[レポート]日本とポートランドのエリアリノベーション|馬場正尊×山崎満広

『エリアリノベーション』『ポートランド』出版記念トーク
馬場正尊(OpenA/東京R不動産)×山崎満広(ポートランド市開発局)

僕らは次の風景をイメージできているだろうか

僕は「まちづくり」という単語があまり好きではありません。この甘い単語のせいで、日本のまちづくりは遅れているのではないかとさえ感じています。まちづくりという言葉の背景には、助成金や市民の自発的な良心に依存した手法がちらつくのです。僕はそれに代わる次の概念が欲しくて「エリアリノベーション」と呼んでみることにしました。

この本『エリアリノベーション』を書かなければと思ったきっかけは、僕らは次の風景をきちんとイメージできているのだろうかと思ったことです。

東日本大震災の後、教えている東北芸術工科大学の学生に、未来に本当に住みたい街を描かせたことがありました。彼らが描いたのはぴかぴかの未来ではありませんでした。木造の家が点在するなかに田畑があり、住宅は太陽光発電などハイテクな技術は装備しているけれど切妻屋根の素朴な形をしていて、まちの中心には広場があって役所などのセンター機能がある、どこかなつかしい街でした。

でも僕らが現実につくってきたのは、スーパーフラットな均質な街でした。

全国どこにでもあるこの均質な風景は、人口増加時代に生み出された社会システムによってつくられました。つまり、僕らが稼いだお金が、国やナショナルチェーンに吸収されて地方交付税交付金などの感情のないお金になって再配分された結果、できた風景です。

このシステムを変えるにはどうしたらよいのか。これまでのヒエラルキー型の都市計画でなく、ネットワーク型で都市をつくればよいのではないか。それには何から始めたらよいのか。そうした街の変化の起こし方を探るために『エリアリノベーション』を書き始めました。

6つの街で発見した、変化を起こす4つのキャラクター

ケーススタディとして、次の6つの街を訪れ、キーパーソンにインタビューをしました。

  • 東京都日本橋・神田――馬場正尊
  • 岡山市問屋町―――――明石卓巳氏
  • 大阪市阿倍野・昭和町―小山隆輝氏、加藤寛之氏
  • 尾道市旧市街地――――豊田雅子氏
  • 長野市善光寺門前―――倉石智典氏
  • 北九州市小倉・魚町――嶋田洋平氏

選んだ基準は、確実に力強く変化が起こっていること、粗削りだけどかっこいい変化であることを重視しました。

キーパーソンたちに9つの質問を投げかけ、街の変化に共通する構造とエリアごとに変わるローカライズのポイントを導きだしたいと考えました。

取材をするうちに、街に変化起こすには4つのキャラクターが必要だとわかりました。不動産キャラ、建築キャラ、グラフィックキャラ、メディアキャラ。

不動産キャラは、物件を仲介するだけの昔の不動産屋とは違って、「まちの面倒をみる人」です。中長期のビジョンを持って「この物件をこう変えるべきだ」とオーナーを説得したり、能動的に動く人です。

建築キャラも、設計をするだけの昔の建築家とは異なり、自分で施工までしてしまいます。

グラフィックキャラも、クライアントの仕事を綺麗にデザインする人ではなく、街なかのサインのデザインやイベントの企画などにも自発的に関わる人です。

メディアキャラも、昔はマスメディアが主流でしたが、今はSNSで個人の視点で切り取った情報を内にも外にも発信できるタイプです。

新しい都市計画とプレイヤーの変化

僕らは2003年頃から、東京の神田や日本橋のエリアで、CET(Central East Tokyo)というアートと不動産を融合させたイベントをやっていました。このエリアは江戸の中心でしたが、問屋街だった倉庫等の空き物件が目立っていました。そうした空いた物件のオーナーさんから、2週間だけダダで借りて、アーティストがアートスペースに変えるというイベントでした。同時期に仲間と立ち上げた東京R不動産でアートイベントの物件をアップし始めると、空き物件を借りる人が次々に現れた。

約10年で100件くらいの空き物件が埋まり、カフェ、ギャラリー、ショップなど新しい店舗ができた。やり始めた頃は、僕らがやっていることはアートアクティビティだと思っていたけれど、7、8年経ったときにふと、これは新しい都市計画ではないかと考えるようになりました。これまで日本で行われてきたマスタープランもなければ予定調和でもない、点の変化の集積がつながって面展開が自走する、そんな街の変化が起こったのです。

