『福祉と住宅をつなぐ―課題先進都市・大牟田市職員の実践』刊行記念 鼎談 vol.2 高橋紘士×白川泰之×牧嶋誠吾×園田眞理子


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『福祉と住宅をつなぐ―課題先進都市・大牟田市職員の実践』の刊行を記念しまして、推薦のお言葉をいただいた応援団の方との対談を行ないました。
第2回目のお相手は社会福祉、社会保障の分野を牽引された高橋紘士先生と、厚生労働省で社会保障を担当されてから、研究教育分野に転じられた白川 泰之先生です。対談の様子をぜひご覧ください。
(画は上記から、テキスト(抜粋)は下記をご覧ください。)

◆主なトピック

牧嶋 誠吾

大牟田市居住支援協議会事務局長

園田 眞理子

元明治大学理工学部建築学科教授

高橋 紘士

東京通信大学 教授、高齢者住宅財団 前理事長

白川 泰之

日本大学文理学部社会福祉学科 教授

要約文責:学芸出版社 前田裕資(2021年6月9日収録)

園田今日は牧嶋誠吾さんが書かれた『福祉と住宅をつなぐ』を是非多くの方にお読みいただきたいと、牧嶋さんの応援団でもある福祉分野の重鎮、お二人においでいただきました。

お一人は高橋紘士先生です。高橋先生は社会福祉、社会保障の分野を20世紀後半からこの21世紀まで牽引されてきた方です。
とくに地域包括ケアシステムという、超高齢社会を日本が乗り切るための戦略づくりを担われました。また高齢者住宅財団前理事長で、建築・住宅分野にも造詣が深い方です。

もうお一方は白川泰之先生です。白川先生は厚生労働省で社会保障を担当され、バリバリのキャリア官僚でいらっしゃったのですが、その後、研究教育分野に転じられました。東北大をはじめ様々なお立場でご活躍になり、現在は日本大学でさらにそれを深められておられます。
特にいま、コロナウィルス感染禍で人々の生活が大変ですが、それにも関連する「居住支援」の問題に深く関わっておられる方です。

今日はこのお二人と牧嶋さんに三つどもえでお話しいただきたいと思います。
では早速ですが、お二人に牧嶋さんとの接点と、『福祉と住宅をつなぐ』の、どこが一番印象的だったか、まずその辺りをお話しいただこうと思います。高橋先生お願いします。

高橋牧嶋さんや大牟田とのつきあいは私よりは白川さんのほうがフレッシュだと思います。
また白川さんは行政官を経験され、地方にも出向された経験もおありです。
牧嶋さんは普通ではない公務員キャリアを積んでこられたので、まず白川先生から公務員の文化について触れていただければと思います。

苦労や使命感が行間からにじみ出ている本

白川牧嶋さんとの付き合いは10年ぐらいでしょうか。
厚生労働省の研究事業をやっているときに、仕上げの段階で視察に行かせていただいて初めてお会いしました。その当時、我々が構想していたことを、すでに現場でやろうとしている人がいたという感激は今でもはっきり覚えています。

当時は、住宅行政は都道府県行政だという常識がありました。
そのなかで居住支援協議会を大牟田市がやる。なぜやるのか?「それは地域包括ケアシステムだ」と建築の人が言っている、というよく分からない状況に遭遇したということです。それ以来、いろいろなシンポジウムやプロジェクトでご一緒しています。
我々だと、政策論はデータを使ったり理屈など少し空中戦的なお話をして、理解していただく。そこから生々しいところに入っていくのですが、直接現場で捌いているわけではないので、生々しいお話ができない。そこで牧嶋さんが登場して、すごくリアルな写真も交えてお話しをいただく訳です。

現場の重みが伝わってくるお話ですので、かなり苦労されている部分が、現場の人たちにすごく響く。そのバックグラウンドとして何があるのだろう、何をしてきたからこんなに説得力のある話ができるんだろう、そこが見えてくるのが、この本の一番響いてくるところだと思います。

実際、やった人でないと分からない部分が、書かれていることもそうですが、苦労であったり、苦労しながらも使命感であったり、そういった部分が行間ににじみ出ている本だと思います。

