海と共に暮らす集落のふるまい――三陸沿岸漁村の残存集落から学ぶ-|連載『海際から描く、くらしの教養―生活・生業・技術・文化―』

この連載について

島国である日本は古くから、海を積極的に活用しながら暮らしを成立させてきた。
本連載『海際から描く、くらしの教養―生活・生業・技術・文化―』では、海際に位置する地域が育んできた生業・技術・文化などを「暮らしの教養」と捉え、学びなおしながら、海際の未来を探っていく。

※本連載は日本建築学会海際文化小委員会のメンバーを中心にリレー形式で記事を掲載する予定です。

東日本大震災以前の日本の豊かな漁村景観を考える

2011年3月11日、日本列島は大きなインパクトを受けた。当時大学4年生の筆者も、ただならぬ揺れとその後の社会の変化を今でも克明に覚えている。

自身は大学を卒業した段階で、4年生の集大成の卒業制作はたまたま宮城県気仙沼市の沿岸部を対象としていた。

学びの成果を総動員した卒業制作の対象敷地は、3月11日に全てが更地になる。建築を勉強した4年間を活かして何かしらの貢献ができたら、と思うのは必然なのだとも思う。

こうして、大学院進学後、筑波大学の貝島桃代准教授らとともに被災地復興に関する取り組みに汗を流すことになる。

建築家による復興支援ネットワークArchi+Aidの被災地支援チームの一員として、防災集団移転促進事業や漁業集落防災機能強化事業などに取り組みつつ、修士論文では三陸沿岸漁村の民家・集落調査を行った。実践と研究の両側面から、その地にあった漁村集落の姿に思いを馳せた修士時代であった。

三陸沿岸残存漁村の空間構成

博士課程で三陸沿岸集落調査を蓄積する中で、1951年の三陸沿岸の姿を伝えるジョージ・バトラーのHPに出会う。この地で営まれてきた暮らしについて考え直した瞬間だった。

筆者は宮城県石巻市に育ててもらった、と今でも思う。2013年から2020年にかけて桃浦地区住民らと取り組んだ、漁師や住民を増やす「牡鹿漁師学校」は地域活性化の一翼を担ったし、その理念は「石巻市水産業担い手センター事業(一般社団法人フィッシャーマン・ジャパンが運営)」に引き継がれて現在まで継続されている。

また、2017年に一般社団法人ap bankを施主に迎えて企画設計施工を行った「もものうらビレッジ」は現在でも地域内外をつなぐ地域拠点として運営されている。

以上のような活動を蓄積すると同時に、地域の魅力を更に伝えるためには広い視点で関わる地域を捉える必要があると感じた筆者は、三陸沿岸という規模で景観構造を把握しようと、三陸沿岸残存漁村調査に取り組んできた。

日本全国の集落は気候風土に長い年月をかけて適合しながら、生業を主とした生活行為の影響を受けて発達してきた。三陸沿岸漁村では更に、度重なる津波被害の影響も色濃い。筆者は三陸沿岸を幾度となく巡り現地踏査を重ね、三陸沿岸漁村の残存集落に関する4類型を見出した。

1つ目がそもそもの地形が高地になる場合、2つ目が過去の津波被害から住民らが工夫して有効な土地利用を行なってきた場合、3つ目が大規模土木技術により被害を免れた場合、4つ目が過去の高地移転の成果として流出を免れた場合、である。

ここからは、それら各類型の豊かな地域を紹介していく。今回紹介できるのは三陸沿岸に残る集落のごく一部であるが、この連載を見たみなさんが、豊かな海の文化を有する諸集落に幾許かの魅力を感じてくれれば幸いである。

三陸沿岸漁村の魅力あふれる集落の紹介

① 三陸沿岸に残る美しい高台の集落|宮城県大須浜集落

三陸沿岸を車で走っていると、狭い路地に所狭しと家が並ぶ素敵な光景に出会う。高台に位置して津波被害を免れた集落は三陸沿岸で数えるほどしかないのだが、この美しい風景の中を歩くと多くの気づきがある。

家の目の前の水道や至る所にある漁具、共同井戸に石垣が織りなす風景など、生き生きとした暮らしの履歴から、三陸沿岸にかつて広がっていたであろう海の目の前の風景に想いを馳せる。石巻市雄勝半島の大須浜は、そんな魅力の詰まった集落である。

高台に位置し過去の津波被害が極めて小さい大須浜では、明治期から昭和初期にかけての建設と考えられる伝統的な民家が多く残存しており、屋根や壁に天然スレートをあしらった建築物群が集落を彩る。集落内にある民家や板倉、漁具倉庫、石垣など、漁村風景を楽しむことができる。

図3:大須浜集落の伝統的な建物や構造物群(筆者撮影・作成)

② 過去の土地利用により被害を免れる:陸前高田市根岬集落

過去の津波被害を反省し、低地への再定住を頑なに拒んだ集落も存在している。住民の自発的な高地移転などの土地利用により被災を免れた根岬集落は広田半島の南端に位置する。

明治期の根岬集落の地図を見ると、海の目の前の居住と、地形にあわせた居住が確認できる。明治津波と昭和津波が集落を襲った同地区では、集落全体で昭和津波の教訓を生かして、上へ上へと居住域が移されていった。明治津波後の低地への再定住は一度みられるものの、昭和津波以降は確認されなかった。

