インクルーシブデザイン
内容紹介
誰もが参加できるデザインで社会を変える
インクルーシブデザインとは、子ども、高齢者、障がい者など、特別なニーズを持つユーザーをデザインプロセスに巻き込み、課題の気づきからアイデアを形にし普遍的なデザインを導く。英国発の概念から日本での実践まで、社会的課題を解決する参加型デザインの方法論。誰かのためのデザインから、誰もが参加できるデザインへ。
Introduction to INCLUSIVE DESIGN
はじめに:今なぜインクルーシブデザインなのか?
ロジャー・コールマン
CHAPTER 01
イギリスで生まれたインクルーシブデザイン
ジュリア・カセム
01 インクルーシブデザインはなぜ生まれたか?
02 インクルーシブデザインの進化
03 チャレンジワークショップとは?
04 デザインによる排除
05 デザインチャレンジの事例
06 ユーザー中心・参加型デザインの方法論
07 良いデザインとは
CHAPTER 02
インクルーシブデザインとは何か
平井康之
01 インクルーシブデザインとの出会い
02 日本におけるインクルーシブデザイン
03 ユニバーサルデザインとの違い
04 インクルーシブデザインの四つのアプローチ
05 ソーシャルインクルージョンとの連携
06 「こども×くすり×デザイン」
CHAPTER 03
ユーザーのためでなく、共に実現するものづくり
塩瀬隆之
01 技術×デザイン=イノベーション
02 技術者と生活者を結ぶインクルーシブデザイン
03 教育普及のためのデザインワークショップ
04 認識のズレを解消するデザインワークショップ
05 効率のジレンマを乗り越えて
CHAPTER 04
問いをデザインすること、そして問いを問うこと
水野大二郎・小島清樹
01 問いをデザインする:デザインリサーチ
02 問いをデザインするための方法:カルチュラルプローブ
03 問いをデザインするためのデザイン:クリティカルデザイン
04 インクルーシブファッション
05 「尊厳のためのデザインリサーチプロジェクト」
06 食のデザインリサーチプロジェクト「The Power of Mum」
CHAPTER 05
ユーザー参加型デザインのしくみ
荒井利春
01 道具や環境の新たな原型を創出する
02 動的なデザインプロセスをつくる
03 使い手とつくり手の見えない壁を破る
04 センシティブでコンカレントなデザイン
05 多様性と共生からの逆ベクトルのデザイン
06 みんなのはさみ「mimi」の開発
07 病院の水回りの改修デザイン
CHAPTER 06
障がいのある人のアートで社会を変えていく
森下静香
01 ソーシャルインクルージョン―welfareからworkへ
02 アートの力を活かした社会運動
03 暮らしとアートをつなぐコミュニティアート・プロジェクト
04 障がいのある人のアートを仕事にする
05 インクルーシブデザインへの参加
06 意識を変えれば、社会は変わる
CHAPTER 07
多様な「見たい」をカタチにする「みんなの美術館プロジェクト」
岡崎智美・梅田亜由美
01 市民にとって遠い存在の美術館
02 市民とのワークショップ「こんな美術館あったらいいな!」
03 “気づき”からのアイデア提案「こんな美術館つくってみました!」
04 課題やアイデアを発信・共有する
05 当事者参加、市民参加による鑑賞プログラムづくり
06 美術館と市民が共に「新しい公共」をつくる
CHAPTER 08
「見る」という行為の気づきから生まれた音声付電子体温計「けんおんくん」
小池禎・田邊友香
01 体温を測ることを観察する
02 デザインパートナーと現状を把握する
03 目からウロコの“気づき”の連続
04 課題をクリアしながら共につくる
05 ものづくりにおけるインクルーシブデザインの効果
CHAPTER 09
誰もが共用できる原型を追求したロビーチェア「マドレ」
木下洋二郎
01 マーケティング主導型のインクルーシブデザイン
02 ワークショップでニーズを発掘する
03 「マドレ」の開発プロセス
04 誰もが共用できる原型をつくる
CHAPTER 10
使い手とつくり手の境界を取り除く「インクルーシブアーキテクチャー」
家成俊勝
01 現在の建築を取り巻く状況
02 共につくるための道具の検証
03 共につくるための材料・工法の検証