高橋先生からお話があった公務員文化については、私も市役所に2年間おりましたが、市町村というと規模が小さいから連携しやすいと思われるかもしれませんが、規模が小さいだけに業務がきちんと決まっている、縦割りの傾向もあるんじゃないかと思います。へたしたら隣の係が何をしているのかにも、全く関心がないこともあります。そういうなかで、とくに専門職の方が分野を跨いでしまうというのはドラスティックだと感じます。
一般的ではないと思いますが、そこから複眼的にいろんなことを見ていって新しい発想が生まれてきたんだろうと思います。

今回は福祉と住宅ですが、他の分野でも政策課題を1つのセクションだけで解決できる時代ではなくなってきていると思いますので、福祉と住宅に限らず政策課題を横断的に捉えるとはどういうことなのか、という少し広い問題意識を持ってこの本を読んでいただくのも大事だと思います。

大牟田の公務員文化は面白い

園田では、高橋先生はいかがでしょうか。

高橋牧嶋さんと初めておめにかかったのは何時でしたっけ。

牧嶋高橋先生と直接お話しさせていただいたのは、大牟田に立教大学の学生さんをつれてこられたときだと思います。

高橋大牟田に行ったのは介護保険法の初めての改正のころでしたね。その時にはお目にかかれず。牧嶋さんが本で書かれていて、整備に傾注された小規模多機能居宅介護ができる直前です。

当時、大牟田には大戸誠興さんという牧嶋さんをしごいた上司がいて、その方に呼ばれてお伺いしたのでした。本で拝見しましたが、あのしごきかたは凄いね。
「私の代わりに講演で話してきなさい」。「まだ、異動になって4ヶ月もたっていません」と牧嶋さんがいうと「4ヶ月もたったじゃないか」という答えが返ってくる。
これは人を育ててくれる得がたい上司に巡り会ったということだと思います。しごきすぎると今風にいえばパワハラになるけれど、そうではなく、大戸さんは「こいつならできるぞ」育て甲斐があると思ってしごいていたはずです。彼はそういう人だと思っていました。
この話もそうですが、その他、牧嶋さんの本の話にも現れていますが、大牟田市の公務員文化は興味深いです。

たとえば2017年に牧嶋さんたちは夕張に行っておられますよね。夕張はなぜ財政的に破綻したかというと、元の町の姿に戻そうとしたんですよ。そのために夕張メロンとか映画祭とか、いろんなイベントをやって、街の復興を目指して努力した。
公務員が無能だったから失敗したんじゃなくて、優秀だったから失敗したのだと思っています。
ただ、元の姿に戻そうとしたことが間違いだったと思います。日本では、これから人口減少が本格化するのに、高度経済成長の時代に戻りたいとおもっていますよね、これでは夕張の失敗が全国化します。

大牟田は夕張とおなじような状況でしょう。基幹産業が衰退して、夕張ほどではないけれど、人口が半減して、高齢化率は市のなかでもっとも高い水準ですね。とすれば夕張の状況を見学しておこうというのは大牟田スピリットですね。

大牟田の場合は与えられた条件を現実的にうけとめ、財政が悪いのなら公務員の仕事はチームで知恵を出すことだというふうに考えたのではないですか?

牧嶋そうですね。

高橋条件の悪い中でどのように知恵の出し比べしてきたかがこの本の大事な読みどころで、財源はないけれど、知恵を絞るとこういうふうに政策を実現できるようになるよということだと思います。この本には、公務員だけではなくて、これから地域づくりをやる人にとってはとても示唆的な話が沢山書かれていると思います。

大牟田市には職員自ら手弁当でやるという文化がありますね。牧嶋さんの本のなかには二人分の出張旅費なのに、四人で負担を分け合って視察に行ったという話も出ています。財政が悪化すると出張禁止令をだす自治体も多いのに、大牟田に閉じこもるだけでは無く、見聞を広げながら大牟田の立ち位置を考えるというスタイルを大牟田市の職員はどこでどう身につけたんですか?

