第2回「戸建て住宅専用地区の存廃論争が示す制度疲労」|連載『変わりゆくアメリカからさぐる都市のかたち』
アメリカで展開されている都市政策の最新事情から注目の事例をひもときつつ、コロナ禍を経て変容するこれからの都市のありよう=かたちをさぐります。
筆者
矢作 弘(やはぎ・ひろし)
龍谷大学フェロー
前回の記事
ミネアポリスでの戸建て住宅専用地区存廃論議
都市計画のゾーニング――戸建て住宅専用地区の廃止に最初に動いたのは、ミネアポリスです。2018年の市議会は、民主党と緑の党で構成され、ゾーニングの変更がスムーズに審議されました。以降、民主党系の市長、民主党が多数派議会の都市、あるいは民主党知事の州が後を追い、都市計画条例や法律を改正しています。
半面、保守的な、中間所得階層以上の既得権益者(立派な戸建て住宅を構えている人々)の間では、同地区の廃止に反対が多い。
廃止賛成派は、「住宅価格が高騰し、ひどい住宅危機である。これを緩和するためには、住宅供給を増やさなければならない。郊外の、戸建て住宅専用地区の建築規制を緩和し、アフォーダブル住宅(高額でない家賃で暮らせるアパート/購入できる住宅)を建てることが緩和の一助になる」と考えています。
「格差社会アメリカ」批判のやり玉に
持ち家が高騰して小金持ちになった「勝ち組」vs. 賃貸アパート暮らしで家賃の引き上げに苦しむ「負け組」――その格差がこの10年ほどの間にさらに鮮明になりました。負け組は、フロー(所得)の格差が深刻だが、それに追い討ちをかけてストック(資産)の格差拡大がさらに過激になっている――戸建て住宅専用地区を「その元凶である」と指弾し、「格差社会アメリカ」批判のやり玉に挙げています。
賛成派には、結婚し、家庭を持ち、マイホームを取得しよう、と考えている若年層、それに安い賃労働に従事し、所得に占める家賃支払額の割合が高い住宅貧困層、特に黒人、ヒスパニックのマイノリティが陣営にいます。歴史的に黒人が財産形成できなかった理由の1つは、郊外にマイホームを持てなかったためである、と解説されてきました。
住宅ローンの融資差別に加えてゾーニングが黒人の郊外移住を妨害し(segregation)、「分断社会アメリカ」の形成を促しました。戸建て住宅専用地区などの郊外ゾーニングが人種差別地区制度(racial zoning)、排他的地区制度(exclusive zoning)と呼称される所以です。
環境グループにも、廃止にエールを送る人々が多くます。スプロース開発は「低密度で土地浪費型の、移動をもっぱら車に依存する開発」「戸建て住宅専用地区はその典型である」「地球温暖化が危機的段階を迎え、環境負荷を抑制する土地利用制度を導入することが必須である」と考えています。
国連環境開発会議が同じ認識を示す報告書を発表しました。公共交通を重視するニューアーバニズム運動にも、この陣営に属する論者がいます。バイデン政権は補助金を準備し、戸建て住宅専用地区の廃止に動く州政府や都市政府を支援しています。
一方、戸建て住宅専用地区の廃止に反対する人々は、「戸建て住宅専用地区だったところにアパートや連棟型住宅の建設を認めれば、単位面積当たりの住宅密度がアップする。人口密度が高くなり、社会インフラの不足が起きる」と訴えています。道路が混雑する、学校や図書館などの公共施設が満杯になる、ゴミ処理や上下水道に追加投資が必要になる・・・。
「我々がゆったりとして静寂な、緑いっぱいの美しい街の景観を守り、育てられたのは、戸建て住宅専用地区のおかげである。そこにアパートを建てるのは不釣り合いである」という苦言も聞こえます。この「だれのための美しさか」という議論は、100年前の連邦最高裁が「戸建て住宅地区にアパートがあるのは、居間に豚がいるのと似ている」と論じ、排他的ゾーニングを認める判決を下したことを思い出させます。この議論は、「アパートが闖入して来ると住環境が悪化し、我が家の資産価値が低下する」という既得権益論につながります。
賛否論争に付きまとうレトリック
ワシントンポストが戸建て住宅専用地区の廃止をめぐって興味深い記事を載せていました(Arlington ends single-family-only zoning)。ワシントンD.C.にある高級住宅街、アーリントン地区で戸建て住宅専用地区の廃止が提起され、住民の間で賛否論争があった時期の論説です。記事は、言葉の用法として「廃止(ending)」という表記は誤解を生じ、不要な対立を加速する、と指摘していました。
例えば、ミネアポリスは戸建て住宅専用地区の廃止で先端を走りましたが、反対派は「ブルドーザーで戸建て住宅地区を解体するのには断固反対!」と書かれたプラカードを掲げてデモ行進をしました。「廃止」は戸建て住宅を建てられなくなる、ということではないし、ましてや既存の戸建て住宅を解体しなければならない、という意味ではないのですが。「隣の戸建て住宅が壊され、高層住宅が建てられるようになるは嫌だ」と飛躍して考える人もいます。
また、分断社会のアメリカでは、レトリックを駆使し、世間一般に敢えて間違った情報の刷り込みをして政治的、社会的に事柄を有利に進めようとする輩がいます。D.トランプは、J.バイデンと戦った2020年の大統領選挙では、郊外に暮らす保守派の女性票を狙ってキャンペーンを展開しました。その際、ゾーニングの変更を標的にしました。
トランプはウォールストリート・ジャーナルに投稿し、「郊外に戸建て住宅を建てそこで穏やかな暮らしをすることが、まさに『アメリカの夢』である。ところがウルトラリベラルのオバマ – バイデンが率いた連邦住宅都市局は、戸建て住宅専用地区の廃止に邁進した。あなたがせっかく実現した『夢』を解体することを狙っていた」と論難しました。
… We reject the ultraliberal view that the federal bureaucracy should dictate where and how people live. … Every American has a stake in thriving suburbs. … America’s suburbs are a shining example of the American Dream, where people can live in their own homes, in safe, pleasant neighborhoods. The left wants to take that American dream away from you. …
We’ll Protect America’s Suburbs
だれのための地区であったか
誤解されたり、悪意のあるレトリックに使われたりしないために、別の用語を使おう、という提案がなされています。
最近、人気があるのは、「見過ごされていた中間住宅地区(missing middle housing)」です。「戸建て住宅と高層住宅の間には、見過ごされてきた多様な住宅タイプがある。その混在を認めるゾーニング」という意味です。バークレーの建築家、D.パロレックが考案したゾーニング名です。「ほどほどの住宅密度地区(gentle housing density)」という名称の提案もあります。
いずれも名は「態」を表すという理解に立ち、実態を映すゾーニング名称に変更し、戸建て住宅専用地区を多様なタイプの住宅が混在する地区に円滑に転換することを目指しています。 20世紀初期に成立した近代都市計画制度は、当時、台頭してきた中間所得階層の利益を代弁するものでした。
だれの財産価値を守るのか、だれのための美しい街並みか――近代都市計画制度が目配りしたのは、政治的にも経済的にも影響力を増大させた中間所得階層でした。昨今の戸建て住宅専用地区をめぐる論争は、中間所得階層が空洞化し、近代都市計画に制度疲労が起きていることを具現しています。
(つづく)