ポートランド 世界で一番住みたい街をつくる

ポートランド 世界で一番住みたい街をつくる 
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内容紹介

才能が集まり、賢く成長する街のつくり方

この10年全米で一番住みたい都市に選ばれ続け、毎週数百人が移住してくるポートランド。コンパクトな街、サステイナブルな交通、クリエイティブな経済開発、人々が街に関わるしくみなど、才能が集まり賢く成長する街のつくり方を、市開発局に勤務する著者が解説。アクティビストたちのメイキング・オブ・ポートランド。


山崎満広 著
著者紹介

体裁四六判・240頁(カラー32頁)
定価本体2000円+税
発行日2016-05-25
装丁藤田康平(Barber)
ISBN9784761526238
GCODE5509
販売状況 在庫◎
関連コンテンツ 試し読みあり
ジャンル 都市・中心市街地再生
試し読み目次著者紹介まえがきあとがき新着情報
計34ページ公開中!(はじめに、1章)
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はじめに 僕がポートランドを選んだ理由

1章 なぜ、ポートランドが注目されるのか

1 サステイナブルで小さくあることを選んだ街

2 リベラルでカジュアルなパシフィック・ノースウェストの文化

3 ポートランドをつくる人々

4 注目の都市再生エリア

ダウンタウン
セントラル・イーストサイド
パール
アルバータ
ノース・ミシシッピ/ノース・ウィリアムズ
ロイド

5 オレゴンの精神

2章 徒歩20分圏コミュニティをデザインする

1 歩きたくなるストリートで街が賑わう

20分圏コミュニティのライフスタイル
新旧の建物の混在をコントロールする
賑わいを呼ぶ通りのデザイン
建物のミクストユース
ゾーニングと商業誘致

2 行政と民間のポジティブな関係

面的デザインを可能にする、行政と民間のパートナーシップ
オープンスペースを増やし、エリアの価値を高める
行政とデベロッパーによるパール地区の開発

3 「エコディストリクト」というコンセプト

一つの地区を環境システムとしてデザインする
発祥の地「ブルワリー・ブロック」
ミクストユースの次世代モデル地区「ハサロー・オン・エイス」
ワシントンDCの「サウスウェスト」

3章 40年かけてつくられたコンパクトシティ

1 スタンプタウンから環境先進都市へ

街を汚しながら成長した工業都市時代
国のハイウェイ事業への反乱
トム・マッコール・オレゴン州知事の登場
サステイナビリティと経済成長の両立

2 都市の成長をコントロールする

都市成長境界線ができた背景
農地と自然の保護
効果的なインフラ開発
都市成長境界線を管理するメトロ政府

3 公共交通が変える街の使い方

公共交通を運営するトライメット
全米一の自転車都市

INTERVIEW ボブ・ヘイスティング(トライメット・チーフアーキテクト)

4 都市計画の策定プロセス

4章 草の根の参加を支えるネイバーフッド

1 市民や企業が参加する都市開発のしくみ

合意形成のルール、住民参画のしくみ
20年後の街を描くデザイン・ワークショップ

2 草の根の活動を支えるネイバーフッド・アソシエーション

町内会との違い
コミュニティづくりの基盤

INTERVIEW ケイト・ワシントン(パール地区ネイバーフッド・アソシエーション副代表)

3 アクティビストたちが先導した市民参加

なぜポートランドの市民参加率は高いのか
アルバイナ地区から始まった草の根開発
活動家ニール・ゴールドシュミット市長の登場
政治家に転身した元活動家たちの活躍
ネイバーフッドという市民参加のシステム

5章 ポートランド市開発局(PDC)による都市再生

1 ポートランドを変えたPDCのリーダーシップ

PDCとは
ミッションは経済成長と雇用創出
不動産開発から経済開発へ
PDCとデベロッパーのフェアな関係
コミュニティ・デベロッパーとしての役割

2 開発資金の調達と運用システム

TIF(固定資産税などの増収額を担保とした資金調達)
BID(特定地区の資産所有者からの資金調達)
LID(開発エリアの資産所有者からの資金調達)

6章 クリエイティブビジネスの生態系

1 アメリカの起業カルチャー

2 PDCの経済開発戦略

経済開発戦略の5つの目標

3 ポートランドのターゲット産業

クリーンエネルギー&クリーンテクノロジー
スポーツ&アウトドア
ソフトウェア&デジタル
鉄工業

4 イノベーションを起こすプラットフォーム

ハッカソン
アーリーアダプター・プログラム
POP UP Portland

5 PDCのビジネス支援

事業拡張支援
起業支援
企業誘致

7章 ポートランドのまちづくりを輸出する

1 連邦政府に選ばれた国際事業開発

輸出の割合が高いポートランド
輸出倍増の四つのビジネスプラン

2 世界に拡げるグリーンシティの技術

環境都市としてのブランディング
海外へのアプローチ
企業の海外進出のリスクを指標化
都市間パートナーシップの築き方

3 日本にグリーンシティをつくる

最初のプロジェクトは日本
柏の葉スマートシティ・プロジェクト
行政が自分の街のスキルを営業する時代

おわりに

山崎満広(やまざき みつひろ)

