ワークショップ

木下勇 著

内容紹介

ワークショップが日本に普及して四半世紀。だが、まちづくりの現場では、合意形成の方法と誤解され、住民参加の免罪符として悪用されるなど混乱や批判を招いている。世田谷など各地で名ファシリテーターとして活躍する著者が、個人や集団の創造力を引き出すワークショップの本質を理解し、正しく使う為の考え方、方法を説く。

体 裁 A5・240頁・定価 本体2400円+税
ISBN 978-4-7615-2399-2
発行日 2007/01/30
装 丁 上野 かおる


目次著者紹介まえがき書評
まえがき

第1章 ワークショップとは何か

1 ワークショップって作業着売り場?
2 ワークショップの特徴
3 ワークショップの意味
4 ワークショップは研究集会か?

第2章 なぜ今、ワークショップか

1 進みゆく「疎外」状況
2 人間一人で何でもできると思ったら大間違い?
3 会議や組織の創造性
4 住民参加のまちづくりの方法論として
5 新しい公共圏の形成のために

第3章 まちづくりにおけるワーショップの広がりと危機

1 まちづくりにおけるワークショップの広がり
2 ワークショップの広がりにおける危機
3 ワークショップの弊害を避けるには

第4章 ワークショップを考える重要なキーワード

1 螺旋上昇プログラム
2 資源
3 スコア
4 パフォーマンス
5 エヴァリュエーション(評価)
6 シェア(共有化)
7 広報
8 アクティブ・リスニング
9 ドゥラトゥラ
10 グループ・ダイナミックスと集団創造
11 意識化
12 ファシリテート、ファシリテーター
13 プロセスマネージャー(進行管理)
14 レコーダー(記録係)
15 後方業務(ロジスティックス)

第5章 まちづくりにおけるワークショップの事例

1 反対運動が起こった場合の活用─世田谷区烏山川緑道せせらぎ整備
2 中心市街地活性化の導入として─飯田市りんご並木再整備
3 国際協力事業での演劇を取り入れたビジョンづくり─フィリピン・ボホール島の村落開発
4 地域資源探しからまちづくりへ─松戸市「小金わくわく探検隊」
5 世田谷区太子堂・三宿地区のまちづくり
①三世代遊び場マップづくり
②広場づくり
③歩こう会とタウンオリエンテーリング
④ポケットパークづくり
⑤ガリバーマップづくり
⑥大道芸術展
⑦下の谷御用聞きカフェ
6 住民が一筆一筆作成した土地利用計画─山形県飯豊町「椿講」
7 都市部で初めてのまちづくりワークショップ─世田谷区「歩楽里講」
8 演劇ワークショップとのクロスオーバー─世田谷区まちづくり「ひろば」
9 バブル期の行政職員研修─港区「まちづくり考」
10 都市計画マスタープランづくりのワークショップ─葛飾区・「かつしかまちかどネットワーク」
11 中学校の建て替え計画案づくり─松戸市立小金中学校

ワークショップのQ&A

1 ワークショップの召集、参加者選定
2 ワークショップのプログラムづくり、事前準備
3 ワークショップの仕事、労働条件
4 ファシリテーターになるには
5 進行・ファシリテーションの仕方
6 ワークショップの成果
7 ワークショップの後は
8 番外

第6章 ワークショップの理論と方法

1 二つの心理学の流れ
2 クルト・レヴィンのアクション・リサーチ
3 ヤコブ・L・モレノの心理劇
4 心理学のワークショップ方法論のその後の展開
5 アメリカにおける住民参加のまちづくり運動の展開とワークショップ
6 ローレンス・ハルプリンのテイク・パート・ワークショップ
7 まちづくりワークショップのさまざまな方法
8 パウロ・フレイレ、アウグスト・ボアール、PETAの演劇ワークショップ
9 川喜田二郎のKJ法と移動大学

第7章 ワークショップの危機を乗り越えるために

1 ワークショップの意味の理解
2 ワークショップの成果をどう展開していくか、全体の戦略での位置づけ
3 ワークショップを開く以前の地域社会調査の必要性
4 地域との関係づくり、ステークホルダーへのコンタクト
5 参加者の選定と位置づけ
6 参加者以外への広報
7 ファシリテーターの養成
8 ファシリテーターの専門性に対価を
9 柔軟な進行(跛行的プロセス)
10 積み重ねの成果を評価する
11 ワークショップに嫌悪を感じる人もいるということの理解
12 ワークショップの後のフォロー
13 ワークショップ・住民参加を支援する中間組織の役割

