連載「ギリシャのポスト・オーバーツーリズム」vol.9|
クレタ島 農村部の古民家再生
新型コロナウイルス感染症の収束は未だに見通せないなか、世界の観光地の中には、国外からの観光客を積極的に受け入れているところも多くなってきました。
特にヨーロッパ随一の観光立国であるギリシャは、早くからインバウンド観光の受け入れを再開しており、すでにコロナ禍以前の活況をみせているとも言われます。
この連載は、国際観光政策が専門の石本東生さん(國學院大學教授/『ポスト・オーバーツーリズム』共著者)が2022年8月下旬に実施するギリシャでの現地調査のもようを、(なるべく)リアルタイムにお届けします。
8月31日
一昨日の夜、アテネから空路クレタ島の中心都市イラクリオンに到着。クレタ島は、ご承知の通り、ヨーロッパ、地中海地域においても最古とも言われるクレタ文明発祥の地で、地理的にも東地中海のほぼ中央に位置する優位性から、地中海交易の拠点となり、多様な文化が交流する島である。
一方、筆者自身はこの島に何度も調査に入っているが、地中海においては、シチリア島、サルディニア島、キプロス島、コルシカ島に続き5番目に大きな規模の島。その面積は、日本でいうと兵庫県(淡路島を含めた)とほぼ同じと言われる。
この島は、紀元前3千年に遡る古代クレタ文明期のみならず、古代ギリシャ、ローマ帝国、ビザンティン帝国、ベネツィア共和国、オスマントルコといった時代の遺跡や記念物、街並みが随所に残されている。加えて、同島の北側の美しくなだらかな海岸線には、大中小多様なリゾートホテルが点在するエーゲ海でも屈指の人気観光地である。
一昨日、イラクリオン空港に降り立ち、ホテルに向かうタクシーでも運転手は「今年の観光シーズンはとても好調で、(外国人観光客入込過去最大3,200万人を記録した)2019年を確実に上回るはず」と語っていた。
そして昨日より、イラクリオン県アルハネス市に本社を置く「イラクリオン開発会社」に全面的な協力を得て、クレタ島におけるLEADER受益事業者への聞き取り調査を開始した。代表のマヴロヤニス氏をはじめとして、ギリシャ国内の「開発会社」(Local Action Group=LAG)でも最も早い時期からEUの助成プログラムに関わり始めた同社は、イラクリオン県内を中心に数多くの農村地域支援事業を展開している。この日は、最初に同社を訪れ、LEADERプログラムの特徴、基本的理念、歴史的変遷、イラクリオン開発会社のポリシーなどについて詳細な説明を受けた。
「LEADER」についてはこちらも参照
その中で、最も強い印象を得たのは、ロードス島のドデカニス開発会社と同様、イラクリオン開発会社においても「ボトムアップ」の旗印を鮮明に掲げていることである。マヴロヤニス代表も、同社スタッフは事ある毎に所管域内農村地域に自ら出ていき、地域住民のディマンドをつぶさに捉え、それらの重要性を分析し、何度も意見交換を行いながらLEADERプログラムの採択、実施に繋ぐ努力を重ねているという。この点が、日本における省庁の助成事業と異なる点ではないかと筆者は考えている。
昨年度末にLEADERプログラムの基本的理念に関して、ある論考を発表したが、その基本的理念の筆頭に来るのが、「ボトムアップ」の地域づくりである。その理念がここでもしっかりと履行されていることが確認でき、ある感動を覚えた。
また、開発会社での説明および聞き取りの後、LEADERプログラムの受益事業者を訪ねたが、その中でも国のまちなみ保存指定地区である「アルハネス伝統的集落」の一角にひっそりとたたずむ「Manili Boutique Suites & Villa」のコンセプトには、大変興味を覚えた。アルハネス市は、そもそもイラクリオン市の中心部から車で30分弱ほど山間部に入ったところにあり、先述の海岸沿いのリゾート地とは異なり、未だ観光地としての知名度は高くはない。
同ホテルの若きオーナー、ペテロス・アズマルヤナキス氏は、LEADERプログラムを利用してアルハネス市内の伝統的集落内に、石造りの古民家を数件購入して修復再生し、近年アルベルゴ・デ・フーゾタイプのホテルをオープンさせた。彼は、ギリシャ国内でも屈指の名門、アテネ工科芸術大学の電子・情報学科を卒業し、米国ハーバード大学にも留学、そして現在は、クレタ工科芸術大学の大学院博士後期課程にて研究を続けているという異色の存在である。
ペテロス氏は、同年代の仲間とともにこのホテルの内装などのデザイン・設計にも携わり、伝統的な意匠に現代感覚を取り込みながら、ハイセンスの宿泊空間を演出している。また、ホテルスタッフもそのほとんどが若い世代で、地域の雇用創出にも貢献している。
ギリシャにおいても日本同様少子高齢化が進行しているが、近年、各地の農村地帯にもスマートな、そして世界に目を向けた若い人材が活躍し出している。このような取り組みが、ギリシャ観光をより魅力的なものに発展させてくれるよう、祈念するばかりだ。
(次回に続く)
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筆者紹介
石本東生(イシモト・トウセイ)
國學院大學観光まちづくり学部教授。博士(Doctor of Philosophy)。1961年長崎県生まれ。ギリシャ国立アテネ大学大学院歴史考古学研究科博士後期課程修了。ギリシャ観光省ギリシャ政府観光局日本・韓国支局、奈良県立大学地域創造学部、追手門学院大学地域創造学部、静岡文化芸術大学文化・芸術研究センター教授を経て、現職。専門分野は国際観光政策、EUの観光政策、初期ビザンティン史。著書(監修)に『すべてがわかる世界遺産大事典(下)』(2020年、世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局刊)、『ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略』(2020、学芸出版社)、『ヘリテージマネジメント 地域を変える文化遺産の活かし方』(2022、学芸出版社)など。
関連書籍
ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略
阿部大輔 編著/石本東生ほか 著
市民生活と訪問客の体験の質に負の影響を及ぼす過度な観光地化=オーバーツーリズム。不満や分断を招く“場所の消費”ではなく、地域社会の居住環境改善につながる持続的なツーリズムを導く方策について、欧州・国内計8都市の状況と住民の動き、政策的対応をルポ的に紹介し、アフターコロナにおける観光政策の可能性を示す