なぜ低地への再定住が起こらなかったのだろうか?
その要因として、集落内の取り決めと半農半漁のライフスタイルが指摘できる。集落の古老は、「昔すごい人がいて、その人が模範になったんだ。」と、集落内の取り決めが遵守されていたと話す。

また、同地区は古くから被災地域の畑も各世帯が利用しており、低地部を畑とすることで再定住を防いだ可能性が推察できる。根岬集落には昭和初期に建てられた民家や土蔵などが見られ、広い海への眺望を楽しむことができる。

図4:根岬集落の風景(筆者撮影)

③ 巨大防潮堤が集落を守る:岩手県普代村太田名部

巨大な防潮堤が築かれた岩手県下閉伊郡普代村太田名部は、東日本大震災での住宅被害を免れた。そのため、防潮堤を抜けるとさまざまな年代の建物が思い思いに立ち並ぶ風景に出会う。まるで東日本大震災などなかったのかのように、集落内には家々が密集している。

高台ではなく平地に形成されている集落では、家のすぐ隣に築100年は超えるであろう漁師小屋が確認できる。大きな庇に包まれたこの建物をじっと眺めていると、軒下にたくさんの竿や漁具があり、金属の釜のようなものも見える。網仕事をしている漁師に聞くと、これはすき昆布という地元名産品を加工するための小屋だという。

集落内に存在する様々な年代に建てられた漁師小屋には、生産の種の作業効率性により最適化された、共通する平面計画が存在していた。

図5:普代村の昆布小屋(筆者撮影)
図6:図解・昆布小屋(筆者研究室作成)


乾燥室と昆布洗い場、作業場があり、それらが隣接や三角形を形成する平面計画となっている。

昆布は雨に濡れると変色してしまうため、収穫後すぐに大きな軒下空間に車寄せされる。収穫した若いワカメを茹でたら室内の作業場に移し、機械で5mm程度に細切りにする。手作りの網枠に昆布を敷き詰め、乾燥室に持ち込み乾燥させる。乾燥室のファンを回して湿度を下にさげ、通気口にて外に吐きだすことで、温度と湿度をコントロールする。

以上のような、極めて機能的な風情と個性が溢れる小屋が多く立地している。

④ 過去の行政主導の高地移転が村を守る:岩手県山田町船越

過去の集団移転の結果、東日本大震災での被害を免れた地域も存在している。それら地域は長い年月をかけて周辺環境に溶け込み、高台移転地と一見して気付かないものも多い。

岩手県山田町船越は過去3回の津波被害からの高台移転が行われており、明治、昭和、東日本大震災の3つの高台移転地が連続している。車で地域を走っていると、突然街の風景が変わる不思議な経験をすることになる。

図6:船越地域の年代別移転地(佐藤研究室卒業論文(磯貝由奈)より抜粋)

それぞれの時代の敷地を調べてみると、明治と昭和の移転地はほぼ同じ敷地面積なのに対して、東日本大震災後は大きな面積が取られていた。また、フェンスや塀をみると、明治の移転地では境界は少なく、時代が下るにつれて多くなる傾向にある。

建物をみると、矩形が多い東日本大震災後に対して、明治では増改築が施されたL字平面、昭和では母屋と納屋を接続したような変形平面の建物が確認された。時代による暮らしの変化から学ぶことは多く、いろいろと考えさせられる。

漁業が織りなす美しい三陸の風景から学ぶ「暮らしの教養」

三陸沿岸を車で走っていると、どうしても大きな防潮堤、新しい道路や建築物に目が行ってしまう。同時に、とても長くそして尊い、海と共に生きた暮らしの痕跡も見え隠れしている。その地で暮らしてきた歴史や文化を探索するように三陸の海を巡るのも、おすすめである。

今回紹介したいずれの集落にも共通しているのは、暮らしと漁業が集落を形作っている事実である。どの集落にも周辺環境を生かしながら生業を効率化しながら、日々の暮らしの中の楽しみも実現するような工夫が見られる。

行なわれている漁業種によって集落空間の特徴は異なるし、漁業と暮らしの最適化のためのトライ&エラーが存在している。その結果としての集落空間には、多くの共通項が内包している。同じような構えや設えを発見したら、それには何かしらの理由がある。ぜひ、立ち止まって観察して、時には住民との会話の中でその理由を探索して欲しい。

生活と仕事、という視点で地域を見ると、その気候風土で営んできた暮らしの知恵が見えてくる。そうした人々が織りなす風景はその街の個性として来訪者を楽しませてくれるし、我々現代人が学ぶことも多いのだろう。


謝辞:本稿の内容はJSPS科研費17K12865, 21K18012の助成を受けたものです。


※2025/12/07-14に日本建築学会農村計画委員会海際文化賞委員会メンバーの確認を得たのちに掲載

執筆者プロフィール

佐藤布武(さとう・のぶたけ)

名城大学理工学部准教授。一般社団法人生活民芸舎主宰。1987年千葉県生まれ。筑波大学大学院修了。博士(デザイン学)。学生時代から宮城県石巻市の東日本大震災の復興支援に携わり、漁業の後継者育成や宿泊交流推進事業などに携わる。「もものうらビレッジ」にて東北建築大賞受賞。また、名古屋の大学に勤めながら長野県塩尻市木曽平沢との二拠点生活を行う。ものづくりの作家作品が集うクラフトシェア商店「土ーとおいち」と、ものづくりとシェアベース「タカキヤ(SDreview2025入選)」を経営。他にも日本各地で建築を通した地域活性化に携わる。専門は集落研究。

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