今回、6つの街の変化を取材して、プレイヤーたちにも変化が起こっていることに気づきました。

近代は、計画する人(建築家や行政など)→つくる人(工務店など)→使う人の順番で物事が決められ、空間がつくられていた。でも今は、使う人→つくる人→計画する人の順に、まず使う人が空間を使い始めて、自らつくりだして、それを計画に還元していくという、空間のつくられる順番が完全に逆転しているのです。

つくられるプロセスが違うから、当然アウトプットされる空間も違います。使い手発想なので、いきいきとした空間になっているのです。

もっと言うと、近代で分けられていた、計画する人/つくる人/使う人が役割を融合して新しい職能になっている場合もあります。それをとりあえず「当事者」と呼んでみますが、街の変化にはこの当事者の存在こそが重要だと気づきました。

計画的都市から、工作的都市へ

『エリアリノベーション』を執筆しながら浮かんだのは、「工作的建築」「工作的都市」という言葉です。建築や都市は計画的なものから工作的なものへ変わろうとしています。プロが計画的につくるだけでなく、現場主義でつくっていく工作的な手法が今後どんどん増えていくのはないでしょうか。

2016年度のプリツカー賞を受賞したのは、チリのアレハンドロ・アラヴェナ(Alejandro Aravena)という建築家で、南米のスラム街で街の人と空間をつくるプロジェクトが評価されました。工作的な建築の美しさが現代建築の最高峰として選ばれたのです。

またロンドンのアッセンブル(Assemble)という20代の建築家や大工、デザイナーたちの集団が、2015年にイギリスの若手現代アーティストの最高賞であるターナー賞を取りました。彼らは街の人と一緒にモノを作りながら地域を再生する活動をしています。

こうした海外の事例は、日本の街で起こっている変化ととても同時代性を感じます。荒削りだけど工作的な魅力に満ちた建築や都市、そこに僕らが描くべき未来があるのではないでしょうか。


僕の尊敬するアーバンデザイナーのジェローム・アンタライナー氏が、僕の誕生日にある本をプレゼントしてくれました。ジェロームたちは、1万年後の地球を考えながら、今すべきことを考え活動をしています。彼らの本に「Rate of Change(物事の変化率)」について説明したチャートがあります。

 

fashion(ファッション)→ commerce(ビジネス)→ infrastructure(インフラ)→ governance(まちづくり) → culture(文化)→ nature(自然)」の順に、長期的なスパンで物事を捉える必要があるという考え方です。

ファッションは季節ごとにトレンドが変わります。ビジネスは1年単位で決算を行います。インフラは5~10年単位、そしてまちづくりは20~30年単位で取り組む必要があります。生活習慣の積み重ねで醸成された文化や、何万年という時間を経て育まれた自然環境を短期的なスパンで変えてしまってはいけない。

物事の変化には、必要なタイミングやスピードがあるということを知ることが重要です。

なぜポートランドに人が集まるのか

ポートランドは、オレゴン州北西部マルトノマ郡にあり、州の中で最大の都市です。現在の人口は62万人ですが、毎週数百人が移住してきて、2030年には人口が100万人を超えると予想されています。移住者は24~35歳の博学で働き盛りの若者が多いのが特徴です。

またポートランドには、ナイキ、アディダス、インテルなどの人気の高い企業が立地しています。そうした企業に、なぜポートランドに立地するのかを聞くと、「人」だと答えます。昔は大きな企業や工場が拠点を構える理由は「インセンティブが高い」「インフラが良い」「土地が安い」といったことでした。今は人材が最大の立地理由です。人材によって人が動くということは、良い人材が集まる街をつくらないといけない。

良い人材とは、クリエイティブでオープンマインドを持った人たちのことです。彼らが集まってくる重要な条件に「場所」があります。彼らは住みたいと思う場所をライフスタイルに合わせて選びます。働く先も決めずにまず住む場所を決めて、そこに住んでから生活をするための手段を考えます。たとえばバリスタをしながらバンドマンを目指したり、アーティストとして売れるまでウェイトレスで生活費を稼いだりといった具合に。これが最近のアメリカの若者の風潮です。

僕の勤務するポートランド市開発局(PDC)でも、いろいろな起業支援を行っていますが、街の人たちも頻繁に勉強会や交流会を開きます。たとえば、「HAND-EYE SUPPLY」という地元のものづくりを支援するショップでは月に1~2回、倉庫にものづくりに興味のある人たち100人くらいを集めて、ゲストを呼んで交流するという催し「Curiosity Club」を開いています。そこにはアーティスト、ギャラリスト、プロダクトデザイナー、自転車愛好家、木工職人など様々な人が集まります。こういう集まりは毎週のように市内のどこかで開かれています。

