第15回「突然、浮上した“ユートピア都市”開発(3)――排他的な小規模都市?」連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』

この連載について

アメリカで展開されている都市政策の最新事情から注目の事例をひもときつつ、変容するこれからの都市のありよう=かたちをさぐります。

筆者

矢作 弘(やはぎ・ひろし)

龍谷大学フェロー

前回の記事

デベロッパーが謳う“ふるき良き時代の都市”とは

California Forever(CF)はホームページで、計画している新都市の、開発思想を解説しています。「どの都市も、最初は新しい都市(a new city)だった」と書き出しています。「40万人都市構想に驚くなかれ!」ということなのでしょうが、いかにもアメリカのディベロッパーらしい言い切り方です。

All cities were once “new” cities. In a comparatively young country like America, many can still remember the founding of formerly new cities that are now sizable.

The Urbanist Case for a New Community in Solano County

アメリカの都市史は200年余です。その間にボストンやニューヨーク(NYC)、ボルチモアなどの港湾都市が東海岸に形成されました。19世紀半ば以降は、都市化がアパラチア山脈を越えて進展し、農牧地を改廃してデトロイトやクリーブブランドなどの産業都市が成長しました。

さらに19世紀末から前世紀にかけては、新都市がカリフォルニアやテキサスなどの半砂漠に造られました。アメリカでは、確かに「どの都市も、最初は新都市」でした。20世紀後半に誕生したシリコンバレーも、それ以前は杏畑が広がる長閑な農業地帯でした。

田園都市、及びニュータウンは英国生まれの新都市づくりでした。その思想は20世紀のアメリカにも伝播しました。ラドバーン(ニュージャージー)、サニーサイド・ガーデン(NYC)などの田園郊外(基本は母都市のダウンタウンに通勤)、そして民間主導のいろいろなタイプの郊外ニュータウンの開発につながりました。

ニューヨーク・クイーンズのサニーサイド・ガーデンは、地下鉄が便利な田園郊外型のニュータウンで今も人気がある。

CFはホームページでE. Howardについて言及しています。「歩いて暮らせる」「自律自足型(職住接近、農産品の自給など)」などを田園都市論に学びつつ、「明日(未来)の都市」ではなく、「昨日(ふるき良き時代)の都市」を新規開発する」と宣言しています。

… But for American city planners, the idea of intentionally planning for growth through ”new towns” is most famously associated with Ebenezer Howard’s ”Garden Cities of To-Morrow” (first edition 1898). Howard proposed a series of satellite cities in the greenbelt outside of London as a solution for the over-crowding of the inner city.

The Urbanist Case for a New Community in Solano County

CFが描く新都市は、ポストモダニズムです。L. Corbusierは「輝く都市」で既存の都市の過密と環境悪化を憂慮し、新天地に大規模な都市開発を提案しました。高層ビルが広い緑地と駐車場に囲まれて建ち並ぶ都市のイメージです。CFが考える「都市の「かたち」」は、それとは真逆です。タウンハウス型の住宅と中層階の集合住宅を混在させます。ダウンタウンにも、高層のオフィオスビルは建てない。そうすることによって都市全体を中密度に維持する構想を示しています。

ニューアーバニズム運動との違いはどこに?

A. DuanyやP. Calthorpeが唱導し、1990年代にスタートしたニューアーバニズム(NU)運動も、田園都市論の影響下にあります。CFのホームページは、NUについても詳しく言及しています。

The new town tradition became more influential in England and Western Europe than it did in the US, but we see its direct influences here on people like Andres Duany (leading theorist of New Urbanism) and Peter Calthorpe (who coined the concept of ”transit-oriented development” in the early 1990s). But the experiments of Calthorpe and the other New Urbanists in the United States have all been for much smaller population sizes than what we are talking about with our project.

