馬場正尊+Open A 著

内容紹介

建築のリノベーションから、公共のリノベーションへ。東京R不動産のディレクターが挑む、公共空間を面白くする仕掛け。退屈な公共空間をわくわくする場所に変える、画期的な実践例と大胆なアイデアを豊富なビジュアルで紹介。誰もがハッピーになる公園、役所、水辺、学校、ターミナル、図書館、団地の使い方を教えます。

体 裁 四六・208頁・定価 本体1800円+税
ISBN 978-4-7615-1332-0
発行日 2013/09/15
装 丁 ASYL

目次著者紹介まえがきあとがきこの本の使い方書評イベント

この本の使い方
公共の意味を問い直すために

1 公園をリノベーション

公園の使い方を考え直すことは、公共について問い直すことにつながっている。

公園に近いと、税金が高い仕組みとは? ──セントラルパーク(ニューヨーク)

セントラルパークにおける受益者負担の構造。

企業の投資で公園を再生する方法があった。 ──宮下公園(東京都渋谷区)

公園活用の突破口は三つ、社会実験、一時占用許可、指定管理者制度。

あなたが、公園で小さな店を開くためのヒント!

公園で上がった利益を、公園に還元する仕組みをつくろう。

公開空地を都市のリビングルームへ。 ──コレド日本橋(東京都)

公開空地が上手に公開されない理由。

しっかり稼ぐ公開空地もある。

夜は別の顔を持つ公園。

劇場と街をむすぶ広場のデザイン。 ──道頓堀角座(大阪市)

公園を地域住民の庭に。

公園は都市におけるオフィスでもある。 ──ブライアントパーク(ニューヨーク)

公園とオフィスは似ている。

商店街の空き地を、市民が集える原っぱへ。 ──わいわい!!コンテナ(佐賀市)

児童公園と保育所を合体させる。

オープンスペースでピクニックする権利を主張する。 ──東京ピクニッククラブ

既成概念を覆す、学校、図書館、シアターをつなぐ巨大トラック。 ──羅東鎮限運動場(台湾宜蘭市)

2 役所をリノベーション

空間を変えれば、組織も変わる。

これも役所です。テラスで市民と職員が井戸端会議。 ──名護市役所(沖縄県)

構造補強のタイミングが、リノベーションのチャンス。

空間の再編が、組織の再編を促す。

カウンターを丸テーブルに替えてみる。

まちづくりの部署は、街にあるべき。

小さなリアルを役所のなかに。

議事堂をガラス張りにすると、政治の透明度が増す?

透明な市役所と議事堂は、行政と政治を変えるだろうか。 ──長岡市役所/アオーレ長岡(新潟県)

1階を開放して、街とつなげてみる。

地下の食堂を眺めのいい最上階へ、市民に開放して、環境も味もバージョンアップ。

3 水辺をリノベーション

水辺の開放に必要なのは、社会のしがらみを解きほぐすというデザイン。

京都鴨川の川床は、どのような仕組みで復活したのか。

河川敷のサイクル/ランニングステーション。

運河に浮かぶ水上レストランは、建物なのか、船なのか。 ──WATERLINE(東京都品川)

水上レストランを可能にした、法律クリアの戦略。

水辺を、働く場所として捉え直してみた。 ──THE NATURAL SHOE STORE(東京都勝どき)

河川法が改正されて、水辺の可能性が広がった。

水辺から都市を活性化する、行政と企業がチームを組むと。 ──水都大阪 規制緩和された水辺を使おう!

このテラスは合法です。 ──北浜テラス(大阪市)

北浜テラスにおける成功の構造とプロセス。

私たちは水辺を自由に使えない、それはなぜ? ──BOAT PEOPLE Association

ボートピープルが水辺に挑んだ軌跡。 屋形船をリノベーション。

4 学校をリノベーション

阻害要因を排除すれば、学校は新しい機能を発揮しはじめる。

ニューヨークのアートと地域を変えた、小学校のリノベーション。 ──P.S.1(ニューヨーク)

少子化で生まれた余裕教室、どう使うか?