公務員らしくない公務員のあり方

牧嶋使命感…どうでしょう。障害者の方のお家に住宅改修の相談に行くじゃないですか。そうするとそこにお母さんがいて当事者がいる。お母さんは「子供より先には死ねない」と、子どもたちの自立をどう考えたら良いのかと悩んでおられる。我々、行政が手の届かないところで将来を見据えて大変な苦労をされている。まさに現場にいろんな問題がある。
自分たち公務員の仕事を振り返ると、一定の給料を貰いながら既定路線のなかでやっている。そうしたなかで今の自分に何ができるんだろうと考えた時、一人ひとりの市民がそこに住んでよかったと思えるようになっていただきたいと思いました。そのためには、その人に寄り添うしかない、その人のために政策、施策、事業を作り上げなきゃいけないと感じました。

四人で和歌山に出張に行った話も、皆が「俺も行きたい」と言ったからです。誰かが行って報告するというのではなくて、自分たちの目で見て感じたものを形に残していこうと皆が思ったからだと思います。
夕張の時も「ちょっと北海道旅行に行くけどみんな来るか?」という話で、皆、自腹で参加してくれたんです。
自分たちが役所の職員としてどうあるべきかを、いろんな人たちと共有してきたように思います。
僕は褒め言葉として「公務員らしくない公務員」と言われてきましたが、凄く嬉しかったんです。嬉しかったんですが、私のなかでは「俺、普通かな」って思っていました。
これがたぶん、お金がない自治体にとっての、公務員のあり方かなと思います。

ネットワークで動く

園田「公務員らしくない公務員」に皆がなると面白くなるということですが、高橋先生はどう思われますか?

高橋「公務員らしくない公務員」と同時に、福祉専門職らしくない専門職がいたり、それからプロフェッショナルな地域住民もおられるよね。白川地区で地域活動をしている白川病院の猿渡進平さんも、医療ソーシャルワーカーだけれどもコミュニティソーシャルワーカーだよね。
そういう意味で、縦割りという話と同時に、一人の人がいろんな役割を地域でもっている。最終的には地域の現場で起こっている問題にどう向きあうのか、です。あるいは北九州の奥田知志さんの言葉を借りると、「どう伴走するのか」が大切になる。
同時に、介護事業でいえば大牟田市認知症ライフサポート研究会の大谷るみ子さんのようなカリスマのような方もおられるけれど、一人ではなくてネットワークで動いているように拝見します。このようなネットワークで動くという文化は何が由来なんでしょう?

牧嶋分かりません…でも、お酒かもしれません。
白川先生との最初の出会いもボロボロになるまで飲んだ記憶しか僕はないんですが。(笑)

白川そうですね。なんか、結構味のあるところで飲みましたね。私もお隣の佐賀の出身なのでお酒のみ文化は近いのかなと思います。

私は不動産関係の方とのお付き合いもありますが、天性のソーシャルワーカーみたいな人がいるんです。牧嶋さんもそのタイプかなと思います。
技術というより目の前に個別の事例があると、資源を使ったり作ったり、組み合わせたりとかができる。福祉的なことを専門に習っていないはずなのに凄くうまくやっているというパターンもあります。
農業政策でも、後継ぎがいなといっているおじいちゃん、おばあちゃんの田んぼをどうするんだ、みたいな話をケースワーク的、ソーシャルワーク的視点で取り組めるかもしれない。牧嶋さんは、それを住宅を軸足にやってきて、こういう形になっているのかなと思います。

園田牧嶋さんが建築職でありながら福祉職に転じて、白川さんがおっしゃったように市全体のソーシャルワーカーのようになって、いろんなところとのネットークを縦横無尽につないでいかれました。その点は『福祉と住宅をつなぐ』を読んでいただくと背景も含めてよく分かっていただけると思います。

自分で自分に辞令を出す公務員

高橋仕掛け作りをして、いろいろなものを動かしていくというのがソーシャルワークの本来もっている意味です。
戦前だと、社会事業です。これも忘れられているんですが、社会事業の時代には大月敏雄先生が研究されているように住まいと生活、様々な資源に事欠いていることへの対策を包括的にやられていた。しかも、そこに教育も入っていた。同潤会の不良住宅改良事業でやったことですが、その話を大月先生を交えた鼎談でしていたら、それに参加してくださった祐成東大准教授が教えてくださったのですが、当時の内務省には、共通の文化が官僚達にあったと言うんです。
たとえば、当時内務省に入ると「田園都市構想」を必ず読まされた。それが官僚達の共通の理解になっていた。いまの役所は個別事案についての話はたくさんしていても、政策のバックグラウンドや哲学になるような共通の文化がない。