The Urbanist Case for a New Community in Solano County

持続可能性(sustainability)を重視するNU運動に好意的ですが、以下の2点――特に「都市の規模」をめぐってCFとNUの違いを強調しています。

  1. NUは「TOD(transit-oriented development、公共交通依拠型開発)+歩いて暮らせる(a walkable community)」ニュータウンつくりを目指している。しかし、通勤やショッピングのためには、母都市とニュータウンの間を公共交通(鉄道か高速バス)で移動しなければならない。「歩く」のは、駅から自宅までに限られる。
    それに対してCFの場合、都市内で職住接近を実現する。したがってローカルの路線バス、それと徒歩、自転車で暮らしが完結する。
  2. インフラ(公共交通、学校、文化施設など)を整備し、それを維持する一方、都市内で職住接近を可能にするためには、それなりの職種と人口規模が必要になる。そのためにはNUが開発するニュータウンは、規模が小さ過ぎる。
    NUの代表作であるフロリダのシーサイドは700戸以下。NUの影響を受けてウォルト・ディズニー・カンパニーがフロリダに開発したニュータウンのセレブレーションも、人口7000人強。セレブレーションでもニュータウン内の雇用機会は少なく、多くはオーランドに車で通勤している。

CFの都市論は、都市機能へのアクセスを「移動」によってではなく「近接性」によって向上させる、という考え方です。これまでの都市学は、交通論というジャンルがあるように、「移動の効率」を研究してきましたが、CFの着想は、それとは少し違っています。

都市開発を「規模の経済」で考える

「都市の規模」の問題は、他にもいろいろな場面に影響します。

ボストンやボルチモアの旧港湾地区の再生で独創的なイニシアチブを発揮し、「ウォーターフロント開発の帝王」と呼ばれたJ. Rouseが開発したニュータウンのコロンビア(メリーランド)は、人口10万人です。
ダウンタウンに大規模ショッピングセンターや大型の文化施設、ナショナルチェーンの高級ホテルがあります。ニュータウンは10カ所のビレッジに区分さています。さらにビレッジ内は幾つかの地区に分かれています。路線バスがダウンタウンとビレッジの間を結び、運行は比較的頻繁です。車がなくても移動が楽です。

それに対してセレブレーションでは、中規模のスーパーマーケットが場末にあります。

しかし、点在する住区とそこをつなぐバスがまったくないのです。路線バスを走らせるためには、人口が少な過ぎます(7000人)。買い物はマイカーです。NUの影響を受けたニュータウン開発ですが、「Walkableには暮らせない」のです。

セレブレーションは公共交通がなく、アクセスが不便でダウンタウンには空き店舗が散見された。

ニュータウン内の公共交通をめぐって人口10万人 vs. 7000人の差が如実に出ています。CFが「最終的に40万人都市、それも第一次段階は5万人都市からスタートしたい」と考えているのは、都市開発を「規模の経済」で考えているのです。

学校区という問題

人口規模は、学校区にも影響します。
セレブレーションは中規模ニュータウンです。子供の数がそれほど多くない。そのため学校区をニュータウンの外まで広げ、ニュータウン以外からも子供が通学して来ます。ニュータウンの外縁には、テーマパークの低賃金労働に従事する、ヒスパニック住区が広がっています。そのヒスパニックの子供がニュータウンの学校に通って来ます。

セレブレーションは、住民の90%以上が高学歴白人の中間所得階層です。そのためニュータウンの親たちは、我が子がヒスパニックの子供と共学するのを嫌い、学校区にある近隣の学校を回避し、遠方の私学に通学させています。

それに対してコロンビアは事情が違っています。ヴィレッジごとに高校、中学校があります。その下の地区には、小学校があります。それぞれニュータウンの学校区に属しています。そしてニュータウンの学校は、ニュータウンの子供たちだけで満杯になります。

学校区をめぐっても10万人都市 vs.7000人都市の、規模の違いが浮き彫りになります。

住民デモクラシーをどう担保するか

ディズニーが開発したセレブレーションは、独立した自治体になることを目指した時期がありましたが、失敗し、郡政府の下にあります。学校も郡学校区に属しています。コロンビアは、州内でボルチモアに次ぐ人口を抱えています。
しかし、同じく自治体化されていない。いずれもディベロッパーの影響下にある協会が、郡政府からある程度の自治権を付与されて規則作りを担っています。その際、常々、コミュニティ政治過程――すなわち、住民デモクラシーをどのような方法で担保するかを問われています。

