Vol. 02 二軒目の家、山での日々|連載「ニシノカイト―琵琶湖水源の里山でセルフビルドな暮らし」

この連載について

きれいな水に惹かれて滋賀県高島市に移住。地元の人に「ニシノカイト」と呼ばれる一軒家に出会い、女郎蜘蛛の巣作りに憧れ古民家再生に挑む。
畑や田んぼ、動物たちとの暮らし、浮かびくるインスピレーションに素直に生きながら、創造するという人間ならではの行為を楽しんでいる。日々自然の中で教わることを綴ってみたい。

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大阪から高島に移住するにあたり、私のジュエリー制作は場所を選ばないけれど、夫は仕事をどうするか悩んでいた。
そして移住のきっかけとなった友人、米農家石津大輔くんの「針江のんきぃふぁーむ」で働かせてもらうことになり、そこで環境にも配慮した米作りを学ばせていただいた。
(おかげで今、無農薬での米作りにチャレンジできている)
働いて1年ほど過ぎたある日、夫は石津家のお父さんが山で木を伐るのに同行した。
その時、山の中で過ごした時間がとてもしっくりときたそうで、迷った末に林業に転向した。
大阪のレコード屋で長年働いてた人が、林業にたどり着くとは!人生どうなるかわからない。

その頃、1軒目の駅チカの暮らしでは物足りなくなり、より自然の中に身を置きたく、山に近い空き家を探しはじめていた。

田舎はプロパンガスなので、ガスボンベが置いてあるかどうかで空き家の見分けがつく。
しばらく探して、ついにスキー場の麓に好みの古民家を発見した。
そして飛び込みで直接交渉し快諾いただき、晴れて移住からちょうど1年後の冬、2軒目の家に移った。

その集落に移住者が入るのは初めてで、地域もざわざわしたそうだ。

雪の地域の古民家は、大阪出身の私たちには修行のように寒かった。
引っ越し当日は、布団をかぶっても寒すぎて震えが止まらず眠れなかった。窓の隙間から吹雪が吹き込み、朝起きたら家の中にも雪が積もっていて目を疑った。
どうりで寒いはずだ。足先も一瞬でしもやけになった。

雪の多さは覚悟していたけど、早々に雪かきに追われる日々だった。

一晩で1m積もることもあった。雪避けしても翌朝玄関を開けたら、1mの高さの雪が目の前にあり悪夢かと思った。雪国の洗礼か?
新年早々雪かきをする年もあった。

「あけましておめでとう」なんて言ってる場合じゃない。
こんな雪に埋もれながら、本当に1月1日に新年を祝っていたのだろうか?と疑問に思えてきた。

冬至なら、今から日が長くなり太陽の力が強くなることを祝いたくなるし、節分なら春の悦びを感じるけど、グレゴリオ暦のカレンダー上の1月1日には節目も、めでたさも、自然の中にはどこにも見当たらない。
テレビの中など、作られた世界にしか新年がないように思えた。

高島では、そんな風に雪に打ちのめされながらも、気づけば大阪にいた時より、冬が好きになっていた。

雪に包まれると、余計なものが消え感覚が研ぎ澄まされる。
音も雪に吸い込まれ、空気も澄み渡り、静かな自分の内と向き合う時間。
厳しい冬にしか味わえない、独特の空気があった。

そして息をのむほど美しい景色を次々見せられた。
誰もまだ足を踏み入れていない雪面、氷柱、山の木々からサラサラと落ちてくるパウダースノーの光。
それらはまるで、厳しい自然の中で過ごした者がもらえるご褒美のようだった。

長い冬が終わり、雪が溶けて土が見えた時の喜びもひとしおで、身体の底から嬉しさがこみ上げた。
地面が乾き、ようやく自由に動けるようになる!(雪があると行動範囲が限られる)

♪はるがきた~はるがきた~どこにきた~
里山にいると、懐かしい童謡が自然と口から溢れてくる。
シンプルな言葉とメロディの中に、季節の喜びが染み渡っていたことに気づいた。

春になり、家の横にあった大きな畑で、加減がわからず、売るんですか?という量の野菜を作りはじめた。

しかし、せっかく作った野菜も、収穫の時期になると獣に食べられた。
鹿、猪、猿、あらゆる獣がきていた。
こんな自然豊かな里山に住んでいて、野菜も自由に作れなくなるほど、山の環境が壊れているのを体感した。
杉ばかり植林された山に食べ物がないから、獣が降りてきてしまうので、山と人の暮らす里の間には、獣害柵が張り巡らされていた。
それにより、気軽に山に入れなくなり明らかに山と人にも距離が生まれたという。
幼い頃、山で木の実を食べて遊んでいた地元のおじさん達の武勇伝が、とても遠くに感じる。
未来に生きる人を想って杉の植林をした結果が、こんなことになるとは思いもしなかっただろう。
今の自分たちの選択や行動が、後の世代に影響を与えることを肝に銘じておきたい。

