CREATIVE LOCAL
内容紹介
地方都市の衰退をクリエイティブに再生する
日本より先に人口減少・縮退したイタリア、ドイツ、イギリス、アメリカ、チリの地方都市を劇的に変えた、エリアリノベーション最前線。空き家・空き地のシェア、廃村の危機を救う観光、社会課題に挑む建築家、個人事業から始まる社会システムの変革など、衰退をポジティブに逆転するプレイヤーたちのクリエイティブな実践。
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序論:衰退の先の未来を探す旅に出た。|馬場正尊
この本の目的
イタリアにおける価値観の逆転
新しい価値観の発明
壁崩壊後の旧東ドイツ
新しいパブリックが都市をつなぎあわせる
次の芸術の主題は地域や生活にあるのか
産業から個人へ。街をつくる主役の交代
土地の値段がつかなくなる
疎な街のハッピーな妄想
新しいふるさと
CREATIVE LOCALのパラダイムシフト
1 イタリア:アルベルゴ・ディフーゾ ―街全体をホテルにする新しい観光|中橋恵
アルベルゴ・ディフーゾとは
アルベルゴ・ディフーゾの事業形態とその成果
ボルゴ・ディ・センプロニオ:地域文化の啓蒙運動で美しい風景を守る
エコベルモンテ:2人の兄弟が始めた漁村の再生
スローな復興を目指して
2 イタリア:アグリツーリズム ―田舎のホスピタリティを価値に変える旅|菊地マリエ
なぜ、イタリアではアグリツーリズムが盛んなのか
ファットーリ・ファッジョーリ:アグリツーリズムの父に会いに
プリマ・オルトゥーラ:ミラノ的ビジネスセンスを田舎で活かす
3 ドイツ・ライプツィヒ:ハウスプロジェクト ―空き家を地域に開いて共有する|大谷悠
住みながら直す:ハウスプロジェクトの日常
ライプツィヒの衰退と空き家
ハウスプロジェクトのしくみ
地域に開かれた自由な空間
衰退の先に見えた「空間の真価」
4 ドイツ・ベルリン:アーバンガーデン ―空き地を誰もが自由に使える庭へ|ミンクス典子
ベルリンの壁崩壊後に現れた大量の空き地
人々はなぜアーバンガーデンに惹きつけられるのか
ベルリンのプリンセスガーデン:オーガニックなローカルエコノミーの実践
テンペルホーフ空港跡地のアルメンデ:600人が関わる都市コモンズ
ライプツィヒ・ヨーゼフ通りの地域の庭:コミュニティガーデンから広がるまちづくり
ドイツのアーバンガーデンを支える組織
5 ドイツ・ラオジッツ:インダストリアル・ランドスケープ ―かつての炭鉱を人々が憩う湖へ|中江研
産業遺産とIBA
ラオジッツの産業遺産とIBAの立ち上げ
石炭採掘跡地を巨大な湖へ
活用される産業遺産
立ち行かなくなったプロジェクト
ここにしかないものの見つけ方
6 アメリカ・デトロイト:エリア再生というスタートアップ ―起業家のグラスルーツ活動が変えるコミュニティ|阿部大輔
モータータウンの繁栄と没落
空いた広大な土地を戦略的に農地化する
ゲリラアートが街路を再生する
サッカーがつくるコミュニティのネットワーク
音楽が街を楽しく変える
創造的縮小を目指す行政の戦略フレームワーク
分け隔てのない(Equitable)都市へ
7 イギリス・リバプール&グラスゴー:コミュニティ・アーキテクチャー ―アッセンブルとタクタルによる参加のデザイン|漆原弘
コミュニティと地域を再生する建築家たち
アッセンブル:リバプールのグランビー・フォー・ストリートの開発
タクタル:グラスゴーの運河エリアの開発
コミュニティ・アーキテクチャーの新たな可能性
8 チリ:建築家の社会構築的アプローチ ―エレメンタルのソーシャルハウジング|山道拓人
地球の裏側のパラレルな世界
エレメンタル:DO Tankを標榜する建築家
クインタ・モンロイのソーシャルハウジング:イニシャルコストの2 倍の社会的インパクトを生む
リマの実験住宅群PREVI:メタボリズム再読
コンスティトゥシオン市の復興計画 PRES:問いをクリアにする社会構築的アプローチ
ツバメアーキテクツのソーシャル・テクトニクス
9 寛容な風景を生む、組織とプロセス ―日本への示唆|加藤優一
日本における衰退の先の風景
CREATIVE LOCALの組織
CREATIVE LOCALのプロセス
CREATIVE LOCALの風景
所有から所属へ
おわりに:理想の風景から、方法を逆算する。
