再開発基礎工事が現すもの – 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第29回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』

この連載について

渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。

真壁智治(まかべ・ともはる)

1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。

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再開発基礎工事が現すもの

 

最後に少し、桜丘口地区再開発工事現場の定点観測から「渋谷問題」として気懸りな課題を挙げてみたい。

まず、定点観測の主題となっていた計画の輪郭に大地を合わせる地盤面整備工事の様態からは、常に再開発とは一体なにか、という問いを絶えず突きつけられてきた。

再開発では絶えず、再開発される立場からも考えねばならない。特に桜丘口地区がそうです。

再開発に向けて建物が解体されてゆく光景よりも、地勢が均され、建設の為の地盤面が整備された様態の方が、一層地勢が去勢されたこと強く感じられ、再開発される側から見える光景を想い描いてしまう。資本の野望の光景がそこに拡がるからである。

一つの光景も見る立場で全く異なるものだ。

次いで、桜丘口地区再開発工事現場の定点観測で私の注意を最大に向けさせたものは、工事の進展と共に、ナニが消え、ナニが現われるのか、を観相することであった。

それは工事工程に即して消失・生起するものではなく、むしろそうした工事工程では推し測ることの出来ない大きな工事の流れの節々を感じ取ることに興味が向いたのです。つまりそれは、一体再開発とはナニを消失させ、ナニを生起させるのか、と言うことに尽きるものです。

再開発に依る既存地区・街区の解体から始まり、敷地の整理、そして地勢の均し、更に建設の為の地盤面の整備、現場杭打ちまでの工事進行の裡に、ナニカが消失し、ナニカが生起するのを臨場してきた。

そこでは、それまで存在したもののの様なものが「地勢の均し」まで残存し、「地盤面の整備」の局面で失われるものと現れるものとが拮抗する臨界の世界が表出してきます。ここに影を巡る動的均衡が窺えたものです。

特にこの工事様態時点では、完成パースが貼り出されていても、今の作業と、ましてや今消失しているもの、生起しているものとの関わりは一向に分からない。当然のことではあるが。

この様に、そこに至る以前在ったものと新規に生まれるものとの間でどんな葛藤の局面が潜んでいたのかおくびにも出さず、結果しか示さないのが完成パースである。

ここから先、躯体が建ち上がりだすと、一気に計画が抱える効率化と差別化の「建築化」へと向う。

そこではもう後を振り返らせることも一切なく、大地や土地・地面が抱える「影」の存在もそこには感じられません。これが工事過程の離陸・大地離れへの移行なのです。

工事現場に搔き出された「土砂」が姿を現わす。「土砂」に姿は奇妙かもしれないが、土砂を介して土地への連想が始まり、地中の風景の様が土砂の姿に重なる。

土砂の温もり、湿気・粘度、そしてなによりも地中での圧力などの「土中環境」が彷彿とされる。

土砂からは、当該地の谷筋の地勢イメージも連想される。こうして搔き出された土砂は、私たちに時間を経た「土中環境」と原野の風景とを同時に、一瞬に想起させる力を備えていたのである。

この様に、土砂の存在は普段は目にしえないものらへの表象力を潜ませているのです。

私がこの基礎工事段階にすっかり見入ってしまって居たのも、日常の都市からは感じることのない大地と共に在る様相や気配がそこから立ち昇っていたからなのであろう。

こうした普段は見えないものとの呼応は基礎工事に至るまでの過程に限られるので、ここでの照応感覚を持って「渋谷問題」への第一歩としなければ、と考える。

この様に再開発の工事現場は、私たちに開発の本質的な姿や様態を一番矛盾に満ちた光景として現わし、そこから鋭く再開発を問うことを示唆する。

それも基礎工事の渦中が過半になります。

私たちは、この再開発工事現場の段階で現わになったものらを「渋谷問題」の一角に留めなければなりません。

(つづく)

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