日常の絶景
知ってる街の、知らない見方

八馬 智 著

内容紹介

絶景は私たちの日常に隠れている

室外機、ダクト、通信鉄塔、消波ブロック、ダムなど、都市をつくる15の断片。ハッとする写真とちょっとマニアックなテキストは、「私たちの〈日常〉とは何か?」という問いをじわじわと浮かび上がらせる。撮って歩いて考えてまた撮る──。その繰り返しでたどり着いた、静かな熱狂。絶景よ、そこにいたのか。

体 裁 A5・144頁・定価 本体2200円+税
ISBN 978-4-7615-2800-3
発行日 2021-12-15
装 丁 UMA/design farm

アニメ/漫画「映像研には手を出すな!」作者・大童澄瞳さん推薦!!!

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1章 scale=S:身近にあるもの

1-1 個人コレクションの展示【室外機】
1-2 囚われのドロイド【リサイクルボックス】
1-3 ホンモノになりたい【擬木・擬石】
1-4 露出した内臓【パイプ・ダクト】
1-5 地に足をつける【高低差】
〈非日常コラム〉ビルバオの枯山水/ベネチアの人々

2章 scale=M:街に潜むもの

2-1 ゴージャスな脇役【避難階段】
2-2 延命治療の現場【耐震改修】
2-3 クルマのお宿【駐車場】
2-4 見えてないランドマークタワー【通信鉄塔】
2-5 都市のエッジのピクセル画【コンテナターミナル】
〈非日常コラム〉トランスフォームドボク/ラッピング名所

3章 scale=XL:いつもは見えないもの

3-1 海岸のクローン兵【消波ブロック】
3-2 無愛想な守護者【放水路/調節池】
3-3 自然と人間の交錯点【砂防】
3-4 大きな穴【鉱山】
3-5 山奥の実家【ダム】

八馬 智

都市鑑賞者。1969年千葉県生まれ。千葉工業大学 創造工学部 デザイン科学科 教授。専門は景観デザインと産業観光など。
千葉大学にて工業意匠を学ぶ過程で土木構造物の魅力に目覚め、札幌の建設コンサルタントに入社。設計業務を通じて土木業界にデザインの価値を埋め込もうと奮闘したものの、2004年に千葉大学に戻りデザインの教育研究に方向転換した。その後、社会や地域の日常を寡黙に支えている「ドボク」への愛をいっそうこじらせた。2012年に千葉工業大学に移り、現在は本職の傍らで都市鑑賞者として活動しながら、さまざまな形で土木のプロモーションを行っている。
前著『ヨーロッパのドボクを見に行こう』(自由国民社、2015)のほか、『ようこそドボク学科へ!』(佐々木葉 監修、2015)に寄稿。

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(12/17更新)

誰もが人生の中で、目の前の風景にハッと息をのんだ体験があるだろう。

見慣れた部屋であっても、窓から入る風のそよぎ方や差し込む光の具合で、こんな表情があったのかとあらためて気付く。いつも通勤通学で歩いている道でも、休日に顔を上げてゆっくり歩くだけで、見えなかったものが見えてとても新鮮に感じる。それらは他者が共感できないかもしれない、自分なりの風景の体験だ。

一方、「絶景」とは、多くの人が共感できる美しさや迫力を持つ他にはない風景、と一般的には捉えられている。そのため、自分たちの日常生活とは距離があるように受け取られやすい。しかし、「めずらしさ」や「わかりやすさ」は単なる結果であり、必要条件ではないはずだ。むしろ重要なのは、風景を成立させている背景の「設定」であり、その意味を自分なりに理解して価値づけることではないだろうか。各種メディアで絶景と定義された風景でなくても、自分なりの絶景があっていいのだ。