学校の余白を地域に開放、閉ざさず開くことで、子どもを守る。

学校をオフィスに。

隣の公園とつなぐことで、街に開かれた、かつての中学校。 ──アーツ千代田3331(東京都神田)

アーティストの、アーティストによる、アーティストと市民のための空間運営。

INTERVIEW

清水義次(株式会社アフタヌーンソサエティ代表取締役)
アートやデザインを核とした施設を、自律的に経営できる組織と体制のつくりかた。

5 ターミナルをリノベーション

移動から交流へ、ターミナルはコミュニケーションの結節点へ。

ターミナルを制すものは、交流/コミュニケーションを制す。 ──チャンギ国際空港(シンガポール)

地方空港をショッピングセンターと合体してみる。

コンパクトな国土を楽しむ、移動の意識をリノベーション。

鉄道高架を公園に、草の根運動が都市計画に発展。 ──ハイライン(ニューヨーク)

地方のバスターミナルを交流の結節点へ。

ハイブリッド・バスターミナル。

路上をオープンカフェに、道路の使い方が街を変えた。 ──モア4番街(東京都新宿)

6 図書館をリノベーション

本との新しい出会いをもたらす、次世代の図書館。 伝統ある小学校をマンガと芝生広場で再生。 ──京都国際マンガミュージアム(京都市) 公園に開いたオープンエア図書館。

図書館の中に書店とカフェが出現。 ──武雄市図書館(佐賀県) 図書館をもっと面白くする、民間企業による運営の仕組み。

本が街と人をつなぐ媒体になる。 ──まちじゅう図書館(長野県小布施町) 家で眠っている本を集約する、持ち寄り図書館。

7 団地をリノベーション

新しい時代の団地と、豊かなオープンスペースの使い方。

団地は、古くて新しい公共空間。 ──観月橋団地(京都市)

団地に住んで、団地で働く。

団地の空き店舗をカフェにして、広場とつなげてみた。 ──いこいーの+
TAPPINO(茨城県取手市井野団地)

団地を若者が集うホテルに。

団地の空き部屋をホテルに、住民がゲストをもてなす。 ──SUN SELF HOTEL(茨城県取手市井野団地)

団地の空地で移動販売キャラバン。 団地で開いた市場が、人をつなぐ拠点に。 ──ダンチ de マルシェ(横浜市若葉台団地)

INTERVIEW

森司(公益財団法人東京都歴史文化財団地域文化交流推進担当課長)
「あなたとわたしとわたしたち」この感性が、新たな社会関係資本をつくる。

おわりに

馬場正尊(ばば・まさたか)
建築家/Open A代表/東京R不動産ディレクター/東北芸術工科大学准教授。1968年佐賀県生まれ。94年早稲田大学大学院建築学科修了後、博報堂入社。早稲田大学大学院博士課程へ復学、雑誌『A』編集長を務める。2003年建築設計事務所Open Aを設立し、建築設計、都市計画まで幅広く手がけ、ウェブサイト東京R不動産を共同運営する。近作に「道頓堀角座」「観月橋団地再生計画」「雨読庵」「TABLOID」など。近著に『都市をリノベーション』(NTT出版)、『「新しい郊外」の家』(太田出版)など。

公共の意味を問い直すために

今、公共空間が本当に「公共」として機能しているだろうか、そもそも公共とは何なのか、公共空間とは何処なのか、この本を通し、それを問い直してみたいと考えた。
人々を取り囲む環境は、そこで働いたり、たたずんでいる集団のモードに大きな影響を与える。それは時に、プラスにもマイナスにも作用する。公共空間は「公共」という概念を包み込むしっかりとした器になっているか。それは個々人が心地よく、何らかの共同体に向かって自らを開いていける機会を与えているか。
空間を変えることによって、それに連動するようにマネジメントやルールが変わっていかないだろうか、と考えた。空間や環境の変化は、きっと人々の意識の変化を促すだろう。公共空間の在り方を提示することで、新しい公共の概念を問い直したい。

日本の公共空間は開かれているか?

