竹原義二の視点 日本建築に学ぶ設計手法


竹原義二・小池志保子・竹内正明 著

内容紹介

古建築の実測を通じて、建築の感性を磨く

住まいの原点を見つめ直すとき、日本の伝統的な建築が多くのヒントを与えてくれる。実測することで、本質を見極める眼、感性を磨くことができる。吉村家住宅、吉島家住宅、掬月亭、流店、聴秋閣などの優れた日本建築を、建築家・竹原義二の視点から読み解く。また、自身の設計に活かされている手法を、近年の実作から紐解く。

体 裁 B5・160頁・定価 本体3500円+税
ISBN 978-4-7615-3285-7
発行日 2023-02-10
装 丁 北田雄一郎

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はじめに 時間軸の中で持続する建築

竹原義二の視点 地形と建築─屋根伏図から読み解く

01 吉村家住宅 結界をまたぐ

02 吉島家住宅 境界が交錯する

03 中村家住宅 動かされてまわりこむ

04 古井家住宅 時間がうかびあがる

05 栗林公園・掬月亭 軸をずらす

06 岡山後楽園・流店 時の流れをうつす

07 臥龍山荘 美しくぼかす

08 江沼神社・長流亭 入れ子をめぐる

09 三溪園・聴秋閣 変化でたちどまる

竹原義二のしごと 架構と建築 学びから実践へ

諏訪森町中の家Ⅱ
東松山の家
鶴の里の家
牛田の家
十ノ坪の家

竹原義二(たけはら・よしじ)

無有建築工房主宰
建築家
1948年徳島県生まれ。建築家石井修氏に師事した後、1978年無有建築工房設立。
2000 ~ 13年大阪市立大学大学院生活科学研究科教授、2015~19年摂南大学理工学部建築学科教授。
現在、神戸芸術工科大学環境デザイン学科客員教授。
日本建築学会賞教育賞・日本建築学会賞著作賞・日本建築学会賞作品選奨・村野藤吾賞・都市住宅学会業績賞・甍賞経済産業大臣賞・こども環境学会賞など多数受賞。
著書に『無有』(学芸出版社)、『竹原義二の住宅建築』(TOTO出版)、『いきている長屋』(編著・大阪公立大学共同出版会)、『住宅建築家 三人三様の流儀』(共著・エクスナレッジ)など。

小池志保子(こいけ・しほこ)

大阪公立大学大学院生活科学研究科教授・ウズラボ
建築家、博士(工学)
1976 年兵庫県生まれ。2000年京都工芸繊維大学大学院博士前期課程修了。
2000~2002年中村勇大アトリエ勤務。2002年ウズラボ共同設立。
2006年より大阪市立大学助手などを経て、2022年より現職。
SDレビュー入選、芦原義信賞、大阪建築コンクール大阪府知事賞など多数受賞。
著書に『変貌する美術館』(共著、昭和堂)、『ほっとかない郊外』(共著、大阪公立大学共同出版会)、『リノベーションの教科書』(共著、学芸出版社)など。
担当:実測の読解

竹内正明(たけうち・まさあき)

ウズラボ
建築家
1973年大阪府生まれ。2002年ウズラボ共同設立。
2005年京都工芸繊維大学大学院博士後期課程単位取得退学。
2005~2007年京都芸術デザイン専門学校建築デザイン総合コース助手。現在、摂南大学非常勤講師。
Regional Holcim Awards Asia Pacific 、グッドデザイン賞など受賞。
著書に『図説 建築の歴史』(共著、学芸出版社)、『椅子さがし建築めぐり』(学芸出版社)、『図解ニッポン住宅建築』(共著、学芸出版社)。
担当:本文の構成