つまり、絶景は非日常だけとは限らない。日常にも潜んでいる可能性がある。
そして、それらを能動的に探索するプロセスは、とても楽しいものだ。

アンテナ感度を上げながら街を歩き、自分なりの絶景を見つけたときは、静かな興奮に浸ることができる。他者からすると「わかりにくい」ものであっても、「ああそういうことなのか」「この解き方は見たことがない」「これはクオリティが高い」など、自分自身が「わかる」時こそ大きなよろこびが得られる。
そもそも現代社会のさまざまな場面で求められる「わかりやすさ」は、正義とは限らない。むしろ、人間の知性を弱体化させる危険性がある。人生において重要なことはたいてい、手軽に得られるはずもなく、なにかの苦労を経てようやく到達するもの。つまり、他者から与えられた絶景よりも、自分自身で獲得した絶景のほうが、より本質に近づいていると言えるだろう。

そのように絶景を探索していると、日常を支えている要素にも思いが至る。

小説、演劇、映画、アニメ、漫画、ゲームなどの創作物では、その世界観を構成するパラメーターを、制作者が設定している。それらは世界が破綻しないよう緻密に組み立てられ、演出に練り込まれる。受け取る側は、自分の知識や常識と対比しながら、その世界設定を理解していく。そのプロセス自体、創作物の面白さの一部だ。
創作物から得られるこのような体験と、旅行などで得られる風景体験は、ずいぶん類似しているように思える。たとえば、異なる国や地域に行くと、自分のルールが通用しない場面に出くわし、それを乗り越えることで地域文化を理解することがある。地域の成り立ちが創作物の世界設定と同じだと捉えれば、リアルな風景を読み解く面白さも理解しやすい。むしろもしかすると、自分たちが生きるこの現実世界も、誰かが設定しているのかもしれない。そう考えると、いつもの風景も少し違うように見えてくる。

見方をわずかに変えると、それまで見えなかった姿が次第に浮かび上がる。

そのためには、目の前の具体的な対象をさまざまな角度や距離から徹底的に眺め、それが成立している理由を考えながら、ひとたび抽象的に捉え直す。これを効率よくやるには、ちょっとした工夫が必要だ。たとえば、言語化を繰り返す、因果関係を整理する、背後にあるパターンを見抜く、時間や空間のスケールを変える、アナロジーを用いて置き換えるなど、さまざまな手法が考えられるが、それらを解説することは本書の目的ではない。
本書が目指すところは、筆者の雑多な妄想をサンプルにしながら、読者の風景に対する感度や解像度を刺激することにある。つまり、さまざまな「風景の見方のコツ」を緩やかに示したいと思っている。

そのために、室外機、通信鉄塔、ダムなど、都市の内外に存在する具体的な対象物を15項目選んだ。それらは日常の中に溶け込んでおり、見ようとしなければ見えない、つまり、一般的には「わかりにくい」ものたちである。本書を通じて、見方のコツを得ることで、絶景に見えてくる期待を持って選定した。
さらに、スケールにダイナミズムを与えるために、章の構成を「S、M、XL」と次第に大きくなるようにした。「L」が抜けているのは、勢い余ってしまったからに他ならない。日常の風景から、日常を構成しているものの風景に移り変わっていく。そのスケールの違いも楽しんでいただけると幸いである。

2021年12月 八馬智

都市をつくる断片の使命や葛藤について、妄想を膨らませながらつらつらと書き連ねてきた。それらは、一歩下がって日常を支えているという共通点があるものの、ひとつの本の素材としては、位置付けもスケールもずいぶん異なっている。この落ち着きのなさは、筆者がこれまで無意識に捉えてきた情景を、一気に棚卸しして並べてみたい気持ちの表れである。今回、本の形にまとめる機会をいただいたことで、自分の周りにフワフワと漂っていた都市に関するおぼろげな思考を、少しは意識できる状態になった。

