【受付終了】Where now in our gaze?

主催 Nell Shiina
※詳細は主催団体等にお問い合わせください。
  • 日時:2023年3月10日〜4月9日(会期中無休)、7:00〜日没(季節により変動)
  • 会場:光明院(京都市東山区本町15丁目809)
  • 参加費:志納300円程度(光明院)
  • 詳細・申込:
    https://www.tiredoflondon.net/wniog

内容

京都の光明院で、Nell Shiinaの個展「Where now in our gaze?」が開催される。

Nell Shiinaは、イングランドと日本にアイデンティティを持つ芸術家で、解剖学や哲学を軸に物事の実存と不在の境界を表現するような彫刻や、それに付随するドローイングやペインティングを制作している。ロンドンとパリを拠点に活動した後、現在は京都に拠点を移し、自身のアトリエとカフェを併設したギャラリー「Flim Kyoto」のオーナーも務める。

本展では、高さ3mにおよぶコンクリートの彫刻が重森三玲により作庭された枯山水庭園「波心庭」に展示されるほか、新作のドローイングも展示される。この彫刻は、アラタスズキ(建築設計)、MAT一級建築士事務所(施工)とのコラボレーション作品で、Nell Shiinaが粘土や石膏を用いて制作した鋳型から、アラタ
スズキが柱の3Dデータを再設計し、それを日本初となる建築用3Dプリンターによってコンクリートとして出力することで制作される。

粘土、石膏、コンクリートと複数のマテリアルでの転写を経て成形された柱は、その影によって対峙する鑑賞者に自己の存在を意識させ、ひいては光明院や波心庭に潜む幻影を感じさせる。

 

作家によるステートメントは以下の通り。

「不在の存在」(Nell Shiina、彫刻)

夜道の中で、無数の電灯を通り過ぎる。その間隔は様々で等間隔にあったり唐突に秩序を乱したりして立っている。

自身の影を眺めていると小さくなったり大きくなったり、また幾つかの電灯から照らされ複数の自分の影が立っていたりする。

木々の影は彼等の意思で伸び縮みしないが、僕と彼等との距離で大きさを変えている。

そのようにして光源の数だけ影は増える、他者の数だけ個が増える。

他者からの観測によって存在している自身は互いの眼差しや知性によって大きさを変える。(しかし影は粒子の当たらない空虚の存在する場なので質量を変えられない。)

しかし同時に自身によって観測した個とは同時に存在する事ができない、なぜなら個の観測は内需用感覚に依存する。つまり無造作の中の意識にしか個はみつからないからだ。

観測者の数だけ貴方は存在して、現代にはそれを2倍3倍、もはや何百倍にとすることができる。そして相剋的な自他の関係性の中で存在しているのは彫刻の前に立って考えている貴方なのか、彫刻の前に立たされ考えさせられている貴方なのか。

それとも僕が毎日通り過ぎる電灯なのか。

私は貴方が木々である事を願います。

記憶の中から作った時、彼らは元あるはずの質量を持たない。外骨格のみ残されたのか、または内側で変化する環境のみが行き場を失い立ち尽くしているのか。

彼らはどこへ?

私の意識の中に彼らは取り残されていて、それと拮抗した私の意識にない無造作だけが相転移的にまた離散的対称性を持ち具体化されたのだろうか。

つまり彼らは不在の中で存在しているのではないだろうか。

それは目の前に置いたモデルにさえも解釈、流用、脚色を通して再定義される。
意識は互いの眼差しの中で隔離され分断される。その境界は時に儚く、それでいて判然さがある。

自身の影を他と捉えた時にはどうだろうか。投影された物との関係では相剋的な現象が起こり得るだろうか、または対称性があるのだろうか。

そこにはおそらく空虚が存在する。その形成された影の前に立っているであろう自分と二分化し、その対立から認識される相互浸透を自身の内側と外側の変化し続ける環境の差に応用し機能させる取り組み、つまりこの展示は私と彫刻と他者とが互いにどう機能させ合うかを観察する場である。

「34°58’26″N 135°46’26″E」(アラタ スズキ、建築設計)

本展のメイン作品は、日本初の建築用3Dプリンター製のコンクリート彫刻です。高さ3m弱の像が、重森三玲作の波心庭に鎮座します。鑑賞者は枯山水に踏み入ることができません。そのため、庭の岩々から見つめられているように感じるはずです。この彫刻も同様に、主体と客体の関係性を揺さぶり、この地に潜む幻影に揺らされます。

この幻影に初めて気づいた人物は、藤原忠平だったようです。百人一首の貞信公として知っている方も多いと思いますが、彼は地相鑑定の名手としても有名です。彼はこの地に藤原氏の氏寺を建立し、境内に4本の川を流しました。

それから約300年後、九条道家がこの地に東福寺を建立します。創建時には、東大寺に勝るとも劣らない大仏が東福寺にも安置されていました。しかし、後年の火災によってこの大仏は消失してしまいます。その際、2mほどの巨大な左手だけが奇跡的に焼け残り、今も大切に保管されているそうです。

重森三玲が波心庭を作庭したのは、その火災から約60年後になります。彼は、絵画、彫刻、建築、庭園などの諸芸術を接続しようと考えていました。雨が降ると本当の池に変容する州浜型の白砂や、雲に見立てた借景のサツキは、そのようなことの初期の実践だったのでしょう。

貞信公に4本の川を作らせ、現在では重森三玲の苔を冬の霜柱で持ち上げてしまう、この地の産土(うぶすな)。そんな産土を、イングランド出身の彫刻家であるNell Shiinaがフラクタルな素描法で拓本し、それを粘土像に写し、石膏で型取りして石膏像にする。さらに、それを鋳型として、空間を司る柱を私が再設計し、その3Dデータを3Dプリンターを用いてコンクリートで出力する。この媒体を跨ぐ母型と転写の度重なる繰り返しにより、幻影を捕まえようと試みました。残された大仏の左手を母型として、焼失した事物を想像するように。

作家プロフィール

Nell Shiina

イングランドと日本にアイデンティティを持ち、パリとロンドンを拠点に彫刻及びそれに付随するドローイングやペインティングをメインに活動する芸術家。現在は日本でのルーツである京都に自身のアトリエとカフェを併設したギャラリーを運営している。

16歳の時にロンドンでの個展から彫刻家としてのキャリアが始まり、イギリスで高校卒業後ロンドンの芸術大学でファインアートを学ぶ。その後イングランド国内で美術解剖学を専攻しながら物理学や西洋哲学を学び渡仏。パリで年数回、顧客向けに個展を開催しながら学位を取得。2023年3月には京都、東京にて個展を開催予定。

解剖学や哲学を軸に懐疑的なアプローチで物事の本質、人間の存在などラディカルなテーマにしながらも自己言及的側面から推察される物事の関係性についても表現している。近年ではLegitimate、Inchoate、Antagonismをモットーに石膏や鉄を使い空虚の存在、不在、風化後の情報の行方についてを表現を行いながらも、コンテンポラリーアートにおいての彫刻自体の芸術的価値や立場についても言及している。

アラタ スズキ

1997年東京生まれ。親族に宮司のいる家系で育ったことで、宗教学的なアプローチを得意とする。2022年、早稲田大学大学院建築学専攻修士課程修了。
2023年にArata Suzuki Tokyoを設立し、建築や空間のデザインを中心としたクリエイティヴディレクターとして活動している。2024年秋には、金工アーティストの星飛鳥らと共に、展覧会『Ultra-contexualism 超文脈主義』を開催予定。日本を含めた六つの国を舞台にプロジェクトを展開する。
Website: https://www.ubsnant.jp