執着、あるいは四季【桃の節句】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」

先人たちが日本の気候から見つけてくれた、
美しいもの・儚いもの・恐いもの、その中で生きていく知恵と工夫。
そんな季節特有の本来の暮らしぶりと、現代の暮らしぶりを結び、歳時記を再解釈する。

松尾芭蕉は言った。「季節の一つも見つけたらんは、後世のよき賜物」
私たちは、100年後の人々に、どんな贈り物をできるだろう。

なんかわくわくして、めぐる季節を感じて、余裕があれば祝えばいい。
ちょっと変わった視点から、京都・木屋町に店を構える花屋の主人が現代の暮らしにすこしだけ反抗します。

執筆者プロフィール

西村良子

京都木屋町の花屋「西村花店」店主、華道家。1988年京都府生まれ。2010年関西大学卒業。先斗町まちづくり協議会事務局兼まちづくりアドバイザー。2017年に花店を開店し、現代の日本での花と四季の楽しみ方を発信し続けている。木屋町の多くの飲食店や小路は西村さんの生け込みで彩られている。

「日本は四季のある国である」。この言葉の本当の意味がわかったのは、花屋になってからずっとあとのことだった。

この国にはたくさんの季節行事があり、その多くが何百年も昔から受け継がれてきたものである。もちろんほとんどの場合オリジナルと全く同じというわけにはいかず、時代に合わせて少しずつ姿を変えてきた。7月の祇園祭は良い例で、今では祭のハイライトともいえる山鉾巡行は当初存在せず、登場した後もしばらくは八坂神社で行われる神事のオマケのような存在だった。

伝統行事がどのように変化していったかを辿るとその社会の変遷が見えてくる。行事というものが時代に合わせて姿を変えていったのではなく、時代に合わせて変化することができた行事だけが、現代に受け継がれているのかもしれない。

その中でも、3月3日の桃の節句は興味深い。節句という風習が整ったのは江戸時代に入ってすぐで、雛人形と桃の花を飾る一連の祭りもその頃から大きくは変わっていない。しかしその頃と現代では決定的に違うことがある。それは暦と気候の問題だ。

年によって約2ヶ月の幅がある旧暦では、年によって桃の花は咲いたり咲かなかったりした。「3月3日」が遅く来る年は桃の花を喜び、早くて咲かない年は桃を想いながら椿でも飾ったのだろう。桃の花が咲くのはほとんど桜と同じ頃で、新暦では3月下旬〜4月上旬。そんな中明治政府はある年突然「暦改正」を行った。その年は3月3日が来るのがかなり早い年だった。

それは私たちがよく知っているこの3月3日で、「暦の上では春ですが」、まだまだ冬の気配の残る、この気候である。それ以降永久に、日本列島で3月3日に桃の花が咲くことはなくなった。そんなはずはない?毎年お雛様に桃の花を飾っておられる?確かに、花屋には売っている。

桃の花は2月中旬頃にはスーパーマーケットでさえ当たり前に売っている。1月中旬には枝を切って倉庫で温め、2月に入ると出荷し始める。「むろ」と呼ばれる昔ながらの倉庫に、同じ長さに切り揃えて並べられた大量の桃の枝は異様な雰囲気である。もっと驚くことに、桃の木ごとビニールハウスで栽培する方法もあるそうだ。

暦の改正は風流や文化のわからない政治家が勝手に決めたこと。あきらめて別の花にすることもできたはずだし、暦に大きな意味がある節句自体、やめてしまうこともできたはずだ。でも日本人は、抵抗も変更もせず、大変な努力と技術の力で、桃の花を咲かせ続けることを選んだ。
 
同じく春の花に、スイートピーがある。もともとは地中海の花だけれど、現在ではすっかり春のお花の定番で、2月頃から各色花屋さんに並ぶ。「ちょうちょが飛び立とうとしている姿」から付けられた「旅立ち」・「門出」といった花言葉も、この国の卒業シーズンにぴったりで、私も店で重宝している。

スイートピーは赤い花だと思っている人が多いけれど、もともとは豆の花で、紫色をしている。可愛らしいつるに華奢な花をつける、カラスノエンドウのような姿を思い浮かべてほしい。松田聖子さんの「赤いスイートピー」が大ヒットしたために、スイートピーは赤色だと思っている人や、同じ理由で赤いスイートピーが欲しいという需要に応えるため、生産者さんが品種改良で作られたのだ。