序論:衰退の先の未来を探す旅に出た。
馬場正尊
この本の目的
2016年に『エリアリノベーション-変化の構造とローカライズ』という本を書いた。これは、従来型/行政主導の都市計画やまちづくりのプロセスではなく、小さな点の変化が共鳴し、つながり、面的に波及していく、ネットワーク型の変化が起こった街をリサーチしたものだ。その本の編集を通し、小さな変化が次の変化を呼び起こし、連鎖しながら自律的に継続するエリアの姿を見た。それを、まちづくりの次の概念、「エリアリノベーション」と定義した。
さらに掘り下げなければならないテーマも見つかった。それは変化を街に定着させるためのシステム、制度、組織の設計や、行政や企業、ファイナンスとの関わり方などだ。エリアリノベーションが継続、定着していくにはこれらの社会システムのデザインが必要となってくる。
それをどこに学べばよいのだろうか。日本より先に人口減少や縮退の局面を迎え、その先に新しい幸せな風景へと辿り着いた海外の街に目を向けた。そのような意味でこの本は、『エリアリノベーション』の続編、もしくは海外編と捉えることができる。
消滅自治体、縮退都市、限界集落…。将来を悲観的に予測する単語をよく目にする。僕らが今、考えなければならないのは、それを突き抜けた後にどのような世界をイメージするかということ。この本を書くことをきっかけにして、それを予感させる風景を探す旅に出た。
この本は、今見るべき街のガイドブックでもあり、状況を最大限に活かしながら、ドラスティックな変化をもたらす方法を示したマニュアルでもある。
産業が衰退した旧東ドイツやイギリスの都市、経済縮小と震災が重なったイタリアの村、財政破綻後のデトロイト…。これらの都市は一度、何らかのダメージを受け衰退を経験した。しかしその後、その場所ならではの方法で再生を遂げつつある。「再生」という言葉は適切ではないかもしれない。衰退を受け入れ、その状況をポジティブに変換し、新たな価値観やライフスタイルを生みだしている。
この本では各国で起こっている衰退を楽しむ実践を取材・分析し、変化の構造と、その地域ならではの方法をまとめている。
イタリアにおける価値観の逆転
初めてイタリアを訪れたのは1980年代の後半。その時はまさか30年後に、イタリアを参考に日本の未来を考えるなんて思ってもみなかった。当時の日本はバブル真っ只中。東京のカオティックな様相やスピード感に世界は未来を見ていた。レム・コールハースも、ヴィム・ヴェンダースも、その状況を建築や映像で表現した。
経済発展や技術革新に邁進する日本。この状況がずっと続き、その延長に未来があると思っていた。一方、観光で訪れたイタリアは、穏やかな日常が退屈にゆっくり過ぎているように見えた。少なくともその風景の中に未来を感じることはできなかった。
記憶を辿ると、30年前に感じたいくつかの違和感を思い出す。たとえば、イタリアでは役人や銀行員よりも、ものづくりの職人やレストランで働く料理人の方が給料も高く、人気もあった。当時の日本の常識からすると不思議だったが、今は普通に感じる人が増えているかもしれない。
日本よりも早く衰退局面に入った、いや洗練の段階に入ったイタリア。日本のように圧迫感を感じながらあくせく働くのではなく、状況を享受しながら前向きに日々を楽しんでいる。楽観的すぎると感じたが、同時に羨ましく思えていたのは確かだ。その風景の中に、何か本質のようなものがあると感じていたのだろう。それがどんなものかは、はっきりとはわからなかったけれど。
新しい価値観の発明
スローフード、アグリツーリズム、アルベルゴ・ディフーゾ……。この30年でイタリアが発明した概念や手法は、近代が重視してきた価値観をことごとくひっくり返している。速さではなくゆっくりを、工業ではなく農業を、選択と集中ではなく共有と分散を大切にしている。
アルベルゴ・ディフーゾなどの新しい事業を始めた人にインタビューを行ったが、彼らに共通していたことがある。多くは一度、都会や海外の企業でビジネスマンとして働いた経験があり、その後、自分の育った街の美しさと衰退の様子を見て、事業の可能性を発見している。UターンやIターンの人が変化のきっかけになりやすいのは、日本もイタリアも同じようだ。