注釈
図版出典
あとがき

木下 勇〔きのした いさみ〕

千葉大学園芸学部緑地・環境学科教授。
1954年静岡県生まれ。東京工業大学工学部建築学科卒業。スイス連邦工科大学留学。東京工業大学大学院博士課程修了。工学博士。大学院時代から世田谷区太子堂地区で子どもの遊びと街研究会を主宰、全国各地で住民参加のまちづくりワークショップ、子供参画の環境点検・地域改善運動に取り組む。専門は、市民参加によるまちづくり、環境形成・管理の主体形成の理論と方法、環境教育・まち学習など次世代への持続可能な環境管理の理論と方法に関する研究。千葉大学園芸学部助手、助教授を経て、2005年より現職。
著書に『遊びと街のエコロジー』(丸善、1996)、『まちづくりの科学』(共著、鹿島出版会、1999)、『まちワーク』(共編著、風土社、2000)、『子ども・若者の参画』(共著、萌文社、2002)、『都市計画の理論』(共著、学芸出版社、2006)など。

「楽しかった。」

ワークショップを開いた後によくそんな感想をいただく。普通の会議形式にちょっとワークショップ的な趣向を導入しただけでも、そんな打ち解けた雰囲気になる。

ワークショップは、子ども期に仲間と遊んでいた楽しさに似たような感覚を与えてくれる。他のメンバーからの刺激もあり、創造的な雰囲気で会場を包み、自分の脳が活性化された充足感と全体の一体感に酔いしれたような一時を与えてくれる。誰もに発言の機会があるので、思いもよらぬ人が思いもつかぬ発想で表現する。笑ったり、頷いたり、なぜか人との距離が近くなる。このように、従来の一方向の会議形式ではなく、上下の区別なく、参加者が水平的な関係で相互にコミュニケーションを活発にする方法の妙である。

「ワークショップ」という言葉が日本で使われ始めて、すでに四半世紀以上になる。まちづくりの場面でも、住民参加の方法論として、各地でさまざまな状況で使われてきた。しかしながら、普及するにつれて混乱も生じ、批判にもさらされている。大きな混乱は、「ワークショップをすれば住民参加」というように受け止められて、ワークショップが住民参加の免罪符のように使われるという問題である。その場に参加した住民は盛り上がり、大いに期待したものの、その後の展開がなく、より失望感を大きくするというような混乱である。なぜ、このようなことが起こるのか。ワークショップそのものへの理解に欠け、適した利用法がなされていない、という点につきる。道具の使い方次第で良くも悪くもなるというように、ワークショップは道具であり、道具の特性を知ることが大事である。

本書は、そういう意味で、「ワークショップとは何か」、その本質を探ることを中心に組み立てた。ワークショップの源流を探りながら、ワークショップの理論を整理することと、自身が経験した事例を入れながらワークショップの方法を解説した。

すでにワークショップに関する本がいくつか出版されている。本書は、それらの書物に比べて、幾分理屈っぽいと見受けられるかもしれない。方法論を平易に紹介することは、また誤った使い方をされる危険性も感じ、現代の社会において、ワークショップが必要なところで適した形で応用されていくために、その意味を掘り下げ、注意する点などを浮かび上がらせようとした。先行して発行されたワークショップに関する書物は、ワークショップを新しい方法論として紹介する立場を基本的にとっている。本書では、何も特別な方法ではなく、過去からの蓄積の上にある人類の知の創造的方法の一形態として、日常に気軽に応用できるものとして捉えようとしている。

ワークショップは、特段新しいものでもなく、人類の知として蓄積されてきた集団の力を発揮する方法であり、そういった要素は、子どもの遊びにも、伝統行事にも、ありとあらゆる日常に本来見出されるものである。そのように特別なものではないという点を、第一に力説したい。そのことを意識するとしないとでは、格段の差がある。ワークショップが身近な生活の場に応用される試行錯誤の創造的実践となるか、またはワークショップという道具に振り回されてしまうか、という差が生じるであろう。人間一人よりも三人寄れば文殊の知恵というように、集団の創造力を生かす工夫は、代々、さまざまになされてきた歴史がある。そういった昔からの知恵を評価し、それらとワークショップを組み合わせていくことが、地域に根づく方法となろう。

第二に、ワークショップは、未知な世界を広げる可能性もある。個々の人間一人一人の脳が刺激され、個人の有する未知な潜在的力を発揮することにもなる。

人間の力を信じること。その力を発揮して、多くの課題解決に向かうことが、人間社会の基本的な原理でありながら、今そのことが大変行いにくい状況になっている。裏返せば、社会は必ずしも進歩しているわけではない、ということかもしれない。それ故に、この基本的な原理が、今日重要な意味を持つ。