ポートランド市開発局 国際事業開発オフィサー

1975年生まれ。茨城県出身。95年に渡米。南ミシシッピ大学大学院修了。専攻は国際関係学と経済開発。卒業後、建設会社やコンサルティング会社、経済開発機関等へ勤務し、企業誘致、貿易開発や都市計画を現場で学ぶ。2012年3月、ポートランド市開発局にビジネス・産業開発マネージャーとして入局し、同年10月より現職。ポートランド都市圏企業の輸出開発支援とアメリカ内外からポートランドへの企業・投資誘致を担当。ポートランドの都市計画・開発、環境・空間デザインを駆使し、We Build Green Citiesのリーダーとして海外のデベロッパーや自治体のまちづくりを支援している。

──僕がポートランドを選んだ理由

初めてポートランドを訪れたのは2005年。全米の公共電力・ガス会社が集うカンファレンスに参加するためだった。2日間の会議中、屋内に缶詰で、外に出たのは空港とホテルの移動だけだったので、残念ながら街の印象があまりない。当時の僕は、ただ日々の仕事に熱中して、ゆっくり街を歩くゆとりがなかったようだ。

その後、2008年にワシントン州南部のカウリッツ郡政府の要請で、10年後を見据えた経済開発構想を立てるプロジェクトにコンサルタントとして関わり、新しい工業団地の用地選定や産業誘致の戦略づくりを担当した。ポートランドから北に約1時間のところにあるこの郡には空港がないため、毎回ポートランド空港を使った。2回目の出張のとき、仕事が思ったより早く切り上げられたので、翌日の午後の便で帰る前に同僚と一緒にポートランドの街を見に行くことにした。翌朝、早起きしてまだ暗いうちに田舎町のホテルを後にした。久しぶりのポートランドに胸が躍った。

空港からライトレール(新型路面電車)に乗ると、朝焼けのフッド山を見ながら30分ほどでダウンタウンに着く。郊外の豊かな自然環境と洗練されたダウンタウンに驚いた。洒落たショップが並び、カジュアルだけどセンスのいい人たちがオープンカフェで寛いでいた。街を歩き回っていると、いろんな人に出くわした。学生らしき若者、派手な格好をしたアーティスト風のおじさん、アジア人のビジネスマン、ドラッグクイーン、ホームレス。でも皆が街に普通に溶け込んでいた。

ここに住めば車はいらないかもしれない。街の人々は自転車や公共交通機関をうまく使いこなし、車を使わない人たちが何千人もいるという。それまでアメリカに17年住んできたが、そういう街に出会ったことがなかった。

僕は、南ミシシッピ大学院時代に大手電力会社の経済開発部でインターンとして働き始め、2001年の9・11の直後から建設会社の通訳兼営業コーディネーターとして勤務した後、2004年にテキサス州のサンアントニオ経済開発財団に転職し、2008年からは経済開発コンサルタントとしてアメリカ各地の政府機関に再生可能エネルギー開発を盛り込んだ経済政策を説いて回っていた。ちょうど2008年のリーマンショックの頃から、経済成長と地球環境の保全の両立について真剣に考えはじめ、自分が理想とするサステイナブルな生活と現実との大きなギャップに疑問を感じるようになった。

当時住んでいたサンアントニオ市は全米7番目の都市で、郊外化が進んで街は大きく、家からダウンタウンまで車で30分、混んでいると1時間近くかかった。ちょっとした買い物や人に会うにも車で片道20~30分かかるのは当たり前で、1日のうち車のなかで過ごす時間がとても長かった。1週間に一度ガソリンを満タンにする必要があり、車のメンテナンスも結構な負担だった。電車は走っておらず、バスの運行頻度は少なく各ラインの連携がよくないため、利用者は経済的な理由で車を持てない者がほとんどだった。

一方、ポートランドのパール地区には、おしゃれなブティックやカフェ、レストランが徒歩で行ける距離に点在し、ダウンタウンが一望できるワシントンパークへは徒歩15分。ダウンタウンを流れるウィラメット川の対岸へ自転車で10分も走れば、ネイバーフッド(近隣地区)ごとに個性的なレストランやバー、小売店などに出くわす。街中にZipcarやcar2goといったカーシェアリングの車が点在しているので、どうしても車が必要なときは、必要な時間だけ借りればいい。これが可能なネイバーフッド(近隣地区)がアメリカにいくつあるだろうか?

