第19回「高速道路は時代遅れになる⁈(1)――解体、拡張/延伸計画の中止急増」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
アメリカで展開されている都市政策の最新事情から注目の事例をひもときつつ、変容するこれからの都市のありよう=かたちをさぐります。
筆者
矢作 弘(やはぎ・ひろし)
龍谷大学フェロー
前回の記事
“反高速道路運動”を受けて進む解体・撤去
アメリカ都市で高速道路(州際高速道路=Interstate Highway System,「I-20」のように表記される)を解体、撤去する事例が増えています。
- 都市内を貫通する高架の高速道路を取り壊して側道にプラタナスを植栽し、高規格の並木道(boulevard)を整備する
- 都心を走る高速道,を地下に埋め込み、撤去跡を都市公園に造り替える
- 道路自体を廃止し、車を外縁部の道路に迂回させる
――などの取り組みが行われています。また、高速道路の拡張/延伸計画が潰される事例も増えています。
気候変動危機に取り組むグループやコミュニティの再生に従事する市民が、反高速道路運動を先導しています。
高速道路の解体要求、あるいは拡張/延伸反対は、「Anti-car Movements(反車運動)」の中核に位置する都市社会運動になっています。最近は連邦政府、一部の州政府もそれまでの立ち位置を変え、反高速道路運動に理解を示すようになっています。
Nationwide, local communities are working to repair the damage of urban highways and advance a more sustainable paradigm for American transportation. Explore local campaigns at the Freeway Fighters Network website: https://t.co/vJsXfKDvH2 #FreewayFighters pic.twitter.com/Fixr05utbb
— Congress for the New Urbanism (@NewUrbanism) May 4, 2022
初期の高速道路の撤去は、半世紀以上前の、20世紀半ばに遡ります。以来、草の根発の市民運動がアメリカ各地で高速道路の新設、車線の拡張、延伸に反対してきました。
しかし、当初は連戦連敗でした。高速道路反対運動が成果を上げるようになったのは、20世紀末以降、それも特にここ10年余のことです。高速道路解体運動に追い風が吹いています。それには、時代の変化が影響しています。
高速道路の解体事例は、資料によってデータに違いがあり正確な数字の把握が難しいのですが、20世紀に3、4件、21世紀になって15-18件という記録があります。
これらの資料によると2010年代以降に10件以上です。また、解体、及び拡張/延伸計画の取り消しが政府の政策課題として俎上にあるか、問題提起されている高速道路が20件前後あります。
戦前にはじまる州際高速道路の歴史
アメリカの高速道路の建設は、戦前に遡ります。しかし、本格化したのは戦後です。車の普及と高速道路の拡張が相乗効果を生み、高速道路網の整備が加速しました。
州際高速道路の開発は、D.アイゼンハワー大統領の時代に始まりました。1956年に連邦高速道路支援法(Federal Aid Highway Act of 1956、FAHA)が成立しました。
大陸を東西に横断して走るI-10、五大湖周辺からフロリダ半島の南端まで大陸を縦断するI-75などの長距離タイプがある一方、都市圏の外縁を円走するタイプがあります。「Freeway」と呼ばれ、通行料の徴収がないのが一般的です(他にターンパイクなどの有料高速道路がある)。建設、及び維持管理は利用者負担が原則です。そのためガソリン税が主財源になっています。
州際高速道路の整備は、貨物輸送が鉄道からトラックに転換する契機になりました。20世紀後半のアメリカ経済の成長は、高速道路のおかげです。当時、高速道路はモダニズムの具現でしたから、その新増設は万人が受け入れる「善」でした。

FAHAの成立は、対ソ連の冷戦時代でした。そのため高速道路建設には、軍事利用の狙いもありました。法律の正式名称(National Interstate and Defense Highway Act)がその事実を物語っています。
遥か彼方まで真っ直ぐに延びる高速道路は、戦闘機が離発着する滑走路に使える、と考えられていました。核戦争の危機に直面した時には、都市住民が急遽、郊外に、さらには田舎に逃げるのに活用できる、と説明されていました。