CFも、遠からずガバナンス問題に直面することになります。CFはこれまでのところ、新都市のガバナンスについて具体案を示していません。開発予定地は、既存のどの都市にも帰属しない非自治体地域(郡政府の管轄下にある)です。開発が進行し、居住者がある程度の規模に達した時に、独自の自治体を設立し、郡政府から独立するのか、それを決めることになります。

その際、CFは「排他的な小規模都市(a private micro-government)」の創設を考えているのではないか」という記事を、地元紙のリベラルなジャーナリストが書いています。記事は、「CFは『ネットワーク・ステーツ(network states、既存の政府から独立し、究極的には外交特権の取得も目指す)』運動と裏で密かにつながっているのではないか」という疑念を紹介しています(The People of Solano County Versus the Next Tech-Billionaire Dystopia, The New Republic, January 4, 2024)。

Yet there’s potentially a more sinister angle. California Forever aligns suspiciously with a cultish dystopian movement to build so-called “network states”—private zones where tech zillionaires can abandon democratic society to live under the rule of their own private micro governments.

The People of Solano County Versus the Next Tech-Billionaire Dystopia

「排他的な小規模都市」は実現できるか?

「ネットワーク・ステーツ」は、新しい政府(alternative governments)つくり運動――「自治」を掲げて自己ルールを決め、連邦や州政府などの影響を排除し、「小規模政府(gated communitiesの都市版)」をハイテクITネット網で広範囲に結びつける政治運動です。運動は、国民国家(nation states)、及び自治体の否定、あるいは再定義を求めています。リバタリアンの都市ネットワークです。

件のジャーナリストは、「CFが提唱する新都市は、いわば疑似都市政府が個人情報を集取し、管理する反デモクラシーの『ディストピア都市』にならないか」と警告しています。

開発予定地周辺の、都市政府の幹部がタウンミーティングでCFの計画に反対、あるいは強い疑義を投げかけている理由の1つは、ガバナンスをめぐる不信にあります。

Rouseはコロンビアの開発に際し(1960年代初期に着手)、工学的な論点や経済的価値の引き上げなどよりは、「暮らしている人々の人間的価値をいかに高めるかに強い関心があった」と伝えられています。それ以前のニュータウンは、入居条件にしばしば人種差別がありましたが、Rouseは、逆に入居者の多様性を重視しました。そのため現在の人口構成も白人が66%、黒人が22%、そしてアジア系、ヒスパニックとなっています。ある調査で「アメリカのどこに暮らしたいですか?」を問われ、コロンビアは全国4位にランクされました。根強い人気を維持し、不動産価格は右肩上がりです。

住民の人間的価値を引き上げること重視してニュータウン開発が行われたコロンビアでは、講演会や勉強会が頻繁に開催されている。

セレブレーションは、表立って人種差別的な入居条件があったということではないのですが、圧倒的に白人居住の、隣接する周囲から分離されたコミュニティになっています。訪問調査した時には、「空き家が出ている」という話を聞きました。人気に陰りがありました。

Howardの田園都市は、協会が土地を賃貸します。賃貸料で建設資金を償還、あるいはインフラ整備をするルールになっています。したがって都市が成長して地価が上昇しても、その利益は、土地所有者に私有化されない仕組みです。ある意味で反資本主義です。

CFでは、不動産は私有が基本です。CFは、不動産の値上がりは税収で吸収してインフラなどに再投資し、都市内で循環させる方針を示しています。しかし、CFの背後にいるのはシリコンバレーの富豪、すなわち鋭敏な資本家です。新都市開発に対する投資には、当然、リターンを期待しています。土地の急騰を期待する投機筋が闖入する可能性もあります。

公民権法が制定されたリベラルな時代に開発されたコロンビアから60年、保守に振れた時代にレッド州(共和党系)に開発されたセレブレーションから30年――進歩主義のカリフォルニアに、情報通信革命を牽引するシリコンバレーの富豪が開発するニュータウンが、果たしてどのような「ユートピア都市」、あるいは「ディストピア都市」として具現するのか、しばらく興味津々です。新都市の名前は、住民がCFの幾つかの提案から選ぶことになっています。

(つづく)

連載記事一覧

記事をシェアする