平和や人権、環境に関わるグローバルな課題と、身近な地域にも犯罪や少子高齢社会における福祉のあり方など課題が山積みな状況である。社会の変化にどう立ち向かっていくのか。人の連帯が必要とされているが、身近な地域での人の連帯が薄れて、まちづくりにもこのような一般的課題が突きつけられている。ワークショップは、その課題解決に、人間の力を結集して取り組む道具となる。

第三に、「楽しかった」と参加者が感じる集会。それがワークショップの持つ魅力である。まちづくりも楽しくなければ長続きしない。楽しくなければ多くの人が参加しない。薄れてきた地域の伝統的な共同作業にもそういう楽しい要素はたくさんあった。それを人と共有する安心感があった。とはいえ、昔に戻れ、というのではない。問題が複雑化している現在の状況下では、多様な価値観のもとに多様な主体が存在し、葛藤はつきものである。葛藤の表れ方によって、人は傷つきやすいので、他者との連帯を断ち切ってしまう方向に進みやすい。世の中、便利になり、他人の手を借りなくても一人で生きていけるように思い、葛藤を恐れて他者との関係を切っていく。しかし、その方向は次第に他者という存在を忘れてしまうような錯覚を人に与えてしまう。ワークショップは、他者との出会い、異なる価値観との出会いでもあり、社会の持つ葛藤に向きあう主体を形成する契機ともなる場を提供する。それも楽しさのうちにである。葛藤も対象化して、人と共有して解決を目指そうとするなかで、何らかの方向性が見出されてくる。

ワークショップを合意形成の方法というような誤解がされているが、以上の主な特徴からわかるように、決して合意形成を目的とした方法ではない。

専門が専門の枠の中に閉じこもる発想は、現代に効力を発揮しない。ワークショップを、まちづくりワークショップ、演劇ワークショップ、癒しのワークショップと類型化することも可能であるが、筆者には違いよりも類似性にこそ意味があると思われる。本書は、根源的に人間と集団の知恵をいかに発揮して問題解決に取り組むか、ワークショップはそういう助けとなる道具であるというスタンスで、今日、NPOなど市民主体の新しい公共の担い手に役立つ道具となるような期待を込めてまとめた。

特に、今日、競争原理が人間を活気づけるという、ネオリベラリズム的考え方がはびこっている。強いものが弱いものを食う、他を押しのけて勝ち残っていく、そういう市場経済を支配する論理が、福祉や教育、環境など他の領域にじわじわと浸透している。NPOやまちづくり組織は、本来ならば、そういう競争原理とは対極にある協働の原理に立つものである。他者とつながり、他者との討議や協働の営みによって新しい価値を生み出していく。ワークショップが、そういう集団による創造的社会を再び形成するための道具として広まっていくことを期待したい。

『建築士』((社)日本建築士会連合会) 2007.9

「まちづくり」という言葉は住環境改善の運動、反公害運動、日照権運動など住民運動として使われてきた言葉であることはよく知られる。こうした運動の一定の成果の上に今日では住民運動にとどまらず、行政主導型の都市整備にも使われるようになった。こうした「まちづくり」の方法論として、注目されたのが、ワークショップである。本書は、実際に各地でまちづくりにかかわり、ワークショップを数多く体験してきた著者の体験に基づき、わかりやすく解説されている。
例えば、普通に行われる住民参加の方法として公聴会もある。しかし、公聴会のような一方通行の説明会でなく、住民の主体的参加による実質的な方法論として注目されたのが、ワークショップである。ワークショップは特段新しいものでもなく、人類の知として、蓄積されてきた集団の力を発揮する方法である。人間ひとりよりも三人寄れば文殊の知恵というように、集団の想像力を生かす工夫は、代々、様々になされてきた歴史がある。
こうして、ワークショップが普及するにつれて、混乱も生じている。「ワークショップさえすれば住民参加」というように受け止められて、ワークショップが住民参加の免罪符のように使われるという問題。その場に参加した住民は盛り上がり、大いに期待したものの、その後の展開がなく、より失望感を大きくするなど。
競争原理的な考え方がはびこる今日、他者との討議や協働の営みによって新しい価値を生み出していく住民参加型のまちづくりをどのように進めていくか、ワークショップをめぐる様々な問題意識に応えてくれる1冊。

(清本多恵子)

