『図解 パブリックスペースのつくり方』刊行記念イベントレポート|篠沢健太・忽那裕樹・平賀達也・長濱伸貴・熊谷玄
2021年2月に刊行された『図解 パブリックスペースのつくり方』。同月12日に東京・下北沢の本屋B&Bで開催された刊行記念イベントでのトークのようすを、一部抜粋してレポートします。
当日は編著者5名(忽那裕樹・平賀達也・熊谷玄・長濱伸貴・篠沢健太)が現地に集合し、篠沢さんのモデレートのもと、ディスカッションが展開していきました。
まず、本書に掲載されている14のパブリックスペースについて、編著者が感じられている「すごさ」について話を進め、その後参加者の皆さんからの質疑・コメントに回答する形で議論が広がります。また当日は、下記の3点を足掛かりに議論が交わされました。
- 多様なステークホルダーとの共創関係の育み方
- 仕組みの設計の連関。どのような仕組みがどのような設計を生み出したのか
- 使いこなし。設計の手を離れる部分もあるが、思ったとおりに使われたのか、思った以上に使われたのか
本レポートでは、参加者の皆さんからの質疑と、それに対する編著者のディスカッションについて先に紹介し、後半で各事例へのコメントを掲載します。
書籍や本レポートに関するコメントは、ぜひこちらのフォームからお寄せくださると幸いです。
登壇者紹介
- 忽那裕樹(株式会社E-DESIGN 代表取締役)
- 平賀達也(株式会社ランドスケープ・プラス代表取締役)
- 熊谷 玄(STGKinc代表)
- 長濱伸貴(株式会社E-DESIGN代表取締役)
- 篠沢健太(工学院大学建築学部まちづくり学科教授)
パブリックスペースでは、利用者のアクティビティ(居方)はどこまでデザインするの?
篠沢:下記の事例へのコメントでも出ましたが、「柏の葉アクアテラス」では「自己責任の潔さ」が立ち振る舞いに現れているという話がありました。どこまでがデザインされ、どこからが利用者自身に芽生えたものなのか。デザイナーはどこらへんまでイメージされているのでしょう。
平賀:デザインは民意によって決まるため、場所によって異なり、公共でも民間でも事業主のスタンスが如実に出ます。下記で話した、「アザメの瀬」設計者の島谷先生のように、多くのデザイナーは「これがいい」という理由では設計を進めません。事業主や利用者の要望の延長に最終的な形があるので、ワークショップなどを通してそれぞれが何を求めているのかを汗をかきながら把握していきます。デザインの射程には必ずしも意識的ではなく、デザインに反映できる意見をどれだけ集められるか、に注力します。また最終的には歴史を踏まえてディレクションするので、デザインを形に落とし込むことが先行しないんです。だから結局、民度で決まっていくと感じています。
忽那:紹介している「草津川跡地公園」では、「勾配」「大地のテクスチャー」「樹木の密度」の三つを重ね合わせグラデーションを生み出しながら、利用者が望む活動や空間を考えています。アクティビティを徹底的に想像し、それぞれが使いこなせる手段をデザインしながら、最終的にはその運営を指定管理者としてきちんと進めていくことを目指しました。つまり設計する器と、活動として盛る料理は分けて考えています。
熊谷:僕の場合は、かなり独善的にアクティビティを想定しています。「学校帰りに気になっている女の子に告白してほしい」「犬の散歩中に知り合いとすれ違って会話してほしい」など、具体的なシーンから設計するんです。気を付けるのは、大きなアクティビティをベースにしないこと。例えば「イベント広場」などですね。結果、想像通りに使われなくてもよいのですが、小さな場同士の組み合わせで生まれる思いがけない空間もあります。
長濱:青木淳さんの『原っぱと遊園地』につながりますが、公園など既存のパブリックスペースは、芝生をつくり遊具を置くという平均値でつくられ、原っぱにも遊園地にもなりきれていない。こういう量生産の方法はすでに転換期を迎え、これからはやや原っぱ側の手法に進んでいくと思います。ただそこで、利用者のリテラシーが重要になる。つくるとつくらないの間で機能する方法が必要です。ワークショップやデザイナー自身の妄想など、個々の方法論が今回紹介した14事例のチャレンジとしてあるわけです。
パブリックスペースは伝統的に日本にはなかった?または場が持つ力がライフスタイルを変えつつある?未来に向けてはどう発展していく?