まちづくりは土づくり

僕はPDCで現地の建築家やデザイナーたちと「We Build Green Cities」という、ポートランドのまちづくりの技術を海外へ輸出するプロジェクトに取り組んでいます。彼らと最近よく、僕らはファーマー(農民)みたいだと話をします。農業で最も大事なことは、良い土をつくることです。土地が良いと良い根が育ち、良い幹が育ち、枝が伸び、花が咲き、実をつけます。

まちづくりも同じです。一番時間とお金をかけるべきなのは、土づくりなのです。ところが、デベロッパーたちと仕事の話をすると、彼らは道をどのようにデザインするとか、窓ガラスの性能はどうするとか、そういう話しかしません。そういうときは、彼らをアメリカで最も成功した都市再生事例と称されるパール地区のネイバーフッド・アソシエーションの会議に連れていきます。

ネイバーフッド・アソシエーションとは、近隣活動を行う最小単位の組織です。日本の町内会のようにその地区の住民がほぼ自動的に家族単位で入るものではなく、個人の意志でまちに関わりたい人だけが会費を払って参加します。つまりやる気のある人しか参加していないので、彼らの姿をみると、その熱量に圧倒されます。

大事なのは、人々の持っている目に見えない想いや、何かをやりたいという気持ちです。そして周りの人々がそれを育て上げられる環境です。これが良い土です。

僕が『ポートランド』の本で紐解きたかったのは、この土づくりの部分です。

ポートランド市開発局(PDC)の役割

ポートランド開発局(PDC)は普通の行政ではできないことをする特別機関ともいえます。1958年に設立され、50年以上、荒廃地域を再生する不動産開発に特化した組織でした。ところが最近、リーマンショックで予算も少なくなり、不動産開発だけではまちの経済発展に寄与できなくなってきました。

そこでPDCを以下の3チームに分けました。

  1. 雇用の集中地区である中心部での次世代の場づくりを行うチーム
  2. 中心部以外のコミュニティに根ざしたビジネスを活性化させるチーム
  3. 都市圏全体で一番成功しそうなことに注力し、得意技で雇用を伸ばすチーム

僕はこの三番目のチームに所属しています。ポートランダーには「新しいことをしよう」という気質があるので、特に力を入れているのが、起業支援です。アメリカの起業家のうち、初めの3年間で97%が倒産しています。ですから、街の大半を占める中小企業を潰さないように支援するのも僕らの仕事です。

不動産開発のスキームTIF

PDCでは、不動産開発を行う際、TIF(Tax Increment Financing)という固定資産税の前借りのしくみを用いて運営しています。僕らはまず10年後に人気の地区になるであろう荒廃地区を選んで、特区にします。そのエリアの開発がうまくいくと固定資産税がどれくらい上昇するかを予測し、その額に対して市が再生特区の債権を発行して世界中のREIT(不動産投資信託)に販売し、その収入で、公園をつくったり線路を通したりします。

このように行政がインフラに投資をすると、空き地や古い建物の価値が上がるので、デベロッパーからするとリスクが下がって見えます。彼らは荒廃地域には絶対介入しませんが、そこにストリートカー(新型路面電車)が通るかもしれないと知ると、すぐに土地を買います。こうして開発を促し、固定資産税の収入を上げ、それを債権の支払いに充てます。債権の支払いリミットは20年を目安に考えてやっています。債権の支払いを終えると、上昇した税収は一般財源に組み込まれ、街の財政はますます潤うというスキームです。TIFは固定資産税の伸び代を利用するので、人口が伸びない街では導入が難しいしくみです。

TIFは荒廃地域が多いほど収益が増えるのですが、PDCの取り組みが功を奏し、ポートランドではもう荒廃地域がなくなってしまい、予算も減っています。それで前述したように、ハードの不動産開発から経済・雇用開発にシフトしてきている事情があります。

僕らが今進めている「We Build Green Cities」ではすでに日本の柏の葉スマートシティや和歌県有田川町でポートランド流のまちづくりを実践しています。ポートランドの建築家たちは「ソフトをハードに変化する技術」が優れています。利用者を巻きこみながら長続きするまちづくりに取り組みたい方は、是非僕らのチームを呼んでいただけたらと思います。

――馬場さんから街の「かっこいい変化」という表現が出てきましたが、かっこいい街とはどういうものですか?

