第19回「高速道路は時代遅れになる⁈(1)――解体、拡張/延伸計画の中止急増」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
戦前にはじまる州際高速道路の歴史
アメリカの高速道路の建設は、戦前に遡ります。しかし、本格化したのは戦後です。車の普及と高速道路の拡張が相乗効果を生み、高速道路網の整備が加速しました。
州際高速道路の開発は、D.アイゼンハワー大統領の時代に始まりました。1956年に連邦高速道路支援法(Federal Aid Highway Act of 1956、FAHA)が成立しました。
大陸を東西に横断して走るI-10、五大湖周辺からフロリダ半島の南端まで大陸を縦断するI-75などの長距離タイプがある一方、都市圏の外縁を円走するタイプがあります。「Freeway」と呼ばれ、通行料の徴収がないのが一般的です(他にターンパイクなどの有料高速道路がある)。建設、及び維持管理は利用者負担が原則です。そのためガソリン税が主財源になっています。
州際高速道路の整備は、貨物輸送が鉄道からトラックに転換する契機になりました。20世紀後半のアメリカ経済の成長は、高速道路のおかげです。当時、高速道路はモダニズムの具現でしたから、その新増設は万人が受け入れる「善」でした。
FAHAの成立は、対ソ連の冷戦時代でした。そのため高速道路建設には、軍事利用の狙いもありました。法律の正式名称(National Interstate and Defense Highway Act)がその事実を物語っています。
遥か彼方まで真っ直ぐに延びる高速道路は、戦闘機が離発着する滑走路に使える、と考えられていました。核戦争の危機に直面した時には、都市住民が急遽、郊外に、さらには田舎に逃げるのに活用できる、と説明されていました。
州際高速道路の建設ラッシュは、郊外化の時代とちょうど重なりました。郊外に2、3台駐車場可能な敷地を構えた戸建て住宅が開発され、通勤、通学、買い物・・.・暮らしの全般が車に依存するAmerican way of lifeが実現しました。
また、広大な駐車場を併設する大規模ショッピングセンターが郊外暮らしの金字塔として各地に建設されました。高速道路網の拡充がそうしたライフスタイルを支えました。