それが大牟田では現実の課題に即しながら共通理解が生まれているんじゃないか、と思います。
ところで、牧嶋さんは実に良いときに「俺は高齢者福祉をやりたい」と言われている。たしか2005年に異動希望を出されて2006年に異動されていますね。絶妙なタイミングだった。

地域密着型サービスを提案し、地域包括ケアシステムを概念として初めて政策として使ったのは、当時この改革をやるために老健局がつくった「高齢者介護研究会」です。そこで議論したのは、早めの住み替えとか、在宅サービスをやる以上は、そこで生活を営んでいる器としての住まいが大事だということでした。
まさにそうした時期に、それまで市営住宅などの住宅施策でいろんな面白いことをやっていた牧嶋さんが福祉部門に移られた。

牧嶋さんは「福祉って暮らしじゃないか」とこの本の冒頭で書いてらっしゃるけれど、暮らしをつくるために建物屋からソフト屋に自分で自分に辞令を出したのはエライと思っています。
どんなところに行っていたって、自分がやりたいことを決めて、それについての研鑽は怠らないというのが、厚労省でも何本かの指に入る優秀な官僚たちの発想様式じゃないですか。そして戻ってくると、その間にためたことをバーンとやる。これが、優秀……というか、変な官僚といったほうがいいかもしれないね。
現在は、政治家が忖度を求め、信念のある、変人、奇人が居づらい世界になりつつあるのが残念です。これからの疾風怒濤の時代こそ、変人奇人が必要な時代(官僚だけではなくあらゆる組織で必要になっている時代)
そこに牧嶋君はちょっと一足先に現れたんじゃないか。介護保険という大変大きな改革に、そんなことは知らずに異動したいと手を上げて、この改革に巻き込まれたという実に運の良い人だと思っています。

白川さん、優秀な公務員は「自分で自分に辞令をだす」ところがないですか?

白川希望は聞くだけは聞いてはもらえますが…ちゃんと考えてこうしたいということがあれば人事にも伝わるし、そういう人に限ってほしいと言われるわけです。
「楽したいから」といった人事異動の希望が通るような甘い世界ではないけれど、欲しがられる人材がちゃんと考えて出した希望であれば、組織にも響くと思います。

居住支援とは何か

園田ここで一区切りして居住支援を話題にしたいと思います。
ただ、この対談をお聞きの人のなかにも居住支援とは何かを知らない方もおられると思います。牧嶋さん、居住支援とは何かを説明していただけますか?

牧嶋現場的に言えば、住宅を確保するために必要な連帯保証人の確保や不動産事業者との調整などの入口支援に加え、入居された後の生活の支援までやっていこうというのが居住支援だと思います。

高橋白川さんにフォローいただくことを前提に少しおおまかな話しをまずはしましょう。

日本の社会保障は、住まいと住宅、福祉が泣き別れしているのです。
住まいが確保できない人は施設に入ってくださいという仕掛けでずっとやってきた。ですが施設は何か目的があってそれを達成するためのもので、基本的には保護する場所です。昔、特別養護老人ホームの施設長をやっていた人から「昭和生まれの人が入るようになって、我が儘で困る」と聞いたことがあるのですが「それは当たり前じゃないですか」と言いました。四人部屋が当たり前の時代でしたが、これからは個室で育った人が入るわけです。だから施設じゃなくて住まいである必要がある。

また、これから高齢や障害や様々なハンディキャップを持った人も地域で暮らすケア・イン・プレイス(地域居住)を推進する、地域で過ごしたほうが幸せだよね、ということです。
ターミナルケアも病院での看取りが普通になっていますが、いまコロナになると一人で死んでいかなければいけない。いや、そうじゃないんじゃないか、という議論があって、住まいと施設の境界をなくそうということです。ですが日本では病院依存のために、拘束をはじめ、非常にひどい人権侵害もどきが起こっている。

