メガスケール・シンドローム – 真壁智治「臨場」から窺う渋谷問題への気付き(第15回)|連載『「みんなの渋谷問題」会議』
渋谷再開発は百年に一度とされる民間主導の巨大都市開発事業で、今後の都市開発への影響は計り知れない。この巨大開発の問題点を広く議論する場として〈みんなの「渋谷問題」会議〉を設置。コア委員に真壁智治・太田佳代子・北山恒の三名が各様に渋谷問題を議論する為の基調論考を提示する。そこからみんなの「渋谷問題」へ。
真壁智治(まかべ・ともはる)
1943年生れ。プロジェクトプランナー。建築・都市を社会に伝える使命のプロジェクトを展開。主な編著書『建築・都市レビュー叢書』(NTT出版)、『応答漂うモダニズム』(左右社)、『臨場渋谷再開発工事現場』(平凡社)など多数。
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メガスケール・シンドローム
渋谷再開発は一気に渋谷駅周辺をメガスケールで覆い尽くし、その一極化を体現し始めている。渋谷変貌の最大のものがそれだ。従って、このメガスケールの存在こそは渋谷再開発が「欲望の資本主義」の便法そのもの、との証左にもなろうか。
私たちはこのメガスケールの一極化をどの様に「渋谷問題」として把握してゆくべきなのか。
メガスケールの一極化は私たちにメガスケール・シンドロームをもたらす。
計画の巨大さに起因するメガスケールと人間の身体的即応との反応不全症候群がそれだ。
メガスケール・シンドロームの症候には特徴的なポイントが幾つかある。
一つは巨大さが突然立ち現われることに依る身体的調整の不全がそれで、その躯体や部材の巨大さにまずは不安を感じ、対象をどの様に受け入れたらよいのか、身体が苦痛を感じる。巨大さへの身構えが完全に図れないことから来る恐怖心がそれらを生む。
次いでメガスケール・シンドロームは巨大さに対しての人びとの無関心・無反応を加速させるが、この疾病は感染してゆく特徴を持つ。
これらのシンドロームの特徴は見事に工事現場の進行と符号するものです。
まず、躯体や部材の巨大さに出会うのは大型施設の躯体立ち上がり段階の工事となる。
この時点で、強烈なメガスケールへの不適応反応が高じてくる。
次いで、一定この工事段階が進行する現場には養生シートが掛けられ、その全容が隠蔽されてしまう。この事態が人びとの巨大物への無反応化を促進させ、加速化させるのです。養生シートは工事進行に伴う、保安・保全の為だが、躯体全体がシートで覆われてしまうと、全く露骨なメガスケール感が消失し、ボヤッとするとオブジェクトに変身する。これが人びとの無反応化を煽る。
そして、その先更に養生シートを被ったまま巨大化し、増殖するオブジェクトに対して、自身が疎外されていると感じる疾病もメガスケール・シンドロームには認められよう。これは明らかに私たちが「都市」からのスポイルを受けていることも意味しかねないものだ。いずれにしても、今起きていることは、私たちの理解を越えている巨大なものの出現なのです。従って、メガスケールな環境をこれから生き抜いてゆく構えを皆が身に付ける必要がある。
メガスケール・シンドロームにどの様に対応してゆくのか。
メガスケールの一極化に抗する為には身の廻りに多くのミニスケールを備えた環境を一方で確保してゆくことが大切になる。
スケールの「メガ」と「ミニ」との相反的な二極軸を内なる心身バランサーとして確保することです。その様態を想定したのか、「渋谷スクランブルスクエア」東棟では小さな部材に依る「疵」が壁に取り付けられ、「アーバンコア」での小さな部材に依る線材の構成などミニスケールな存在も確認出来るが、これらをデザインアーキテクト隈研吾はメガスケールなものに対する「ノイズ」として投与したと述べている。
巨大なものらへの抵抗策としてファサードに描き込まれた「オプティカル効果」や小さなスケールの部材を組み上げてゆく「ストラクチュア効果」を、デザインアーキテクトの限定されたデザインワークの裡に試みられていることは評価したい。先行して竣工した「渋谷ヒカリエ」にはその点に関しての自覚が薄い。
巨大なもの、メガスケールなものらは地上性を捨象しながら肥大化してゆく。従ってそれらに辛うじて抗してゆく上では「地上性に通底するノイズ」に注目せざるを得ない。
そうしたノイズ群を手榴弾の如く巨大なものに投げるしかない。これが「カウンター・デザイン」の領域になるかもしれない。
巨大なものに抗してゆく隈の試みには、この「カウンター・デザイン」の素地の一端が窺えるのではないか。
メガスケールなものらの近傍に息衝く「のんべい横丁」もまさに渋谷再開発へのカウンター・デザインとして映る。
巨大なものへのデザインアーキテクトの試みはまだまだ微力だ。メガスケールに抗するカウンター・デザインを多くの渋谷の場面で作り出してゆく必要がある。
「ヒカリエブリッジ」に対する評価の根柢には「地上性に通底するノイズ」を孕んだカウンター・デザインの素地が体感されたからだ。
こうした地上性に依拠するノイズをより多く創出してゆくことがメガスケールへのカウンター・デザインとなり、クリエイティブな局面からの「渋谷問題」へのコミットメントになってゆくはずである。同時に、これらへの取組みこそデザインに於ける多様性の創出を促し、延いては渋谷の魅力、渋谷らしさを彩る都市資源に育ってゆくことだろう。
(つづく)