日本の公共空間の「公共」は、本来の意味で公に共有されたものになっているだろうか。公共空間を、私たちはパブリックスペースと呼んでいるが、英語のpublic/パブリックと、日本語の公共の意味には大きな隔たりがあると感じていた。
公共空間の在り方に違和感を感じた小さな出来事がある。それは子どもを連れて近所の小さな公園を訪れたときだった。ベンチはすでに浮浪者に占有され近づけなかった。砂場にはペットが糞をするからとネットが張ってあって遊べない。公の公園なのに、およそ開かれた空間ではなかった。おまけに「ボール遊び禁止」と看板も立っている。サッカーボールを抱えてやってきた僕ら親子は、いったいこの空間で何をやっていいのかわからず、途方に暮れるしかなかった。
僕らは公園で何をすればよかったのか。それは小さな違和感だったが、いったんその目線を持つと、公共空間のさまざまなことが気になり始める。  仕事でも同じようなことがあった。2009年、東京に演劇の名作を集めた「フェスティバル/トーキョー」というイベントに参画したときだ。池袋にある東京芸術劇場がメイン会場で、その前の広場に観客や役者たちが集う仮設カフェを設計してほしいという依頼を主催者から受けた。1ヶ月の会期中だけオープンするカフェだ。
しかし実現にはさまざまな壁が立ちはだかり、公共空間が抱える問題を突きつけられることになった。公共空間を積極的に使おうとする行動が、逆にその不自由さを浮かび上がらせることになった。
印象的だったのが行政のスタンス。本来ならこの広場をいかにして開かれたカフェにできるかという相談をしたいところだが、管理者の行政担当は、あたかも自分の私有地のように使用制限を矢継ぎ早にぶつけてくる。そのスタンスは、広場がまるで行政の私有地かのようなものだった。広場の管理者である行政は、それを市民に開く義務があるはず。どうやって積極的に、健全にこの空間を使うかを一緒に考える立場でもある。しかし、いつの間にか使用制限をかけることが仕事であるかのごとく、すり替わってしまっている。公共の広場を管理することの意味がズレていることへの違和感は強くなっていった。
もちろん、行政現場の判断を責めるつもりはない。使用者が善意の人々だけとは限らないし、公平性を担保しなければならないというプレッシャーもあるだろう。しかし、硬直化した公共空間へのスタンスに、長年蓄積されたシステム疲労が象徴されているような気がした。
このような経験を通し、日本の公共空間と、それを支える公共概念について考え直したいと思うようになった。それを抽象的に問うのではなく、リノベーションを使って改善する方法を提示したい。まったく新しい公共空間をつくり直すのではなく、すでにある公共空間を少しだけリノベーションすることによって、その使い方、さらには概念までを自然に変えていきたい。小さな変化の集積が、結果的に公共という概念を問い直す流れにつながるのではないか。これがこの本の仮説だ。