熊谷:むしろ日本のまちはパブリックスペースだけでできていた、くらいのイメージだと思っています。江戸時代の絵図を見ていると、町家の周りや多くの場所がパブリックに使われていますよね。
長濱:一方でいまこういう本が求められる理由もあります。近代都市では近世のパブリックスペースを失ってしまい、その後いま改めて「パブリックスペース」の再定義が求められている。一方的につくられた公園や河川空間などを、我々が獲得してどう使っていきたいのか、そういうことが問われていると思います。この本ではそれを示したかった。
忽那:日本の状況が極端に遅れているとは思いませんが、やはり戦後復興が大きく利いていて、いわゆる闇市など違法な土地利用を排除する方向に向かわざるを得なかったわけです。例えば道路での滞留を禁じるなど、場所ごとに分割しないと復興できなかった。しかし今はもう、そういう場所を自分たちが使うために責任をもってつくり管理し使いこなしていくという、次のフェーズに入っています。戦後から高度経済成長期にかけて、先人たちが整備してくれた公園などのオープンスペースが今資源としてあるわけですから、今の生活に合わせてカスタマイズしていくことが重要視されています。
この本には人体に係わる寸法が多いが、ほかに表現したい寸法は?たとえば視対象への距離、道幅、仰角、勾配など?
忽那:今回の本は、サブタイトルにある「使いこなし」についても考えてきました。その点ではヒューマンスケールを実現したディテールを重視しましたが、一方でたとえば山から川に連続するなかの敷地のあり方など、都市的なスケールとディテールの連動も言及したいという意識はあります。
長濱:本という体裁の制限もありますが、近景・中景・遠景につながる奥行きをもっと表現したいと思っています。建築の場合はアクソメ図で比較的表現しやすいですが、ランドスケープではなかなか伝えるのが難しいです。
平賀:土の表現ですね。断面にするとグレーになって片付けられてしまいがちですが、場所によって土の質は大きく異なり、光合成など自然界のエネルギーは土の仕様で左右されます。国土交通省 公共建築工事標準仕様書(建築工事編)の23章にある「植栽及び屋上緑化工事」で少し言及されていますが、敷地の土のスペックを図面に丹念に書き込む必要性を感じています。
熊谷:今回掲載している「左近山団地」の場合、図面に記した寸法は計算したものですが、一方で図面に記していない寸法もたくさんあります。たとえばベンチとベンチの距離など、そこに座った人の感覚で間合いの寸法をつくるので、その場で実測した数字がそのまま図面化されています。紙面にあえて書いていないものを紙面から読み取ってもらい、寸法化されているところとされていないところを見るのがおもしろいと思います。
日本での理想的なパブリックスペースとは?また、参考になる海外事例はある?
篠沢:本書をお読みいただけるとよくわかると思うのですが、理想的なパブリックスペースについては一概には言えません。14事例を通して、それぞれの土地でそれぞれのデザイナーが理想像を掲げて挑戦していることが伝わると思います。また海外の事例しかり、ほかの取り組みを別の敷地にあてはめてもうまくいきません。ただ、先行事例で考えられたことは、今後パブリックスペースをつくっていく際にとても参考になると思います。
書籍のタイトルに「ランドスケープ」ではなく「パブリックスペース」を選んだ理由は?
