ポスト・オーバーツーリズム
内容紹介
国内外8都市のルポから学ぶ持続的観光戦略
市民生活と訪問客の体験の質に負の影響を及ぼす過度な観光地化=オーバーツーリズム。不満や分断を招く“場所の消費”ではなく、地域社会の居住環境改善につながる持続的なツーリズムを導く方策について、欧州・国内計8都市の状況と住民の動き、政策的対応をルポ的に紹介し、アフターコロナにおける観光政策の可能性を示す
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まえがき
第1章 オーバーツーリズムとは何だったのか
1. パンデミックに揺れる観光
2. 巨大産業化しつつあった観光産業
3. 現代的都市問題としてのオーバーツーリズム
4. オーバーツーリズムの遠因
5. オーバーツーリズムの近因
6. オーバーツーリズムが地域にもたらす弊害の現代的側面
7. 都市社会運動の展開
第2章 日本の観光政策の現段階
1. 近代以降のわが国の地域と観光の関係史
2. 平成の観光史
3. 新型コロナウイルス感染症流行後の観光政策
4. 歴史から見る現代の観光政策とオーバーツーリズム現象
第3章 ヴェネツィア──テーマパーク化からの脱却を目指す古典的観光都市
1. 観光都市ヴェネツィアの輪郭
2. 「ディズニーランド化する」ヴェネツィア
3. 観光に抗議する住民運動の展開
4. 過熱する観光の抑制を目指す政策的対応
5. 観光のプライオリティを下げることのできないジレンマ
第4章 バルセロナ──都市計画を通した観光活動適正化の試み
1. 豊富な観光資源で観光客を魅了し続ける都市
2. 観光都市としての急成長:背景と政策の経緯
3. オーバーツーリズムの状況
4. 「都市への権利」を問う自律的市民運動
5. 界隈の居住環境保全を図る観光戦略
6. 観光の包摂的発展に果敢に挑む
第5章 ベルリン── DMOを軸に観光の質を追求する
1.‘Capital of Cool’─刺激的な文化発信の拠点
2. ベルリンの観光のトレンド
3. オーバーツーリズムの状況
4. 市民からの反応
5. 市行政による政策的対応
6. 質の高い観光の成長を前提とした穏健な政策モデル
第6章 アムステルダム──住民生活の優先を明確化した網羅的な政策対応
1. アムステルダムのオーバーツーリズム前夜
2. アムステルダムにおけるオーバーツーリズムの状況
3. 市民からの問題提起
4. オーバーツーリズムに対する政策的対応
5. City in Balanceの評価と課題
第7章 サントリーニ島──歴史的町並み保全制度の奏効と観光インフラ整備の推進
1. サントリーニ島の盛衰と観光発展の背景
2. サントリーニにおけるオーバーツーリズム
3. オーバーツーリズムと地域住民
4. 新行政によるオーバーツーリズムの緩和・回避対策
5. 歴史と伝統の上に描く観光地デザイン
第8章 京都──オーバーホテル問題に直面する世界的観光都市の岐路
1. 日本を代表する伝統的観光都市
2. 京都市におけるオーバーツーリズムの状況
3. 市民からの異議表明と共存を探る試み
4. さらなる成長を促す政策的対応
5. 多用される「地域との調和」とは何か?
第9章 由布院──生活型観光地が模索する暮らしと観光の距離感
1. 定住人口と1日当たりの交流人口がほぼ同じ町
2. 生活と観光の均衡変化と想定外の環境変化
3. 観光計画に基づく地域間の戦略的互恵関係の構築と官民協働体制の再構築
4. 環境変化への対応と地域の意思の明示
5. 交流を通じた持続可能な地域づくり
第10章 倶知安── 外国化した地域の主権を取り戻す地域住民の模索と努力
1. 国際的なスキーのまち
2. ニセコひらふ地区が国際観光地に至るまで
3. 過度な観光開発がもたらした地域の変化と取り組み
4. 外国人による土地・建物所有や事業がもたらした地域の変化と取り組み
5. 中心市街地への影響波及
6. 倶知安町一体となった観光マネジメント
第11章 オーバーツーリズムから包摂的な観光へ
1. オーバーツーリズムの教訓
2. 先行報告におけるオーバーツーリズム改善の方向性
3. COVID-19は観光にどのような影響を及ぼしているか
4. オーバーツーリズムからパンデミックへ
5. 界隈を再生する観光戦略
6. 観光の脱成長へ
あとがき
ここ数年、洋の東西を問わずメディアを賑わせてきたオーバーツーリズムは、新型コロナウィルスの世界的蔓延という思いもよらぬ形で唐突な終焉を迎えた。観光はパンデミックを助長しかねない厄介な存在として脚光を浴びることになり、国境を超えた移動は姿を消した。観光地としても人気の高いニューヨーク、パリ、ロンドン、コペンハーゲン、マドリード、バルセロナ、カイロ等、世界の主要都市では都市封鎖(ロックダウン)が度々実施された。移動が封じられては、観光は成立しない。過密を作り出していた観光客の群衆はすっかり姿を隠し、人気スポットには閑古鳥が鳴いている。
