第19回「高速道路は時代遅れになる⁈(1)――解体、拡張/延伸計画の中止急増」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
初の撤去事例となったハーバードライブ
高速道路撤去の初期の事例は、ポートランド(オレゴン)のハーバードライブです。1974年に撤去されました。アイゼンハワーが提唱したFAHAが成立してから10年余の、1960年代半ばに、早々、「都心に高速道路は要らない」という発議がされたのでした。
市民を巻き込む運動が展開され、ハーバードライブの撤去が州の交通政策に盛り込まれました。時代を先読みする、慧眼の判断が、車社会が全盛を迎えたこの時代に行われたことは驚きです。
ハーバードライブは、ポートランドのダウンタウンとウィラメッタ川河岸を分断するように走っていました。河岸を散策道として整備するウォーターフロント(水際)開発が、各地でちょうど動き始めた時期でした。
当時のT.マッコール知事は時代の空気を敏感に察知し、撤去運動に共鳴して高速道路の解体に動き、跡地に河岸公園(知事の名前から取ってMcCall Waterfront Park)が実現しました。
ハーバードライブの都市公園化は、ダウンタウンから河岸へのアクセスを改善し、都会暮らしのQOL(生活の質)を高めました。また、美しい都市景観の形成に貢献しています。そこには、都市美運動(City Beautiful Movement)の影響がありました。
ボストンは都市景観改善を目指し地中化を実現
1982年にボストンでも都心を走る高架のI-93を地下に埋め、I-93からI-90を抜けてローガン空港に通じるトンネルを掘削するプロジェクト(Central Archery/Tunnel Project、CA/T Project)が提起されました。
ボストンは1960年代に、歴史的景観を活かすウォーターフロント開発に着手していました。ディベロッパーのJ.ラウスが手掛けた赤レンガ倉庫群を複合商業施設に転換するプロジェムトが成功し、都市計画家の喝采を浴びました。この分野の都市再生では、ボストンは、常々、先駆けでした。
ところがI-93が埠頭(遊覧船などが発着する)のある水辺とダウンタウンを分断し、その間のアクセスを阻害していました。また、高架の高速道路は威圧的で都市景観を劣化させていました。したがってこのプロジェクトでは、交通渋滞に加え、ポートランドと同様に都市美――都市景観の改善が問われました。
財源確保をめぐってレーガン政権と揉め、1991年にようやく着工し、2006年に竣工しました。工費も当初計画の3倍に膨れ上がりました。そのため通称「ボストンのBig Dig(大穴掘り)」と呼ばれています。
高速道路を地下に埋めた跡は、緑地、イベント広場、散策路が整備され、素敵な散歩道になりました。Big Digに接する中華街とリトルイタリーの間の行き来も、安全で楽になりました。