忽那:いま「パブリックスペース」には広く興味を持たれていますが、それを実現させているランドスケープデザイナーには興味の対象があまり向いていないと感じています。我々デザイナーがパブリックスペースをどう解釈し、どのように手元へ取り戻していくかを考えたかったという背景があります。
長濱:屋外パブリックスペースが民主化している、という社会的状況があります。それに対して、結果的にランドスケープデザイナーを中心としたメンバーでそのつくり方自体を問うていったというかんじです。
平賀:ランドスケープデザイナーをはじめとしたデザイナーがもつ、パブリックスペースに対する独自の見立て方を伝えたかったんです。一概にパブリックスペースと言われているもののなかにも幅があって、すごく商業的なものもあります。一方で、我々が今後推し進めていきたいパブリックスペースは、今回の14事例のようなもの。読者の皆さんがその点に共感してくれて、輪が広がっていくと良いなと思っています。
ここからは、掲載した14事例へのコメントをご紹介します(トークの最後に篠沢さんから出たコメントを【しのコメント】として各事例に記しています)。
またレポートの末尾には、編著者による総括・参加者の皆さんのコメントも掲載しています。ぜひ最後までお楽しみください。
01 南池袋公園(ランドスケープ・プラス、東京都)
熊谷:本書では竣工写真にコメントや寸法が加えられていますが、なぜそこにコメントが入っているのか考えると、設計者のこだわりが垣間見えておもしろいですよね。たとえば、通常ならデッキ高さは150mm前後を選びがちですが、南池は125mmになっている。もしかしたら平賀さんたちは、ベビーカーを押すお母さんたちにもここに集まってほしいと思ったのかな、など寸法一つからいろいろな想像が膨らみます。
平賀:このデッキの断面図(本書p.11)では、既存のサクラの木の根っこを守っていることを伝えたかったんです。根を守るために一番細いパイルを打ち、その上に人が気持ちよく過ごせる環境をつくる、という関係性を解きました。それで、結果的に125mmと決めた。プロジェクトでは125mmというモジュールをよく使いますが、それが数値ありきの判断ではないというのが大事だと思います。
篠沢:そのねらいがよくわかるのがp.11の図ですね。実際につくられたときの考えがディテールに落とし込まれていて、それは断面にするとよく見えてくる。
02 草津川跡地公園(E-DESIGN、滋賀県)
忽那:本の制作段階では、つくるプロセスについても議論になりました。今回の14事例では、設計→竣工→供用開始、という従来の設計プロセスから逸脱するものを多く取り上げています。草津川の場合は、studio-Lさんと市民の方々で徹底的なワークショップしました(本書p.15の図参照)。高規格道路化という案もあったなか、公園やガーデンをつくることを市民の方々が望まれ、その想いを形にすることが一番のチャレンジでした。市民のなかでもリーダーとして主体的に動ける人たちが権限を持てる仕組みをつくり、彼ら彼女らがいるならば多少「お任せするディテール」が良いのでは、という判断です。
平賀:見た目の最終形だけでは本質が分かりにくいプロジェクトだと思います。現在、少子高齢化で税収が減少するなかでも、各自治体はインフラを見直す必要に迫られていますが、ここでは役目を終えたインフラが新しく生まれ変わっています。この場合、合意形成やつくるプロセスがとても重要で、今後ほかの自治体が参照できる、これからの時代を担う事例です。
忽那:6つの区間に分かれている敷地のうち、本書では5区のみ紹介しましたが、これから他の区間にも着手していきます。学校が多い/スポーツ施設がある、など敷地周辺の既存のまちの状態にあわせて考え、長く横たわる公園が暮らしの新しいインフラになることを狙っています。
平賀:単一断面で長大、一気通貫型の土木(鉄道や河川など)の跡地を、一つ一つ点でつなぎ直しているというのが重要だと思います。それぞれ区間に分けているのも適切で、各区間に隣接する地域の人が関わりやすい状況をつくっていけますよね。
しのコメント:誤解するとすべての利用者に開いてしまいそうですが、主体的に動ける人たちに限定して任せて提供していく、というのはすごく重要な視点ですよね。
03 虎渓用水広場(オンサイト、岐阜県)
平賀:利便性が重視される「駅前」で、地域の自然資源である用水を地域住民に見せ、̪シブックプライドの醸成や歴史や風土を見つめ直す空間になっています。水の使いこなしに長けているオンサイトさんだからこそ実現できる、同業者から見てもたまらないディテールが満載です。
熊谷:とくに、手摺の高さの使い分けがすごいですよね。ブリッジの素材のあて方、そこにつく手摺の高さ、注意喚起用のバーの入れ方など、広場のどこを切り取っても「映える」状況がつくられているのがその成果。人工物と自然物の割合がとても上手で、ここにいると一日中スケッチしていられるんですよね。手摺の高さやデザインにはじまり、本に載っている図面と一緒に現地を見てほしいです。
平賀:まさにそうですね。人のアフォードが秀逸で、まっすぐ歩けるところは手摺が低く、危ない箇所は水際にテーブルが置かれイスに座らせることで水との距離をつくっている。車椅子の脱輪防止用のバーを縁石にせず手摺に抱かせて少し浮かせていたり、ここはディテールの宝庫だと思います。
しのコメント:手摺と転落防止柵の高さ、おもしろい!