コロナのリスクが大きい人は高齢者ですが、それ以上に、若い女性で多く、自殺率が上がっている、また、孤立化・孤独状態の程度が進んでいる。コロナが流行り始めた頃、僕のかかりつけのお医者さんが2年後が恐ろしいと言っていました。お元気だった高齢者が認知症になるだろう。ソーシャルディスタンスの強制のために孤立化し孤独化していく。
そうするとクラスターが発生しやすい相部屋ではだめで、やはり個室を確保し、その上でソーシャルディスタンスを避け、関係性を継続できる住まいじゃなくてはダメなんです。

居住喪失のリスクは経済悪化によっても発生しています。居住を喪失した人には10万円の給付金もこなければ、ワクチンの接種券もこない。社会が排除しているわけです。
これはとても深刻な話なんですが、それを回復するためには、まず住む場所を用意するということが前提です。牧嶋さんは市営住宅の管理運営をやっておられるときに、そうした問題と対面されたのではないでしょうか。

これからが居住支援の本番です。地域包括ケアでは「住まいと住まい方」と言いました。牧嶋さんは「福祉は暮らしだよ」と言われたけれど、人間の生存のレベル、暮らしの維持のためにこそ住まいの確保が必要になってします。
持ち家だってローンが払えなければ追い出される。借家の場合、収入が減って今までの家賃を払えなくなることもある。障害や高齢による居住の難しさと同時に、そういう意味での居住喪失、コストを払えないというリスクは一部の階層に限られず、その範囲がどんどん大きくなっていく時に、住まいに関わる社会保障はどうしたらいいんですか?白川さん?

福祉と住宅政策が、らせん状にねじれ合い1つの方向を織りなす

白川まず居住支援とは何か、という最初の問いに答えてみたいと思います。
いろいろなプロジェクトで自治体の方とお話をするのですが、「「居住支援とは何か」とは何か」というメタレベルの問いがいくつもあると感じます。
なぜかというと福祉の人と、住宅の人で「居住支援とは何か」でイメージすることが共通言語化できていないからです。それを共通言語化するためにどう説明すればいいんだ、ということが、まだ答えが出ていません。できればこの夏休みに考えたいと思います。

「「居住支援とは何か」とは何か」を考えたときに、牧嶋さんが言われたように施策レベルで、どういうディメンションで捉えるのか、どういう切り口で支援がありうるのかという話もあれば、対施設であったりとか、もう少し暮らし寄りの部分でどう捉えるかという話もあると思います。
行政官だった私からみると、住宅政策と福祉政策が、いままでお互いを他人事だと思っていたのが無視できなくなってきているのが大きいと思います。

住宅行政は住宅供給が目的ですね。住宅セーフティネット法でいろいろ仕組みができていますが、あれは住宅供給という目的のために手段として居住のためのいろんな支援をしましょうということです。
一方、福祉サイドは在宅でいろんな支援をするのが良いと言っているけれど、それは住んでいる人のお家にいくということです。ではそもそも住めない人のことをどうするの?というところは、住宅行政の問題ですと言っていました。だけど、地域共生でもなんでも、地域をクローズアップしていくと、住める、暮らせるということを無視できなくなっているということです。
このように福祉からは住宅供給は手段、そこでどう暮らすか、を作り上げることが目的です。だから住宅行政の手段と目的と、福祉行政の手段と目的が実はねじれているのですが、DNAのようにねじりながららせん状にぐるぐる混ざり合って、1つの形を織りなすような方向に向かっていると政策論的には理解しています。

住まいと住まい方という話がありますが、「住まい」と「住まい方」の2つを足しているんじゃなくて、「住まいと住まい方」で1つなんだということです。住まいが安定すると、精神面であったり、生活のリズムであったり、活動が目に見えて変わってくるという話を現場でよく聞くんです。
だから住宅だよ、暮らしだよと別々にいうのではなくて、データ化して論証することはできないけれども、住宅というハードが住んでいる人に精神的な、あるいは活動面で大きな効果がある。

そういう意味で、居住が安定しないということは、その人の住む場所だけではなく、その人の人間の尊厳を根こそぎ奪ってしまうという根源的な問題だということを、居住支援に当たる人は認識して欲しいと思っています。

