連載「ギリシャのポスト・オーバーツーリズム」vol.8|
負の遺産を再生したモネンヴァシア
新型コロナウイルス感染症の収束は未だに見通せないなか、世界の観光地の中には、国外からの観光客を積極的に受け入れているところも多くなってきました。
特にヨーロッパ随一の観光立国であるギリシャは、早くからインバウンド観光の受け入れを再開しており、すでにコロナ禍以前の活況をみせているとも言われます。
この連載は、国際観光政策が専門の石本東生さん(國學院大學教授/『ポスト・オーバーツーリズム』共著者)が2022年8月下旬に実施するギリシャでの現地調査のもようを、(なるべく)リアルタイムにお届けします。
8月29日
昨日は、レオニーディオ・アルカディアスを後にして、さらに南に下りペロポネソス半島南部のエーゲ海岸に面したモネンヴァシアという中世都市を訪れた。この街は、中世ビザンティン時代に「東ローマのフィレンツェ」とも呼ばれたミストラス(スパルタ市近郊の遺跡でユネスコの世界遺産)と帝都コンスタンチノープルを結ぶ海上交通のルート上にあり、重要な港湾を有し、かつペロポネソス南部地域を防衛するための軍事的要衝でもあった。
陸地海岸から500mほど離れたところにあるモネンヴァシア島、その岩山の山頂には、ビザンティン時代からの城塞や城壁が幾重にも張り巡らされ、その南側の城壁内には美しい石造建築の旧市街が今に残る。
筆者はここをちょうど1年前の2012年に初めて訪れ、今回が3回目になる。しかし、今回は10年前とも異なり、街中の歴史的な建築物がかなり修復再生され、さらにその落ち着きと美観を増してうっとりするほどであった。これまで、EUによる民間観光セクターへの様々な資金助成について報告してきたが、この旧市街の内外にも受益事業者が少なからず存在する。
このモネンヴァシアにて筆者ら調査チームが今回聞き取りをおこなったのは、頂上要塞の西麓に位置する「LAZARETO」というファイブスターホテルである。
ホテル内を案内してくださったパウロ氏によれば、ここは15世紀前半期のベネツィア共和国支配下においてはハンセン病患者の療養所であったとのこと。すなわち、ハンセン病に罹患した人々は、城壁内に入ることができず、城壁外に位置するこの療養所にて治療を強いられたのである。
そのような、言わば「負の遺産」が、今から30年前にトライフォロス・ファミリーにより一部EUによる資金助成プログラムを活用して、実に豪華なリゾートホテルに再生され、その後も徐々に敷地内に他の宿泊棟、イベント広場、農園などを整備拡張している。
今回もロードス島から始まり、レオニーディオ・アルカディアス、そしてこのモネンヴァシアを訪れ、今日は首都アテネに戻り、これからクレタ島に飛ぼうとしている。
EUにおいては、ドイツ、フランスをはじめとした先進国・地域と旧東欧およびギリシャなどバルカン諸国といった条件不利地域との経済的な均衡化を可能な限り実現するために、同地域の民間観光セクターにもこのような助成支援を実施している。
また、この支援制度の特徴の一つとしては、支援対象となる建物の建材や設備・機器などは、必ずやすべて新品購入が規則となっており、すなわちこれは、見方を変えれば欧州域内先進国の各工業生産品を購入することにもなりえる。とすれば、決して条件不利地域への資金配分には終わらないのである。加えて、EU域内に多様で魅力的な観光地が育ち発展することは、欧州市民が愛してやまない「旅体験」のさらなる充実につながるのである。実に興味深い観光まちづくりのツールであると考える。
(次回に続く)
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筆者紹介
石本東生(イシモト・トウセイ)
國學院大學観光まちづくり学部教授。博士(Doctor of Philosophy)。1961年長崎県生まれ。ギリシャ国立アテネ大学大学院歴史考古学研究科博士後期課程修了。ギリシャ観光省ギリシャ政府観光局日本・韓国支局、奈良県立大学地域創造学部、追手門学院大学地域創造学部、静岡文化芸術大学文化・芸術研究センター教授を経て、現職。専門分野は国際観光政策、EUの観光政策、初期ビザンティン史。著書(監修)に『すべてがわかる世界遺産大事典(下)』(2020年、世界遺産アカデミー/世界遺産検定事務局刊)、『ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略』(2020、学芸出版社)、『ヘリテージマネジメント 地域を変える文化遺産の活かし方』(2022、学芸出版社)など。
関連書籍
ポスト・オーバーツーリズム 界隈を再生する観光戦略
阿部大輔 編著/石本東生ほか 著
市民生活と訪問客の体験の質に負の影響を及ぼす過度な観光地化=オーバーツーリズム。不満や分断を招く“場所の消費”ではなく、地域社会の居住環境改善につながる持続的なツーリズムを導く方策について、欧州・国内計8都市の状況と住民の動き、政策的対応をルポ的に紹介し、アフターコロナにおける観光政策の可能性を示す