渋谷のいごこちを問う
– 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第22回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』

この連載について

渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。

真壁智治(まかべ・ともはる)

1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。

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渋谷のいごこちを問う

 渋谷の「いごこち」が再開発の進展と共に、工事開始以前と大分変ってきたことは間違いないだろう。その兆候を探ってゆくことも臨場の重要なミッションの一つになってくる。

 本来は渋谷のいごこちを皆で日常的に検証し続けてゆくことが「渋谷問題」の入口とならなければならないと想うのだが。

 「渋谷問題」への入口はどこまでも私たちの身体性と「渋谷」とを対峙させる所から始めるしかない。

 これから新しく作られる渋谷のいごこちを展望してゆく上で気懸りな新規事例があります。

 「MIYASHITA PARK」屋上の区立「宮下公園」と「ヒカリエデッキ」がそれだ。

 共に場所の同質化が色濃く、利用を限定し、まさに利用者の同質化・差別化を図っている。

 その結果その場のいごこちは決して良好なものとはなってはいない。

 なによりも多様な人たちが集まり、利用する眺めには遠く及ばないものなのです。

 そのいごこちは人びとの生理や感覚で即分かります。

 その場が暗黙に求める同質性が利用者にはすぐ感じられ、いごこちは窮屈なものになる。

 同質性志向の空中公園は利用者のセグメントと排他作用をコントロールし易いのだろうか、「ヒカリエデッキ」も離陸型となっている。

 「MIYASHITA PARK」に取り込まれた「宮下公園」は公共空間の商空間化として説明されているが、従前の様な多様な利用を許容する都市公園から利用の同質化を極度に推し進め、都市公園本来の姿を委縮させてしまっている。

 これらは正にみんなの「渋谷問題」として討議されるべき主題となろう。

 「ヒカリエデッキ」の資質についてはこれまで述べてきたように端から管理主体が明白あからさまで、世知辛さが強く漂い、寛容さを欠く。どう見ても形ばかりの公開された空地に過ぎない。

 あれだけ一方的に利用制限・利用禁止事項が前以て示されている公開された空地も実は珍しい。

 なによりもそこは公開された空地の持つ都市的意義がキチンと表記され、共有を図ろうとする意図が一切感じられず、唯単に「公共貢献」が胡坐をかいている眺めにあるのだ。

 二つの新規事例を身を持って体感して分かることは、この様な場所が果たして、人びとの繫がりや信頼を育むことが出来るのか、と言うことだった。そして最も気に懸るのはそのいずれもが場の「寛容さ」を実感出来ないことだった。

 場に寛容性が欠如すると多様な人たちの繫がりや信頼を育むことが困難になりがちで、場に公共性が生まれ難くなる。たとえ、そこが公共空間で在ってもだ。

(つづく)

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