連載『月刊日本の団地~時代を映すダンチ12選~』vol.3 スターハウス

団地愛好家の有原です。
突然ですが、「ダンチって古い・・」と思っていませんか?
いえいえ、いま団地ではさまざまな新しい取り組みが行われているのです。
団地は建設時の社会の様相を映す鏡であると同時に、現在の取り組みはこれからの都市課題を解決するヒントにもなります。

建設当時の人々が団地に託した夢・・・。いまの団地で団地再生に奮闘する人々・・・。私と一緒に、新しい発見と感動の旅に出ませんか?


前回紹介した千里青山台団地では、当時の設計士たちが工夫を凝らし、コンパクトなボックス型住棟を建設しました。ボックス型住棟は上から見ると正方形をしていますが、Y字形をしている「スターハウス」と呼ばれる住棟もあります。スターハウスは団地愛好家の間でも人気の住棟ですが、近年は建て替えにより解体されたものも多く、今では希少な存在です。

前回の最後に日本住宅公団が1958(昭和33)年に建設した、スターハウスを2棟合体させた全国的にも珍しいダブルスターハウス『東長居第二団地』を紹介すると予告しましたが、現在は所有者が変わっており、残念ながら現在の管理者から掲載の許可が得られませんでした。そこで今回は、スターハウス全般について紹介します!

◆団地の星!人気のスターハウス

reach for the starsとは、「手の届かないものを求める」ことを意味する英語の慣用句。文字通り夜空に煌めく星々には手が届かないが、団地に手で触れられるスターがある。
それが、しばしば「団地の星」「団地の花」と称されるスターハウスだ。

スターハウスとは、上から見るとY字型をしている住棟の俗称だ。中央にある階段室を囲むように三方向に住戸が作られている。
一方、よく目にする一般的な長方形の住棟はフラット型という。

かつて団地の建設が盛んだった昭和30年代、フラット型では建設しにくい斜面地や残余地を埋めるため、スターハウスが活用された。また、フラット型ばかり立ち並んで単調になりがちな団地の景観に、アクセントを加える役目も担っていた。

しかし、スターハウスは隣の住戸が丸見えであることが不評で、建設コストも高かったため、昭和40年代になると、スターハウスはほとんど建設されなくなる。団地の歴史でスターハウスが建設されたのはほんの10年間。まさに流れ星のような一瞬のきらめきだったのだ。
近年になると全国の団地の建て替えが進み、もともと少なかったスターハウスも次々と解体されていく。団地愛好家の間で人気があるスターハウスだが、今や絶滅危惧種のような貴重な存在となってしまったのだ。

◆スターハウス誕生!

まずはスターハウスの起源を振り返ってみよう。戦中から戦後すぐの頃にかけて、スウェーデンの建築家スヴェン・バックストロームとレイフ・レイ二ウスが設計した集合住宅群のなかにスターハウスが見られる。スターハウスはどの住居も三面が外気に接し、三方向の眺望が得られる設計だ。日照時間の短い地域の解決策を工夫した結果、生みだされた形状だったのだろう。

日本で初めてスターハウスを設計したのは、建築家の市浦健氏(現・市浦ハウジング&プランニングの創始者)。1953(昭和28)年に委託された茨城県の団地で初めてスターハウスを設計し建設された(現存せず)。だが当時、市浦氏は、スウェーデンのスターハウスのことは知らなかったそうだ。1955(昭和30)年に日本住宅公団が設立されると、スターハウスは公団の団地でも採用され、全国の団地で建設されることとなった。

◆日本住宅公団のスターハウス―関東編

それでは、今も残る日本住宅公団(公団。現UR都市機構)のスターハウスを見てみよう。
まずは関東地方。真っ先に名前が挙がるのは、旧赤羽台団地(東京都北区)にあるスターハウスだ。【写真(1)】

建て替えられてヌーヴェル赤羽台となったが、残存するスターハウス3棟は隣接するフラット型住棟1棟を含めて、2019(平成31)年に国の登録有形文化財に登録された。
団地として初めての登録で、スターハウスの建築的価値が認められた証左である。
このスターハウスは現在リノベーション工事中で、完成後は再び賃貸住宅として活用される予定だ。

写真(1)―旧赤羽台団地

写真(2)―旧ひばりヶ丘団地

もうひとつ関東地方で見逃せないのは、旧ひばりヶ丘団地(東京都西東京市)にあるスターハウスだ。【写真②】
建て替えが終了し、ひばりが丘パークヒルズに生まれ変わったが、かつてあったスターハウス棟のうち1棟が管理事務所として活用されている。