04 あさひかわ北彩都ガーデン(高野ランドスケーププランニング、北海道)
平賀:北海道の広大な大地にある「強さ」をしっかりわきまえた大らかなデザインですよね。ここにいると、自分が腰かけた場所と向かいの山々がつながっているような感覚になります。
忽那:よく「駅前が顔になる」と言われますが、先ほどの虎渓用水も含め、ランドスケープの魅力がその地域で出会う最初の「顔」になったら良いですよね。この旭川駅は、敷地反対側のバスロータリーが地域の顔で、ガーデンのある河川側が裏と認識された可能性もあったわけですが、今では河川に抱かれるこの風景が地域の顔になっています。駅が公園内施設に見えるくらいランドスケープがどっしり構えている。
熊谷:電車に乗る目的がなくても駅に行く理由になる場所ですよね。高齢化し通勤が減った社会では鉄道や駅前空間の利用率が下がります。今後、駅は地域における新たな役割が求められると思います。「駅前には居られる場所をつくったほうが良い」と説得する強力な先行事例です。
しのコメント:駅前の顔は交通側に持ってかれがちですが、川が顔になっているのは大きな可能性ですね!
05 なんばパークス(E-DESIGN、大阪府)
長濱:商業空間における場の使われ方と設計の連動性を狙ったプロジェクトです。商業施設のアクセサリーとして屋上庭園がつくられ始めた時代に、民営の公園をつくりました。開業当時、大阪のおばちゃんたちがここに来て、とくに買い物をせず帰っていくという風景を見て、本当に公園だと思いました。
忽那:当時の商業施設は、人の流れをうまく誘導することによる利益を優先していましたが、ここでは必ずしも利益につながらなくても多様な人々が存在することで商業ふくめ複合的にうまくいくことを狙っています。
平賀:御堂筋線を降りたところからの見上げがよく考えられていて、思わず登りたくなるような、路上からその魅力にしっかり掴まれた記憶があります。プランニングしかり、太陽光がしっかり当たるように渓谷がつくられていたり、大阪らしい「掴み」が徹底していますよね。
06 とおり町 Street Garden(前田圭介/UID、広島県)
熊谷:このワイヤーを実現させるための説得にはとにかく骨が折れたと思いますが、これがなかったら、アーケードが撤去された数年後にはアーケードがあったことをみんな忘れてしまっていたと思います。「ここにアーケードがあったんだよ」というような会話もほとんどされなくなり、次第にアーケードがあったときの地域の連帯感も薄まっていたでしょう。この先もっとこのワイヤーの存在が効いてくると思いますし、フォトジェニックだから写真としても記録に残りやすい。新しいアーケードになっていると思います。
篠沢:p.47に記してある地元住民に言われた一言からこのアイデアが始まっていて、柱を残すかどうかの議論につながっているんですよね。見事な物語のある事例です。
07 左近山団地 みんなのにわ(STGK.inc、神奈川県)
熊谷:このプロジェクトは予算がかなり限られていた分、一円単位まで使い道を提示しながら進めていき、とくに余計なディテールなどはつくれない条件でした。本書の図面で見ていただきたいのは、ディテールレスをどうやってディテール化したか、というこだわりです。
忽那:いま、多くの団地が大規模修繕の岐路に立っていますが、この事例が議論をとてもふくよかにさせています。団地と一緒に育ってきた樹木と駐車場しかないような場所でも、その環境を一気に読み取って新しい場づくりに関わっていける、という期待を抱かせてくれる。
篠沢:p.55に「団地環境が子育て世代にこそふさわしい」と書かれていますが、まさに団地が整備された当初は子育て世代に向けたものでしたよね。団地の良さが、このタイミングで再発見されると良いなと思います。
忽那:本に載っている「屋台ユニット」の図面も最高ですよね。これがランドスケープのディテールだ、という。
08 パッシブタウン黒部(プレイスメディア、富山県)
長濱:黒部の扇状地に吹く風と水を用いて環境シミュレーションをし、それを住宅環境に展開しています。形の端正さ以上に、ふっと吹く風や揺れる水面と一緒にここで過ごす人々の心地よさがありますよね。居心地をサイエンス的に解き実際のデザインに落とし込んでいくという、ランドスケープデザインの分野が避けてきたことにチャレンジしています。