そして誰もが必ず取材の最後に、いかに自分の街が素晴らしいかを生き生きと語り始める。新しい価値を彼ら自身がつくりだし、街の魅力を表現する言葉をたくさん持っている。日本の街が取り戻さなくてはならないのは、この誇りや愛情だと再認識させられた。
最後の夜、シチリアのサーボカという崖にへばりついたような小さな街で、アルベルゴ・ディフーゾを運営している人と夕食を食べながらインタビューしたのだが、「La vita e bella(人生は美しい)」と、ワインを飲みながら連呼していて、ほとんど取材にならなかった。でも状況や風景を圧倒的に肯定するこの態度こそ、イタリア的未来の本質があるのかもしれないと思った。
これらのイタリアの街は決して活性化などしているわけではない。田舎で、不便で、辿り着くことすら難しい。ただ美しい自然と豊かな歴史があり、おおらかな人々と穏やかな日常、そしてたくさんの空き家があった。それらを資源と捉えれば、日本の地方はその宝庫だ。人口や経済力が失われつつある街でも、「ない」ということを見せ方によっては魅力に転換できる。
もちろんイタリアも、日本以上に数々の問題を抱えている。しかし、地域のアイデンティティや仕事をつくること、そして何よりその街で生きることを肯定し楽しむヒントを見ることができた。
壁崩壊後の旧東ドイツ
ドイツという国はこの100年、ヒトラーによる独裁と二度の大戦、東西冷戦からベルリンの壁の崩壊と、20世紀の激動にさらされ続けた。そして現在、EU の政治と経済を牽引し、環境・エネルギー先進国として技術や制度を革新し続けている。
特に旧東ドイツは1989年のベルリンの壁の崩壊によって、文字通り価値観の転換を迫られた。政治から経済まで、その変化と衰退は一気にやってきた。西側に人口が流出し、産業の空洞化により街は荒廃した。さらに、移民の受け入れに寛容だったため、空洞化したエリアには外国人が流入し、コミュニティ問題を抱えることになった。僕らが取材したのはそんなエリアだ。
旧東ドイツでエリアを変化させる原動力となったのは、アーティストやクリエイターたちだ。それはニューヨークで起こった現象と似ている。違うのは、彼らがファイナンスや制度について意識的だったことだ。そして社会運動のようなムーブメントを起こすことで、市民権を得ながら行政的な手続きを踏んでいった。そこがドイツらしく、日本でも参考にしやすい。合法的なスクウォッタリング(不法占拠)とでも言うべきか。まず強引に事を起こし、市民や社会、行政やメディアの声にも反応しながら、その空間を使う権利を段階的に獲得していく。アメリカのそれよりは、かなり穏やかなプロセスを経ている。
新しいパブリックが都市をつなぎあわせる
特に興味深かったのが、パブリックという概念に対する意識だ。ニューヨークの場合は圧倒的な経済の力でエリアを変えていけるが、衰退局面にある街では難しい。その点、ライプツィヒやベルリンの郊外で起こっている変化は、日本でも参考になる部分が多い。
旧東ベルリンでは、新しいタイプの公園が現れ始めていた。「プリンセスガーデン」と呼ばれるその公園は、放置されていた空き地をクリエイターたちがスクウォッタリングしたことから始まっている。畑を耕し、コンテナを置き、カフェを始め、今ではクラフトビールを出すバーや自転車や家具をリペアする工房などが軒を連ねている。ちょっとしたコミューン感のあるその場所は、いつしか街に定着し、観光名所にすらなっている。最初は違法状態だったが、市民運動や行政との調整を経て、クリエイターたちは借地料を支払うことで、オフィシャルにその場所を活用し続ける権利を手に入れた。現在では、Nomadisch Grun gGmbHという組織がこの場所を運営している。
旧西ベルリンの郊外にあるテンペルホーフ空港の風景はシュールですらある。ここは第二次世界大戦後、閉鎖された西ベルリンに空から大量の物資を供給した「ベルリン大空輸作戦」の舞台になるなど、数々の歴史が蓄積された場所でもある。2008年に使われなくなったものの、その滑走路や建築はそのまま残されている。
日本であればあっという間に宅地に開発されてしまいそうな場所である。しかしベルリンでは、その歴史的な背景もあり、新しいパブリックスペースの実験場として開放されている。膨大な敷地を小さく区切り、市民が畑にしたり、小屋を置いて週末を過ごしたり、都市の中にモザイク状に広がる巨大な市民農園のような様相を呈している。