州際高速道路の建設ラッシュは、郊外化の時代とちょうど重なりました。郊外に2、3台駐車場可能な敷地を構えた戸建て住宅が開発され、通勤、通学、買い物・・.・暮らしの全般が車に依存するAmerican way of lifeが実現しました。
また、広大な駐車場を併設する大規模ショッピングセンターが郊外暮らしの金字塔として各地に建設されました。高速道路網の拡充がそうしたライフスタイルを支えました。
初の撤去事例となったハーバードライブ
高速道路撤去の初期の事例は、ポートランド(オレゴン)のハーバードライブです。1974年に撤去されました。アイゼンハワーが提唱したFAHAが成立してから10年余の、1960年代半ばに、早々、「都心に高速道路は要らない」という発議がされたのでした。
市民を巻き込む運動が展開され、ハーバードライブの撤去が州の交通政策に盛り込まれました。時代を先読みする、慧眼の判断が、車社会が全盛を迎えたこの時代に行われたことは驚きです。
ハーバードライブは、ポートランドのダウンタウンとウィラメッタ川河岸を分断するように走っていました。河岸を散策道として整備するウォーターフロント(水際)開発が、各地でちょうど動き始めた時期でした。
当時のT.マッコール知事は時代の空気を敏感に察知し、撤去運動に共鳴して高速道路の解体に動き、跡地に河岸公園(知事の名前から取ってMcCall Waterfront Park)が実現しました。
ハーバードライブの都市公園化は、ダウンタウンから河岸へのアクセスを改善し、都会暮らしのQOL(生活の質)を高めました。また、美しい都市景観の形成に貢献しています。そこには、都市美運動(City Beautiful Movement)の影響がありました。
ボストンは都市景観改善を目指し地中化を実現
1982年にボストンでも都心を走る高架のI-93を地下に埋め、I-93からI-90を抜けてローガン空港に通じるトンネルを掘削するプロジェクト(Central Archery/Tunnel Project、CA/T Project)が提起されました。
ボストンは1960年代に、歴史的景観を活かすウォーターフロント開発に着手していました。ディベロッパーのJ.ラウスが手掛けた赤レンガ倉庫群を複合商業施設に転換するプロジェムトが成功し、都市計画家の喝采を浴びました。この分野の都市再生では、ボストンは、常々、先駆けでした。
ところがI-93が埠頭(遊覧船などが発着する)のある水辺とダウンタウンを分断し、その間のアクセスを阻害していました。また、高架の高速道路は威圧的で都市景観を劣化させていました。したがってこのプロジェクトでは、交通渋滞に加え、ポートランドと同様に都市美――都市景観の改善が問われました。
財源確保をめぐってレーガン政権と揉め、1991年にようやく着工し、2006年に竣工しました。工費も当初計画の3倍に膨れ上がりました。そのため通称「ボストンのBig Dig(大穴掘り)」と呼ばれています。

Dirk Hillbrecht, Hannover, Germany, CC BY-SA 3.0 https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0, via Wikimedia Commons
高速道路を地下に埋めた跡は、緑地、イベント広場、散策路が整備され、素敵な散歩道になりました。Big Digに接する中華街とリトルイタリーの間の行き来も、安全で楽になりました。

「交通渋滞の緩和」と「都市景観の向上」を訴える撤去運動の限界
この時期に、他の理由で解体された高速道路があります。ニューヨーク・マンハッタンのハドソン川に沿って走るウエストサイド・ハイウエーは、1973年末、崩落事故を起こしました。
再建計画が提案されましたが、実現せずに終わりました。土木工学的には再建は可能でしたが、「工費が嵩み過ぎる」という判断でした。当時のニューヨーク市は、脱工業化と郊外化のダブルパンチを受け、ほぼ財政破綻状態でした。市の財政危機がウエストサイド・ハイウエーの再建話を破綻させました。また、サンフランシスコ都心の、高架高速道路(Central Freeway)が1989年に地震で崩壊し、その後、解体されました。
以上が20世紀の高速道路の撤去事例です。ニューヨークとサンフランシスコの事例は「高架が崩落し」――すなわち、建築的、物理的な条件がきっかけになって解体につながりました。
一方、ポートランドとボストンの事例では、高速道路が交通渋滞、及び都市景観を害する迷惑構造物になっていることに対し批判が上がり、それが引き金になって撤去を求める社会運動が起き、実際に解体に至りました。
しかし、その後、21世紀を迎えるまで、高速道路の解体事例が他になかったことを考えると、「交通渋滞の緩和」と「都市景観の向上」を訴えて高速道路を撤去する運動には、限界があったことを示唆しています。
高速道路支持を打破したエネルギーとは?