時間軸のなかで持続する建築

建築は生き続ける

建築をつくるということは家族が増えていくようなものと考えている。建築という家族は長く生きるため、つくり手には大きな責任がある。だからこそ、持続していくことの大事さを感じながら、時間軸のなかで建築を考える必要がある。
古い建築には、積み重ねられた時間がある。そこで営まれた生活、物が朽ちていく美しさ、伝統的なしきたりや技術などが時代を越えて蓄積されている。また、移ろいゆく光や四季の変化など、掴み取ることができないような現象を受け止める工夫がある。その時々の住まい方、建築の見方が、時間軸のなかでつながっている。
古い建築は、長い歴史を通じて足し算と引き算がおこなわれ、変化していく。人びとの生活が続く限り、常に変化し続け、古いものに新しいものが付加される。古い建築に新しい要素が組み込まれ、新しい建築で古い要素が生かされる。そんな関係性を築きつつ、建築のなかで時間が動いていく。それゆえに、古い建築と対峙することで、古いものと新しいものとの結節点を感じることができる。そこに、建築の居心地を問い直す契機があると私は考えている。なぜなら、人は居心地の悪いところにはいられないからだ。古い建築に対峙することで、建築の質を改めて問い直してみる必要があるだろう。

建築を学ぶこと

建築を通じて、私は様々な人と出会い、その出会いから多くのことを学んできた。人間は最初からすごいことができるわけではなく、徐々に成長していくものだ。立派な先達との豊かな出会いは、人の成長を促し、人生の方向性を明確にしてくれる。植物の成長に肥やしが必要なように、成長の過程で肥やしを与えてくれる人と出会うことが、人生においてとても重要である。

大学を卒業した後、もう一度建築を学び直したいと思っていた私は、大阪市立大学の富樫穎先生に出会った。人間がどういう生き方をしていくのか、社会とどんな関係をもつのか、建築だけではなく、日本だけでもなく、世界全体がどう動いているのか。富樫先生との対話のなかから様々なことを学んだ。
例えば、富樫先生のもとでは、農村の住まいについて調べ、村の人たちの生活をもっと豊かにする方法を考えた。住まいという観点でいうと、都市に住む人と農村に住む人との間には大きな差がある。農村には農村の生活があり、都市の生活をそのまま持ち込んでも住まいの改善にはつながらない。そのため、農村に泊まり込み、そこの生活を実際に体験しながら調査を進めていった。
建築は社会と深く関係している。建築のデザインが社会に果たす役割について自覚的でなければならない。農村であれば、そこで必要なものは何かを考える。都心であれば、そこで求められている用途に合わせたデザインをしてみる。デザインとは奇抜なものをつくることではない。そこで求められているものは何かを考え、それに寄り添って計画することである。
どのようにすれば生活の改善につながるのか、改善すれば本当に住みやすくなるのか、改善することで違った問題が出てくるのではないか。農村で住まいの中身を改修したところで、農村以外の人からしてみれば何も変わっていないように見えるかもしれない。でも、農村に住んでいる人はすごく働きやすくなって、生活力が生まれてくるということもあるだろう。
縁側が持っている力、軒下の高さによって雨の跳ね返りを調節すること、味噌が腐らない場所があること、地面は土じゃないとダメなこと、空気の淀みができて湿気がたまりやすい場所があることなど、長い年月を掛けて蓄積されてきた昔の人たちの生活の知恵が、農村の住まいを形づくっている。もちろん、与条件を踏まえてもろもろ計算すれば、コンクリートによる新しい建物をつくれるかもしれない。果たしてそれが豊かさにつながるのか、もっと違ったやり方があるのではないか、こうあるべきとして代々受け継がれてきた伝統的な技術に対して新しいものをどういう具合に足し算していくのか。
正解が何かわからないような問いに向き合って考え続けるということを、富樫先生には教えられた。富樫先生との出会いがなければ、そして富樫先生の問いかけがなければ、このような考えに至っていなかっただろう。
デザインの根源にあるのは、社会で何が要求されていて、そのなかでどのようなものをつくり上げていくのか、ということである。富樫先生との対話は、建築のあり方や思想を学ぶ契機となり、私にとって、とても貴重な時間となった。
富樫研究室で3年間を過ごした後、とにかく建築をつくりたいと思っていた私は、建築家の石井修先生と出会った。石井先生の美建・設計事務所に在籍中、私は石井先生の自邸「回帰草庵」を担当した。目神山の12番坂、鬱蒼と緑が茂り、坂の下にせせらぎが流れる場所に建つ「回帰草庵」は、建築をつくりながら自然をつくる、自然に拮抗しながら自然と融合していく建築である。
石井先生のところで実際の作品をつくっていたとき、「風が通るか?」と問われたことがある。「風が通るとか当たり前でしょ」と返答したこともあった。しかし、単に現象として風が通ればいいということではないということが、新しい建築を生み出していく過程でわかってきた。
庭の実測も石井先生に教えられた。そのとき、建築家の西澤文隆先生と知り合った。西澤先生は実測をすることで、建築や庭をデザインした人や、つくった職人たちの感性が伝わってくると言っていた。彼自身が感じた空間を図面化し、それを介して関わった人たちの感性を表出させようと試みたのだと思う。
富樫先生、石井先生、西澤先生という、私が辿った出会いを改めて見てみると、ひとつ筋が通った流れのなかで建築を学んできたように感じている。彼らは、それぞれが独自の道を歩んでいたが、みな同じようなことを言っていた。もし彼らとの出会いがなければ、建築の本質を学ぶことはなかっただろう。

