祈り、そして遊び【祇園祭】|連載「京都の現代歳時記考 -木屋町の花屋のささやかな異議申し立て-」

先人たちが日本の気候から見つけてくれた、
美しいもの・儚いもの・恐いもの、その中で生きていく知恵と工夫。
そんな季節特有の本来の暮らしぶりと、現代の暮らしぶりを結び、歳時記を再解釈する。

松尾芭蕉は言った。「季節の一つも見つけたらんは、後世のよき賜物」
私たちは、100年後の人々に、どんな贈り物をできるだろう。

なんかわくわくして、めぐる季節を感じて、余裕があれば祝えばいい。
ちょっと変わった視点から、京都・木屋町に店を構える花屋の主人が現代の暮らしにすこしだけ反抗します。

執筆者プロフィール

西村良子

京都木屋町の花屋「西村花店」店主、華道家。1988年京都府生まれ。2010年関西大学卒業。先斗町まちづくり協議会事務局兼まちづくりアドバイザー。2017年に花店を開店し、現代の日本での花と四季の楽しみ方を発信し続けている。木屋町の多くの飲食店や小路は西村さんの生け込みで彩られている。

7月の京都。グーグルイメージでしか京都を知らない外国の方は、石畳の上で風に揺られる青もみじが、ひんやり涼し気で快適な古都とお思いだろう。実際の京都の気温は、そのイメージから感じる温度プラス15度、湿度はプラス50%といったところか。「こんなところでよく暮らしてるな」というのが夏の(実は冬もだけど)京都を訪れた人の正直な感想であり、同時に暮らしている人間の驚きでもある。高すぎる温度と湿度で食べ物はすぐに腐るし、いけた花は瞬く間に枯れる。熱帯並みの気候の中、冷蔵庫も冷房もなかった時代の人のことを思うと胸が痛む。日本で最も有名な祭りの一つ・祇園祭は、そのような場所で生まれた。

そこは風水だか何だかで選ばれた、四方を山に囲まれ東端に川の流れる湿地だった。首都を意味する「京」と呼ばれたその場所には、そんなコンディションにも関わらず人が集まった。インフラの未熟な都市にキャパシティーを超えた人口が生活するとどうなるか。感染症が流行る。私たちはこの感染症の正体がウイルスによる媒介だと知っているから、密を避けたり手洗いうがいを徹底することで戦い、(たぶん)被害を最小限にとどめることができた。それでも知り合いが陽性だ、家族が入院した亡くなったと聞くと恐かった。

これが中世の世界だとどうだろう。ある人が病に倒れその家族が倒れ、気づけば隣の人が倒れ町内の人が倒れて行き、しばらくすると両隣の町内で同じことが起こる。原因も対策も知る由もない彼らはこう思った。「疫神が移動している」と。

その恐れは私たちが感じたものの比ではない。そして彼らができる唯一のことは、神に祈ることだけだった。だから神様をお神輿にのせて町中を回った。疫神になんとか京都から出て行ってもらうために。これが祇園祭の本当の目的である。

御旅所では、お神輿が宿泊される間、お参りに来た人々は献灯してゆく。周りが暗くなると、豪華絢爛な装飾空間に蠟燭の灯が絶え間なく浮かび、それは異様なほどに美しい。私たちは神社で行われる神事はなかなか見られないけれど、夜の御旅所を訪れると、祇園祭の「祈り」を感じることができる。

祇園祭だけでなく、伝統的な祭りや行事はどれも、人間の力ではどうしようもできなかったことへの祈りがベースにある。理由のわからない疫病退散への祈り、無病息災、子孫繁栄。五穀豊穣の祭りはどうしようもない天候への祈りであり感謝である。気候の変化に振り回されて暮らす日本人にとって、1年は自然への祈りに次ぐ祈りだった。

そしてその祈りの傍には、いつもほんの少しの遊びがあった。一族の繁栄を祈りながら少しだけお花を飾って御馳走を食べたり、帰ってきたご先祖様の霊を迎えるために夜な夜な踊ったり、疫病退散のために神様がまちへ来てくださる前と後に、町内で山や鉾を立て、音楽を奏で舞を舞った。

だから新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、山鉾巡行を含む祭りの大半が中止になるというニュースを聞いたとき、なんともやるせない気持ちになった。疫病を退散させるための祭りが、疫病蔓延を理由に中止になったのだ。本来の目的である神事のみが、密を避けひっそりと行われたそうだ。

現代の暮らしで必要な祈りは、実際のところそのくらいなのかもしれない。科学や医療や技術の力は、祈るしかなかった多くのことを解決した。手洗いうがいを徹底し、薬やワクチンの開発に力を注ぎ、それでもどうしようもない時に、最後の最後に祈る。私たちの暮らしからも、祇園祭からも、「祈り」の部分が減ってしまったのは明らかだ。祭りなんてやらない方が疫病退散に良いことまで証明されてしまった。

