渋谷の歩き方が変わる
– 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第19回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』
渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。
真壁智治(まかべ・ともはる)
1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。
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渋谷の歩き方が変わる
二〇二〇東京オリンピック・パラリンピックを経過した東京の街の歩行感覚が微妙に変ったことに皆さんはお気付きだろうか。
特に交差点で直交する四点の収まりが横断歩行の際、とても滑らかに渡れるのです。
車道と歩道とを仕切っていた縁石が路面と一層フラットになり、横断歩行に違和感が無くなった。
むしろ水勾配も含めて、歩道面より微妙に車道面の方が中央部に向けてムクリが在るので一層、歩道から車道への歩行が滑らかに感じられる。
これらの路面処理はバリアフリー対応での施策となるものだろうが、その効果はそれだけに留まらず、遙かに道と街とが交差点をポイントに繋がり出した感覚を生んでいる。
交差点を渡り次の街のブロックに楽しく進めるし、身体が軽やかになって交差点での周囲への視野も広く拡張し始めた。
これまで交差点では歩道から車道へ「乗る」、ではなく「降りる」感覚が伴った。この間の交差点での歩行感覚は歩道から車道へ「滑る」感覚が湧いてきて、身体が無意識に滑りモードの運動体勢に突入する。これが交差点横断歩行の楽しさと軽やかさを誘発させているものだろう。
いずれにしても交差点のバリアフリー策は当初の主旨を越えて人びとの道路に対する接地感覚を著しく変化させ始めたのは間違いない。
交差点も横断の「スクランブル」化から、歩行の「スライド」化へと整備主旨も自覚されるべきであろう。
こうした交差点の整備動向が進み、日本橋・京橋・銀座・青山・原宿などで明らかに街の歩行感覚が微妙に変ってきているのです。
これらはいずれも施設開発プロジェクトと絡みながら交差点や横断歩道での歩行の「スライド」化が街との繫がりを促進させているのが分かる。
「歩行のまち・渋谷」ではどうか。
渋谷の街でも交差点の「スライド」化は顕著に効果を発揮し出しています。
「MIYASHITA PARK」前の明治通りと三竹通りとの交差点、新装「渋谷パルコ」前の交差点、そして渋谷駅と「渋谷フクラス」へ渡る横断歩道などがそうした横断歩行時の「スライド」化が有徴な場所となっている。
当然、その「スライド」化感覚が道路と街とをスムーズに、且つ、シークエンシャルに繋げ出し始めた。つまり、横断歩道のスライド化に依り街との繫がりが物理的に滑らかになる。
こうした僅か一〇mm未満の「ディテール」が道路と街の繫がりを蘇生させたのです。交差点が「土木」の域を変えさせようとしている。
こうした街での歩行に対する下地が整いつつあることを念頭に入れて、「歩行のまち・渋谷」のこれからを「渋谷問題」の一角として展望してみよう。その際、これまで工事現場から臨場し得た移動・歩行の特性を加味するのが前提になるのは無論のことだ。
固有な地勢に基づく歩行の魅力は貴重な渋谷の都市資源である。渋谷再開発が桜丘口地区の微地勢を消し去ってしまったことは大きな損失だが、この街の固有な地勢から歩行の魅力を伝えてゆくこと自体、大きな街の訴求指針には変りないものだろう。
これまでの魅力を持つものを「既存歩行資源」としよう。
「道玄坂」・「宮益坂」・「公園通り」・「金王坂」・「スペイン坂」・「美竹通り」、それに名付けの無い多くの坂や通りが渋谷の固有地勢の内に刻まれ街の歴史と文化を作ってきた。それらは何れも私たちとの身体感覚として把握され体験され、構造(経験)化されているものなのです。
そして、そこに臨場で目撃された渋谷再開発などの施設開発で新たに創出される「新規歩行資源」が加わり、重なりだす。結果、渋谷には多彩な歩行資源が保有されることになる。
従って、原則「渋谷の歩き方」は先行して既に在る「既存歩行資源」と新たな「新規歩行資源」とを縫う様に逍遥し渡ってゆき、渋谷の歩行の魅力を体感、再発見してゆくことになるものなのです。
そこで私たちは、「空中」と「地下」との歩行体験、「メガスケール」と「ミニスケール」との歩行体験、「旧いもの」と「新しいもの」との歩行体験、「接地性」と「離陸性」との歩行体験、「カオス性」と「オーダー性」との歩行体験、場所の「表」と「裏」との歩行体験、「独り」と「群れ」での歩行体験、「華やか」と「哀しさ」との歩行体験、「公」と「私」との歩行体験、「エンジニアリング」と「ブリコラージュ」との歩行体験、などの多くのアンビバレンツな歩行体験を、渋谷の中の極めて近い距離で出来るのです。これこそが「歩行のまち・渋谷」の奥深い魅力を支えるものになってゆくかもしれない。
「新規歩行資源」として特に貴重と私が評価したのは、敷地内・施設内の「通り抜け」や「周回」が出来る歩行環境の新たな創出である。
「渋谷キャスト」・「渋谷パルコ」・「渋谷スクランブルスクエア」東棟などの接地階にそれらを歩行体験することが出来、その何れにもその場の公共性の萌芽が感じとれた。なによりも更新されるJR渋谷駅の接地階には「通り抜け」と「周回」を強く望みたいものだ。
先程触れた「スライド」化する交差点も正に接地性に依拠する「新規歩行資源」となるものに他ならない。
その一方で「新規歩行資源」には多くの空中性を示すブリッジデッキ・広場・公開空地・通路が生まれて来ている。それらは地面から離れることを前提として作り出され、その為、人間のスケール感が曖昧になり、街並みとの接触が断たれてしまう弊害も苦慮されるところである。
いずれにしても、これからの渋谷は、地勢・地面を巡っての離陸性と接地性との対比的なせめぎ合いが続き、その内にこそ「歩行のまち・渋谷」の面白さもその矛盾と共に在るべきで、渋谷の歩き方の提示が渋谷全体の活況へと繋がるかもしれない、と私は考えています。 案外と、どんな渋谷の歩き方が望ましいのか、を問うことからこそ、みんなの「渋谷問題」への本質的な接近が図れるのかもしれない。
(つづく)