●インプットとアウトプットのコツ

まず、本書のビジュアル面を担う「写真」と、筆者との関わりを簡単に振り返ってみたい。
筆者は2000年代中盤にカメラのシステムをフィルムからデジタルへ移行した。コスト面の制約から解き放たれたことで、出張や旅行やまち歩きで気になった風景を、気軽に記録するスタンスが徐々に身に付いていった。もちろん、風景体験そのものを写真に押し込むことはできないので、あくまでもメモ代わりだ。その結果、これまで撮った写真は現時点で20万枚をゆうに超えている。
画像データは日付と場所だけを示したフォルダに入れて、時系列で閲覧できるようにしている。仕事資料の作成時はもちろん、気分を手軽に切り替えたいときや、旅に出たい欲求を一時的に留保する現実逃避など、さまざまな機会に過去の写真を眺める。その追体験を通じて筆者の脆い記憶を再構成しているうちに、いまや身体の一部を構成する記憶補助システムになってきた。
写真という半ば客観的な視覚情報を自分の中に再び取り込んでいくと、写真の中の対象が持つ意味にじわじわと変化が起きる。あたかも撮影者ではないかのように過去をトレースすることで、ようやく気になるものが顕在化し、見えなかったものが見えてくるような感覚が沸き起こる。それを意識的にキャッチアップしていくことは、実に楽しい。
もともとは記録の道具として捉えていた写真が、記憶を補完して醸成させる存在であることに気付き、やがて思考を続けるための器官になったのだ。

そして2000年代後半から、写真を撮るインプット作業と平行して、メモとしての写真をSNSなどに上げるアウトプット作業も行うようになった。写真を外に出すための情報通信技術は、思考を触発するきっかけもくれるし、なにかの概念が発酵するまで寝かせるのにも都合がいい。
たとえば、旅先で気になった風景の写真を、即時的にコメントを添えてTwitterに投稿する。考えをまとめたいときには、テキストとともにブログに投稿する。正方形にトリミングすると映えそうな写真は、体よく調整してInstagramに投稿する。よそ行きの活動報告をしたいときは、Facebookに投稿する。自分なりにあれこれモードを変えながら、各種サービスを外部記憶装置として活用している。キーワードを付記しておけば検索可能になって振り返りやすくなるし、自分のアウトプットを世間の目に晒すことで徐々にクオリティも上がる。
それを繰り返していくうちに、運良くある編集者がネットで見つけてくださり、『ヨーロッパのドボクを見に行こう』(自由国民社、2015)という、これも写真中心の書籍にまとめることができた。その他にも、楽しい仕事に結びついたことは数多い。自分の思考の断片を無作為にばらまくことで、誰かがそれをまとめる手助けをしてくれるなんて、ネット社会ならではの恩恵と言える。

●真似る、収集する、旅に出る、引き返す

当然のことながら、「日常の絶景」に思いを馳せるには、写真によって記憶を補強しつつも、まずは実空間で興味をそそる風景に出会う体験が不可欠である。
とは言え、興味というものはたいへんあやしく、はじめからあるものではない。前述のように、風景を観察する行為を繰り返すことで、ようやく自分の中におぼろげに立ち上ってくる。このため、最初は対象を絞り収集するように写真を撮り続けるか、一歩先を行くまち歩きの達人を真似した方がいいだろう。筆者の場合は後者からスタートした。幸運にも2000年代後半から名だたる「都市鑑賞者」たちと行動を共にする機会を多く得たことで、風景の解像度が格段に高まったことをよく覚えている。

いずれにしても、少しでも興味をそそられた風景は、徹底して観察したい。写真を撮り、ストックし、考えて、ゆるく分類する。その繰り返しを飽きずに続ける。筆者の場合はそれを無自覚に実践するうちに、いくつものテーマが自分の中に徐々に醸成されてきた。それは、写真整理に用いるAdobe Lightroom Classicのコレクションの項目に表れている。たとえば、「美しい汚れ」「タワコレ」「ステキ倉庫」「室外機コレクション」「パーキングスケープ」「ゴージャス避難階段」「斜行事例」「オレのブルータリズム」「巧まざる造形」など、いまではおよそ50の項目が並び、増殖し続けている。これらは収集のテーマになっていることはもちろん、本書の構成の設定や、写真選定の際に、とても役に立った。なにかを無目的に続けることは、後天的に意味を帯びることもあるのだ。

しかし、いくら自分のテーマを持っていても、実際にその風景を街の中で見出せるかどうかは、その時のアンテナの感度次第だ。それこそ「日常」の範疇では気付かないことが多いし、わざわざカメラを取り出して写真を撮るまでにはなかなか至らない。
だからこそ、旅に出たい。たとえ出張であっても、ウキウキした旅気分で。そうすることで、日常と非日常のモードが切り替わる。いつもと違う場所や具体的な対象を見に行ったときは自分のアンテナ感度が高まっているので、風景に潜むいろいろなノイズに気付くことができる。それをコレクションに加えるといい。日常の絶景に気付くには、非日常の刺激が不可欠なのだろう。