04 誰もが建築をつくれるワークショップ
CHAPTER 11
素人でも建築できる「地域型仮設住宅ピースハウス」
桑原あきら
01 履き慣れた靴を捨てる
02 持続可能な仮設住宅プロジェクト
03 二つのプロトタイプデザイン
04 素人でも組み立てられる「ピースハウス」
05 三つのデザインイノベーション
06 コミュニティ・ワークショップで参加のデザインを
おわりに
播磨靖夫
[編著者]
ジュリア・カセム Julia CASSIM|CHAPTER 01
ロイヤルカレッジ・オブ・アート、ヘレンハムリンセンター・フォー・デザイン客員上席研究員。マンチェスター芸術デザイン大学、東京藝術大学卒業。ニューカッスル大学より博士号取得。1984~98年ジャパンタイムズ紙のアートコラムニストとして勤務。イギリスに帰国後、2000年にヘレンハムリンセンターに入り、インクルーシブデザインに関する技術・知識の共有を目的としたチャレンジワークショップを企画・運営する。
平井康之 Yasuyuki HIRAI|CHAPTER 02
九州大学大学院芸術工学研究院デザインストラテジー部門准教授。1961年生まれ。京都市立芸術大学卒業後、コクヨ株式会社にデザイナーとして勤務。在職中の1990~92年にロイヤルカレッジ・オブ・アートへ留学。マスターを取得し帰国後、アメリカのデザインコンサルタント会社IDEOに4年間勤務。九州芸術工科大学(現・九州大学)助教授を経て、2003年より現職。
塩瀬隆之 Takayuki SHIOSE|CHAPTER 03
元・京都大学総合博物館准教授。1973年生まれ。京都大学工学部卒業、同大学院工学研究科修了。博士(工学)。専門はシステム工学。熟練技能伝承のシステム化研究から、現在はコミュニケーションデザインの研究へ。「伝わるとは何か」の本質に関心を持つ。高齢者や障がいのある人をものづくりのプロセスに巻き込むインクルーシブデザイン・ワークショップや子どもの好奇心を引き出す学びのワークショップを100回以上開催。2012年より、しばらく立場をかえて、子どもたちが将来に夢を持てるような社会づくりに注力するため、准教授をお休み中。
森下静香 Shizuka MORISHITA|CHAPTER 06
財団法人たんぽぽの家常務理事。1974年生まれ。大阪市立大学文学研究科修士課程修了。1996年より、財団法人たんぽぽの家にて障がいのある人の芸術文化活動の支援や調査研究、医療や福祉のケアの現場におけるアート活動の調査を行う。2005年より、インクルーシブデザインの調査研究、普及活動を行う。
[著者]
水野大二郎 Daijiro MIZUNO|CHAPTER 04
慶應義塾大学環境情報学部専任講師/京都大学デザイン学ユニット特任講師。1979年生まれ。ロイヤルカレッジ・オブ・アート博士課程後期修了、芸術博士(ファッションデザイン)。デザインと社会を架橋する実践的研究と批評を行う。
小島清樹 Mizuki KOJIMA|CHAPTER 04
1990年生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業後、九州大学大学院芸術工学府に在学中。
荒井利春 Toshiharu ARAI|CHAPTER 05
荒井利春実験工房代表。金沢美術工芸大学名誉教授。1948年生まれ。東京教育大学(現・筑波大学)芸術学科工芸工業デザイン専攻卒業。1972年株式会社日立製作所デザイン研究所勤務。1978年より障がいのある幼児や高齢者のためのものづくりや施設設計計画。1985~2013年金沢美術工芸大学デザイン科にて多様なユーザーが参加するユニバーサルデザイン教育と研究活動。日用品から住宅設備まで開発プロジェクトを展開しグッドデザイン賞等受賞、ユニバーサルデザインコンペ国際審査員等を務める。
岡崎智美 Satomi OKAZAKI|CHAPTER 07
横浜美術館教育普及グループエデュケーター。1972年生まれ。東京学芸大学大学院教育学研究科修了。公益財団法人横浜市芸術文化振興財団職員。2000年に財団の前身である横浜市美術振興財団に入社。2007年から横浜市民ギャラリーあざみ野で展覧会やワークショップの企画、広報、ボランティア事業などを担当。2012年4月から現職。
梅田亜由美 Ayumi UMEDA|CHAPTER 07
