がくげい連載「都市はどうなっていくのか会議」最終回 “都市のこれから”

主催 学芸出版社
※詳細は主催団体等にお問い合わせください。

10/9に千鳥文化さんで開催された「がくげいラボvol.8」。がくげいラボは、学芸出版社・編集部の「今これが気になる!」に答えてくれる方々をお呼びし、参加者の皆さんを交えてざっくばらんに議論したい!という企画です。

今回、がくげいラボvol.8から派生して、全7回の連載「都市はどうなっていくのか会議」がスタート!

\当日の登壇者 都市の自由研究会※)と参加者の皆さんによる、今直面している都市の問題や課題についての議論を、レポート形式で連載します。/

最終回「都市のこれから」

連載最終回の今回は研究会の皆さんと参加者の議論をレポートします。

―都市の「ルール」と「節度」

―まず参加者から、最近の都市における活動は、ルールで縛られている以上に節度で制限し、ルール側も節度側も遠慮し合い、おもしろくない状況が生まれているのではないか、との意見がありました。
確かに本来はルールなどなくても、節度やモラルによって秩序が保たれていることが一番良いと言える一方で、例えば道端で飲んで朝まで寝ていてもそれほど怒られないように、今のルールでやれないことは実はあまりない、と園田さん。

園田さん:むしろ、好きにどうぞと自由にされたときに、やりたいことの発想力が乏しいことのほうが問題だと思っています。例えばワークショップでも、「今の都市に割と満足している」「近所のイオンは結構良い」という話になることがあります。自分も含めて、消費者マインドがつきすぎているのではないでしょうか。

―また、節度が保たれ、ルール上も問題がないとしても、責任回避・ことなかれ主義的に避けられてしまう活動が多いと言います。

近藤さん:昔、路上での2人乗り自転車を解禁する試みがありました。制度上は問題なく、他県の事例もありましたが、危ないという先入観がどこか強く残っていました。この先入観やなんとなくの空気感を暴いていくと、最後に残るのはリスクを誰がとるかという話だけです。つまり、他県の実績を真似るより、リスクをとらない選択で落ち着いてしまいます。そうような実態のない空気感が、都市の自由を阻害していると思います。

石原さん:こうしたルールの問題は、人々の不寛容化につきると思います。何かがあった時に人のせいにする社会では、リスクを誰かに任せてしまいます。さらにその先起こりえないようなことも想定してしまうという悪い循環になっています。

―都市に開き、自由にできる感覚を身につける

―さらに話題は、これまでにも出た「都市におけるコミュニケーション力」に派生していきます。第5回で紹介したこたつの事例のように、ここ最近、街中でなにか活動をしている人・それ以外の人たち同士が、直接その場で顔を合わせ話すようなアクションが生まれづらい状況にあります。
しかし、竹岡さんの「笠」のように(第3回参照)、周囲が理解できる開かれたアイコンがある途端、会話が起こりやすくなる可能性があります。

竹岡さん:自分から少しでも開くアクションをしてみたら、意外とそれで済む話かもしれません。都市生活のなかで、開くことをじわじわやっていると、文化として認められていくのではないかと思います。

―また、ルールと節度を橋渡しする指標として、最近は「許可」が大きな意味を持っています。

榊原さん:最近は「許可がある」ということを主催者がしっかり明言した上で都市で活動する風景をよく見ます。まちなかで活動しているとよく「許可とっていますか?」と声をかけられることがよくありますが、苦情でも賛同でもなく、「許可がある=正当性かどうか」ということをまず確認してしまうのは、公共空間を自由に使うハードルを社会全体で勝手に押しあげているようにも感じます。そのハードル自体を下げる必要があるのではないでしょうか。
また、潜在的な利用者が無自覚にハードルをあげている側面も多分にあると思うので、選択の多様性や自分で自由にできるという感覚をなるべく多くの人が持った方が、不寛容な社会から脱するきっかけになると思います。結果的に賑わいが色々なところで生み出される、というのはとても良いことだと思います。

―許可は必要なのか

―一方、そもそも許可を届けるべきなのか、さらに許可にとらわれない実感が必要だという意見もありました。

石原さん:組織には、許可すると損するという意識があると思います。ゲリラ的にやって、だめだったら怒られれば良いのではないでしょうか。ドラえもんの空き地のように、怒られておしまい、という場所が増えると良いなと思います。

榊原さん:それほど積極的に公共空間を使っていないし、実際あまり使いたいわけではないんでしょ、と判断してしまうのも暴力的です。行政や地域のNPOと仕事をすると、逐一許可を取ることが必要になりますが、そもそもそうした許可など気をとられることもなく、やりたかったら公園でキャッチボールもできるわけです。より多くの人が、自分で自由にできることを実感することが、社会の寛容性をのし上げるアクションになる可能性があります。そうして、使いたいと思った瞬間から使える可能性が高まっていくのではないでしょうか。

会場の千鳥文化さん Photo by gakugei

―都市へのコミット

―そして会場は、利用者が都市にどうコミット・寄与すべきか、という話題へ。
近藤さんから、そもそもメリットデメリットでの判断や、滞在時間や経済効果など、都市への寄与をはっきり提示すべきなのかという問いが投げかけられました。

近藤さん:価値を明示することで、それぞれの活動の本来の価値が失われ、つまらなくなってしまいます。よくわからないけど良い、言葉にならないけど面白い、というようなことが都市で起こるべきです。それを実感している人たちが今日ここに集まっているように感じます。