このようなプロセスを経たパブリックスペースを、旧東ドイツではしばしば見かけた。東西ドイツの統合後、人口移動により空き地が増え、荒廃したエリアを再生する起点として、このようなタイプの公園が機能している。重要なのは、そこが単なるオープンスペースではなく、カフェや畑、工房など、具体的に人々が関わるインターフェースを持った場所だということである。それにより地域の人々が関与し、新しいコミュニティが醸成されていく。
負の遺産だと思われていた空き地や空き家を共有財とし、新しい所有と共有のバランスを模索した空間がつくられていた。所有と成長を前提にした日本の都市計画の限界の先に、僕らが見つけるべき方法論が、その風景にあるような気がした。
東西統一で否応なく価値観の変換を迫られたドイツでの試行錯誤。1970年代のアメリカのヒッピームーブメントの空気にも似ているが、かつてのカウンターカルチャーのように既存社会にアンチテーゼを振りかざすわけでもなく、プロセスを経ながら定着させてゆく、したたかさのようなものを感じた。
ドイツは50年間隔たっていた東西の社会の融合や、移民を受け入れながら多様性の共存を模索し続けている。その努力がこの本で紹介する空き地や空き家、荒廃した産業遺産を新しい組織や制度を駆使して再生する手法に端的に表れている。結果的に先進国でも有数の、高い生産性と多様性の共存を実現している姿は、新しい社会システムの実験に窮しがちな日本へ示唆を与えてくれる。
次の芸術の主題は地域や生活にあるのか
イギリスのリバプールにはアッセンブルの作品とその活動を確かめに行ってきた。2015年にイギリスの前衛的な若手アーティストに送られるターナー賞を受賞し、その対象となったのがグランビー・フォー・ストリートという郊外の荒廃した住宅地だった。そのエリアの再生プロセスや、住民たちと共につくられた空間・プロダクトの総体がアートとして認識され、受賞に至っている。一体その街で何が起こり、どんな風景がもたらされたのか。
そこで見たのは、荒廃したイギリス北部の街を舞台に描かれた映画「トレインスポッティング」(1996年)に出てくる風景そのまま。板で窓がふさがれた空き家が点在し、かつて横行したであろうドラッグの名残さえ感じられる。アッセンブルはその中に拠点を構え、メンバーの一部は今でも街に住み、地元の人々と一緒に制作活動を継続していた。放置された住居をリノベーションし再び住宅市場に戻したり、廃墟から出た廃材を組み合わせ新しい家具やプロダクトを制作・販売しているが、そうした活動を何と定義したらよいのか。しかし、イギリスではそれをアートの枠組みで捉え、それ自体が物議を醸し出している。もはや変化のプロセス自体が作品と位置づけられているのである。
2016年、ほとんど同じタイミングで南米チリのアレハンドロ・アラヴェナがプリツカー賞を受賞した。今まで造形的に美しくシンボリックな建築作品を設計する建築家に与えられていた賞だ。しかし、ここで対象となったのは、低所得者層の集合住宅を居住者たちが自らDIYでつくったもので、まるでつくりかけの大きな工作のようなものだった。アラヴェナが提供したのは、基本部分の構造と設備、他者の介入が可能な余白の空間と、居住者がつくり続けることができるシステム。できあがった風景は、少なくとも今までのプリツカー賞的文脈からは美しいと言えるものではないだろう。ここで美しかったのはプロセスだ。表現の世界でも価値の変革が進んでいるのかもしれない。
産業から個人へ。街をつくる主役の交代
デトロイトが掲げる戦略は「創造的縮小都市」。それは日本の郊外住宅地の未来に多くの示唆を与えてくれる。自動車産業の凋落と運命を共にしたデトロイトの衰退は壮絶で、1950年に180万人だった人口は2010年には70万人へと、60年間で6割減った。デトロイトは都市政策の失敗で、住宅地がダラダラと郊外に広がり、そこが空き家だらけの荒廃したエリアになっている。それはまさに日本の都市政策と同じである。この凄まじい風景は人ごとではない。
産業(企業)の理論でひたすら拡大した都市を、いかにして縮小していくかの実験が、まさに今デトロイトで行われている。鍵となっているのが都市農業とネイバーフッド(地区コミュニティ)で、主役は個人の起業家たちだ。農業で荒れた風景を整え、小さな起業の集積で街を立て直している。近代とまったく逆の手法だ。拡大ではなく集約によって街の再生の手がかりをつかんでいるのは、この本のテーマである衰退の先の風景をまさに象徴している。