フリーランス。1977年生まれ。京都大学大学院人間・環境学研究科修了。2006~12年、女子美術大学美術館で学芸員として展覧会、鑑賞プログラム、学生サポートスタッフの運営などを担当。現在は女子美術大学の非常勤講師、「港区ふれあいアート」事業(NPO法人ARDA委託)におけるコーディネーターなどを務める。
小池禎 Tadashi KOIKE|CHAPTER 08
オムロンヘルスケア株式会社商品事業統括部デザインマネージャー。1956年生まれ。1979年京都工芸繊維大学意匠工芸学科卒業後、東洋工業株式会社(現・マツダ株式会社)入社。MAZDA R & D EUROPE(Frankfurt)、マツダ株式会社デザイン部デザイナーを経て、2003年同社退社後、オムロンヘルスケア株式会社入社。2008年、2012年ドイツのiF Design Award審査委員。
田邊友香 Yuka TANABE|CHAPTER 08
オムロンヘルスケア株式会社デザインコミュニケーション部UXグループ。1983年生まれ。2007年大阪市立大学生活科学部居住環境学科卒業、同大学院生活科学研究科修了。2009年オムロンヘルスケア株式会社入社、現在に至る。
木下洋二郎 Yojiro KINOSHITA|CHAPTER 09
コクヨファニチャー株式会社ものづくり革新センターセンター長。1967年生まれ。1990年京都市立芸術大学プロダクトデザイン専攻卒業後、コクヨ株式会社入社。以来、オフィスチェアの開発、デザインを中心に担当後、オフィス家具全般のデザインへ展開。2014年より現職。ものづくり全般のプロセス革新にも携わる。ドイツのiF Design Award金賞、ドイツユニバーサルデザイン賞、グッドデザイン賞など受賞多数。
家成俊勝 Toshikatsu IENARI|CHAPTER 10
建築家。1974年生まれ。関西大学法学部卒業。大阪工業技術専門学校夜間部卒業。2004年より赤代武志とdot architectsを共同主宰。京都造形芸術大学空間演出デザイン学科特任准教授。大阪工業技術専門学校夜間部非常勤講師。建築における設計、施工のプロセスにおいて、専門家、非専門家にかかわらず、さまざまな人々を巻き込む、超並列設計プロセスを実践。
桑原あきら Akira KUWAHARA|CHAPTER 11
家づくり研究家、株式会社プロトハウス事務局代表。1957年生まれ。2000年に理想の家づくりをめざし、同事務局をスタート。2004年にプロトタイプを元にする家づくりシステムがグッドデザイン賞を受賞。建主の「本当の思い」を発見する、ユーザー参加型デザインを推進するため、インクルーシブデザイン研究所アドバイザーに就任。
Introduction to INCLUSIVE DESIGN
今なぜインクルーシブデザインなのか?
とてもシンプルでポジティブな理由がある。それは、人の寿命が延びたこと、障がい者の居場所がある社会が当たり前になりつつあるということだ。社会、経済、情報技術、そしてライフスタイルからのさまざまな影響を受けながら、私たちの生活に根本的な変化をもたらしつつある。
そのような社会の多様化を理解しながら、今後を予測して新たな解決策を生み出すことがデザイナーに求められている。ここで重要なことは、多様化が進むなか、これまでとは異なった分野からの期待に応えていくということである。深刻な世界的経済不況を脱するためには、これまで排除されてきた高齢者や障がい者のようなグループが、社会での孤立者や保護の対象者としてではなく、あたかも活動的な消費者やプロデューサーのように暮らせるようになることが必須である。
政治の分野では、投票する権利だけが民主主義ではないこと、つまり政治的決定によって直接影響を受ける状況にいる人々や、さまざまな環境変化の影響を受ける人々を意思決定に参加させることの重要性が理解されはじめている。
20 年の歳月を経て、ようやく実用性やモノ本位のニーズの先にある、私たちの生活をかたちづくるデザインの可能性が見えてきた。
現代社会が多様化するなかで、“未来”を可視化する(方法としての)デザインの重要性が広く認識されるようになった。それは地域から国際的なレベルまで、規模を問わず、人々の間や、地球環境と人々の間のよりよいバランスを“共に”実現していく“未来”だ。