「公共」と「public/パブリック」の違い

ここで言葉の定義について確認したい。「公共」を英語に訳すと「public/パブリック」。しかしその両者の間には大きな意味の隔たりがある。
イギリスのパブリックスクールが端的な例だ。アメリカのパブリックスクールは「公立」という意味だが、先にその概念が存在したイギリスではそうではない。かつてイギリスのパブリックスクールは、貴族階級が自分の子どもたちを学ばせる場を、資金を拠出しあってつくったことに始まる。自分たちの子息だけでは少人数になってしまうので、共同生活を通じて社会性を学ばせるために公に公開することにした。これがパブリックスクールの起源。要するに「私立」なのだ。
公に開かれた私立、ここに英語の「パブリック」という単語のコンセプトを感じることができる。このパブリックの概念は今の日本の公共の概念とはまるで違っている。
斉藤純一は、公共をofficial、common、openの三つの意味に分けている(『公共性』岩波書店)。その定義がわかりやすい。
まず「official」は、主に行政が行うべき活動、管理的な業務。先に示した池袋の広場での公共は、この立場からの目線だった。
「common」は、参加者が共有する利害が存在すること。たとえば、イギリスにおける共有庭のあり方はそれをよく示している。「コモン」と呼ばれる庭は、そこを取り囲む複数の住人たちが共有して持つ庭である。その空間の所有は個人でありながら、限られた公に開かれている。
そして「open」は、誰もがアクセスすることを拒まれない空間や情報のこと。IT領域でのオープンリソースやオープンネットワークに、その性質がよく現れている。
この概念を空間に援用すると、「オフィシャルスペース」「コモンスペース」「オープンスペース」となる。今、私たちはその三つを「パブリックスペース」とまとめて呼んでいる。しかしそれらは性質も管理者も違うものだ。
僕が先に感じた違和感は、「オープンスペース」が「オフィシャルスペース」のように扱われていたことが原因だったのがわかる。
私たちが「公共」と表現している概念は、これらが混在し曖昧になっている。それらの差異を意識し、使い分けることで求める公共空間が見えてくる。
公共は行政が管理下に置くべきものでもなく、「公」と「個」は明確に分かれ二元論で語られるべきでもない。その関係性の結び方によって、適度な秩序を持ったいきいきと使われる空間が生まれるはずだ。
実は「オフィシャル」と「オープン」の中間、「コモン」の概念にこれからの公共空間を解く鍵があることが見えてくる。私たちは今後、この時代にふさわしい多種多様な「コモンスペース」を発明しなければならないのではないか。もしくは失われてしまったその空間を取り戻さなくてはならないのではないか。

その空間は誰のものなのか、ではなく、誰のためにあるのか

都市空間は見えない線によって、細かく所有や管轄が決まっている。その存在感は強大で、それを巡って数センチ単位で紛争が起こったりもする。土地本位制が根強い日本において、その空間が誰のものなのかは圧倒的な強度で語られる。しかし逆に、その空間が誰のためにあるのか、という概念が極めて希薄になっているのが日本だ。この本を通じて問い続けているポイントは、そこだ。
たとえば公園。そこは都市公園法によってやってはいけないことだらけだ。管理者によってその使用制限がどんどん増えていく現象は前述の通り。そこには不公平な公平を維持する障害が横たわっている。
ここで発想を転換し、「この空間は誰のものなのか。誰が管理しているのか」という、今までの所有からの見方ではなく、「この空間は誰のためにあるのか」という視点から眺めてみる。そこから新しい発想や動きが始まるのではないだろうか。

私有と共有が曖昧な、冗長的な空間

近代の細分化プロセスのなかで、私有と共有の境界に線が引かれ、その境界がはっきりし過ぎたのではないか。確かに社会が複雑化し、利害が絡めば、その境界は厳格化しなければ混乱を招くことになる。しかし同時にこれは、コミュニケーションの冗長性を消していくことになった。
かつて曖昧な空間が存在した。庭先、店先、縁側…、これらの単語が示すように、私有の「先」っぽの空間は、街や道路、公共の空間に開かれていて、そこは誰のための空間なのかが曖昧だった。その空間が社会の冗長性を担保していたような気がする。ここから先は私有地だが、パブリックに開かれ、他者が入ってくることを許容する、時には歓迎するような空間。そのいい加減な空地が弾力的なコミュニケーションを生んでいた。幅があったその帯域は、今は線に集約され、やがて消えていってしまった。
かつて空き地でよく遊んでいた。「ドラえもん」でも、子どもたちの遊び場は空き地と決まっていて、そこにはなぜか大きな土管が置いてあって、それが自由の記号だった。おそらくその空き地は誰かが私有していたはずだが、そこは適当に放置され、僕らはそこで勝手に遊んでいた。そこは公共空間のような私有地だった。今そんな空き地は存在しないし、勝手に空き地に入り込んで遊んでいたら叱られるだろう。あらゆる空き地にはバリケードが巡らされ、「許可なき者の立入りを禁ず」と、ばしっと書かれている。
今考えるとこの空き地は、半私有・半公共の場で、社会の積極的なスキマだった。僕らにとって、そこは管理者が曖昧なアジールだった。それに代わる空間が、整備された公園ということになるのだろうが、そこは管理者である行政がボール遊びや芝生に立ち入ることをしばしば禁止している。一部からのクレームがあるから禁止事項が増え、身動きがとれない公園になっている。では今の子どもたちは何をすればいいのか? 滑り台の下で静かにモバゲーをするだけなのか?
僕らのようなサイレント・マジョリティは無視され、少数の大きな声がルールをつくるという矛盾にぶつかってしまう。曖昧な空間を生成することは確かに難しい。