パンデミック発生の直前まで、観光産業は目を見張る成長を遂げつつあった。観光は、世界金融危機から回復を見せた2010年以降、年率5%前後の成長率を継続的に記録する「安定的な成長が期待できる」数少ない産業の1つであった。国際観光収入と旅客輸送を合わせた国際観光輸出合計は、2019年に1兆7,000億米ドルにのぼった(1)。
堅調な成長の背景は様々である。所得中間層の世界的な増加やローコスト航空(LCC)の定着に見る旅行コストの低減は、わたしたちに海外旅行を一段と身近なものにした。ソーシャル・メディア、特に写真の投稿を主とするSNSの爆発的な普及は、旅行への動機を刺激するだけでなく旅先での他者の行動パターンを倣うことへの躊躇をなくした。Peer-to-Peer型オンライン・プラットフォームであるエアー・ビー・アンド・ビー(Airbnb)に代表されるシェアリング・エコノミーの旅行業界への進出は、新たな旅のスタイルの登場と定着を後押しした。これに加えて、目的地である地域・都市の側からも、経済や産業の活性化や空間再生の観点から、外需としてのインバウンド観光に期待を寄せるようになった。一定の雇用を生む有力な産業としても、もはや観光は欠かせない存在になっている。いまや、好むと好まざるとに関わらず、地域・都市の再生は「観光」を考えることから逃れられない。
このように、社会の様々な変化が短いスパンで雪崩のように観光セクターに流れ込み、従来の構図が大きく塗り替えられた。オーバーツーリズムは、まさに社会の縮図であり、世界金融危機からの脱却に邁進する過程で生じた世界レベルでの副作用と言えるのではないだろうか。
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オーバーツーリズムとは、ありていに言えば、観光客・地域住民の双方が観光の進展に何らかの不満を抱くような状況のことを指す。ある地域・都市が観光地化するだけでなく、観光地としてすでによく知られた地域・都市もさらなる観光地化(超観光地化)が進んだ。観光体験の商業化は、地域・都市の魅力にじっくり触れるという機会を減じたかのように見える。観光的魅力の高い場所では、事業者による(場合によっては基礎自治体による)投機的な活動が展開され、地価の上昇を招き、それに伴い居住者(特に社会的弱者)や近隣商業の追い出しが進み、都市の魅力を構成してきた多様な界隈が観光の原理によって不可逆的に変質してしまう事態が発生した。オーバーツーリズムの問題は多岐にわたるが、本書が核心に据えるのは、この点である。オーバーツーリズムは地区の高級化(ジェントリフィケーション)ではなく、むしろ「地区の低俗化」(地価の上昇が地域の特質を弱め、生活の質そのものを低下させてしまうこと)をもたらしている。
パンデミックで移動の自由が制限されたわたしたちは、つい先日まであれだけ世間を賑わせていたオーバーツーリズムを、すでに過去の出来事として忘却の彼方に押しやっていないだろうか? 本書は、オーバーツーリズムの後日譚ではない。本書で描かれるのは、パンデミック以前に講じられた諸都市の奮闘の数々である。オーバーツーリズムに直面した諸都市の奮闘にこそ、パンデミック後のツーリズム―すなわち「ポスト・オーバーツーリズム」―の観光の新たな姿を構想する多くのヒントを見出せるはずだ。
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本書は以下の章で構成される。
第1章「オーバーツーリズムとは何だったか」では、パンデミック以前の観光スタイルの象徴であり、世界の観光都市で発生していたオーバーツーリズム現象について、その社会的背景、概念の定義、問題の構造、地域・都市への負の影響を概説する。第2章「日本の観光政策の現段階」は、国策として観光振興に邁進してきたわが国において、地域の個性として歴史的環境や伝統・文化などが観光の対象として取り込まれていく経緯や、地域からのまちづくりの有力な主題の1つとして観光が位置付けられていく様子を描く。ある一国の観光をめぐる政策上の議論をつぶさに追うことで、観光と地域の関係性、すなわち、観光が地域を求め、地域も観光を求めるという構図が見えてくる。
