連載『月刊日本の団地~時代を映すダンチ12選~』vol.2 千里青山台団地
団地愛好家の有原です。
突然ですが、「ダンチって古い・・」と思っていませんか?
いえいえ、いま団地ではさまざまな新しい取り組みが行われているのです。
団地は建設時の社会の様相を映す鏡であると同時に、現在の取り組みはこれからの都市課題を解決するヒントにもなります。
建設当時の人々が団地に託した夢・・・。いまの団地で団地再生に奮闘する人々・・・。私と一緒に、新しい発見と感動の旅に出ませんか?
第1回目で紹介した西長堀アパートでは、団地はまだ庶民の手が届く物件ではありませんでしたが、1961(昭和36)年に始まった千里ニュータウン開発の頃から、ようやく団地は庶民の住まいとなります。
一方、当時の団地建設には困難もありました。ですが、この困難を乗り越えるさまざまな工夫が、美しい団地を生み出すことにもなりました。
今回は、千里ニュータウンにある団地のなかでも屈指の美しさを持つ『千里青山台団地』を紹介します!
◆ここは高原の別荘地?斜面に立ち並ぶ搭状の建物
メタセコイヤの木漏れ日の下を散策できる散歩道。なだらかな稜線を覆う芝生。起伏に沿って立ち並ぶ搭状の建物たち・・。これは高原の別荘地ではなく、今回紹介する団地の風景である。
阪急千里線・北千里駅を降り、西へ向かって坂道を登ると、この団地は姿を現す。斜面地に佇む建物群が印象的な『千里青山台団地』だ。
日本住宅公団(現UR都市機構)が千里ニュータウンに建設した団地の一つで、この団地は1965(昭和40)年に完成した。
この団地で特徴的なのは、塔のような四角い住棟がたくさん立ち並んでいることだ。一般的な団地の住棟は、レンガのような直方体をしている。だが、この棟はサイコロのような立方体に近いカタチだ。
箱のような形の住棟は「ボックス型」と呼ばれる。なぜこのようなカタチの住棟がたくさん並んでいるのだろうか。
◆ブルドーザーが足りない!設計士達の工夫とは?
団地を建てる時は、まず敷地を造成する。でこぼこしている地面をブルドーザーやスクレーパーという建機で削ったり盛ったりして、平らにする必要がある。そしてその平らになった箇所に建物を建設するというわけだ。
だが、この団地が建設された1960年代の造成は、今ほど簡単ではなかった。まず、使用する建機は種類も台数も少なかった。建機は輸入品が多く、現在の造成現場で欠かせない油圧ショベルは、ようやく国内生産が始まった時代だった。工事があちこちで始まると、途端に建機が足らなくなるのだ。また、建機自体も現在に比べると馬力が小さく、作業に時間がかかった。
この千里青山台団地は全体が緩やかに傾斜している敷地で、高低差は40mもあった。定跡どおりに考えると、相当な規模の造成が必要だ。だが、土の移動量は最低限にしたい。そこで当時の設計士達は、様々な工夫を凝らした。
その工夫の一つがピロティの採用だ。ピロティとは、柱だけの屋外空間になっている1階部分のこと。この団地のピロティを見ると、片側の柱は長く反対側の柱は短い。この部分で足元の敷地の高低差を吸収しているのだ。
造成を最低限にする苦肉の策だったが、思わぬメリットもあった。
ピロティの向こうまで視界が開け、通り抜けもできるのだ。天井が低い場所もあるが、そこは自転車置場として活用できる。高低差調整の工夫が、開放感や便利さももたらしたのだ。
また、斜面の敷地には、もともと平らな地面もわずかにあった。標準的な住棟を建てようとすると、長方形に造成が必要になる。そこでこうした狭く平らな部分には、ボックス型住棟を配置した。正方形の平面をしているボックス型住棟なら、狭い地面でも建てやすいからだ。
これが、千里青山台団地にボックス型住棟がたくさん並ぶ理由である。
このボックス型住棟も、思わぬ効果をもたらした。レンガ型の住棟がずらっと並ぶ風景は、殺風景な風景になりがちだが、このボックス型住棟が斜面に沿って凹凸に立ち並ぶことにより、リズミカルで牧歌的な景観を生み出した。
設計士の様々な工夫が、単調になりがちな団地の風景に、彩りという点景を加えたのだ。
『団地図解 地形・造成・ランドスケープ・住棟・間取りから読み解く設計思考』の詳細はこちら→https://book.gakugei-pub.co.jp/gakugei-book/9784761532352/
◆手を加えないことが団地にもたらしたもの
団地内を歩くと、5階建ての住棟を越える高さのメタセコイアが連なる美しい散歩道がある。これも、もともとあった敷地になるべく手を加えなかったことが産み出した団地の財産だ。
千里青山台団地の魅力は、自然だけではない。敷地内には彫刻家・秋山礼巳の作品「太陽と月」がある。
建設当時から置かれているもので、公団の団地にモニュメントが置かれるようになったのは、この団地が初めてだそうだ。当時の公団がこの団地建設に懸けた気迫が窺い知れる。
◆「みんなの庭プロジェクト」による団地再生
建設から50年が経過し、千里青山台団地でも高齢者が生き甲斐を感じ、若い世帯が子育てをしたいと感じる環境への取り組みが求められるようになった。UR都市機構は平成27年より、建築家・伊東豊雄と共に「みんなの庭プロジェクト」を実施。屋外空間を舞台に、居住者同士の繋がり作りを支援している。
団地内を歩くとあちこちに、ハーブの花壇やベンチを見かける。住民ワークショップにより、住民みんなでつくられたものだ。
このプロジェクトを担当したUR都市機構の片岡有吾さんは、「大きなことを一度に行うのではなく、小さな取り組みを続けていけば、気づけば繋がりが紡がれていく」と語っていた。その通りだと思う。
敷地の高低差と技術の不足という制約、加えてそれを乗り越えようとする工夫が、結果的には元の自然を残し、起伏に富む美しい景観をもつ団地を生み出した。
団地内の陽があたる坂道を登っていると、ときどき息をのむほど美しい風景に出会う。千里青山台団地は設計の秀逸さと結実した景観の美しさという点で、千里ニュータウンの数ある団地の中でも最も魅力ある団地だと思う。進行中の「みんなの庭プロジェクト」にも、ぜひ注目してほしい。
千里青山台団地では、設計士たちが腕を振るってボックス型住棟を建設した。このボックス型住棟と似た住棟として、スターハウスと呼ばれる住棟がある。
次回は、このスターハウスを2棟合体させた全国的にも珍しいダブルスターハウス、『東長居第二団地』を紹介する。 〈vol.3へつづく〉
【参考文献】
・『千里ニュータウンの建設』(大阪府編/1970年)
・『団地図解 地形・造成・ランドスケープ・住棟・間取りから読み解く設計思考』(篠沢健
太・吉永健一著/学芸出版社/2017年)
・季刊『UR PRESS Vol.42』(独立行政法人都市再生機構発行/2016年)
※団地を訪問する場合は、居住されている方々の迷惑にならないよう十分注意しましょう。