僕は、この街に住むことに決めた。

早速、今までの学歴や職歴を活かせる経済開発の仕事を求人サイトで探したが、簡単には見つからず、とりあえず最新の履歴書を各サイトにアップロードしてしばらく待つことにした。もちろん待っている間も普段の仕事を続け、毎週のように出張で国内外の街を訪れるたびに、ポートランドへの憧れはますます強くなっていった。

2011年の秋、アップロードした履歴書のことなどすっかり忘れていた頃、ワシントンDCにある国際経済開発協議会(IEDC)に勤める知人から僕にピッタリの仕事があるとメールが届いた。早速メールに添付されたリンクを開くと、Portland Development Commission(PDC)のBusiness & Industry Manager, Clean Technologyの職務内容が載っていた。ポートランド市開発局のビジネス・産業開発マネージャーの職で、職務内容は市の国際事業開発とクリーンテクノロジー産業振興の戦略づくりと実行のマネジメント、州政府や都市圏内の関係機関との連携など。上司は経済開発部長。部下3名。確かに当時の自分にはピッタリの仕事に思えた。僕は早速、履歴書のコピーを送った。

2週間後、書類選考を通過したことを知らせるメールが届き、さらに電話面接に臨んだが、手ごたえはなく、もうダメかなと思いはじめた頃、2年前から苦労して進めてきた再生可能エネルギーのプロジェクトの一つが大きく進展した。それは、地元サンアントニオの電力会社CPS Energyが発電源を再生可能エネルギーに転換するにあたり、100メガワットのメガソーラーの開発と並行してソーラーパネルの製造工場を誘致するというビッグプロジェクトだった。誘致する企業を世界中から募り、交渉を続けること数カ月、僕がそろそろPDCへの転職を諦めかけた頃に、CPS Energyがメガソーラーの開発パートナーとして韓国のOCI Solar Powerを選定し、アトランタにあったOCI米国本社をサンアントニオに誘致して、大規模な製造工場を建設することを発表したのである。

PDCから最終面接のためにポートランドに来て欲しいという連絡があったのは2012年1月の中旬、ちょうどCPS Energyとの向こう1年間のコンサルティング業務の契約更新の交渉を始めたときだった。そして、CPS Energyとの契約更新の前日、僕はポートランド市開発局の仕事を勝ち取った。

2012年4月、僕が初めて参加したPDCの全体会議で局長のパトリック・クイントン(Patrick Quinton)が言った二つのことを今でもよく憶えている。

“It’s a privilege to be able to live in Portland.”(ポートランドで暮らせるということは特権である)
“And, whether you realize or not, the role each of us plays for the future of this city is quite significant.”
(自ら気づいているかいないかは別として、我々1人1人がこの街の未来のためにかなり重要な役割を担っている)

おぼつかない英会話と現金数万円を携え渡米して以来、あっという間の20年だった。茨城県水戸市で幼少期を過ごし、母は昼と夜の仕事を掛け持ちして兄と僕を育ててくれた。勉強嫌いの運動馬鹿だった僕は、若さと勢いで渡米したものの、その後の進路は決まっておらず、貯金もすぐに底をつき、1カ月先が不安な超貧乏生活をかなり長い間続けた。

猛勉強の末、渡米6カ月後に何とか南ミシシッピ大学へ入学したものの、大学の勉強と学費を稼ぐためのアルバイトとで週に5日は徹夜の生活を卒業まで続けた。

大学3年生の時、マヤ文明の故郷、メキシコのユカタン大学で交換留学生として学ぶ機会を得た。ユカタン半島のジャングルで生活するマヤ人(もちろん今はメキシコ人だが)の村に2週間ステイさせてもらい、電気も水道もない生活をして、いかに今まで自分が甘やかされて育ってきたかに気づかされた。また、経済開発や都市の発展について真剣に考えはじめたのも、このときであった。

大学院を出てミシシッピ州に本社を置く建設会社に就職したが、外国人の僕はビザの申請などで他の社員よりも会社に負担をかけている分、人一倍成果を上げようと必死で働いた。働きはじめた最初の頃は今でも色濃く残るアメリカ南部特有の人種差別も数え切れないほど経験した。

そして今、僕はアメリカで一番好きな街で、世界で一番好きな家族(妻と子供2人)と毎日楽しく暮らしている。しかも、この街の未来を形づくる組織の一員としてやりがいのある仕事をしながら。これからもポートランドと日本をつないで、お互いの街の未来を明るくするようなプロジェクトのお手伝いをしていければと願う。

最後に、この本を執筆するにあたってコンセプトづくりや校正などで大変お世話になったTIDEPOOL Creativeの百木俊乃さんと大河内忍さんをはじめ、インタビューの文字起こし、写真撮影や資料提供などで多くの方々に力を貸していただいたことに感謝いたします。そして、2014年4月にこの本を書くきっかけをくださり、この2年間、執筆が遅れに遅れた僕を励まし続け、一冊に編集してくださった学芸出版社の宮本裕美さんに心よりお礼を申し上げます。

2016年4月

山崎満広

第7回不動産協会賞受賞

「不動産協会賞」は、都市の開発や魅力的なまちづくりに取り組む企業により構成される一般社団法人不動産協会の社会貢献活動の一環として、日本経済や国民生活に関する著作物の中から、世の中の多くの方々に読んでいただくことにより、同協会が直面する幅広い課題への理解に資する著作物を表彰するものです。
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