ひとくちにオーバーツーリズムと言っても、その様相は都市ごとに微妙に異なる。では、オーバーツーリズムに直面していた世界の観光都市はいかなる状況に置かれていたのだろうか? わが国でよく指摘されたように、オーバーツーリズムは観光客の量的な集中に起因する混雑問題や観光客のマナーの問題なのだろうか? 観光行為が行われる「界隈」には、いかなる影響が及んできたのだろうか? 当該都市は、どのような思惑のもと、観光の促進や抑制に舵を切っているのだろうか? 詳細な事例分析を通して、オーバーツーリズム問題の共有点とその都市特有の文脈、そして政策的対応の方向性について検討する。
対象とするのは、イタリアを代表する伝統的な観光都市で国内第二の宿泊数を誇るが観光客の多くが狭い旧市街に殺到するヴェネツィア(3章)、ガウディの建築群などで世界的な人気を誇るバルセロナ(4章)、パリ、ロンドンに次ぐ欧州第3位の観光客数を記録するベルリン(5章)、レッドライト地区が人気のアムステルダム(6章)、クルーズ船観光のメッカでもあり観光経済との両立が長年の課題であったサントリーニ島(7章)、昨今宿泊施設の急激な増加に直面した日本を代表する観光都市・京都(8章)、オーバーツーリズム発生以前から適切な観光地のマネジメントに注力してきた由布院(9章)、パウダースノーが特に国外からの観光客に絶大な人気を誇る 倶知安町(10章)の合計8都市である。いずれの事例も以下の観点を共通項に、諸都市の諸相を描こうと試みた。
都市の文脈:どういった観光的魅力があるのか? 観光地化した経緯は何か? どのような都市政策と観光政策が展開されたのか?
オーバーツーリズムの状況:どのようなメカニズムで生じているのか? 具体的な地域への影響は何か?
市民からの自律的対応:市民レベルでの抗議運動の論点は何か?
政策的対応:行政からの規制・誘導の実際はどのようなものか?
終章(11章)では、パンデミックの収束を見据えつつ、界隈の生活環境に根ざした観点から、観光戦略の姿を問う。観光は、消費者であるツーリストにとってはひとときの娯楽であるかもしれないが、観光の舞台となる地域・都市・界隈では、市場原理の観光優先化によって、少なからぬ影響を受けてきた。界隈に負担を強いながらの観光の進展は、その界隈そのものが観光的魅力の根源となっていることを考えれば、本末転倒である。オーバーツーリズムの教訓から、包摂的な観光のための提言を示す。
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わが国のパンデミック発生後の政策対応を見るにつけ、観光への期待が経済的観点に偏重している感を強くする。観光は経済活動であると同時に、わたしたちの日々の生活にゆとりをもたらし、多様な社会や文化の存在を再確認し、ひいては自らの出身地の魅力なり課題なりに思いを馳せ、人生そのものを豊かにしてくれる営為である。パンデミックがわたしたちの日常生活に大きな変化を迫り、身近な環境に対する発見を促したり、異文化に触れる海外旅行体験の貴重さを改めて知らしめてくれたりした。人間の根源的な活動としての観光のありようを改めて丁寧な眼差しから捉え直し、地域を豊かにする観光がいかに可能か、政策的な知見を集約していくことが急務である。
注
(1) UNWTO(2019), International Tourism Highlights, https://www.e-unwto.org/doi/pdf/10.18111/9789284421152
(最終閲覧日:2020年11月9日)
わたしたちは旅をする。旅は人生に欠かせない営みである。だから、人生を豊かにするはずの旅が、その旅先に住まう人々の感情を逆撫でしたり、生活環境に悪影響を与えてしまったりする状況は、形容矛盾というほかない。観光客と旅先の人々の非友好的な関係など、いったい誰が望むというのか。ここ10年ほどの観光セクターの急成長は、それが猛烈に新自由主義的な性格を帯びていたからこそ、「過剰さ」を増したとも言える。旅行に出かけることの気軽さは、いつしか旅先への敬意を悪気なく薄れされたのかもしれない。
観光とは、旅先(界隈)の様々な資源(ストック)からもたらされるサービスを消費する活動である。本書でたびたび指摘してきたように、場所の消費は大きな問題であるが、それは消費活動じたいを否定するものではない。問題は、界隈の資源が過剰に消費される一方で、その資源の価値を維持したり向上させたりするための新たな投資がなされないことであり、そうした場合にオーバーツーリズムが顕在化してきた。本書で描こうとしたのは、そうした地域・都市とそこに生きる人々の実像であった。「ポスト・オーバーツーリズム」と名付けつつ、本書が紹介しているのはオーバーツーリズム時代の各都市の軌跡に過ぎないではないか、という指摘は、そのとおりであろう。しかし、本書が訴えたかったのは、その軌跡こそが、観光をめぐる地域・都市の次世代の航路図を示している、ということだった。