にもかかわらず、4年間の中止や短縮期間を経て、待ち望まれて、当然のように、この夏、いつもの祇園祭が再開された。本当の祭りの由来を知らずに着崩れた浴衣で夜店を楽しむ若いカップルを見て、「こんなん祇園祭ちゃう」と、言われる意見はわからないでもない。でも、神事だけの祭りがどんなに寂しいものか、私たちは経験してしまった。怒られるかもしれないけれど、私はここで言いたい。「それこそ祭りちゃう」。不要になってしまった祈りの余白で、人々は遊び、楽しんでいる。それを否定する理由はどこにもない。

私は祇園祭が大好きだ。当然、神事や山鉾を支えられているたくさんの京都の人に感謝したい。同時に、たとえ本当の由来や目的を知らなかったとしても、やって来てくれるたくさんの人を歓迎したい。
鉾町の人や毎年お神輿を担いでいる人たちを知っているけれど、彼らの祇園祭にかける情熱は相当なものである。彼らの1年は、1月ではなく7月を中心にまわっている。何カ月も前から段取りのあれこれを考えて、くたびれ果てながら7月を乗り切って、足洗の席ではもう来年の祭りのことを考える。

私たちのような一般町人も、「暑いのにようやらはるなぁ」と言いながらしかし、店先に屋号を書いた「御神酒」の札を自慢げに貼り、「知り合いんとこの」粽を飾る。商店街で朝から晩まで流されるお囃子のBGM、食べ物屋さんの軒先で売られる、テイクアウトのビール、かき氷。「夏やなぁ」。どんなに高い温度よりも湿度よりも、京都を夏にする景色。

そういう一人一人の祈りや楽しみが、京都の夏の景色を作っている。自然や天候へのどうしようもないことへの祈りか、人々が集まり旬のご馳走を食べる楽しみか、その両方か。きれいごとみたいに聞こえるかもしれないけれど、「季節」を作り出しているのは実際の気候ではなくて、その土地に暮らす人や訪れる人の一人一人なのである。伝統だからじゃなくて、季節行事だからじゃなくて。カッコイイから、楽しいから、儲けたいから、モテたいから、SNSにアップしたいから、やるのである。

この国には、たくさんと言っていいくらいのそういう行事や祭りが、少なくとも今はまだ、残っている。「伝統なんて言ぅてる時点でアカンねん」。昔、いけこみ先のすき焼き屋さんの若旦那に言われた。はじめから伝統だった行事はない。祈りはもちろん大切だけれど、遊びがなくなったら祭りは文字通り終わりだ。祈る必要が極端に少なくなった現代社会で、人々が遊びや楽しみを忘れて、慣例だからやらないといけない、伝統だからやらないといけない、そうなったときにその行事の意味はなくなり、この国からひとつ、季節を作る景色が消える。

両側に、まっすぐに建物が並んだ四条通の向こうに見える東山。写真には映らない強烈な温度と湿度、人々の体温と情熱。熱気と蜃気楼の間を縫って、お囃子の音が天に登って行く。この日のために京都を生きている人と、この日だけ京都に遊びにきた人。どちらがいなくなってしまっても、京都の夏の景色はない。自然とともに生き、祈り続けてきた日本人。その暮らしのベースは、常に祈ることだった。祈る必要がなくなった分は、遊べばいい。祈りも遊びも、自然や気候とともに生きるという点では同じだ。大切なのは、そうして「季節」を、未来の日本人につなぐことなのだから。少なくとも私は、そう信じている。

季節の花

檜扇(ヒオウギ)

アヤメ科のお花。真夏に咲く。
分厚い葉が扇のように開いてつく姿が、平安貴族の持っていた檜扇に似ていることからこの名前になりました。大地主神の神話に登場する、祟りであるイナゴを祓った檜扇と同じ名前ということで疫病退散の祇園祭と結びつき、7月の京都に欠かせないお花となりました。

何かを神に祈るとき、日本の人々は花をまっすぐ天に向かって立てます(それがいけばなのルーツなのですが、それはまた別の回で)。そこに神が宿ると信じていたのです。檜扇は「く」の字に大きく曲がった姿でありながらも、花のついた先はまっすぐに天を仰ぎます。そして、どんなお花も咲かない真夏の京都で、青々とした丈夫な葉をたくさんたくわえ、色鮮やかな花を次々と咲かせます。そんな姿に京都の人々はきっと、特別な力を感じたのかもしれません。

小噺

本連載の執筆者が構える「西村花店」であるが、実はこの花屋何やら企んでいるらしい。
小噺として、今後の「西村花店」の行く末も紹介。
毎話の再解釈が花屋の空間にどう昇華されていくのか、そんな様子もお楽しみください。

単語禄
粽(ちまき)

疫病退散を祈る祇園祭において、笹の葉でつくられた疫病、災難除けのお守りである「粽」は欠かせません。京都に住む人は粽を門口に一年間飾り、その年の災厄を祓います。

御神酒(おみき)

京都のまち中でいたる門口に貼られた神社の名前が入った御神酒のお札は、その家が奉仕する祭神に献酒(現代では代わりにお金で奉納します)した証拠。祇園祭は、献酒によって支えられているのです。

檜扇(ひおうぎ)

企画・編集・小噺イラスト:安井葉日花(学芸出版社)
題字:沖村明日花(学芸出版社)


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