『地域開発』((財)日本地域開発センター) 2007.5

本書はワークショップを、人類の知として蓄積されてきた未来を創造する方法として捉え直し、ホンマモンの住民参画のまちづくりのプロセス・デザインのバイブルのような中身をはらんでいる。その特徴としては、①21世紀対応型であること、②手法と原理の二本立てであること、③システムとドラマの両立であることにある。

先ず、21世紀対応型という意味では、自分らしさから離れた感のする疎外が社会全体に深化した状況に対して、人間的・空間的・制度的に疎外を克服し、住民主体のまちづくり実現の方法としてのワークショップが位置づけられている。加えて、今日安易な「紋切り型」の横行によるワークショップの危機を越えるために、ワークショップは人びとの「やる気」づくりを通して、「個人の創造性が集団内で相互に作用しあうことから集団の創造力を発揮していく方法である」ことを肝に命じ、その実践的展開の具体的内実を緻密に論じている。

次いで、手法と原理の二本立てという点では、世界的視野からワークショップの過去を重層化させつつ、未来のあり方を示している。例えば、「やる気づくり」、「意識化」の理論的淵源はクルト・レヴィンのアクション・リサーチや、ヤコブ・L・モレノの心理劇や、パウロ・フレイレの識字教育論などにあり、情動・キモチがエンジンオイルのように作動するために、演劇的身体的なワークショップが行われることを示す。ローレンス・ハルプリンのRSVP(Resource資源、Scoreスコア、総譜、Valuaction価値評価、Performance実行)サイクルの手法が発動する状況の解明も示唆的であり、現代的手法への根拠を明らかにしている。「主体が目覚める」「創造的に前へ進む」ワークショップの手法と原理の照応関係の読みは鋭く深い。

いま一つ、システムとドラマの両立。ワークショップに使われるスコア(具体的手法)が30点一覧表として整理されている。そうした系統的手法のシステムは、現場の状況に応じてどのように軽妙酒脱にドラマティックに進行し、創造的提案の共有に至るかを生彩ある事例分析によって深められている。意識がワープ(飛躍)し、未来への確かな衝撃(ショック)がないとワークショップとはいえない。「ワークショップ」とは「ワープショック」なのだ。

ワークショップで大切なことは「誰ひとり落ちこぼれ」をつくらずに、みんなが「やる気」で次なる方向感を分かち合うことである。そのことを実現するためのプロセスマネージャー、ファシリテイター、ロジスティックス(後方支援)などの役割と態度について懇切丁寧に語られており、読者はたちまち「その気」になる。なぜならば、全頁著者が大学院生のころから今日までの約30年間にわたる多様な実践と深い理論に裏づけられ、かつ自らの巧みなイラストに彩られているからである。この本には著者の肉声と住民の笑い声が響いている。住民・研究者・実践者・行政・企業などあらゆる人びとにお薦めしたい快著である。

(愛知産業大学/延藤安弘)

『建築知識』(エクスナレッジ) 2007.5

まちづくりにワークショップという手法を取り入れることが多くなったが、その定義について聞かれると、答えに詰まる人は多いのではないか。
ファシリテーター(ワークショップの世話役)として全国で活躍する著者は、ワークショップがよく理解されず、住民の合意をとる手段と誤解されていることに警鐘を鳴らす。本書の大部分がワークショップの歴史や理論についての解説に割かれているが、これは「きちんとワークショップの意義を理解して活用してほしい」という思いの表れであろう。具体的な実践方法についても豊富な事例を交えて解説しており、これからワークショップに取り組む人にはうってつけの1冊といえる。

『環境緑化新聞』 2007.3.1

ワークショップが日本に普及して四半世紀。まちづくりでもよく「ワークショップ」という名の住民参加型イベントが開催されている。
しかし、「ワークショップをすれば住民参加」という使われ方は問題である。筆者は、集団の知恵を発揮する場所であり、未知なる可能性を広げ、参加者が「楽しかった」と感じる集会がワークショップであると説いている。副題は「住民主体のまちづくりへの方法論」。「ワークショップとは何か」という本質を探ることを中心に組み立てている。
前半はワークショップを定義し、その必要性を説いた後、ワークショップの拡大とそれによってもたらされる危機を挙げ、警鐘を鳴らす。
続いてワークショップを考える上で重要な15のキーワードを提示。また、11の事例を紹介するとともに、実際に開催する場合の手順をQ&A方式でわかりやすく解説している。
まちづくりに住民参加はあたりまえの時代。ワークショップを正しく理解し、効果的に運営、成功させるための1冊。

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