未来へのビジョンを持った優れた人々に触発されたデザインが増加してきた。それらは国や地域の持つ条件を反映している。ヨーロッパでは「 デザイン・フォー・オール(Design for All)」がスタートした。それは、対立や迫害のない統一されたヨーロッパをつくりたいという思いを反映したもので、目標達成には社会的・経済的な包摂(インクルージョン)が不可欠であった。アメリカでは「ユニバーサルデザイン(Universal Design)」がスタートした。それは、アクセスや移動、経済を営む自由に対する障がい者の熱い思いを反映したものである。ユニバーサルデザインでは市民権運動の目指す内容と類似し、法律や政治レベルで達成することが運動のテーマになった。
デザイン・フォー・オールとユニバーサルデザインは、障がい者の熱い思いや権利の実現に重点を置き、高齢者の課題は、障がい者の視点から捉えがちであった。それとは対照的に、イギリス発祥の「インクルーシブデザイン(Inclusive Design)」は、高齢化問題に直接向けられた運動であり、イギリスが世界に先駆けてこの流れをつくったわけである。それは、ケンブリッジ大学トリニティカレッジの研究フェローで社会的歴史学者のピーター・ラスレットによって初めて明らかにされた。ラスレットはこの流れを、同じくイギリスに源を持つ産業革命とその影響による社会的・経済的変化につなげて考えた。彼は、この考え方が北欧諸国と日本で急速に普及し、世界に広がると予測した。
私はピーター・ラスレットと共同で、このような急速に進みつつある社会変革の重要性をデザイン業界とビジネス界へ提唱した。特に高齢者のライフスタイルと価値観の変化という急進的な社会変革が同時に起こっている事実を指摘した。その意図は、デザイン業界や産業界に変化に対して応えるように準備を呼びかけることにあった。商品、システム、サービスのユーザーや消費者が、どのような人々で、彼らの能力、ニーズ、熱い思いが変化しつつあることについて、もっと理解を深めなければならないというのが、私たちのデザイナーとデザイン業界に対するメッセージであった。将来の成功を確実なものとするには、製造業やサービス業、特にそのマーケティング部門やデザイン部門、そして経営者が、同じ認識を共有することが必要だ。それは一言で言えば、増加しつつある重要な高齢者向けの商品やサービスを排除しないようにし、彼らのニーズ、熱い思い、変化するライフスタイルをさらに包含(インクルード)するということである。
ケンブリッジ大学エンジニアリング・デザイン・センター( EDC) のジョン・クラークソン教授との共同研究では、イギリスの物理科学研究委員会( EPSRC)の助成をもとに、高齢社会が必要とするインクルーシブデザインを提供する、デザイナーや産業向けの知の拠点を創設した。この研究は、イギリスの他の組織やボランティア団体を包含しながら急速に拡大し、政治的思想や理解に大きな変化をもたらした。この知の拠点は、新しいUK 規格(ブリティッシュスタンダード)であるインクルーシブデザイン・マネジメント( BSXYZ)と、ブリティッシュテレコムがスポンサーとなり作成したデザイナーと企業向けのツールキットに影響を与えた。ブリティッシュテレコムは、すべての組織レベルでインクルーシブデザインを採用した最初のイギリスの大企業である。
プロセスの初期の段階では、高齢者と障がい者の間の違いについて意識した。特に高齢者は、高齢化に伴って能力にはさまざまな小さい変化が起こり、いつも大きな障がいがある状態ではないことは、高齢者向けの製品やサービスや情報システムとの関わり方において重要である。障がい者の多くは高齢者で、若い世代の障がい者のニーズに焦点を絞るのは、必ずしもデザイン・フォー・オールにつながらない。その代わり、“大多数”とは異なるニーズを持つ社会の多様な人々への深い洞察が必要だ。
高齢者や障がい者、“特別なニーズ”を持つ人々をすべて合わせると、人口の多くの割合を占めることに気がつく。そのような多くの人々の多様性に向けて効果的なデザインを行うには、全人口における能力の違いや時系列での変化について、かなり理解を深めなければならない。関連するデータ不足を解消するためには膨大な作業が必要になるが、ケンブリッジ大学EDCの研究員が、非常に効果的に作業にあたった。デザイナーや企業が使いやすいようなデータにするには、データの解釈や表現に加え、デザインプロセスについて深く理解する必要があった。その作業の過程で、ユーザーから得られる直接的な経験が有効であることが証明された。
