[レポート]『由布院モデル』担当編集者が由布院に行ってみた
由布院のまちづくりを分析し、「カリスマに頼らない、持続可能な地域の仕組み」を導き出した『由布院モデル 地域特性を活かしたイノベーションによる観光戦略』(2019年2月発行)。著者の大澤健先生、米田誠司先生のお誘いで、2019年8月23~25日、編集担当Kが由布院に滞在しました。
「担当編集者なら原稿を読む前に現地を見ておくべきでは?」と言われそうではありますが・・・九州に足を踏み入れたこともなかった関東人K、後追いで由布院のまちづくりを体感させていただくことになりました。
本に出てきた各地を大澤先生の解説付きでめぐり、由布院のまちづくりを率いた観光カリスマの中谷健太郎氏、溝口薫平氏のお話を聞くなど充実した滞在となりました。
1日目──「小さな宿」のコンセプト
博多からバスで由布院に到着しました。私の第一印象は「思ったより観光地っぽくない普通の地方都市」。一方、近年では「湯の坪街道」などに観光客が溢れ、「風情がない」と感じる人も多いようです。
実際に湯の坪街道を歩いていくと、噂通りの喧騒。このときは日韓関係の問題から韓国人観光客が減っていたときで、これでも混んでいないほうだということでした。大澤先生曰く、「由布院は、深く理解するほど良さが分かります。見る人を試すまちなんです」。
由布院には3つの有名旅館があり、特に中谷健太郎氏の「亀の井別荘」、溝口薫平氏の「玉の湯」は1970年代からの由布院のまちづくりにおいて大きな役割を果たしてきました。これら高級旅館の他、リーズナブルなペンションや民宿もあり、多くは由布院のまちづくりのコンセプトを理解した「小さな宿」となっています。
そのコンセプトとは、たとえば「敷地内に木を植える」「女将がいない(主客対等である)」ことなど(『由布院モデル』pp.92~93)。マスツーリズム全盛期に、あえてマスツーリズムに対応した大規模ホテルにしないという戦略をとったことが、由布院のまちづくり戦略の大きなポイントとなったのです。
今回宿泊したのは、「ペンション木綿恋記」と「民宿つたや」。ペンションの温泉は1人(1家族)が鍵をかけて入る貸切形式。民宿の温泉(半屋外の露天風呂)は貸切形式ではありませんでしたが、他に入っている人がおらず貸切状態。ぜいたくに温泉につかることができました。
チェックイン後、ちょうど開催されていた「湯布院映画祭」の会場をちらっと覗き(チケット予約が必要のため映画は見れず)、夕食は亀の井別荘の料理人が独立して始めた焼き鳥屋(p.117)へ。大澤先生、米田先生たちと食事の後、亀の井別荘で行われていた「湯布院映画祭」のパーティにも参加させていただくことができました。
2日目──「動的ネットワーク」に触れる
この日はまず、大澤先生とともにペンション近くの木工品店「アトリエとき」を訪問しました。大分県出身の木工職人・時松辰夫氏が1991年に由布院で開いたアトリエで、多くの弟子たちが育ったことで木工品においても由布院のブランドが生まれたそうです。ここでつくられた木の食器は玉の湯のレストランなどでも見ることができました。
次に、山の中腹まで行き、由布院盆地全景を見渡しました。あいにく小雨がぱらつく曇り空でしたが、眺めはとても良く、自然に恵まれた盆地の姿を一望できます。
観光開発とまちづくりの間で、多くの方々がこの風景を守るべく苦心し、尽力されてきたのだそうです。
もうひとつの高級旅館である「無量塔(むらた)」近辺の美術館、カフェなどを訪れた後、亀の井別荘に併設の「庄屋サロン」で中谷健太郎氏のお話を伺いました。中谷氏の書斎のような場所ですが、今後は会員制のサロンとし、まちづくりの議論を自由に交わす場にしたいそうです。85歳の中谷氏はご自身のアーカイブを制作中で、数名のスタッフとともに膨大な量の書籍や、著名人との手紙などをアーカイブ化し、整理しているところだそうです。
部屋を見渡すと、数学者の岡潔の言葉が額に入れて飾ってありました。「有名な格言だろうか?」と見ていたら、「ああ、それは岡さんが書いていったんだ」と中谷氏。岡潔の直筆だったのです。
それだけではなく、司馬遼太郎と何度も手紙をやりとりした、細川護熙がよく来ていた、叔父の中谷宇吉郎(雪の結晶の発見者)の関係で湯川秀樹、朝永振一郎らとも交流があった・・・と、歴史上の人物の名前が次々出てきます。
中谷氏は、少しも偉そうにすることなく、はっきりとした語り口でお話ししてくださいました。多くの人が中谷氏に魅かれる理由の一つだと感じました。
その後、玉の湯にて30分ほどのレコード鑑賞会に参加しました。中谷・溝口の両氏がもともとレコード好きで、由布院に移住したレコード愛好家が月に2度ほど、この会を開いているそうです。宿泊者が主な対象ですが、誰でも参加できるようになっています。
『由布院モデル』の中でも重視されている「動的ネットワーク」(第2章)は、ヒエラルキー型の構造をとらない、芸術やスポーツという上下関係なく楽しめるものによるつながりです。芸術に造詣の深い中谷氏、溝口氏の姿勢が「動的ネットワーク」を生んだということがよくわかりました。
なお玉の湯や亀の井別荘の庭、土産物屋、カフェなどには宿泊者以外でもフリーに入ることができ、誰もが由布院の思想の一端を感じることができます。
夕食は、玉の湯のレストランで先生方と、由布院産の野菜や肉を使ったこだわりの料理をいただきました。これは地元の農業と観光業の連携の一例になっています(p.123)。最近でも、絶えず新たな特産品を生み出す挑戦が続いているそうです。
3日目──持続可能なまちづくりのために
最終日に訪れた、由布院を代表する名所・金鱗湖。その傍らには地元住民のための温泉があります。外部の観光客は200円を払う仕組みで、九州にはこういった公衆浴場がよくあるそうです。観光客と住み分ける一つの方法だと感じました。
次に、亀の井別荘に併設のカフェ「天井桟敷」へ。かつてはここで毎晩、まちづくりの議論が交わされたといいます(pp.103~104)。九州の酒蔵を移築してつくった店内は、建物をいじるのが好きな中谷氏が改築を重ねてきたそうです。
その後、玉の湯にて、溝口氏と、その娘で現・玉の湯社長である桑野和泉氏のお話を聞きました。溝口氏も中谷氏同様、丁寧で人当たりの良い方。
ここでは、これからの由布院のまちづくりを受け継ぐ人材についての課題などを伺いました。後継人材を考えるうえでも、「カリスマ頼みにならない」持続可能なまちづくりを目指す『由布院モデル』が執筆されたことは、大きな意味を持つと感じました。
最後は「ゆふいん料理研究会」(p.123)代表・新江憲一氏の店「山椒郎」で昼食。由布院の食材を使った、観光客にも人気の店です。店舗は水戸岡鋭治氏のデザインとのこと。「豊後牛しぐれ煮丼」(1300円)を美味しくいただきました。
3日間という短い期間でしたが、『由布院モデル』で読んだ内容が、現地に行くことで実感を伴って理解でき、中谷氏・溝口氏らのお話を聞けたことも合わせて大変貴重な経験となりました。
さまざまな要因で来訪者の数が増減する観光産業は「水物」と言われています。観光を手段とし、しっかりと地域づくりを行ってきた由布院。その背景に見出された「由布院モデル」は、各地の観光まちづくりに大きな示唆を与える手法だと感じました。