リリースされた当時世の中に存在しなかった淡い春の恋の色は、30年の時を経て現実にガールフレンドへプレゼントできるようになった。スイートピーは花びらがとても薄く、春の優しい日差しを感じさせる。同じように赤い花でも、バラやガーベラではきっとこうはならなかった。春の心の岸辺に咲くのはスイートピーでなければならなかった。 

ミモザ、チューリップと春の花と並ぶ赤いスイートピー(左奥)
ミモザ、チューリップと春の花と並ぶ赤いスイートピー(左奥)

またまた同じような例に「ゴッホのひまわり」がある。もちろんオランダの画家・ゴッホの描いた有名な作品「ひまわり」のことで、この絵に描かれたひまわりを真似て作られたひまわりの品種が「ゴッホのひまわり」だ。

一般的なひまわりはまさに翳りのない太陽のような突き抜ける黄色だけれど、ゴッホの筆致を表現した細くやや縮れた花びらに、茶色がかったくすんだ色のこのひまわりは、名指しで買いに来る人がいるほど人気になった。「ゴッホのひまわり」は晩夏に使いたい。明るい普通のひまわりでは到底表現できない哀愁は、終わりが感じられる夏にぴったりだと思う。あるいは過ぎてしまった夏を惜しむ秋の始まりに。

私はこのひまわりが大好きだ。生前一枚も自分の描いた売れなかったという画家に言いたい。あなたの描いたひまわりは、あなたが夢見た遠い浮世絵の国で本物のひまわりとして咲き誇り、たくさんの人に愛されて新しい季節感を作り出している、と。
 

日本は四季のある国だ。四季折々にたくさんの花が咲く、自然に恵まれた島である。確かにそうかもしれない。でもそういう国は世界にたくさんある。日本が特殊なのは、その国に暮らす人々の、季節や花への執念である。3月3日の桃の花も赤いスイートピーも、自然には咲かない。日本は四季のある国です。その本当の意味はこうである。これほど四季に囚われた人々がいる国は、他にない。

偉い人は、気候や人々の営みが昔と変わってしまったことを嘆く。だけど私たち日本人の、季節への執着と花への情熱は何も変わっていない。その時代には、その時代にしかない気候と、暦と、情熱がある。私たちを取り巻く環境がどんなに変わっても、やり続け、向き合い続けること。そうすることができた行事や花だけが、次の年もまた人々に祝われる。目を背けずに、次の年も、またその次の年も。それを伝統と呼ぶかどうかは、100年後の人たちが決めれば良い。

季節の花

桃(バラ科)

春のお花として定番のチューリップやスイートピーは、実はどれも地中海沿岸のお花です。日本は昔から「春は木、秋は草」といわれ、春に美しく見頃を迎えるのは、梅に始まり桃に桜、木瓜など、みんな木に咲く花なのです。
3月3日が桃の節句であるために、梅の終わり頃に桃が咲き、終わったころに桜という流れに思われがちですが、実際には2月頃に梅が終わった後、少しあいて暖かくなり出した3月末頃に、桃も桜もほとんど同時に咲き始めます。同じ頃に咲くお花に白い雪柳や黄色い菜の花があり、取り合わせは抜群です。
中でも濃いピンクの桃に黄色い菜の花を添えると、写真からでさえ暖かい空気が感じられそうなほど。桃も菜の花もまだ少し肌寒い時期に手に入るようになった現代では、恋しい暖かい春を待つ気持ちを、表現できるかもしれません。

小噺

本連載の執筆者が構える「西村花店」であるが、実はこの花屋何やら企んでいるらしい。
小噺として、今後の「西村花店」の行く末も紹介。
毎話の再解釈が花屋の空間にどう昇華されていくのか、そんな様子もお楽しみください。

 

単語禄
ゴッホのひまわり

日本人が好きな画家堂々の1位がゴッホとのことです(展覧会動員数等)。あまりにも有名な「ひまわり」は、日本人に愛されすぎて実物が流通し、日本の夏を毎年彩っています。

桃と桜

桃と桜(たまに梅)に季節や用途、情緒の違いを見出せるのは日本人くらいではないでしょうか。大切に守られた行事から植え付けられたこの何となくの感覚は、きっとこれからも日本人独特の感性となるのでしょう。
ルーツとか、歴史が浅いとか、どうでもよくて、今に合う形で季節を楽しんでいいんです。それが伝統になるかどうか(伝統かどうか)はまた別の話です。


企画・編集・小噺イラスト:安井葉日花(学芸出版社)
題字:沖村明日花(学芸出版社)


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