馬場 職業柄、日本中の街を回りますが、歩いてぐっときたり、テンションが上がる街というのは、まちなかにある看板一つとっても洒落ていて、店に入ると気の利いたフライヤーがずらっと並んでいたりします。6つの街にもエリアマップやイベントのフライヤー、冊子などかっこいいグラフィックがあふれていました。
これまでまちづくりのプランニングの中で「グラフィック」という概念はほとんど語られてこなかった。でも実は、街の変化を最もスピード感をもって牽引して表現できるのは、グラフィックなんですよね。建築は完成まで時間がかかりすぎるから。
そもそも日本のまちづくりにはグラフィックデザインがなさすぎるのですが、ポートランドやアメリカでは組織の中にその街のかっこよさをビジュアライズできるキャラクターがいますよね。

山崎 PDCにもグラフィックデザイナーが1人います。

馬場 日本のTMO(まちづくり会社)だと、経営者しかいない組織が多いんですが、PDCではどんなキャラクターが、どのくらいの人数いて、どんな風に組織をつくっているんでしょうか?

山崎 PDCのメンバーはよく変わります。役員がうちの局長を入れて6人いますが、そのうち2~3人は毎年変わります。市長が代わると一気に変わることもあります。局長も組織内から選ばれたり、外から呼ばれたりいろいろです。長くて8年、短い人で3年くらいで変わります。前任の局長は連邦政府の住宅省に勤めていた優秀な人で、PDCに来る前はファイナンスの仕事をしていました。その下にはディレクターがいて、僕の上司は経済開発部長になりますが、彼も最近辞めて、オレゴン州の経済開発局長になりました。

また別にファイナンスの部署があって、元銀行の頭取や元デベロッパーのスタッフが融資や土地の売買などを扱います。さらにコミュニケーションの部署では、プロモーション担当、グラフィックデザイナー、編集者&ライターがいます。そのほか中心部の不動産を扱う部署では、プロジェクトマネジャーのプロフェッショナルが所属しています。
PDCでは現在90人くらいのスタッフが働いています。

馬場 日本から見るともはや何の組織かわからないですね。まちを変えていくには、ファイナンス、デベロッパー、コミュニティデザイナー、アーバンデザイナー、ランドスケープデザイナー、グラフィックデザイナーなどのキャストが必要になるわけですもんね。日本にはそんなまちづくり組織はないから、まずそこからつくらなければならない。

山崎 あとはPDCとは関係ないNPOも、僕らの取り組みに関わってきます。たとえば、ポートランドは白人率がアメリカで一番高い都市なので、有色人種を支援するNPOがすごく重要視されています。

――馬場さんの提示された4つのキャラクターの中に「メディア」がありました。今はマスメディアから地元情報誌レベルまで、多様なメディアが溢れているので、ただ一生懸命発信すればいいというわけではなく、情報発信のセンスが問われているように思いますが。

馬場 僕は以前、広告代理店にいましたが、昔は情報の総量(GRP:Gross Rating Point)で広告の価値や価格が決まっていました。だから、マスメディアがたくさんの情報を発信すればするほど広告効果が高いとされていました。でも今はそんな情報はあまり重要視されていません。

今は誰かが発信するエッジの効いた確かな情報がぐさっとささることの方が多い。要するに、表面積よりも深度が重要で、完全にそちらへ切り替わった印象があります。その深さを意識的に使いこなせたり、表現できる技術を持っている人や組織が出てきています。

山崎 吸引力が大事なんじゃないでしょうか。プッシュ(発信)とプル(吸引)が逆転しているのかもしれません。

僕が有田川でいつも行く「Herb+Cafe(ハーブプラスカフェ)」というカフェがあります。店主の河野芳寛さんが一人で切り盛りしているのですが、彼はもともとインテリアデザイナーで、和歌山へのUターンをきっかけに、自宅の工務店の倉庫をリノベーションしてカフェをオープンしました。広告は打っていないし、看板も通り過ぎてしまうくらい小さい。でも店に入るといつもお客さんでいっぱいなんです。

馬場 今の話を聞いただけでそのカフェにすごく行きたくなります。これが、個人がメディア化するということですね。

――山崎さんは、馬場さんが紹介されたような、CETをはじめとする日本のエリア再生の話を聞いてどのように感じましたか。

山崎 ポートランドにもCentral Eastsideというエリアがあって、そこはもともと工業地帯だったのですが、ダウンタウンの家賃を払えないようなアーティストやクリエイターたちが住むようになりました。彼らは空き家を安く借りてDIYでつくり直して、ものづくりやプログラミングの仕事をしているという状況が、CETと似ています。

ただ、点が線になって面になるという点では、ポートランドはもう面だらけになってしまっていて、地価が高騰し、ものづくりをしているクリエイターたちが、オフィスワーカーに追い出されてしまうという状況になっています。PDCではそれをどう回避するべきかを連邦政府のシンクタンクと一緒に考えています。

CETは今、どうなっているのでしょうか?