前にある広場には1960(昭和35)年に当時の皇太子・皇太子妃(現上皇・上皇后)がこの団地を視察に訪れた際、お立ちになったベランダがメモリアルとして保存されている。

◆日本住宅公団のスターハウスー関西編

次に関西地方のスターハウスを見てみよう。

1955(昭和30)年に設立された公団が初めて建設した団地が、旧金岡団地(大阪府堺市)だ。サンヴァリエ金岡へと建て替えられた際に、5棟あったスターハウスは、全て解体されてしまったが、敷地の一角に「スターハウスメモリアル広場」が作られた。【写真(3)】

スターハウスの外壁のラインを象った公園で家具の模型も付属しており、金岡団地が誕生した昭和31年の住まいの雰囲気を復元している。記念すべき公団第1号団地だからこそ整備された記念モニュメントだろう。

写真(3)―旧金岡団地 スターハウスメモリアル広場

写真(4)―旧香里団地

旧香里団地(大阪府枚方市)は1958(昭和33年)に入居を開始した大規模団地だ。哲学者サルトルが来日の際、視察に訪れたこともある歴史ある団地でもある。

今は建て替えられ、香ヶ丘西団地と名称を変えたが、4棟のスターハウスは修繕されて、現在も住まいとして活用されている。【写真(4)】

旧春日丘団地(大阪府藤井寺市)は1960(昭和35年)に入居開始の団地で、サンヴァリエ春日丘へと建て替えられた。3棟あったスターハウスのうち1棟を残して改修し、現在は受水槽・ポンプ室として活用している。冒頭の写真がこのスターハウスである。よく見ると、窓はすべて鉄板で塞がれていることがわかるだろう。
なお、シンガーソングライターの大江千里は、子供時代に春日丘団地に住んでいたそうだ。

千里竹見台団地(大阪府吹田市)は、珍しい高層スターハウスだ。【写真(5)】

建設されたのは1963(昭和42)年で、この頃にはもうスターハウスは建設されなくなっていた。しかし、この形が再び採用されたのは、千里ニュータウンの玄関口を彩るランドマークとしての役割が期待されたからだろう。

3棟のうち2棟は解体され、1棟は既に建て替えられた。建て替えられた新しい高層棟(写真左奥)は、スターハウスをイメージした平面デザインになっている。

写真(5)―千里竹見台団地

◆公団だけじゃない!公営住宅などのスターハウス

ダンチは公団が建設・所有する「公団団地」だけではない。ほかにも、「給与住宅」や「公営住宅」と呼ばれる種類のダンチもある。

給与住宅とは、官公庁や会社などの団体が建設し所有する団地で、いわゆる官舎・公舎・社宅のこと。一方、公営住宅は、府・県・市など地方公共団体が建設し所有する団地で、府営住宅・県営住宅・市営住宅などのことだ。

スターハウスは、給与住宅や公営住宅にも多く見られる。これらのうち、関西地区に残る4つのスターハウスの外観を見比べてみよう。

写真(6)―旧電電公社のスターハウス(大阪府吹田市)

写真(7)―県営住宅のスターハウス(香川県一宮市)

写真(8)―市営住宅のスターハウス(京都市伏見区)

写真(9)―市営住宅のスターハウス(大阪府池田市)

【写真(6)】は大阪府吹田市にある旧電電公社のスターハウスで、現在は3棟が残存する。かつて電電公社は、電報配達員や電話交換手など大勢の職員を擁していたため、社宅として多くの団地を所有していたのだ。

【写真(7)】は香川県一宮市にある県営住宅のスターハウス。10棟ものスターハウスが残存するが、スターハウスの居住者はおらず、解体を待つ状況のようだ。

【写真(8)】は京都市伏見区にある市営住宅のスターハウスで6棟が残存している。余談だが、この場所にはかつて伏見奉行所があった。作庭家の小堀遠州が勤め、鳥羽伏見の戦いの折には、新撰組の近藤勇らもこの奉行所にたてこもったという。ダンチのある場所に、かつて近藤勇が闊歩していたと想像すると面白い。