実測を通じて

住宅を設計するとき、周辺との関係性に対して素直になり、無理なく納めることに意識を向けている。住まいをどのように開き、どのように閉じるのか。外の世界に気を配り、心地よい距離を保つことができる空間を考えるとき、「住まいの原点とは何か」という問いが頭をよぎる。このとき、伝統的な日本建築が、私に多くのヒントを与えてくれた。
伝統的な日本建築を訪ね、自分の目で確かめていくと、それぞれの部位の成り立ちに理由があることがわかる。素材を見極める眼は、優れた建築を見続けることで養われる。建築のディテールは、暮らし方を受け継いでつくられてきたものであることを実感する。日本の気候風土に合わせた、先人たちの工夫が必然性をもってひとつの場をつくり出している。そして、環境、敷地、日当たり、風通し、隣人や家族との関係のなかから住み心地の良さが生み出される。伝統的な日本建築をよく見ていくと、全体に関わる主要なディテールの存在に気づく。何度も見直すことで、新しい発見があり、その発見を自分なりに組み立て直すと新しいディテールが生まれる。住み続けることは建築と向き合うことであり、その時間の堆積によって生み出された結晶が建築のディテールである。
農村の調査の過程において、建物を測って、寸法を取りながら図面にするということを学んだ。これが私と実測との出会いであった。
自分の目で確かめて、それを何度も見直しながら紙の上に描いてみて、そこからその建築の本質に近づいていく。このような方法で、建築や人間と向き合い、感性を養ってきた。これを、建築を学ぶ学生と一緒にやりたいと思い、実測を大学の授業に組み込むことにした。自分で寸法を測り、自分の手で図面に起こすという作業を、図面が仕上がるまで何度も繰り返すことで、学生たちは建築に向き合うことになる。素晴らしい建築と深く向き合うことで、その建築の質に触れることができ、感性が豊かになっていく。
実測するということは、単に寸法を測るということではない。建築の成り立ちを深く考えることであり、その本質や素材の根拠を見つけ出す作業でもある。最初は全然わからなかったものが、何度も見ているうちに「これって?」と疑問に感じるようになる。その建築ができあがった時点に少しずつ遡っていくことができ、徐々に答えがわかってくる。
実測によって本物を知り、建築の本質に近づくことができる。誰が、どういう意図で、どういう気持ちでつくったのかということを、自分の五感を使って確かめることが大切である。建築の見方、建築の質、建築の教え方が変化していく時代において、実測をし、本物を見るという体験が、建築を学ぶ人たちにとって建築の本質を知る術となり得ると私は信じている。
実測とは、建築の扉を開けることに他ならない。扉を開けて奥に入って行くと、奥が深すぎて、どんどん深みにはまってしまうこともある。そんな経験を積み重ねながら、絵と寸法で図面を描き上げていくと、建築の見方やスケールがわかってくる。実際に触れ、持つことで、重いとか軽いとか、視覚だけではわからない情報が手に入る。実際に行かないとわからない情報を得ることは、建築の本質を理解することに通じている。建築の本質に触れることで、建築の設計に必要な感性が育まれていくだろう。

竹原義二

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