1991年初頭に、ロンドンのロイヤルカレッジ・オブ・アート(以下、RCA)では、インクルーシブなアプローチによるデザインに必要な考え方を開発し実践を行っている。「デザインエイジ」という、イギリス初のデザインと高齢化についての研究を始めて以来、高齢者と若い大学院の学生デザイナーが共に参加している。デザインエイジの二つの目標は、高齢者をデザインプロセスの中に取り込むことと、これから社会に出ていく若いデザイナーが高齢者の熱い思いやニーズに敏感になるようにすることであった。プログラムのテーマは、デザイナーが、私たちの現在と未来のために負うべき責任と、狭い身のまわりのニーズや好みだけにとどまらない思考を身につけることの大切さを込めて「未来の私たちのためのデザイン」とした。
デザインエイジは、その成功により初期段階から日本をはじめ世界から関心を集めた。その数年後、長年にわたり日本で障がい者のデザインと啓蒙に取り組んでいたジュリア・カセムに出会った。私と同じように、ジュリアは障がい者の“ために”ではなく“共に”デザインを推進していた。そして彼女は、ごく自然にRCAの私のチームに参加した。
私たちがRCAにヘレンハムリンセンター・フォー・デザイン(以下、HHCD)を設立できたのは、多大な寄付によるものであった。これによりデザインエイジは、高齢者からすべての人々を対象にしたインクルーシブデザインに進化した。インクルーシブデザインを効果的に進めるためには、「クリティカルユーザー(重要なユーザー)」のニーズや能力やライフスタイルを深く理解する必要がある。クリティカルユーザーとは、対象ユーザー分布カーブの両極に位置する人々である。そのような知識を得る最善の方法は、クリティカルユーザーと共にデザインに取り組むこと、そして可能な限りデザインプロセスへの参加を促すことである。
この領域は、ジュリアが専門とする分野であり、HHCDで迅速に確立された。またジョン・クラークソン教授との共同研究で、プロダクトやサービスのクリティカルユーザーだけではなく、最先端のプロダクトやサービスの開発に携わるデザインチームやコンサルタントも、私たちが開発していた新しい知識を有するクリティカルユーザーであることがわかった。ジュリアは、とてもうまく二つのグループをつなげる強力なしくみをつくりあげた。ユーザー中心デザインの新たなベンチマークとなった「DBAインクルーシブデザインチャレンジ」がそれで、イギリスに知れ渡ったこのチャレンジを通じて、デザインビジネス協会と活動的なボランティア組織がつながった。
HHCDへのジュリアの参加と、ジェレミー・マイヤーソン教授の共同ディレクターとしての参加は、日本との結びつき、特にRCA卒業生で九州大学の平井康之准教授との関係を強めることとなった。
ジュリア・カセムと平井康之をはじめとする本書の執筆陣は、インクルーシブデザインの理念と実践について培った素晴らしい経験、知識を活かして、この本を読みやすく深い洞察に満ちたものにしている。これはインクルーシブデザインを理解する鍵となる本であり、すべての読者に薦める。
Professor Emeritus, Royal College of Art Roger COLEMAN
ロイヤルカレッジ・オブ・アート名誉教授 ロジャー・コールマン
本書は、デザイン教育や企業における商品開発、イノベーター育成のための方法の一つとして関心が高まりつつある「インクルーシブデザイン」の理念とイギリスにおける実践、さらには日本における広がりを伝えるはじめての書籍である。ここでは、インクルーシブデザインの方法論にとどまらず、さまざまな分野で未来の社会を見据えた小さな実験が各地で行われていることが報告されている。執筆者たちは、文具や医療用品、家具などのプロダクト、病院や美術館などの公共空間や仮設住宅まで、それぞれのモノやサービス、環境が抱える現在進行形の問題と正面から向きあい、問題の立て方から問い直し、社会のしくみを組み替えていくための提案を行っている。
今、私たちが生きる社会は大変に生きにくい社会である。少子高齢化、グローバル化や市場化、ハイテク化の波は社会構造に大きな影響を及ぼし、経済的な格差、文化の劣化、貧困など、社会のいたるところに矛盾を引き起こしている。さらに大きな災害を経て、自分の生活がいつ崩壊してもおかしくないという“存在のゆらぎ”のなかで、あらためて私たちは自分たちの手で「人間の価値」に根ざした政治や市場、社会のしくみをつくらなければならないと思いはじめている。日本においてインクルーシブデザインへの関心が急速に高まりつつあるのは、現代の課題の多様化と複雑化のなかで、分野を超えて課題を解決するための知恵と方法が切実に求められているからだろう。