たくさんの生活課題解決の入口

園田「居住支援」のご説明をいただき有り難うございます。
では、もう一度元に戻って牧嶋さんの思う「居住支援」について、できるだけ分かりやすくお話いただけますか。

牧嶋昔は物事がシンプルで単一部局で解決できたんです。
でも居住支援といっても一人の人が抱えている問題は1つではなく、3つ4つ、いろんなことを抱えています。役所のなかでも複雑化、高度化、多様化という言葉をよく使いますが、まさに生活のなかで入り乱れた問題を1つ1つ解決することが居住支援の先にあるんだと思います。そのためには入口のところで安定した住まいを確保し、その人に寄り添いながら、絡み合った糸をほぐしていく作業を今やっています。

4月から居住支援の現場で相談業務をやっていますが、とくに母子世帯の方は、ここまであるかという問題を抱えた方が結構いらっしゃいます。子育ての問題、DVやストーカー、そういう問題がある。母子世帯の一人の人に対しても4つ、5つの生活課題がある。その生活課題を解決するために入口となる住まいを提供する作業をやっているところです。

園田『福祉と住宅をつなぐ』の90ページに地域包括ケアの絵が掲載されていますが、日本にはいろんな社会福祉の制度があるんだけれど、そういう制度化されたものが生きるためには、白川先生が言われた「住まいと住まい方」がペアになってベースにある。
地域包括ケアの説明に良く出てくる植木鉢の図がありますよね(ex 地域包括ケア&植木鉢で検索)。

いままで家族や地域が持ちつ持たれつでやってきた「土」の養分の部分があまりにも枯れてしまい、そこをどうしたらいいのかが、この20年の社会状況の変化のなかでクローズアップされてきました。リーマンショックや震災があり、ここに来てコロナ禍です。
牧嶋さんはいま大牟田居住支援協議会の事務局長さんですね?
日々、さきほど分かりやすくお話いただいたことを実践されているのではないですか?

牧嶋はい、いつも現場です。

園田そこの問題はらせん状でぐるぐる回っていて、これは住宅、これは福祉と分けられるような問題ではないというところが、居住支援の立ち位置ということですかね。

住宅扶助だけでも出せるようにすべき

高橋私が痛感しているのは最低生活保障の仕組みである生活保護制度が、ある意味フリーズしていることです。大問題です。
白川先生は生活保護の住宅扶助を生活扶助とセットにしないで、単給化しろと主張されていますが、私もそう思います。最低の生活保障がないためにいろんなところで糸が絡みあっている。実はきちんとした住宅保障をすれば糸がほぐれるきっかけができるのに、それがなかなか見つからないような構造になっている。制度が老朽化しているんだと思います。

だからといって公営住宅を増やせという話を一部の人たちが長い間やっていましたが、牧嶋さんが市営住宅の建て替えでチャレンジし苦労されたように、民間の賃貸住宅業界との協力が大事なんです。空き家もそうですね。空き家が増えていることは、市営住宅を建てても解決しないので、空き家をどういうふうに社会的、地域的に活用するのか、大牟田はすでにたくさんの事例、チャレンジをされている。その仕掛け人の一人が牧嶋さんです。
総力戦をやらなければいけない。公共的責任だといって税金をつっこめというだけの話じゃないぞ。市場も需要が小さくなれば関係者は食えなくなるので、それをどうしたら良いか。
そういうなかで社会保障のファンダメンタル、基本になるところを見なおすきっかけも、居住支援という柱を立てることにあるのではないかと思います。

母子家庭などのシングルファミリーもそうですね。貧困化にあえいでいることは、いろんな家計調査等をみても明らかですし、雇用も非正規雇用が多い。子どもを育てる養育と働くこととのジレンマがある。しかも孤立化、孤独化に対応できていない。そういうことを含めて矛盾がシングルファミリー問題に表れている。普遍的にいろんなところで起こっている問題なのですから、利害関係をこえて取り組むべきです。
社会保障ってなんなんだろうかを考える切り口を居住支援というものの見方が与えてくれるのではないかと思います。これもやや難しい話ですか?