土地の値段がつかなくなる
近い将来、日本の地方都市において、土地の売買が行われなくなった時、事実上、そこには値段がつかなくなってしまう。いや、すでにそうなっている街がたくさんあるはずだ。流通せず、担保価値もなくなった不動産は、固定資産税や維持管理費が負担となり、タダどころかマイナスですらある。また、街の風景に対する負のインパクトも大きい。使われない不動産が並ぶ街はゴーストタウン化し、一度そうなってしまうと再び息を吹き返すのは極めて難しくなる。
土地の値段は上がるものと考える、キャピタルゲインしか知らない世代は、どうしてもその現実を受け入れることができず、今でも所有にすがっている。そして土地本位制度の幻想が街を呪縛する。所有していることが、そのまま幸せにつながる時代は終わった。
地方都市はそのことに一刻も早く気がつき、街の主導権を所有する側から、使う側へと手渡していく手法を考えなければならない。
重要なのは、その土地で何が行われるか。どんな人と暮らしたいか。その価値を、どんな言葉で表現すればよいのか、適切な単語はまだ見つからない。その曖昧な何かをしっかりつかまえ、再発見することがこの本のテーマでもあり、衰退の先に僕らが見つけたい価値観である。
疎な街のハッピーな妄想
では、日本における衰退の先の風景とはどのようなものであろうか。現在、日本の多くの地方都市で地域活性化事業が行われている。僕自身もいくつかの街でそれに携わっている。
しかし時に、その「活性化」という言葉に違和感を感じることもある。本当に活性化しなければならないのか? そもそも活性化などできるのだろうか?
活性化の評価指標は、通行量や居住者数、事業者数だったりする。一方で、国土交通省は、2050年には居住地域のうち6割以上の地域で人口が半分以下に減少すると試算している。人口が減るのであれば、それらを活性化の評価基準にするのはおかしい。街の幸せを計る新しい物差しが必要なのではないだろうか。
島原万丈は「Sensuous City/官能都市」(LIFULL HOME’S総研調査研究レポート)で、街の魅力を計る新しい指標を提示している。「ロマンスがある」「共同体に帰属している」など、一見ユニークで変わった指標のように見えるが、それは経済発展が置き去りにした、定性的で情緒的な事象を改めて丹念にすくいあげる物差しだ。
人口が増加し続ける社会においては、定量的な評価や利益を根拠に、都市の均質化を正当化してきた。しかし今の社会は、その局面にはない。
たとえば、必ずしも活性化してはいない、街の中心部の風景をイメージしてみよう。それは密ではない、疎な街の姿。住宅や商店がひしめきあっているかつての風景ではなく、空き地が増え、そこが小さな公園や畑や林になり、結果的に緑地が増え、その中に適度な間隔で住宅や店舗が散らばっている。車はほとんど走っていなくて、子どもが緑の中を駆け回って遊び、老人は木陰で穏やかにひなたぼっこをしている。数カ国にわたる「衰退の先の風景」を探す旅でリアルにイメージできたのはこんなシーンだった。そんな風景に思いをめぐらせていた時、ふと1枚の絵を思い出した。
新しいふるさと
僕が教えている山形の東北芸術工科大学建築・環境デザイン学科には、東日本大震災の後、被災地から高台移転の相談などが届くようになっていた。未曾有の被害を受けた街を目の当たりにした僕らは、この状況の中から改めて風景をどう描けばよいのか、以前と同じような気持ちで図面を描き、模型をつくっていいのか、躊躇していた。
そんな時、当時の副学長であり世界的な現代美術作家としても有名な宮島達男氏がふらりと学科の教室に入ってきた。そしてこのような言葉を置いていってくれた。
「今だからこそ、自分たちが本当に住みたい街の風景を素直に描くんだ。それが芸術の力だ。みんなでタブローを描け。」
力強く言って、去っていった。僕らはその迫力に半ばぽかんとしていたが、言われたことをゆっくり噛みしめるように反芻すると、次第にその言葉の意味が理解できるようになってきた。確かに今だからこそ理想を描くべきだし、そこから始めることがもっとも正しいスタートの切り方だ。