ジュリア・カセム氏は、インクルーシブデザインをはじめとした新しいデザインのあり方として「デザインは、人々が社会参加できる、つまり『インクルージョン』(包摂)するためのツールであって、社会参加できない、つまり『エクスクルージョン』(排除)するものであってはならないという目標がある」と明確に述べる。そこには大量生産、大量消費、大量破棄の時代が長く続き、売れることのみを目的とすることで「この程度でいい」というデザインを生み出してしまったことへの反省がある。それに対してインクルーシブデザインは、脱成長の時代のなかで、もう一度デザインのあり方を問い直し、デザインを社会にとって意味のあるかたちで発展させていこうとする運動でもある。
日本での運動をリードしてきた1人、平井康之氏は、自身のRCAやIDEOでの経験から、クリエイティビティが生まれ、イノベーションへとつなげるためには、つくりながら考える柔軟性、考えるよりも行動に力点を置く体験型の学びの精神が必要であると言う。その時、そこにいる人と対話し何が生まれるか、その時そこにあるもので何をつくりだせるか、ブリコラージュの思想がインクルーシブデザインの根底には流れている。さらに塩瀬隆之氏は、技術者やデザイナーが対等にユーザーと向きあうことでこそ、前提となるフレームを疑い、フレームの外にある本質的な課題に気づき、自らの経験を超えたものづくりへの革新へと到達することができると言う。
執筆者たちに共通するのは、権威的な専門家としてではなく、自分自身や専門分野の限界を知りながらも、ユーザーと出会い、その出会いを楽しむことができる新しい専門家たち(プロフェッショナル)である。ユーザーもまた、消費者ではなく、生活者として、デザインに参画し、社会をよりよいものにしていきたいと考え実践する人である。
多様性のみが多様性を破壊する。現代がはらむ複雑な課題を解決するためには、分野を超えた知が必要であり、イノベーションはそこから生まれる。多様な人が出会い、協働する「人間の価値」に立脚したインクルーシブデザインの実践が、今後ますます各地で広がることを期待したい。そこから生きるに値する未来の社会が生まれるだろう。
2014年3月
財団法人たんぽぽの家理事長 播磨靖夫
縁あって「インクルーシブデザイン」という本の書評を書くことになった。僕自身がデザイナーなので、声をかけてくれた方は僕のことをインクルーシブデザイナーだと思ってくれたのかもしれない。
まず、本書のタイトルであるインクルーシブデザインについて簡単に説明すると「ユーザーの行動や状況を許容したデザイン」という意味の、イギリスで登場したパッシブ(受容的)なデザインの概念のことだ。
全ての優れたデザインは適切な受容性を持っている。つまり少なからずインクルーシブデザインである。だから何がインクルーシブデザインで、何がそうではないのかの定義はあまり重要ではない。一方で、デザインは意識しないと「作り手発想」や「専門家思想」に陥り、受容的であることを忘れてしまう。そんな罠に陥ると、とたんにイノベーションは難しくなるのだ。この罠を回避するために、僕自身も普段の仕事で気を配る「作法」があるのだが、本書はそんな作法の本のように感じられた。
本書には、複数人の証言を通して、物のデザインから出来事のデザインまで多様な実例が登場する。その実例を読み込んでいくと、著者の各人が考える受容的デザインイノベーションの作法(プロセスとルール)が書かれている。全体を通してプロセスが統合されているとは言えないが、例えば「多様なユーザーとデザインすること」や「ユーザーの参画性を上げるための工夫」や「問いをデザインすること」など、各人が見出した作法には、僕自身も実感として必要を強く感じるものが多くあった。
多様な状況の受容性とデザインの出会いから、領域を超えるようなクリエイティブが生まれることがある。本書に登場する現代のデザイナーたちのように、社会に機能するデザインはどうあるべきかを問う活動には共感を覚える。デザインと社会の新しい接点を見出すことこそ、新しいデザインを生み出すことにほかならないのだから。