空き家対策にどう取り組むか

園田牧嶋さんや白川さんが取り組んでおられる空き家を活用するというのが、1つの突破口ではないでしょうか。
空き家活用について、どうお考えですか。

牧嶋大牟田は最盛期の人口が20万5000人でした。一部の住宅はなくなっているのですが、大規模な町を前提としたインフラが残っています。4年間、医療の現場を経験させて貰いましたが、急性期の病床を含めて、医療資源もまだいろいろ残っているんです。

だから住宅も考え直さないといけない。他の自治体と比較しても、炭鉱が栄えたときに建設されたものも含め、公的住宅の割合が高すぎる。民間の住宅を圧迫しているように見えます。
また大きな町であったからこそ、子どもたちが大都市に出て行っている。残されたお年寄りが亡くなると、どんどん空き家が増えてくる。単なる空き家という視点だけではなく、「町」の問題として空き家を捉えないといけない。空き家を使う人は誰かを考えた時、困っている人たちが目の前にいるのであれば、その人たちに手をさしのべてあげられたらいいのではないのか、と思います。
空き家対策はマチ全体を見ながら、わが「町」の課題として取り組まれたほうが良いと思います。

白川大きな分岐点が2つあります。居住支援といったときに、住宅が足りない状況なのか余っている状況なのかがまずあります。
足りないなら、何らかの形で建てなければいけない。でも今は余っている状況なので、建てろという話にはもちろんならない。
それが前提としてあって、一方で、困っている人たちがいるので、空き家とのマッチングをどうしていくかが大きな問題だと思います。

空き家を活用しましょうといったときに、良いことなんだから分かってくれるよね、という姿勢ではなく、不動産のオーナーさんにもきちんとご納得いただける形をどうやって福祉の力でつくっていけるのか、です。
いろいろな自治体で不動産のオーナーさんや業者の方に「どうして貸したくないのですか」「どうしたら良いですか」といったアンケートをやっていますが、ほぼ傾向が見えてきています。解決策自体はそんなにバリエーションはないと思います。

オーナーさんに泣いていただく話ではなくて、お互いに良い関係、お互いにメリットがある形をきちんとつくる、その前に向きあってお話をしていくことだと思います。単に空き家をどうしようということではなく、牧嶋さんのお話にあったように、町をどう描くかと関連しているんだよということも含めて考えていくことが大事だと思います。

福祉の人にとっては住宅業界の人は異分野なので話づらいかもしれませんが、少なくとも私が見聞きしている範囲では、勇気をもって色んな人と向きあって話すことをちゃんとやったどうかで、その後、うまく回るかどうかが、断然違うと思います

向きあって、お互いにメリットがある、そして個人的な損得の話を超えてまちづくりとしてどう考えようかというお話をしていけたら良い方向に向かうと思います。

また、地域住民のイメージをどう描くかが、これから変わっていくと思います。
住宅土地統計調査を見ていると、60代以上の人の持ち家率は80%程度で来ていますが、40、50代の持ち家率が下がっています。住宅ローンは30年とか35年で組みますが、就職氷河期世代とか、正社員になれなかった人たちが多い世代だということを考えると、持ち家の人がマジョリティであることは変わらないけれど減っていく。加えて退職しましたとか、配偶者が亡くなって遺族年金になったといった収入の変化によって人は流動的になっていくと思います。

持ち家が8割なんで「ちょっとだけでしょ、賃貸の人は」というのではなくなり、賃貸の人が増えて人の流動性が高まっていくことを前提に地域のあり方を、地域がその人たちとどう関わっていくかも含めて、考えていく必要があると思っています。少し長い目で見た話ですが。

住宅は暮らしを包み込む風呂敷

園田時間が来てしまいました。この本の『福祉と住宅をつなぐ』というタイトルが今日お話いただいたことと凄く関係があると思います。
牧嶋流にいうと福祉は暮らしです。住宅は暮らしそのものを包み込む風呂敷です。
さまざまな人や世代、経済状況、あるいは一人の人のなかでもいろんな局面があるわけだけれども、その時々にいろんな人たちがどう折り合いをつけて(支援して)いくのか、ということを牧嶋さんはこの本の『つなぐ』に込められていると思います。
たくさんの方にこの本を読んでいただいて今日の話題を発展させていただければと思います。

今日は、高橋先生、白川先生、有り難うございました。

視聴者の皆様も是非この本をお読みいただいて、福祉と建築、まちづくりのあり方を、皆で変えていけますように、よろしくお願い致します。

『福祉と住宅をつなぐ 課題先進都市・大牟田市職員の実践』牧嶋 誠吾 著