忽那:「環境共生としての暮らし」を掲げてつくられていますが、単なる環境設備を整備すればよいわけではなく、生活のなかに外で過ごす時間が増えていくような、そういう意識で環境共生住宅が目指されていると思います。
しのコメント:長濱さんが言われる「居心地のよさのサイエンス」は重要な課題ですね。
09 石巻・川の上プロジェクト(スタジオ・テラ、宮城県)
熊谷:東北の復興のなかで、避難する側だけではなく受け入れる側にも配慮し、それをつくるプロセスとして計画に盛り込んでいくという、このプロジェクトのあり方そのものが素晴らしいと思います。一つひとつのディテールに住民の皆さんが手をかけた跡が見えて、「自分たちがつくった」ということがディテール化している。
忽那:「積み上げる」「重ねる」などの原初的なものづくりを通しながら、楕円の広場にそれを封じ込めつつ、結果的に縁側のような語り合える場になっていますよね。
平賀:石井さんが写真2枚も紙面に登場されているのを見ても、このプロジェクトに対する覚悟と愛を感じますよね。笑
10 黒川温泉(德永哲、熊本県)
平賀:熊本の震災を契機に、この場所に住みつき添い遂げられていることがすばらしいです。「百姓」のように、ランドスケープアーキテクトはさまざまなことを知らないとできないですが、德永さんの場合は建築も土木もランドスケープもできる。地域へのこのような付き合い方こそ、今後中山間地域でのワークスタイルになると思います。
忽那:本書の制作を通して、「設計者の役割」について議論を続けてきました。具体的な設計の仕事がなくてもその地域がどうなっていくのかを見届けられている。側溝のディテール一つとっても細やかな配慮がされています。
篠沢:p79に「つながりを持った総体・風景のなかでさりげなさが感じられることが重要である」とありますが、黒川の写真を見ると一見「デザインなの?」と感じます。一方、p83にあるような写真とコメントが重ねられた図を見ると、徳永さんがさりげなさをどこに込めたのかがよくわかる。
しのコメント:「寄り添う」という言葉は苦手ですが、ここで出てきたのは「住みついて添い遂げる」。その覚悟を感じました。
11 女川町海岸広場・レンガみち(小野寺康、宮城県)
忽那:被災地に住宅地などを整備していく計画と、そのなかに人の居場所を配置していくプログラムの検討。さらに「道」と「広場」のあり方をどう考えるか。女川湾につながる縦の軸線と滞留場所の横断面のつなぎ方が秀逸で、p90の記念広場の写真からもわかるように、モニュメンタルな空間を生活のなかに残している。全体の構成も含めて、良い都市計画になっています。
長濱:遺構の保存などダイナミックなところと、海辺での居方などの細かいディテールがうまく結びついていますよね。
熊谷:女川町には平地が少ないので「平地のマネジメント」的なまちの機能の分散が大変だったんじゃないかと思います。1本道を通して常に海が見える状況をつくり、レンガみちの先に海が抜けている景色が印象的です。
12 柏の葉アクアテラス(金香昌治、千葉県)
平賀:本書の座談会でも言及していますが、事業者の覚悟がこのプロジェクトの成功の大きな要因になっていると思います。良質な公共空間はその敷地だけでは成り立たず、公共をサポートしうる施設が周辺にあることが大事だと思います。p95にある公民学連携の図も象徴的です。
忽那:本来なら開発中の調整池の周囲には柵が張り巡らされているはずが、たとえば降水時の避難サインの計画などが抑えられているなど、行政をはじめUDCKや市民の方々の協力がある上で実現されている空間です。
熊谷:今後災害も激甚化するなかで、閉じられた調整池など何が起こっているのかブラックボックス化している場所を整備するよりも、こうして開くことで自分たちが普段遊んでいる場所が災害時にどうなるのか、リアルに感じられることが重要です。
忽那:ここに行く度に思いますが、ここで歩いている人・過ごしている人がかっこよく、美しく見える。たとえばp101の子どもたちの写真は、もし水に落ちたら事故になるかもしれないけれど、自己責任で楽しんでいる。自分たちの空間に誇りを持っていることが立ち振る舞いから伝わってきますよね。
しのコメント:公共性を支援する事業者側の「覚悟」。お金を出すだけではなく、事業者にも覚悟が必要。
13 トコトコダンダン(岩瀬諒子、大阪府)
忽那:コンペで選ばれた岩瀬さんは、この地にずっと関わり続ける意識を持っていて、府職員にも理解を仰ぎながら、周辺地域のデザインにも関わりはじめるなど必死でディテールを開発しています。
