旧築地市場跡に眠る大名庭園『浴恩園』と松平定信公が伝えることーそれは渋沢栄一が物語っている

主催 比較住宅都市研究会
※詳細は主催団体等にお問い合わせください。
  • 日時:2024年7月11日(木)18時30分~20時30分
  • 会場:東京都立大学同窓会 八雲クラブ ニュー渋谷コーポラス10階 1001号室 渋谷区宇田川町12-3
  • 参加費:会場…1000円、ネット参加…600円
  • 詳細・申込:http://home.g08.itscom.net/ebizuka/

内容

築地市場が移転し、旧築地市場の跡地の開発が動き始めた。しかし、そこには歴史的大名庭園が眠っている。東京都埋蔵文化財センターによって試掘調査が行われ、その存在は明らかになっている。この庭園は「江戸幕府で老中を務めた松平定信(別称・白河楽翁1759~1829)が隠居後の居を構えた浴恩園(陸奥国白河藩江戸下屋敷)があり、東京都旧跡浴恩園跡として文化財指定されている」。1794~1795年ごろに庭園は完成して後、1829年の文政の大火で焼失したが、多くの書物にその姿が記録されている。明治維新から大正期には海軍省用地として利用され、二つの池と築山は大切に保存されていた。しかし、関東大震災後は、日本橋にあった市場がこの地に移転し築地市場として1935年より利用されてきた。定信の様々な政策は、特に福祉事業と経済政策に感動し心酔した渋沢栄一翁によって広められ顕彰され、明治維新以後の都市づくり、人づくりに大きく貢献した。今、この浴恩園の再生をあらためて広め再生されることを切望する。
現在の東京都は、水の都とも呼べる。水源である山々があり、東京湾へと注ぐ川の周辺には、山の暮らしがあり里山があり、丘陵・崖線があり、そこには多くの郊外住宅地があり、都市が集中する下町がある。それらは江戸時代から玉川上水によって繋がれていた。湾岸には高層ビルとともに数々の潮入大名庭園、東京湾に深く関係する商工業、沿岸漁業がある。自然と共生する東京の未来は、こうした一連の資源の中に展望することができる。

報告者:
丸谷博男氏(エーアンドエー・セントラル代表、エコハウス研究会代表、築地市場跡地再開発『浴恩園』を再生させる会共同代表)

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