土地本位制の崩壊と貨幣以外の交換価値

土地本位制度のもと、日本の土地、すなわち空間は貨幣に置き換えやすいものだった。その概念は強固だが、最近は少しその価値が揺らいでいるように思えることがある。とくに地方都市では人口が減り、土地も時間も余っているから、土地がいつしか貨幣価値を持たなくなっている。路線価などの値段はついているのだが、取引はまったくない。それはすでに貨幣価値を失っているのと同じことだ。
そのような土地を所有者はどうするのだろうか? ただ放置するのか、公に開放するのか…。後者の方がまだ生産的だ。実際、ガラガラに空いてしまったデパートのフロアを公園のように開放するなど、もはや民間の管理する公共空間に近いものになっている風景を見たことがある。今後、私有地の公共化がさらに進んでいくだろう。この場合、その空間は誰のものなのだろうか。
しかし、変化の風を感じることが多くなった。震災などの大きな出来事もあり、日本人は穏やかに、優しくなっているような気がする。強かった所有、私有への欲求も今の若い世代は薄い。土地やモノを所有していることが自分の幸せとダイレクトには結びつかなくなっている。シェアの概念が意識され、彼らは貨幣以外の交換価値を積極的に楽しみ始めている。この感覚が公共空間に援用されるようになれば、変わっていくだろう。 時代は今、新しいデザインやアイデア、ルールやマネジメントによる空間を求めている。それはいかにしてつくることが可能なのか。ヒントや手掛かりを探すのがこの本の目的だ。

今が、変化の時

公共空間をドラスティックに変えるタイミングだと思う。人口減小と税収の落ち込みによって、行政は新しい投資をしにくい状況にあるからだ。その苦境は合理化や工夫を生み出す。ハコモノ行政が問題視され、ハードへの公共投資の壁は高くなった。新築が困難な場合はリノベーションを選択することになる。
役所は建設ラッシュから40年余りが経った。構造補強や老朽化による補修が必要な時期を一気に迎えている。地方都市でそれらを新築する体力があるのは限られた豊かな街だけで、人口減少も進んでいるので施設を拡大する必要性も薄い。だとするならば、ただ構造補強して壁の色を塗り直すだけではなく、現在の行政の在り方に適した空間へと再編する機会でもある。役所だけではなく、図書館、学校なども同じような状況にある。廃校のリノベーションや図書館の運営の見直しは一部ですでに行われ始めた。
同時に、公共空間の使い方や運営の幅を広げる規制緩和が進んでいる。この本のなかに出てくる「アーツ千代田3331」や「武雄市図書館」などはその代表だろう。行政は自らが施設を運営することが重荷になり、それを外部化することの有効性に気づいている。それはうまくいけば、経費の削減と空間の活性化の両方を促すことになるからだ。  しかし、公共財の運営を民間事業者に委ねていいのか? 公平性とは何か?という問いと常に向きあい続けなければならない。そこに行政の立場の難しさがある。これらの問いは、使う側の幸せを優先して考えるならば、おのずと答えは導けるはずだ。
この本で僕は、一貫して公共空間の改革開放路線を提案している。空間は管理する側の論理ではなく、使う側の論理でつくられなければならないと思っているからだ。そのためには、空間の主体を管理者から使用者へと移行しなければならない。
社会学者のアンリ・ルフェーブルはその著書『空間の生産』(青木書店)のなかで、管理する側の論理でつくられた空間のことを「抽象空間」と呼び、それが利用者の自由やいきいきとした空間の使われ方を阻害していると批判した。逆に利用する側の論理によってつくられた空間を「生きられた空間」と呼んだ。そこでは利用者ならではの知恵や工夫が積み重ねられ、変化しながら最適化し、空間が活力を保ちながら維持されていることが多いからだ。
この本は「使う側の論理」で空間の在り方を再認識した事例やアイデアを数多く紹介した。ささやかなものが多いが、その個別解の集積が状況を変えていく。