馬場 CETも、エリアが注目されるようになり、リーマンショック以降、日本の経済状況が上向いたのと、オリンピックも控えて、どんどんマンションが建ち始めました。要するに地下が上がって、マンションデベロッパーが投資して合うようになったんですね。

マンションを建てる際、本当は1階が商業で、上階にホテルや業務、その上階に居住といったようにミクストユース化してくれればいいんですが、デベロッパーは全部住宅にして一気に売りたがる。日本はミクストユース化に対する意識が薄すぎるんです。

そういうマンションに住む人はあまり地元の店などに行かないから、どんどん街から活気が消えて、土地の値段は上がり、結果、僕らは住みにくいという状況に陥っています。

ポートランドにはそういう状況を問題視するPDCのような組織が存在しますが、日本では「地価が上がってハッピー」くらいにしか認識されていません。それを問題として提示できる行政が存在しない。

山崎 それはつくるしかないですね、そういう組織を。

馬場 エリアマネジメント組織を勝手に民間でつくっても、その組織をどうペイさせるのかが課題です。行政にはこういう話の論理が通じず、そこがジレンマなんですよね。

――PDCは、建物のオーナーに対して「こうした方が儲かりますよ」と公式にお節介できる仕組みになっています。CETでも公認されていないお節介をしてきて、それは似ていますが、オフィシャルになっているかどうかの差が、両者には凄く出ている感じがします。

山崎 PDCはオーナーに対して、公式にお節介と嫌がらせができるんですよ(笑)。

馬場 日本ではPDCのようなパブリックとプライベートの中間的な組織がなく、またそういう組織の必要性もほとんど認識されていなくて、官と民の対立構造から抜け出ていないんですよ。CETでもBIDのような組織を自分たちで強引に立ち上げて、後からオフィシャル化するのが早いのかな。

山崎 日本では、何かを変えるというアクションが少なすぎるんですよね。僕は自分から変えていかないといけないと思っていますね。みんながそんなふうにアクションを起こせば、それに「NO」と言えなくなる政治家や行政マンが出てきて、少しずつ変わっていくんじゃないでしょうか。「俺がまちを変えるんだ」という当事者意識を持ってやれる人がもっと出てくるといいですね。


2016年6月14日代官山 蔦屋書店にて開催


馬場正尊

Open A代表/東京R不動産ディレクター/東北芸術工科大学教授。
1968年生まれ。早稲田大学大学院建築学科修了後、博報堂入社。2003年建築設計事務所Open Aを設立し、建築設計、都市計画まで幅広く手がけ、ウェブサイト「東京R不動産」を共同運営する。近作に「佐賀市柳町歴史地区再生プロジェクト」「道頓堀角座」「雨読庵」「観月橋団地再生計画」など。近著に『エリアリノベーション 変化の構造とローカライズ』『PUBLIC DESIGN 新しい公共空間のつくりかた』『RePUBLIC 公共空間のリノベーション』など。

山崎満広

ポートランド市開発局 国際事業開発オフィサー。
1975年生まれ。95年渡米。南ミシシッピ大学大学院修了。経済開発機関等へ勤務し、企業誘致、貿易開発や都市計画を現場で学ぶ。2012年3月ポートランド市開発局に入局。ポートランド都市圏企業の輸出開発支援とアメリカ内外からポートランドへの企業・投資誘致を担当。「We Build Green Cities」のリーダーとして海外のデベロッパーや自治体のまちづくりを支援している。著書に『ポートランド 世界で一番住みたい街をつくる』。

エリアリノベーション
変化の構造とローカライズ

馬場正尊+Open A 編著

建物単体からエリア全体へ。この10年でリノベーションは進化した。
計画的建築から工作的建築へ、変化する空間づくり。不動産、建築、グラフィック、メディアを横断するチームの登場。東京都神田・日本橋/岡山市問屋町/大阪市阿倍野・昭和町/尾道市/長野市善光寺門前/北九州市小倉・魚町で実践された、街を変える方法論。

ポートランド
世界で一番住みたい街をつくる

山崎満広 著

この10年全米で一番住みたい都市に選ばれ続け、毎週数百人が移住してくるポートランド。コンパクトな街、サステイナブルな交通、クリエイティブな経済開発、人々が街に関わるしくみなど、才能が集まり賢く成長する街のつくり方を、市開発局に勤務する著者が解説。アクティビストたちのメイキング・オブ・ポートランド。

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