているのが「ブリコラージュ」となるもう一つの技術力なのです。
 この仮設の二つの光景が連続もせず、切断されたままトポロジックに存在している事態が、工事の渦中を一瞬なりとも「私」が生きる環境の必然なのだ、と認識でき、これはこれで良いと受容できるのです。こうした事態や体験は通常の建築という場面ではなかなかありえない。建築がこれまでそうした事態やプログラムを求めたり、必然化されることはなかったからです。あるいは建築が仮設性に対して、そこまで言語化されていないこともある。際立つ仮設の二つの光景が場所の経験や体験をひどく複雑にさせ、目前で起きている様態のトータルなイメージ化や場所の構造化を極度に困難にさせる要因になっているのです。
 そして、なによりも仮設を含む建築の計画は、これまでの計画論では一切立ちゆかなくなっている。これからの新たな計画論が望まれるところなのです。
 どこかなじんでいて懐かしい、危なっかしいけど安心出来る、不合理だけど納得出来る。建材のローテクな扱い、アドリブ的な対処、スケール感の不統一、ひたすら包み、覆う愚直さ、どこまでも仕上がらない不完全の美学、妙な潔癖感とストイシズム、おおらかな応急策、事情を示す後手の処理などなどの反応的対応のブリコラージュ・ワークが仮設空間に横溢しています。これまでの工事進行に伴い生じてきた仮設空間はどこまでも「建築家なしの建築」であった。
 確かに、それを建築と呼べないまでも、建築に隣接し、内蔵されて、併置されて、接続されて、建築との取り合いの中で、仮設空間がいずれも生じたものだった。
 ここで私が伝えたいことは、建築家なしで生まれているこうしたブリコラージュ(野生の技術)を全面化する「仮設空間」を、建築の一つの形式として議論の上に載せてもいいのではないか、ということなのである。
 今、ここに見る「仮設性」とは、計画して生まれるものではなく、反応して生起してくる空間の存在に他ならないのだということなのだ。

 紛れもなく私たちは一時、仮設空間を都市の日常として生きてきた。そこでの問題意識も「渋谷問題」として狼煙を上げざるを得まい。

(つづく)

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