熊谷:p105の写真にもある、堤防の履歴や地歴が可視化された場所がとても好きです。こういう場所があると、おじいちゃんと孫がその話をするきっかけになる。コミュニケーションの装置としても機能していますよね。
長濱:先ほどの柏の葉もこのトコトコも、現行の防災機能を持たせながらパブリックスペースに変えるためのディテールを開発している点がすごいと思います。
14 アザメの瀬(島谷幸宏、佐賀県)
忽那:土木学会のデザイン賞を受賞された際に、関わったデザイナーに「松浦川」が記されていました。受賞者が川なんです。笑 島谷先生は本気で川を設計者として考えている。想像外のことが起こっても継続的に手を加え続けており、その点も学びが多いです。
篠沢:タイトルになっている「長期的コミットメント」とp114にある「アダプティブマネジメントによる設計の修正」からわかるように、設計段階の図面はあくまでも図面であって、その先できたものにどう手を加えていくか、しかも長期的に関与することで川自身が設計者になるデザインにする、というスタンスが非常に興味深かったです。
長濱:アザメの瀬は一見なんでもないように見える場ですが、日本の国土の割合ではこのような場が圧倒的に多いので、ここをパブリックスペースとして開いていくことは非常に重要です。ほかの13事例と一見すごく異なっているように見えますが、目指している先は同じで、その手法が大きく違うのだと思います。
熊谷:環境学習などのプログラムデザインや、植生や生き物を見せるサインのデザインなど、このプロジェクトに伴ってさまざまなデザインが介入していると想像できます。ここで起こったことを伝えるためにブランディングできるような可能性があると思いました。
平賀:教育のためという以上に、人間がここで生きることを考えていて、島谷先生は時間的・空間的視野が極めて広いと感じました。だから受賞されるときも、一人間が前に出ることをはばかられたんじゃないでしょうか。
総括 ─本書の制作を通して
熊谷:ランドスケープデザインはまっさらな状態から始めることはなく、必ず先に「地球」が描かれています。地球と向き合ってデザインを決めていくので、設計や場のつくり方についてまとめる難しさをすごく感じていましたが、今回の14事例を通して、設計の言語化や言葉のつむぎ方に少し触れられた感じがしました。本の編集方針についてもたくさん議論したので、その点も楽しんでいただき、図面に何気なく書いてある数字、さらには書いてないこと、それを考えるのがとても面白い本になったと思います。
長濱:上記で立ち振る舞いの話がでましたが、江戸末期や明治期の風俗写真に写る日本人は、自信をもっているように見えるんですよね。一方でいまはそのような自信をあまり持てなくなってきている。表紙になった南池袋公園のように、いる人が生き生きする場をつくるために、ディテール・設計プロセス・使いこなしが必要です。パブリックスペースにおける立ち振る舞いの自信をどう取り戻していけるのか、皆さんと一緒に考えていくきっかけの本になったら嬉しいです。
平賀:実は「とおり町」の事例は、学会賞の審査をした当初、評価できなかったんです。次第にわかったのは、目の前にあるデザインの「背景」こそ大切だということ。とおり町の場合は、アーケードの記憶を残してほしいという住民の皆さんの声によって生み出されたデザインなんですよね。デザイナー自身が最初からあれをやりたかったわけではない。ランドスケープは単なる形を生み出すためのものではなく、その土地の声に耳を傾け、人々が生きるための基盤をつくるもの。これからもそこは大事にしたいと思いました。
忽那:ランドスケープデザインに関わる人が多様になりステークホルダーが増えていくことも、風景が魅力的になる一つの方法だと思いますが、そのなかでほかとは違う技術やモノの見方を持つランドスケープデザイナーという職能が必要とされていくことが必要です。これからより一層、形と仕組みと動きを一緒に考えていくことが求められると思います。そうすれば誇りをもって使う人たちが美しく見えるような舞台や風景が表出していく。そのポテンシャルがある場所は日本中にあります。今回紹介した14事例以外にもすばらしいパブリックスペースはたくさんあります。また本書の末尾に収録している「ストリートファニチャー」も必見です!
