連載「欧州ランドスケープ探訪」vol.1|ヴェネツィア:水の都を覆う迷路とゴールとしての広場

ベルリンでランドスケープアーキテクトとして働き始めた私は、一体なぜランドスケープが必要なのか、ランドスケープはどういう設計思想にもとづいているのか、といった問いについて、まだはっきりとした答えが出せていない。
ランドスケープアーキテクチャが対象とする庭、広場、公園が生まれ、発展した地であるヨーロッパの各地を巡ることで、その答えが出るのではないか。そんな期待をもって、ランドスケープを巡る旅に出ることにした。これは、ヨーロッパ各都市のランドスケープの傑作を訪れる中で見えてきた、ランドスケープの設計思想に関する備忘録である。

筆者/中島悠輔(ランドスケープアーキテクト)

自然発生的に生まれた「水の都」

2022年2月上旬、イタリアのヴェネツィアを訪れた。

「水の都」として有名な街であるヴェネツィアは、5〜6世紀に蛮族に追われた北イタリアの人々が干潟に杭を打ち、その上に煉瓦造りの建物を造ったのが街の始まりだと言われている。ローマ帝国に属しながら、市民が実施的な自治権を持ち、敵に襲われにくい地勢を生かし交易・軍事の中心として栄え、15世紀頃に全盛期を迎えた。

全周約6kmの本島を歩くと「人々が自分達の手で街を造り上げてきた歴史」を感じ取ることができる。

建物の外壁を覆う素朴な色合いのイタリア漆喰は所々剥げ、積み上げられた古い煉瓦がむき出しになっており、それらの素材感が人の手を感じさせる。増改築を繰り返した建物は時折小道にせり出しトンネルを造る。橋は無駄に多く、交差したり、すぐ隣を走るのに交わらなかったりしている。

建物・道路・橋の配置に計画はなく、その場その場の状況に応じて造り続けられてきた結果、迷路のような街が生まれた。この水の都からは、近代的な都市の起源である欧州の村を感じられる気がする。

水の都ヴェネツィアの街並みと運河

情報過多の迷路を抜けて

ヴェネツィアの街は迷路のようで非常に複雑だ。

道路は思いがけないところで曲がってしまい、目的地までなかなか真っ直ぐ向かうことができない。道路の幅は基本的に狭く建物が影を落とす。

そして、様々な色合い・形の建物の間を歩いていると、ものすごい量の情報が視界に飛び込んでくる。美しいヴェネツィアガラスの作品が並んでいたり、名物のジェラードを食べ歩きしている人がいたりと、歩いていて楽しいが、情報過多で脳がショートしそうになる。

狭い街路には店が並ぶ
街は狭く暗いが活気がある

時折、路地を抜けると現れる運河が、一瞬、暗い街に陽の光を通し、何も考えなくて良い虚の場所を与えてくれる。ところが、橋を渡り切るとまた、楽しくも忙しい商人の街に戻されてしまう。

狭い運河が一瞬静かな時間を与えてくれる
道、運河の大きさにより街の雰囲気が大きく異なる

シンプルな広場と空

そうして色々な物に目を奪われながら迷路を歩き続けていると、街の広場に出た。特別なデザインがされているわけではない建築に囲まれた石畳が広がるシンプルな広場だが、何もない空間に入り、空が見えた時に、安心感が一気に体を包んだ。

迷路のような街から広場に出た時の安心感こそランドスケープの本質なのかもしれない
広場の隅で皆、休む

これまで、ランドスケープアーキテクトとして公園や庭の設計をする上で、ビルや家での生活では感じられない自然に触れる空間体験を造ることを意識してきたが、街にオープンスペースを造ることの本質は、ヴェネツィアのシンプルな広場にあるように思える。
狭い都市での生活においては、そこに暮らす1人ひとりがそうした空間を個々に持とうとするよりも、コミュニティ全体で共有できる広場を造るほうが合理的だ。人々の自由意志の下で自然に造り上げられてきたこの都市に、広場があることは興味深い。人には、外部から受け取る情報を減らし、自分の考えを見つめ直す空間が本能的に必要なのだろう。

私も少しの間、隅の階段に腰掛け、「さっき見かけたヴェネツィアガラス、どっちを買おうかな」としばらく考えてから、また迷路の中に戻った。

庭の中の直線

街には、ヴェネツィア出身の建築家カルロ・スカルパの作品が多数残されている。その1つである、クェリーニ・スタンパーリア財団に残されている庭を訪れた。1963年に造られた庭で、元々16世紀に建てられた建物をクェリーニ家の美術品を展示施設に改装する際に、スカルパが庭も設計をした。

壁のスリットが、庭への入り口にも、噴水と庭を見る窓にも、水が通る水路の壁にもなっている。噴水の形、水受け、飛び石、階段の幅や高さ、植物の選び方に至るまで、全てが丁寧にコントロールされている美しい空間だった。空間を形作る線の一本一本に深い思考が感じられた。

コンクリートの壁は窓でもあり出入口でもある
地元のタイルや大理石を使った噴水は落ち着いた美しさがある
階段や道だけでなく植物も丁寧にコントロールされている

ランドスケープアーキテクチャの設計においては、植物や岩、水等、形が一定でない要素を使って空間を造ることが多い。それらの形・大きさが時間と共に変化することを意識して設計するため、例えば素材のエッジも、直線的に揃えずに曖昧なまま、“ニュアンス”で要素を配置することも少なくない。

ニュアンスとは適当ということではなく、単に自然に委ねて考えることを放棄することでもない。日本庭園等の文化的なコンテクストや、環境心理学などの理論を礎にした、設計者の美的感覚に基づいて配置するということで、ランドスケープアーキテクトとして大事な感覚だと思う。

一方で建築家の空間へのアプローチは私にとって非常に新鮮で学ぶ事が多い考え方だった。オープンスペースの意義を感じ、そして新たな空間アプローチに気が付く事ができた刺激的な旅だった。

筆者紹介

中島悠輔(なかしま・ゆうすけ)

1991年生まれ、愛知出身。ベルリンのランドスケープ設計事務所Mettler Landschaftsarchitektur勤務。
幼少期にシドニーに住んでいた経験から自然に近い生活空間に興味を持ち始め、東京大学・大学院にて生態学・都市計画学を学びランドスケープという言葉に出会う。大学院卒業後1年間、設計事務所等でインターンをし、留学準備を進め、18年より渡豪し、2020年にオーストラリア メルボルン大学Landscape Architecture修士課程を修了。ヨーロッパ、特にドイツの機能美のデザインを学ぶために、2021年に渡独。2020年より400人が参加する国内外のランドスケープアーキテクチャに関する情報交換のためのFacebookグループ「ランドスケープを学びたい人の井戸端会議」を運営。

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