もうひとつ心がけておきたいことがある。それは、「引き返す勇気」だ。歩いているときに、不意になにかが引っかかるときがある。それはその時に求めているテーマとは異なるものかもしれないし、横目に入った路地の雰囲気だけかもしれない。けれどそうなったら、いったん戻ってじっくり観察してほしい。
ところが。これを実践するのはなかなか難しい。瞬間的にやらない理由を探してしまい、しまいには気がつかなかったことにしてしまう。そんなときこそ、勇気を振り絞って乗り越えたい。その先に、ようやく見えるものがあるのだ。
特に、スピードが速い車では、見える風景が歩行時とは大きく異なる。運転時に引き返すのはより勇気が必要だが、安全を確認しながらUターンの判断をしたい。長い人生、部分的なやり直しは十分に可能なのだから。そこで見えてくる風景は、絶景に変わる可能性が高いと、これまでの経験上感じている。

●世界の設定とデザイン

さて、筆者は「デザイン」を教育する立場にある。その傍らで、都市鑑賞者としての活動を趣味的に続けてきた。かつては両者を分離して捉えていたが、最近ではメタレベルで融合してきた感覚がある。つまり、風景を理解するプロセスを、デザインの能力開発に取り入れる道筋が見えてきたのだ。
世界の設定を観察する。そして、仮説を立ててその先の世界を想像し、あわよくば創造する。
デザインを学ぶ多くの学生は、このフレーミングを繰り返し、デザインの能力を拡張している。具体的な観察に長けている若い学生が、抽象的な思考を手に入れると最強になることはわかっている。だからこそ、具体と抽象をシームレスにつなぎ、双方を意識的に行き来するメタ視点を獲得するには、「日常の絶景」の探索が良いトレーニングになるだろう。
もちろん本書はデザインを学ぶ学生だけを対象にしているわけではなく、日常の風景にちょっとした変化をつけたい多くの方にご覧いただきたい。あえて詳細な解説を記していないのは、個々の写真から「設定」を妄想してほしいからだ。対象をより深く知りたくなったら、ぜひほかの都市鑑賞者のご著書も参照していただきたい。本書では、筆者の妄想を手がかりに、まち歩きの視点や、都市を支えるインフラストラクチャーへの理解を拡張していただけると幸いである。

 

本書の制作は2020年の初旬に始動した。学芸出版社の編集者である中井希衣子さんとコンセプトを相談しているとき、たまたま直前に見たテレビアニメ「映像研には手を出すな!」の話で大いに盛り上がった。主人公の一人が、「それまでずっとやっていたこと」の意味に気付くシーンについて、とりわけ熱く語ったことを覚えている。そして原作の漫画を買い込み、その世界観をなぞりながら〈私の考えた最強の世界〉を目指すことになった。その話を作者の大童澄瞳さんにお伝えし、本書の草稿をご覧いただいたところ、カバーに示した素晴らしいコメントをいただいた。この場を借りて、感謝申し上げます。

コロナ禍の影響を受けて、多くの紆余曲折を経ながらも、なんとか書籍の形になってきた。その原動力になったのが、UMA / design farmの原田祐馬さんと山副佳祐さんによるデザインだ。ほぼリモート会議での進行ではあるが、中井さんを中心とするこのチームでの仕事は大きな刺激に満ちており、何度も折れかけた気持ちをその都度立て直すことができた。状況が落ち着いた頃に、京都で祝杯をあげたい。

人類の長い歴史の中で、現代に生きる私たちが日常的に目撃している都市の風景は、偶然の積み重ねにより生み出された、ほんの一瞬の絶景である。そう考えると、昨日よりも寛容な気持ちで世界を眺められるだろう。

ご協力くださったすべてのみなさま、どうもありがとうございました。この本を手に取ってくださったすべてのみなさま、具体と抽象の行き来を楽しみながら、あなたなりの「日常の絶景」を鑑賞してください。

2021年12月 八馬智

 

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