高速道路をめぐる反対運動に対しては、常々、解体に異議を唱える強力な抵抗勢力がいます。高速道路翼賛者は「道路の拡張/延伸が交通渋滞を緩和する」と頑迷に信じています。
この抵抗勢力を追撃し、撃破するためには、さらに大きなエネルギー(時代の力)が必要だったのです。それを、I-710を事例に調べたのが以下です。
ロサンゼルス都市圏を南北に走るI-710の拡張、延伸計画が2022年初夏に頓挫しました(I-710 Freeway expansion dropped after decades of planning, marking a milestone for L.A., Los Angeles Times, May 26, 2022)。
計画が浮上したのは21世紀を迎えて間もなくでした。計画発表後、直ぐに反対運動が起きました。しかし、計画が撤回され、反対運動が成就するまで20年弱の歳月がかかりました。「一度動き出した公共事業は止まらない」の好事例です。I-710では、道路官僚が車大好きの保守派と結託して反対運動の押し潰しに動きました。
I-710はロサンゼルス/ロングビーチ港に発し、ロサンゼルス市内に向かって北上する高速道路です。ロサンゼルス/ロングビーチ港は、アジア、豪州、南アメリカからの貨物の受け入れ港です。
両港には、大型のコンテナ船が発着し、アメリカ全体で扱うコンテナ量の1/3以上を取り扱っています。
したがってI-710には、昼夜、大型の貨物トラックが大量に走ります。交通渋滞が酷い。大気汚染が深刻です。交通事故も多い。大型トラックですから、燃料はディーゼルです。沿道にあるコミュニティでは、呼吸器系の疾病が多く報告され、界隈は「Diesel Death Zone」の異名で呼ばれています。
それでも拡張/延伸計画をなかなか阻止できなかったのです。計画を担当していたのは、カリフォルニア州交通局(CalTrans)とロサンゼルス都市圏交通局(LA Metro)でした。「交通量の増加に道路の拡張で対応する。車線を増やせば渋滞が緩和し、大気汚染の改善につながる」と詭弁を弄してきました。
潮目を変えたのはリベラルな危機意識と公正さへの批判
I-710の拡張/延伸計画をめぐる反対運動は、長い、苦難の戦いでした。それがようやく勝利に漕ぎ着けたのは、時代が変化したおかげです。高速道路に対する州民、そして政府の考え方が大きく変わりました。
気候変動危機が果敢に喧伝される時代になりました。カリフォルニアでは、毎年、洪水、旱魃による山火事、高潮などの大規模自然災害が多発し、州民の間に早急な対応を求める声が広がっています。
G.ニューサム知事は進歩主義のリベラル派です。州議会も環境派の民主党が支配しています。そのため州政府は「ガソリン車の、新車販売を2035年に禁止する」宣言を発し、ディーゼルトラックについても「港湾地区では、2035年までにゼロエミッションを達成する(走れなくなる)。また、2036年以降、新車のディーゼルトラックの販売禁止」方針を示しました。
また、高架の高速道路がマイノリティの暮らす住区を貫通し、コミュニティを分断し、壊廃して人権侵害を起こしていることに対する批判が噴出するようになりました。
高速道路がまき散らす社会的、経済的不利益――その配分(負担)をめぐる不平等(格差)が注目され、高速道路解体の要求につながりました。
そうした要求の背景には、都市部でマイノリティが多数派になりつつある、という人口動態上の現実があります。
また、ミレニアムなど若年層のリベラル派が、差別的な都市/交通計画を批判する風潮が広がっています。州政府も対応を急ぐようになりました(Groundbreaking Effort Reconnects Communities Divided by Freeways, Office of Governor of California, March 12, 2024)。
カリフォリニアは前任のJ.ブラウン知事時代以来、他州に先駆けてリベラルな政策を連発し、しばしば「連邦政府に対しロール・モデルを演じている」と言われています。
実際のところバイデン大統領は、政権の発足直後から高速道路が引き起こす弊害(環境破壊、人権侵害)に強い関心を示しています(Highways have sliced through city after city. Can the U.S. undo the damage?, New York Times, May 25, 2023)。
そして高速道路の拡張/延伸に反対する各地の市民運動にエールを送っています(Biden has a plan to remove some freeways. Will it make cities more healthy?, Los Angeles Times, July 12, 20218)。
交通渋滞の緩和や都市景観の向上を求める要求を包摂しながら、しかし、それに止まらず、もっと大きな枠組みで高速道路を批判し、高速道路の撤去を求める時代になったのです。
以下のように換言することができます。
「アメリカ都市は気候変動危機の日常化、及び人口動態の変容(マイノリティがマジョリティになる、社会的格差と差別を批判するミレニアム/Z世代が多数派になる)に直面し、いよいよ車社会の弊害を象徴して体現する高速道路を真摯に糾弾し、解体を迫るようになっている」
アメリカ各地で――デトロイト(I-375)、デンバー(I-70)、そして環境/人権意識の薄い共和党支配の南部州の都市ヒューストン(I-45)、ニューオーリンズ(クライバーン・エクスプレス)等々でも、高度道路の拡張/延伸に反対する運動が勢いを得ています。市民が州政府の道路担当部局にデモ行進を仕掛け、計画の撤回、あるいは変更を迫っています。そして実際に成果を挙げています。
都市社会では、高速道路の建設、拡張、延伸が「善」ではなくなったのです。持続可能なコミュニティ運動を提唱しているニューアーバニズム運動(Congress for the New Urbanism)がキャンペーン「高速道路には明日はない(Freeways without Futures)」を展開しています(Freeways without Futures, CNU)。
(つづく)
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