光景のゲシュタルト – 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第31回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』

この連載について

渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。

真壁智治(まかべ・ともはる)

1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。

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光景のゲシュタルト

 JR渋谷駅ホーム上空がいつの間にかすっかり建設工事モードの最中なのにハッと気付く。

 この工事は駅更新の為にこれまで見て来た「もう一つの時間」に依る密やかで、静かな工事進行であったものだが、ここまで様態・様相が様替りすると、ホーム自体が新たな更新の為の事態に在ることが誰の目にも明らかに映る。振動も感じられないもう一つの時間に依る解体工事がここまで進行していた事態に驚く。特に、山手線内廻りホーム上、既存柱にもアルファベットによる表示が貼られ、更新工事へのアドレス作りとなっていたり、埼京線・湘南新宿ラインホームに、これまでの渋谷駅ホーム上で散見されて来た柱とは比較にならない程の大きく、太い「支柱」が一気に建ち上がり出して来た。

 これらを介し、渋谷駅ホームを巻き込んだ大規模な更新工事が今まさに始まっているということが実感を伴ってリアルに感覚されるのです。

 ホームの様相が一気に劇場性を帯び出す。

 こうして進む工事の光景は、ホームの上を覆うメガストラクチャリングの様態の進行と共に、架構体のスケールがとてもメガである為に目前のホームが吸い寄せられ、飲み込まれ、スッポリと包み込まれる様に感じられ、この工事の劇場性に私たちの身体は強くキックされる。

 巨大な網目(グリッド)の中にホームごと包摂される感覚が鋭く襲う。

 現時点での工事の様相からは、メガスケールな架構体が現状のホームに脈絡なく折り重なる様に挿入されている眺めにある。

 しかもメガスケールな架構体の間からは、まだ床(スラブ)が架けられていないので光が差し、空が窺える。

 いずれここにもJR品川のホームの如くメガスケールな架構体にスラブが張られ、暗いホームを体現させるのであろうが、今の様態こそが都市の躍動感を表出し、美しさも感じさせる。これも劇場型工事が途上で垣間見せる「都市の未来」なのかもしれず、在って欲しい「未来」は仮想ではなく、進行する事態や運動の内に一瞬感得されるものなのかもしれない。

 渋谷駅ホーム上空で静かに建設される大きな架構体と、駅の外、つまり桜丘口地区再開発工事などで進行する「薄い壁」との両者が今見せている相対的光景は、大変興味深い。

 別々に進行する異なる建設工事ではあるが、互いにその存在が「今」という場面で、なにがしか関係付けられて見えてくる。

 これは、渋谷再開発工事に関係する通時的な全ての工程表がボヤッと理解されていないと、自覚的に観察することの出来ない一瞬なのですが、こうした別々な工事の様態が互いに関係付けられて見えてくる相対的光景が、一層再開発計画の全体としての総合性を強く感じさせるのだろう。

 この一瞬に窺える相対的光景から、渋谷再開発計画が根底的に抱く「渋谷」の同質化と占有化の主題を、顕在的に感知することが出来るのです。

 位相が異なり相対する工事光景の「スガタ」が同時に視野に入る機会はこれまでの渋谷再開発工事でもあまり無かった。しかし、この相対する工事の「スガタ」にこそ、渋谷再開発工事の特質や特異性が潜在しているのではないだろうか。

 相対する異質な工事を個々に支えている時間相の違いが、工事のスガタの違いを生起させているのです。

 一つは「もう一つの時間」に根拠を置き建設され、JR渋谷駅更新の架構体工事の進行が生み出す「スガタ」であり、ここでは私たち自身が静かな工事の内に幽閉され、拘束されている感覚が絶えずつきまとう。

 もう一つは、現在目前で進行がリアルに実感出来る時間相を持つ桜丘口地区再開発工事が生起させるスガタであり、これは、私たちと絶えず対面するオブジェクトとなるものである。それに加えもう一つは東横百貨店西館解体工事のように消失してゆくスガタを養生パネルで覆い、隠された時間相を持つオブジェクトとして進行している。

 架構体が丸見え状態での裸の工事と、シートで被覆されている工事とが何の脈絡もなく並行して対置し、進行する所にも、「渋谷問題」の所在の輪郭を見ることが出来るのではあるまいか。

 その脇で、密やかに解体工事が進む。こうして前者二つの工事が建設途上プラスの工事であるのに比べ、この解体工事はマイナス作業となるものだ。加わるものと削り取られるものとが同時に進行してゆく。これはこれからの時間とこれまでの時間に対峙する工事作業でもある。

 こうした工事の様態の異なる位相ベクトルをそれぞれに備えた複数の工事が、劇場型工事としてシンクロし合って、これら渋谷の都市的様相としての日常のスガタが私たちに作用し、認識される。

 渋谷再開発は、同時に進行し並走する工事の様態・様相が互いに引き合い、繫がり、重なり合い、響き合う動態的な光景のゲシュタルトが絶えず生み出されている。こうして認識される光景の裡に私たちの都市現実が立ち現れてくるものなのです。

 私たちは工事の動態が生成するオリジナルなこの「光景のゲシュタルト」を介して、再開発工事の行方を肌で嗅ぎとることが出来るのです。

 光景のゲシュタルトこそが計画の規模の巨大さを先行して感知させてくれるものであり、なによりもそれは開発が及ぶ「ゾーン」を暗示的に示してくれる。光景のゲシュタルトとは、進行してゆく複数の工事の様相が折り重なって示される光景の体制化のことである。そうした光景の体制化から、渋谷再開発の意図と構想を様相として感知し、読み取り、渋谷問題への手始め・手懸りとしたいものだ。

 複数の建設工事から派生する様態の運動が示す「光景のゲシュタルト」の内に「渋谷問題」の所在の輪郭が感知されたとしても不思議ではないのです。

 渋谷の街の巨大な制圧(同質化)と光景のゲシュタルトから窺う想像力を、私たちは身に付けねばなるまい。

(つづく)

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