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編者は大学院に進学してから約20年間にわたりバルセロナを研究対象としてきた。そんななか、オーバーツーリズムの存在を知ることになったのは、2014年8月の調査時だった。夕暮れまでにはまだ間がある時間帯、かつての漁師街バルセロネータ地区をたまたま別テーマの調査で徘徊中に、地元住民による観光への反対運動にはちあわせた。「民泊はもうたくさん」「バルセロネータは便所ではない」「住民のための適切な住宅を!」等の強烈なメッセージが書かれたプラカードの数々は、観光客が招かれざる存在となっていることを鮮烈に印象づけるには十分だった。そして、同日の夕刻には、同じ旧市街のラバル遊歩道にて、過剰な観光地化とジェントリフィケーションに対する抗議運動に出くわしたのである。こうした偶然が重なり、まさに導かれるように、観光が界隈にもたらす変容を研究テーマに定めることとなった。2014年当時、管見の限りだが、まだオーバーツーリズムという言葉は一般的ではなく、「過剰な観光地化」や「観光の飽和状態」などの表現が用いられていた。観光活動を積極的に促進するベクトルと、界隈の生活環境を改善するベクトルの不均衡は、地域・都市の将来を構想する際に持続可能性をめぐって往々にして生じる対立的論点でもあった。パンデミックの長期化に伴う経済不況は、地域社会がオーバーツーリズムという強い副作用に苦しんだことを忘れたかのように、手っ取り早い経済回復策として改めて観光の重要性を浮上させるかもしれない。その誘惑の強さこそが、オーバーツーリズムを招いたことを、わたしたちは忘れてはならない。
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本書の企画の経緯を記しておきたい。
学芸出版社の松本優真さんから、観光公害(当時のやり取りでは、「オーバーツーリズム」ではなくこの表現を用いていた)についての書籍を出版できないかと打診があったのは、ちょうどゼミ合宿の最中だった2017年8月16日のことだった。翌日、合宿先の宿のテレビから飛び込んできたのは、バルセロナのランブラス通りでテロが発生したという痛ましいニュースだった。観光は人の集積を生む。卑劣なテロは、人が集積するそうした象徴的な場所を狙うことに戦慄を覚えるとともに、都市の観光地化が内包する様々なリスクについて改めて思いを巡らせることになった。
しかし、いざ企画を深めようとすると、オーバーツーリズムをセンセーショナルに捉える視点が先立ってしまい(観光行為自体を敵視する論説も決して少なくなかった)、議論すべき論点があやふやなまま、1年近くが過ぎてしまった。その後、勤務先の龍谷大学の長期国外研究員制度により、バルセロナ自治大学に客員研究員として滞在する機会を得た。欧州各地の研究者や活動家と議論を重ねるなかで、ようやくいくつかの重要な視点が見えてきた。ようやく本書の構成に目処が立ち、執筆を開始したものの、私の遅筆により、当初の出版予定から大幅にずれ込むことになってしまった。その間、COVID-19の発生により、オーバーツーリズム自体がすっかり過去の遺物かのようになってしまった。改めて本書の企画の練り直しを余儀なくされた。しかし、その過程で、オーバーツーリズム時代の様々な議論が依然として有益な示唆を数多く含んでいると確信するに至ったのである。
本書は、担当の松本優真さんの常に包容力あふれる対応と粘り強い編集なしに成り立たなかった。真摯なまなざしから発せられる温かいコメントの数々に、幾度となく鼓舞された。また、限られた時間のなか、魅力的な原稿を執筆してくれた学兄にも、改めて感謝申し上げたい。当初、本書は単著の予定だったが、できればより多様な視点から事例を幅広く盛り込めないかと考えた。幸いなことに、類似した関心を持って研究を進めてきた研究仲間の顔が幾人か思い浮かんだ。さっそく打診すると、快諾してくれた。おかげで魅力的な事例が揃う読み応えのある書籍に仕上げることができた。
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わたしたちは、旅することなしに生きていくことはできない。旅をすることは、旅先の共同体の多様な資源をそこの居住者とシェアする営為でもあるが、オーバーツーリズム時代にはそれがシェアではなく、一方的な消費にとどまっていた。限られた資源を分かち合うことは、観光に限らず今後の社会が基本的視座に据えるべき概念だ。人生に不可欠な余暇活動である観光のまなざしから、ともに生きる知恵を絞ることは、図らずもわたしたちの人生の育み方を充実させていくことにもつながっていくことだろう。
執筆者を代表して
2020年11月
阿部大輔
開催が決まり次第、お知らせします。