RePUBLIC

リ・パブリック。日本語に訳すと「共和国」。違う意味の単語になっていることに気がつく。その語源は「公共のもの」を意味するラテン語「res publica」。共和国とは国家自体を国民が共有する、というコンセプトでつくられた体制だった。それと対になっているのが、君主が存在する王国、君主国。
もちろん、すべての共和国が現在、そうなっているわけではないし、共和国という名の独裁国家もある。それは建国当初のコンセプトが何かの拍子にズレてしまった結果だ。
国家が公共財という考え方、それは当たり前だが、果たしてその感覚を私たちはグリップできているだろうか。その感覚こそが、公共空間を自分たちのものだと実感できることにつながっているのではないか。
公共/publicについて空間を通して問い直す、この本をつくることをそのきっかけとしたい。

馬場正尊

この10年、たくさんのリノベーションを手掛けて気づいたことがある。それは、リノベーションとは単に建築の再生ではなく、価値観の変革であったということだ。
人間を包む空間を変えれば、そこにいる人々の行動や気分も変わる。楽しい空間は人々をハッピーにする。その積み重ねが新しい風景をつくる。空間の変化は社会の変化を喚起するのだ。単純なことだけれど、この本をつくるプロセスで改めて感じることができた。
僕らは政治家ではないから、「公共の概念を変えよう」と声高に言っても説得力がない。建築家をはじめ、空間をつくることを仕事にしている人間ができることは結局、空間や建築で変化を起こし、理想の風景を描くことしかない。
日本はまだ冗長性をちゃんと備え、変化を受け入れる幅を持っている。それはルールや常識が健全に働いている証拠だ。そういう意味でこの社会を信じている。それが少々硬直しているのなら、自由な発想や行動力で柔らかくすればいい。きっとそれが僕らの役割だ。
いつの時代も社会を変えるのは確信犯的な楽観主義。
「まあ、なんとかなるさ」とプロジェクトを起こし、障害にぶつかっては、修正や突破を繰り返しながら実現させる。始めてみなければ、何も起きない。そんな気分で、公共空間を改めて自分たちのものと捉え、変えていこう。
最後に、2年がかりで出版を実現させてくれた学芸出版社の宮本裕美さん、僕の大雑把な発想に具体的なイメージを与えてくれたOpen Aの大我さやかさん、徹夜で編集作業につきあってくれたOpen Aの塩津友理さん、本当に感謝しています。そしてこの本をつくるにあたって協力してくれた、たくさんの方々、ありがとうございます。

2013年9月
馬場正尊

理論と実践とアイデア
この本は、理論と実践とアイデア、この三つから構成されている。

理論
理論の部分では、この本の問題意識を述べている。
社会的な背景のなかでこの本を制作しなければならないと考えた理由、そしてあるべき公共空間、そしてパブリックという概念の今後について考えている。
同時にロングインタビューを二つ収録した。アートキュレーターの森司とプロデューサーの清水義次。僕から見れば、彼らは公共空間をすでにリノベーションしている実践者であり、同時に行動の背景を語ることのできる理論家である。その言説には多くの示唆が含まれている。

