京都土壁案内
内容紹介
寺社や茶室はもとより、お茶屋や洋館、蔵や土塀まで、時を経て町に滲み出た土壁の魅力を紐解き、巡る、今日の京都の建築・町歩きガイド。京都の若手建築家で左官職人でもある森田一弥の案内は初心者にも優しく、塚本良晴(アトリエ・ワン)の撮卸し写真は町の日常に潜む土壁の迫力を見事に切り取った。素人も愛好家も必見。
体 裁 A5・144頁・定価 本体1900円+税
ISBN 978-4-7615-1303-0
発行日 2012/03/15
装 丁 藤脇 慎吾
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京都土壁マップ
Kyoto Earth wall MAP
京都で土壁に出会う 森田一弥
Discovering earth walls in Kyoto:Kazuya Morita
法界寺 阿弥陀堂
Amida-do, Hokai-ji
妙喜庵 待庵
Tai-an, Myoki-an
土壁コラム 漆喰 Sikkui
三十三間堂 太閤塀
Taiko-bei, Sanjusangen-do
東本願寺 なまこ壁
Namako-kabe, Higashi Hongan-ji
大徳寺玉林院 蓑庵
Sa-an, Daitoku-ji Gyokurin-in
土壁コラム ひきずり壁 Hikizuri-kabe
渉成園 築地塀
Tsuiji-bei, Shosei-en
島原 角屋
Sumiya, Shimabara
土壁コラム 大津磨き Ootsu-migaki
大徳寺 瓦塀
Kawara-bei, Daitoku-ji
京都御苑 拾翠亭
Shusui-tei, Kyoto Imperial Garden
土壁コラム 蛍壁 Hotaru-kabe
京都御所 筋塀
Suji-bei, Kyoto Imperial Palace
下御霊神社 土蔵
Dozou, Shimo-goryo-jinja
土壁コラム ぱらり壁 Parari-kabe
祇園 一力亭
Ichiriki-tei, Gion
長楽館
Choraku-kan
森田一弥の仕事
バーたかはし Bar Takahashi
ラトナ・カフェ Ratna Cafe
土壁との邂逅 塚本由晴
Chance meeting with earth wall:Yoshiharu Tsukamoto
京都で土壁に出会う
あまり知られていないことだが、京都は聚楽土、稲荷山黄土、九条土、桃山土、浅葱土、錆土など、それぞれ固有の名前を持つほど個性豊かな土に恵まれた都市である。滋賀の江州白土、その名の通り大阪産の大阪土など周辺の産地のものも加え、その豊かな土資源を利用して、京都の建築は長い歴史の中で独特の土壁の文化を培ってきた。
たとえば一見同じように見える黒ずんだ茶室の土壁も、よくよく見るとさまざまな土の色の個性があり、使われる藁の大きさにも違いがある。ところが京都に残る古建築を紹介する時に、土壁について十分な解説がされることはほとんどないと言っていい。漆喰や大津壁のような京都で最も見慣れた壁の仕上げでさえ、その原料が何なのか、どういう方法で造られるのか、残念なことにほとんど知られていない。土壁の個性を知ることは、茶室の新築当時の様子をイメージしたり、職方を指揮した茶匠の意図を知ることにもつながる。また、その仕組みや工程を知ることができれば、壁に込められた職人の苦労やこだわりを想像し、普段何気なく見ていたものの価値に気がつき、理解が深まるに違いない。
今回は建築家の塚本由晴さんとの何気ない会話がきっかけとなって、京都の土壁に焦点を絞り、普通の観光旅行ではあまり訪れないようなところも含めて紹介する機会を頂いた。土壁を見ない京都の建築巡りは、寿司を食べずに日本料理を語る以上に片手落ちである、というのが私の持論である。今まで多くの人が気に留めなかった京都の建築の知られざる魅力を紹介することで、本書がより多くの人にとって京都をより深く楽しむためのきっかけになればと思っている。