根本的に獣害問題を考えると気が遠くなるが、ひとまず我が家の畑の獣害対策として、山に住む友人のところに生まれた子犬をもらい飼い始めた。
「月」という名の犬。
小4の時に拾った犬を飼っていて、大阪では繋いで飼うしかなく、犬の幸せについてずっと心を悩ませていたので、二度と犬を飼うつもりはなかったけど、この環境でなら納得いく飼い方ができるかもしれない。

月の散歩で、毎日山に入る日々がはじまった。
大阪にいた頃、テレビで山に毎日入るおばあさんのドキュメンタリーを見て、こんな暮らしいいなと憧れていたので、願ったり叶ったりだ。
その日々が、山との距離をグッと縮め、人生を豊かにしてくれたように思う。
集落の山は広葉樹のエリアも広く、季節ごとに美しかった。

月は臆病な性格だったが、私たちが鹿の解体をしていた時に、横から鹿の血をペロリと舐めて以来、本能が目覚め、鹿や猪を見たら追うようになった。
生後1年経たぬ内に5匹の子犬を産み、その子たちにも山で狩りを教えた。
狩りを覚えた子どもとタッグを組み、ますます狩りを楽しんでいるようだった。

狩りする母を見守る子犬たち。成長し母と共に良いハンターになった。

月たちが、猿の赤ちゃんを仕留めたと夫が興奮して山から帰ってきた。
人間の赤ちゃんに似ている子猿を、月がくわえてる姿はとても直視できなかったと。群れの子猿が襲われたら、ボス猿は群れを外されるらしい。
群れごと山からいなくなったようで、それ以来、畑の猿の被害は見事になくなった。

雪の季節になると、白い山の世界では鹿がより目立ち、月と子でしょっちゅう鹿を仕留めるようになった。鹿がまだ生きてるのに、脚から食べ始め、せめて楽にしてあげようと、夫が落ちていた石で急所であるひたいを殴ったけど、ためらいがあるのでなかなか死なず、何度も殴る羽目になった。
動物は最後まで生きようとする。その生命力を断つ行為はアドレナリンが出るのか夫も見ていた私も興奮状態だった。
仕留めた生命をちゃんといただこうと、そのまま山の中で解体した。捕らえたのは小さな鹿で、食べるところはほとんどなかった。

鹿の目線の先で肉にしゃぶりつく犬たち

山を降りて家に帰って一息つくと、ものすごく疲れていたことに気づいた。
命をいただくには、本来このくらいエネルギーを使うものなのかもしれない。
さっきまでの生々しい光景が脳裏に焼きついていた。
まだ日は高く、雪を照らし眩しいくらい明るかったが、こたつに入り泥のように寝た。

その頃から、すっかり田舎の人になったと言われるようになった。
都会から来た浮いた感じが薄れ、気配が環境に溶け込んできたようだった。

春から夏になると、山は蜘蛛の巣だらけになった。手で払いながら山道をいく。
壊しても翌朝にはまた同じ場所に巣がはられていた。
巣の中の蜘蛛は、どんどん成長し存在感が増してきた。女郎蜘蛛だった。
女郎蜘蛛って名前だしメスなのか?ということは、メスが自分で巣を作ってるのか??
興味が湧き観察していると、日に日にお腹が大きくなってきた。
もしかしてお腹の子供を生み育てるために、巣を作って獲物をとっているのか??
だとしたら、めちゃくちゃかっこいいじゃない!
私も巣作りしてみたい!!!

もちろん建築の知識など何もない。でも私も自分の身体を目一杯使って、巣作りをしてみたくなった。

早速、巣作りできる家を探し始めた。

執筆者プロフィール

ワダマキ

ジュエリー作家。大阪生まれ、2009年に滋賀県高島市へ移住。 2013年古民家をセルフリノベーション。2020年より茅葺き屋根のアースバックハウスに着手、未だ制作中。びわこ葦舟プロジェクト、一緒に暮らす羊の毛で作品作り、米作りのほか、朽木地域の魅力を発信する勝手に地域おこしプロジェクト「朽木の風」も開始しました。 http://instagram.com/nishi_no_kaito

お知らせ

安曇川中流域の里山にあるアジアン創作料理レストラン シノープルハウスで「羊飼いのクリスマス」と題し、ジュエリーと羊毛作品のミニ展示会を開催します。
羊飼いの昼食もご予約でお楽しみいただけます

  • 展示期間 12/24~29(25日除く)
  • 羊飼いスペシャルランチ 12/24、26

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