【写真(9)】は大阪府池田市にある市営住宅のスターハウス。

こうして見比べると、同じスターハウスでも、少しずつ窓の数や大きさが違うなど、管理団体によってデザインに個性があることがわかるだろう。

◆取り壊されないスターハウスの謎

全国にあった多くのスターハウスが取り壊されていく中、公営住宅などにあるスターハウスは、残存しているものが多い。なぜだろうか。

県や市が団地建設のため用地を取得した昭和30年代、割り当てられた予算は潤沢ではなかったのか、取得した用地は、狭かったり不定形な形状のものが多かった。
そのため、面積が少なくても建設できるスターハウスは都合よく、住棟タイプとして採用される機会がより多かったと思われる。

現代になって今度は建て替えが必要となるが、建て替え事業においても十分な資本の投資が難しいケースが多く、結果として解体を免れているスターハウスが多いのではないだろうか。

写真(10)―市営住宅のスターハウス(大阪府箕面市)

【写真(10)】は大阪府箕面市にある市営住宅のスターハウス。1964(昭和39)年の建設だ。スターハウスにしては珍しいことだが、増築が行われている。さらに外壁塗装や外まわりもきれいに整備を施され、いまも大事に利用されている。
箕面市の担当者によると、当初は建て替えを目標としていたが維持保全に方針転換。平成25年に耐震改修工事を実施し、この時に浴室増築および外壁塗装を行ったのだそうだ。
幸せな活用をされているスターハウスの好例である。

◆地上の星を手のひらに

さて、駆け足で全国のスターハウスを見てきたが、公団・県・市・電電公社と管理する団体が異なっているのに、特徴的な星型の形はみなよく似ていて、それが全国に広く点在することに不思議な気がしないだろうか。
私などは、夜空の星屑が全国に散らばり、それらがその地でスターハウスとして花開いたのでは?などと夢想してしまう。

先に述べたように、全国にあった数多くのスターハウスは流星のように消滅した。だが最後に、手のひらに乗るスターハウスを紹介しよう。

写真(11)―スターハウスのプラモデル

【写真(11)】中央にあるのは、有限会社ドーファンという鉄道模型メーカーが2010年に販売した、スターハウスのプラモデル。縮尺は150分の1。鉄道模型のジオラマに使用する点景として建物の縮尺模型が販売されており、そのシリーズの一つとしてスターハウスがあるのだ。

だが、星に手が届いた!と喜ぶのは早い。このスターハウスのプラモデルは既に生産中止。私もこのプラモデルの存在を知ってから探し続け、入手まで2年かかった。メーカーに金型は残っておらず、再販の予定はないそうだ。やはりスターハウスは、reach for the stars(手が届かない)存在なのである。


さて今回まで、vol.1『西長堀アパート』、vol.2『千里青山台団地』、vol.3『スターハウス』を紹介した。これらは1950~1960年代の建設で、「ダンチのはじまり」を象徴する黎明期の団地だった。

次回から紹介する3つの団地は、1970~1990年代の建設。団地の設計や建設が円熟期に入ると、さまざまな新たな試みの団地が生まれるようになる。いわば「進化したダンチ」だ。

次は工業化工法(プレファブリック工法)で建設された未来的デザインのダンチ、『芦屋浜高層住宅』を紹介する。 〈vol.4へつづく〉

【参考文献】
・UR都市機構ホームページ『スターハウス今昔物語』
https://www.ur-net.go.jp/rd_portal/urbandesign/event/compe2021/webinarshiki.html
・UR都市機構ホームページ『美団地KANSAIアーカイブ』
https://karigurashi.net/vidanchi/sainvarierkanaoka01/
https://karigurashi.net/vidanchi/sainvarierkasugaoka02/
・『僕たちの大好きな団地』(大久保健志・照井啓太・長谷聰著/洋泉社/2007年)
・『SWEDISH ARCHITECTURE 』(HENRIC O ANDERSSON & FREDRIC BEDOIRE著/BYGGFÖRLAGET/1986年)

※団地を訪問する場合は、居住されている方々の迷惑にならないよう十分注意しましょう。


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著者プロフィール

有原 啓登

(ありはら ひろと)
団地愛好家。1973年神奈川県横浜市の左近山団地出身。大阪府立北野高等学校、近畿大学理工学部建築学科卒業。関西のゼネコン勤務を経て現在は地方住宅供給公社に勤務。公営住宅の指定管理者応募、 公社団地の団地再生等に携わる。個人の趣味でSNSに『週刊日本の団地』『都市計画・街づくりブックレビュー』を投稿したところ評判を呼び、大学や企業から講演の依頼が来るまでに。趣味は団地訪問と団地の本収集。


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