そもそも私が京都の土壁文化の片鱗に触れたのは、大学で建築を学んだ後、どこか京都の文化財の修復現場で働けないかと友人のつてをあたって模索したすえに、浅原雄三さんを紹介されたことがきっかけだった。浅原さんは1948年三重県生まれ、地元で左官職人として修行し、その後上京して文化財の現場でさらに腕を磨き、1990年に「しっくい浅原」として独立された。今では京都を拠点に京都御所、修学院離宮など一級の文化財の土壁の修復を手がけるとともに、日本全国の茶室の新築工事でも腕をふるい、建築家やインテリアデザイナーの依頼で商業空間、住宅などにおいても創意工夫を凝らした左官壁を手がける、京都左官界の重鎮の一人である。
私が入門した当時の「しっくい浅原」は、まだ浅原親方と息子の一郎さん、一番弟子の矢野孝太郎さんがいただけの小所帯だったが、親方の人脈で各地から集まる腕利きの職人たちが入れ替わり立ち替わり現場で腕を競い、まるで京都左官界の梁山泊のような活気のある場所だった。そんな中、私は自分が練って運んだ土の材料が、経験豊かな職人の手によって美しい壁に仕上げられて行くさまを毎日のように目の当たりにすることができた。その結果、自然素材を自分の身体で思うがままに操るすべを身につけた人間の格好良さと、そうしたプロセスを経て出来上がる建築の魅力に心底惚れ込んでしまった。
一般に左官職人というと、鏝(こて)を持って壁を塗っている姿が頭に浮かぶが、じつはそうした作業は、多種多様な左官仕事の中のごく一部にすぎない。職人の見習い期間には、まずは最初の数年は現場で鏝を持つことはない。作業で建物が汚れないように作業前の現場の養生、土や藁(寸莎とも書く)をふるって水と混ぜて程よい塩梅の材料をつくり、バケツに入れて各職人さんの作業の進捗に応じて配ってまわり、その合間に現場の掃除と使い終わった道具洗い、「一服」と言われる休憩時間の準備にコーヒーを入れたりお菓子を配ったり、現場全体を見て適切なタイミングと順序で作業することを叩き込まれる。
壁の塗り方、鏝の動かし方は、その合間に職人さんの作業する姿を見ながらイメージを脳裏に焼き付け、仕事の終わった夜間に倉庫の片隅にこしらえた自分の練習台に土を塗って剥がすことを繰り返して覚えるのである。現場で働き始めて二、三年してようやく、練習の成果を確かめるべく、まずはお施主さんの目に当たりにくい押し入れや屋根のひさしの隙間などから壁を塗ってみる機会が与えられる。そして少しずつ人目につく場所の仕事を任せられるようになっていく。
一服の時間に年配の職人さんと交わす会話は、見習いにとって至福の時間である。その人が歳を重ねて経験してきた左官職人としての経験を、そして仕事に限らず人生の様々な場面において職人としてどう立ち振舞うべきか、貴重な話を聴くことができる。そうした会話の中で、古くからの知恵や経験が世代を超えて受け継がれていくのである。
現場に毎日通うようになって強く感じたのは、左官技術が驚くくらいに原始的で普遍的であるということだ。土塀をつくるための日干しレンガをつくっているとき、それが学生の頃にアジアやアフリカで見た民家の工法と大差ないことに気がついて、土壁の技術がもつ時間と距離を超えた普遍性に感慨を覚えたものだ。そして職人にとって本当に大事なことは、世界のどこへ行っても変わらない素材の原理を掴み取ることだということも、だんだん理解できるようになってきた。
京都の土壁というと、その独特の美意識と工法を強調するあまり唯一無二の存在だと考えてしまいがちだが、よく似た技術が日本各地だけでなく、遠く離れた地域で見られることも多い。同じように見えて細部が違ったり、違うように見えて実は似ているなど、地域ごとの違いを比較してみるのも土壁の楽しみ方の一つである。そして京都の土壁をきっかけにして、世界中に存在する個性豊かな土の建築の世界にも、ぜひ興味を持っていただけたらと思う。