実践
実践には2種類のページがある。
一つはさまざまな事例を見渡し、見事に公共空間をリノベーションしている事例。掲載した写真には魅力的な風景が写しだされているが、そこに到達するまでにはさまざまな試行錯誤、コンセンサスを獲得するための活動が存在する。図面や写真だけからは見えてこない、こうしたバックストーリーにも注目している。それらは新たな公共空間を発明するためのヒントである。
もう一つはOpen Aが手掛けてきた事例である。
僕はこれらのプロジェクトの実践を通し、公共空間をなんとかしなければという思いが強くなった。設計プロセスのなかでの気づき、立ちはだかった困難、ブレイクスルー、そして積み残した課題。問題意識の断片が、これらの実践のなかにある。見やすくするために、Open A worksというメモを付している。
メディアで紹介されるときはどうしてもサクセスストーリーの部分に光が当たり、苦難や失敗、ジレンマなど影の部分は見えにくい。しかし、現場でプロジェクトを進める立場になると、知りたいのは案外、その地味な部分だったりする。実践の部分ではこの視点を大切にした。

アイデア
目が覚めるようなビッグアイデアを提示しているわけではなく、どちらかと言うとすぐにでも実現できそうな、でもありそうでない空間のアイデアを描いてみた。制度的にクリアしなければならないことも残っているが、少しの工夫や手続きを経れば実現できそうだ。逆に、これができないことが、公共空間の現状を表しているとも言えるだろう。手書きのスケッチで表現し、ポイントを余白にメモした。
この本はどこから読んでもいいような構成になっている。ザッピング感覚で、自分の役に立ちそうな部分だけを抜き出し、参考にしてほしい。できるだけ多くのヒントや発想のスイッチを並べようとしたので、さらに深い情報が欲しい場合は、関連する言葉の検索から始めればいい。そう、この本は何かを始めるきっかけのようなものだ。

藤村龍至/建築家

「リノベーション」は、システムをリノベートできるか

「東京R不動産」で知られる建築家・馬場正尊氏による「公共空間のリノベーション」をテーマとしたマニフェスト的な作品集+事例集+アイディア集である。

「マニフェスト的な作品集+事例集+アイディア集」と少々説明的に書いたのは、本書の構成が読者にとって難しいと感じられるかも知れない、と感じられたからである。
まず第一に、作品集をベースにしたマニフェストかと思いきや、自分以外の作品も先進事例として含まれている点。そして第二に、事例集かと思うとアイディアスケッチが並列されていて、現行の制度下では実現不可能なものも含まれている点である。

建築家によっては自らが設計した竣工作品以外はプレゼンテーションしない、という規範意識を持つ人もおり、建築系の読者はそのような規範に親しんでいるところもあるので、本書は自らの作品を含んだマニフェスト的な事例集であり、アイディア集であるから、他の建築家が出版するいわゆる「作品集」的な書籍とは少々異なる読み方を要求する点に注意が必要かもしれない(その点では山崎亮氏の『コミュニティデザイン』は自らの事例に限り、しかも実現したものばかりであるので、実は作品集のように読むことができる)。

つまり本書は馬場氏の作品集というよりも、「実現できるかわからないが、こういう事例をもとにすると実現できるかも知れませんよ」という、いわゆる「企画書」的な書籍である、と理解するとわりとすんなり読める。そしてそれが本書の特徴でもある。

さらに本書を特徴付けているのは、既存建築物の増改築(いわゆる「リノベーション」)事例だけが掲載されているわけではなく、「アオーレ長岡」や「名護市庁舎」のような新築の事例も並列されており、制度や概念、組織などのような社会のシステムを「リノベート」することが含まれている点であろう。
そこには馬場氏による既刊『都市をリノベーション』などで展開されてきた馬場流の概念の拡張が含まれている。

既存の建築物やシステムを前提としてそれらへの上書きを主題とするというロールモデルは、世代的なものもあるだろう。かつて塚本由晴氏と貝島桃代氏による「トーキョー・リサイクル計画──作る都市から使う都市へ」(『10+1』No.21所収)も「都市をリサイクル」すると宣言していた。
同論考には東京都の公共施設のリストが含まれているなど、今日でいう公共施設マネジメントのような具体的な視点も含まれていたが、基本的には官僚組織からも、商業主義からも自由な立場で都市空間の可能性を謳う姿勢が強調されていた。