参加者の皆さんからいただいたコメント
土地の広がりを人のスケールに切り分けているような物件が多いですよね
虎渓用水広場も河川を駅前に持ってきて、広場のスケール落とし込んでいる、とも言えますね。行ってみると川魚が泳いでいて、機械的にその場で循環している水ではなく、川の水が来ているんだ!!と実感しました。
「なんばパークス」は、ステップガーデンとか、ちょっと裏なたまり空間に、仕事をさぼっているサラリーマンが、まるで指定席のようにいて、それがなんだかすごくいいと感じました。
アクアテラスは、親水のり面のベンチには、階段が1か所づつしかついてなくて、日本的ではないところが、参考にしたいなと思いました。
ベンチに座るのに「このアプローチを通って向かう」と知らず知らずに意識するところが良いのでしょうか?他者との「すれ違い」が発生するところが良いのでしょうか?
ランドスケープを通じたコミュニケーションの多さと深さがデザインの質にあらわれるということなんだなと思いました!いや、みんなよくしゃべるなあということでしょうか…
「ランドスケープをデザインすることでパブリックスペースへリーチする」っていうことか。
なんばパークスも、アクアテラスも、どちらもですが、「パブリック」の中に、プライベートな使い方や、居方をうまく作り出されているのが、参考になっております。アクアテラスは、全体としては、すごく「回遊性」を大切にしているのに対して、ベンチの所については、一切の回遊性はなく、オープンな空間なのだけど、そこだけプライベートな空間が創出されているところが、良いと思いました
こういう「本」で表現しきれないのは「時間」だよなー
人の振る舞いとか使われ方は植栽みたいなもんだよな。植栽が「育つこと」を見込むように。「計画か、無計画か」の二択じゃないよね。
今回の本は、近年のタクティカルアーバニズムなどのムーブメントに対して、少し意識したところがあるのでしょうか?
駅前広場に関する質問ですが、交通機能も大事し、交通機能と公共空間機能のトレードオフすることはどのように考えていますか?
素晴らしいランドスケープデザインを活かせる、住民のコミュニティデザインが両輪で重要だなと感じました。その地域のコミュニティデザインを、継続的、長期的に担っていける地域のプロデューサーが育っていくことが、よりよくパブリックスペースがいかされ続けることにつながるのではないかと思いました。
長濵さんの「パブリックスペースの民主化」。とても腑に落ちました。パブリックスペース・デモクラシーですね。日本のパブリックスペースの夜明けぜよ!
32年前、公共空間デザイナーとして独立した私には、このような本が出る時代に感銘を受けています!
作りすぎず、作らなすぎないの加減がまだまだわかりませんが、また少し学びになりました。「映画を撮るように作っていきたい」と言うのが面白いなと感じました。
日本各地にあんなにいいポイントができているのは希望的だなぁと思いました。またランドスケープは大きなものですが、これほどディテールを大切にしてつくられているのは新発見でした。