―さらにご自身の経験を踏まえ、都市におけるアクティビティの前例をつくる必要を感じているという園田さん。

園田さん:ベルリンの社内視察報告会をある公園でやろうとして、念のため公園事務所に許認可申請を届けたんです。青空の下の芝生でビールとソーセージを食べながら報告会をしたいと申請したところ、なぜ公園なのか、会議室ではだめなのか、と言われました。せっかく公園を税金で整備して維持管理してくれているのなら、僕らも使いたいように使いたいと思っています。養生用の芝生を外から眺めるために税金を払っているわけではありません。そうやって公園でプロジェクターとスクリーンを出して、ホットプレートでソーセージを焼いてビールも飲んでいたら、次第に真似する人たちが増えるかもしれないと思います。
また以前、新宿駅から伊勢丹や丸井などの百貨店に続く新宿通りを通行止めにして、ファッションショーをやったことがあります。フェンディやフェラガモなどのブランドの中に、モード学園の卒業制作がありました。スーパーブランドのファッションショーに出る経験は学生たちには一生の思い出になり、学校の宣伝にもなります。新宿という都市にある学校だからこそ、その都市でアピールできる特権があります。そういう風に都市を使いこなす方法や前例を、もっと戦略的におもしろく議論したいと思っています。
なお一方では、道路の規制緩和などの議論には限界があります。のれんや赤提灯のある居酒屋やオープンカフェに普段行かない人たちが、道路行政で規制緩和を要求され、相談に来ることがありますが、まず自分でそういう場所に行ってみて、良いと思ったら規制緩和をすれば良い、と話しています。


―文化財は都市にとって不自由?

―次に、城や寺社仏閣などの文化財関連のお仕事をされている参加者から、都市における文化財の価値について意見がありました。文化財がなければ、自由にその土地を使うことができる可能性が生まれます。例にあがった明石城は、駅直近の立地にも関わらず周辺にはあまり人いないそうです。文化財と都市、さらには無関係な人々の巻き込み方について議論されました。

―意外な人たちを巻き込む

近藤さん:長い目で見て、文化財の存在を都市の賑わいの休憩期間だと捉えるのはどうでしょうか。
また、文化財ファンは発想が近い傾向にあるので、文化財と真逆の人々を巻き込み、周りの広場まで含めた使い方を考えてくれる人を探すと良いのではないでしょうか。例えば先ほどのスミス記念堂(第2回)の運営が忙しくなったとき、助けてくれたのは主婦の友達でした。彼女たちから派生して手伝う人が増えたり、子供たちが遊んだりと賑やかになりました。全く違う社会層を巻き込むことは1つの方策としてあり得ると思います。

園田さん:平成5年頃から、一度宅地化された小田原城のお堀を復活させる構想が始まりました。売りに出た宅地を小田原市が買収し、土地がまとまったらお堀を復活させる計画です。しかしその後市有地になったものの、長い間柵が張られていました。
一方で小田原は歴史のある古い街なので、中心部に公園がなく、のんびり過ごせる緑地や子供が遊べる場所がありませんでした。そこで、市民が自由に使える場所として、その計画地の柵を外して芝生にする提案をしました。文化財課の方は、維持にも税金がかかるためどうにかしたいと思いつつ、アイデアがなかったそうです。普通鉄道は城などの文化財を避けて敷かれていますが、小田原の場合は駅と城が近接していてアクセスが良いことも特徴です。街中に広大な場所があることは資産ですし、僕らのような人にとっては使いたくなる資源です。

 

会場の千鳥文化さん。良い場所です。Photo by gakugei


―会の終わりに

―さて、ここまで様々な視点から議論が行なわれてきましたが、果たして研究会6人の今後の活動はどうなるのでしょうか?

榊原さん:まだまだ準備中という感じですが、立場が違ってバリエーションのある人達が集まっていることが強みなので、シンクタンクのような感じでやっていけたらおもしろいなと思っています。

園田さん:研究会では、議論だけでなく様々なことの実践を心がけています。今事務所まで歩いて5分程の場所に住んでいますが、昼休みの1時間で家に帰り奥さんと子供と一緒にご飯を食べるような生活が良いなあと思います。どういう生活をして、誰とどこでどんな風に過ごすのか、というライフスタイルへの考えが、都市を自由に使うための根本にあると思います。望んだライフスタイルができる働き方や、社会の寛容性を実現したいです。都市の自由やパブリックスペースの議論は、生活のあり方へと繋がると思っています。

議論の様子 Photo by gakugei


さて、がくげい連載「都市はどうなっていくのか会議」も今回が最終回。
イベント当日は、台本も予定調和も全くなく議論が進められていきました。研究会メンバーの多様な専門性と、来場者の皆さんの積極的な参加によって、たくさんの階層・切り口・尺度から「都市の自由」について考える時間となりました。
「都市の自由とはなにか」。
この大きな命題に対し、会の最後にこれだ!という答えが出るわけはなく、多少発散的な議論になった部分もあるかもしれません。
しかし、それぞれが異なる立場ながら抱えている共通した問題意識が、なにが問題なのか・本当に問題なのか、と掘り下げながら議論が進められたことは大きな収穫だったと思います。
より柔軟に、おもしろく議論するための考え方のフォーマットのようなものが共有されるきっかけになったのではないでしょうか。
果たして、これから都市はどうなっていくのか。
研究会・参加者の皆さんがさらに経験を積まれた1年後くらいに、また集まって議論ができることを楽しみに、この連載を終えたいと思います。

連載をお読みくださった皆さん、当日ご参加くださった皆さん、そして研究会のみなさん。ありがとうございました。


担当:中井希衣子

Vol.8のイベントページ・レポート一覧はこちら

記事をシェアする

学芸出版社では正社員を募集しています
学芸出版社 正社員募集のお知らせ