馬場氏やアトリエ・ワンの書籍を読むと、磯崎新氏の『建築の解体』と比較したくなる。
磯崎氏は世界中の同時代的な動きを精力的に紹介しながら、既存のレガシー(遺産)システムを「解体」しようとした。「解体」にせよ、「リサイクル」にせよ、「リノベーション」にせよ、言葉は違うが、既存のシステムを否定し、新しいシステムの到来を高らかに宣言しているという構成には共通点がある。

もちろん、それに伴う強さと同時に、弱さもある。強さは発想の自由さ、弱さは実行力であろう。だがその弱さ、ナイーブさも、かつてのル・コルビュジエや磯崎がそうだったように、次第にキャリアが追いついていくことで解消されていく。
いつしかアイディアは実現し、自らの事例が増え、「企画書」はいつか「作品集」へと変わっていくのである。本書は両者の中間点にあるのではないかと思う。

ただ、馬場氏の「リノベーション」に磯崎氏の「解体」にあったような歴史に対する解釈や批評はあまりない。もしそれらが加わったら分野を超えて理解がより大きく広がるのではないかと感じた。
理論面では公共施設をめぐる状況、とくに制度や財政に対する分析が、批評面では馬場氏が経験した時代の転換、特に馬場氏が関わったという1996年の都市博中止が象徴するような、広告企画によって建設を煽動する社会からストック社会への移行への分析などが読んでみたい。

というのは、阪神大震災や東日本大震災を経験した日本社会では、投資額をとにかく低く抑えたい若者や民間のビルオーナーは別として、人命の保護に責任を持つ公共施設の保有者にとって古い構造物に対する信頼はあまり高いとは言えず、またライフサイクルの観点からも投資効率が疑問視されているなかで保存改修の意義は共有しにくい。

さらに、バブル経済が崩壊し、虚構に満ちた社会が崩壊するトラウマについても、私のように少し下の世代にとっては具体的な実感がないため案外共有しにくいところもあるから、価値の転換、特になぜ馬場氏が企業社会からの自由をことさら強調するのか、前提への説明なしに共有できないところもあるからである。

とはいえ、新しい公共空間のあり方に関わる先進的な事例をこれだけ網羅的に集め、論じた本はこれまでほとんどなかった。
公共空間のあり方について関心のある読者、特に公共空間を司る首長や行政職員には特に読まれ、議論されることを期待したい。
私自身は本書の先進性に大いに刺激を受けるとともに、いつか馬場氏の立つ公共空間を使う立場というよりも、管理、経営する行政職員の立場に立った本を書いて、私なりの「RePublic」に挑戦してみたいと思わされた。

(建築家・東洋大学専任講師/藤村龍至)
※肩書き等は当時

担当編集者

馬場正尊さんがずっと気になっていた公共空間。建築設計の仕事を通じて、日常の暮らしの中で、公共空間の不自由さを痛感し、それを柔らかく解きほぐそうと、この本は企画されました。
公共空間は使いづらいのが当たり前、退屈でも気にならなくなっていませんか。
この本は、そんな人々の意識を揺さぶります。
ハッピーな事例とアイデアがちりばめられ、シリアスな方法論も軽快な語りで読ませ、頁をめくっていくうちに、公共空間って本当はもっと自由で豊かなものであるはずなんだと気づかされます。そのことに気づき行動を起こした人たちが、私たちの時代のパブリックを体現していく、この本がそんなきっかけになってくれたら嬉しいです。

(宮本)

※終了しました

『RePUBLIC 公共空間のリノベーション』刊行記念トークショー

馬場正尊×花井裕一郎/2013.9.21@大阪

「公共空間のリノベーション ―新しい公共/パブリックに必要なこと。」

馬場正尊×樋渡啓祐/2013.10.12@佐賀

「私たちは、公共空間をどう変えようとしているか?」

清水義次×佐藤直樹×馬場正尊/2013.10.18@東京

「KOBE RePUBLIC!」

馬場正尊×慈憲一×森本アリ/2013.11.25@神戸

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