同じ学科で働く竹内昌義さんらと学生たちを集め、どのようなタブローを描くかディスカッションを繰り返した。そうやって描かれたのが次の絵だ。
今の20代が住みたいのはこんな街だった。そこにはピカピカの未来があるわけではない。傾斜地に広がる田んぼや畑の中に家々が低密度に建っている。家はシンプルな切妻屋根の木造で、地域に存在していた家の形を継承しているようにも見える。東北で暮らしている彼らが素直に欲しいと思った風景は、現代建築が連なる都市ではなく素朴なものだった。もしかすると20代でなくても、次の時代の理想の風景はこんな感じなのかもしれない。それは世代を超えた共通感覚のように思える。
この絵を眺めながら改めて思ったのは、僕は本当に自分たちが欲しいと思う未来の風景と向きあってきたのか、それを想像しようとしてきたのか、ということだった。目の前のプロジェクトにはもちろん真摯に取り組んできたが、よりマクロな視点で、数十年の長いスパンで、街を、都市を見据えていただろうか。もし、今の20代が理想として描く風景がこのようなものだとするならば、社会はそちらに舵を切るべきだ。そんなことをこの絵に突きつけられた。
これからも再生や活性化を目指すのか。自然競争と自然消滅を待つのか。それとも今回の旅で見てきたような衰退の先の風景を探すのか。
CREATIVE LOCALのパラダイムシフト
今回の旅で見てきた風景は、僕らの価値観のパラダイムシフトを象徴している。人口が減少することで、20世紀が追い求めていた価値観や手法は、あらゆる面で逆転している。
占有することの欲望より、共有することの合理性や喜びに気がつき始めた。
大きく抽象的な組織へ所属することより、小さくても具体的な個人ベースのつながりを大切にするようになった。
社会構造はヒエラルキー型からネットワーク型へ移行し、貨幣資本だけでなく社会関係資本が見直されている。
その価値観の変化の最前線は地方/ローカルにこそある。
この本のタイトルである「CREATIVE LOCAL(クリエイティブローカル)」には二つの意味がある。一つは「新しいローカル/地方をつくろう」という呼びかけ。もう一つは「ローカル」という言葉の意味を再定義すること。
突き抜けたクリエイティブはローカルにこそ生まれる。新たな価値観と手法で、次の時代の風景をつくりたい。
おわりに:理想の風景から、方法を逆算する。
地方都市の郊外のバイパスを車で走りながら、いつも思うことがある。僕らはこの風景を望んでいたのか。安価なモノが均質に並ぶ、日本中どこにでもある風景。この風景は欲望の集積であり、僕らが望んだものだ。そこで手に入れたものは何だったのだろう?
この本で考えたかったのが、風景から方法を逆算すること。衰退の先に新しい幸せな風景を発見し、その風景が形成されるメカニズムを探すことだった。国は違っても、変化の構造は驚くほどシンクロしていた。所有から共有へ、ヒエラルキーからネットワークへ、組織主導から個人の活動の集積へ、集中から分散へ。あらゆる街で価値観の逆転が起こっていた。
そしてわかったのは、衰退は悲しいことではないということだ。それは、ひとつの現象であり、ポジティブに受け入れ、楽しむべきものなのだ。
人口が減り、既存のシステムに隙ができるからこそ、新しい発想や活動が入り込み、これまでになかった価値を生み出す余地ができる。だから、突き抜けたクリエイティブは、衰退の先にこそ生まれている。
日本の社会は、これから大きな実験の時期を迎えるのではないだろうか。僕らは今からそれを楽しまなければならない。
この本の編集を通し、世界のいろいろな街で試行錯誤を繰り広げる建築家や研究者に出会うことができた。斬新な切り口と卓越した文章が揃ったことで、「風景と社会システムの関係性」を論じた、これまでにない存在感を放つ本ができたと思う。この新たな才能たちが、次の時代の都市の論者/実践者になっていくだろう。
最後に、常にしっかりとした視野でこの本の構想から導いてくれた東北芸術工科大学研究員の佐藤あさみさん。いつも的確な視点によって全体構成からディティールに至るまで、僕らの散らかった思考と文章をまとめあげてくれる学芸出版社の編集者、宮本裕美さん。
みなさんの存在なくして、この本はありえませんでした。とても感謝しています。ありがとうございます。
2017年11月 馬場正尊・中江 研・加藤優一