連載「欧州ランドスケープ探訪」vol.3|パリ/ヴェルサイユ:庭園の歴史を汲む装飾的な公園
ベルリンでランドスケープアーキテクトとして働き始めた私は、一体なぜランドスケープが必要なのか、ランドスケープはどういう設計思想にもとづいているのか、といった問いについて、まだはっきりとした答えが出せていない。
ランドスケープアーキテクチャが対象とする庭、広場、公園が生まれ、発展した地であるヨーロッパの各地を巡ることで、その答えが出るのではないか。そんな期待をもって、ランドスケープを巡る旅に出ることにした。これは、ヨーロッパ各都市のランドスケープの傑作を訪れる中で見えてきた、ランドスケープの設計思想に関する備忘録である。
筆者/中島悠輔(ランドスケープアーキテクト)
装飾過多の華美な街
5月にパリを訪れ最初に感じたことは「華美な街だ」ということだった。
建物の壁には唐草模様の装飾がなされ、バルコニーは優雅な曲線の柵で飾られている。装飾を削ぎ落とし、生活に必要な機能を与える形の先に美を見出すドイツ、バウハウスの考え方が色濃く残るドイツの景色とあまりに違い少し面食らった。
この装飾性は公園にも言えた。
パリの公園は、並木が〈ヴェルサイユの庭園〉のように四角く刈り込まれ、中心には丁寧に管理されたバラなどの草木が植わるガーデンと噴水がある。
一方でドイツの公園には、管理が少なく済む少なくて済むハーブなどの野草が植えられ、自然の為すままに放置されていることが多い(ヒトラーが原生的な自然を好んだ影響だと言われている)。
パリの装飾性は、アメリカやオーストラリアに多いモダニズムの流れを汲む現代的な公園の装飾性とは異なる。モダンな公園ではその土地の歴史や文化を表す要素を出来るだけ絞って表現することが多いが、パリの公園は華美なのだ。
この装飾は何のためにされているのだろうか。どんな歴史からこうなったのだろうか――。
私は〈テュイルリー庭園〉の花壇に囲まれた噴水を眺めながら考えていた。
支配層の庭園から市民の公園へ
パリの公園の装飾性。そのルーツを調べてみると、かつて国王らによって造られた庭が、時代を経て市民に公園として開放された歴史と関係していることがわかった。
10世紀にフランスの首都となったパリには、国王や政治家、貴族らの手で多くの宮殿が建てられた。〈ルーブル宮殿〉〈リュクサンブール宮殿〉〈パレ・ロワイヤル〉〈テュイルリー宮殿〉などがその一例である。
中でも17世紀にパリ郊外のヴェルサイユに宮殿を造ったルイ14世は、威厳を誇示するため、その庭園を市民にも頻繁に開放したことが知られている。彼はその設計者であったアンドレ・ル・ノートルに〈テュイルリー庭園〉の再設計も依頼し、完成した庭園の利用を市民にも認めたとされる。
なお同じ頃、イギリスでも、貴族の狩猟地であった森が市民に開放され、 “Public Park” と呼ばれるようになった。17世紀に開放された〈ハイド・パーク〉が有名な事例だ。
フランスにおいて庭園の開放をさらに決定的にしたのが、18世紀末の市民革命だ。王・貴族などの支配階級は一掃され、市民が政治を行うようになった。その中で、パリ市内の宮殿内の庭園も、ほとんど形を変えずに「公園」として人々に開放されたのである。
このように、支配層によって設えられた華美な庭園が、パリの装飾的な公園の源流にあったのである。
現代に受け継がれる“飾る”意識
ルネサンスの時期から現代にまで脈々と受け継がれるフランスの“飾る”造園技法には、学ぶことが多い。
例えば先に触れた〈ヴェルサイユの庭園〉はフランス式庭園の傑作だ。台地の上に建てられた宮殿から、人工の湖に向けて大きなプロムナードが通景軸(ビスタ)を作り、徐々に下がっていく高低差が庭の奥行きを強調している。ビスタの途中にある彫刻と幾何学模様の花壇と噴水は、左右対称の坂に囲まれている。一方で、坂を登りながら見える花壇の美しい幾何学模様は、人の自然に対する挑戦を感じさせる。
植物に関する造園的な知識と空間を形作る土木・建築的な知識が融合した、素晴らしい空間芸術である。
パリ15区のセーヌ川左岸にある〈アンドレ・シトロエン公園〉は、フランスを代表する自動車メーカーである「シトロエン」の工場跡地に造られた公園である。
工業化が一段落した1980年代当時、廃工場の跡地などは、土壌や水質の汚染への懸念から再開発されずに放棄されることが多く、「ブラウンフィールド問題」として社会問題化していた。この公園は、まさにそんな土地を公園として再整備した先進事例として知られている。
しかし、ジル・クレモンとアラン・プロヴォらが設計したそんな現代的な公園からも、中世の庭園様式の影響を強く感じることができる。
公園全体を飾っているのは、四角く刈り込まれた樹木や、彩り豊かな観賞用の植物である。また東側には、手を加えないことを重んじるジル・クレマンの思想を強く反映したありのままの自然を楽しむ庭や、深い森の中を流れる川のたたずまい川石と植栽で表現した庭など、様々なコンセプトの庭が四角く区切られて並んでいる。他にも左右対称な植栽や、広く浅い水面など、フランス式の庭の要素が、現代的に解釈されて散りばめられている。
まちで共有する庭としての公園
大学でランドスケープを学んでいる際、「ランドスケープの設計者たる者、特定の人だけを対象にした閉じた庭ではなく、ひろく市民に開放された空間を造ることを目指すべきだ」と教わった。しかし、その当時はその違いをよく理解することができなかった。
屋外空間を対象として主に植物を使った空間提案をするという点で、私の中で大きな違いがあるとは思えなかったし、一般的にランドスケープアーキテクチャは造園業と混同されることが多い。
しかし、フランスの公園を訪れ、それが元々、支配階級の庭園であったが市民革命を経て市民に開放されたという歴史を知ることで、庭と公園の連続性と違いについて実感を持って理解することができた。
パリの公園で過ごす人々の振る舞いを見ていると、公園をまちの共有の庭と捉える意識が色濃く残っているように感じる。仕事帰りに公園に寄って美しい花壇を眺めながら本を読む。
そんなフランス人の様子を眺めながら、庭園をルーツとする公園の歴史に思いを馳せた。
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筆者紹介
中島悠輔(なかしま・ゆうすけ)
1991年生まれ、愛知出身。ベルリンのランドスケープ設計事務所Mettler Landschaftsarchitektur勤務。
幼少期にシドニーに住んでいた経験から自然に近い生活空間に興味を持ち始め、東京大学・大学院にて生態学・都市計画学を学びランドスケープという言葉に出会う。大学院卒業後1年間、設計事務所等でインターンをし、留学準備を進め、18年より渡豪し、2020年にオーストラリア メルボルン大学Landscape Architecture修士課程を修了。ヨーロッパ、特にドイツの機能美のデザインを学ぶために、2021年に渡独。2020年より400人が参加する国内外のランドスケープアーキテクチャに関する情報交換のためのFacebookグループ「ランドスケープを学びたい人の井戸端会議」を運営。