ライト 仮面の生涯
内容紹介
虚像を解体し天才の素顔に迫る第一級の評伝
近代建築の巨匠フランク・ロイド・ライトの生涯は、彼の自叙伝中の捏造や財団による神格化などによって謎に満ちている。ライトの友人にして『ニューヨーカー』ベテラン記者が、名作の生まれる過程や施主・社会との関わりを実証的に描き出し、天才建築家の素顔と〈真実〉に迫る。アメリカの超ロングセラー、待望の完全邦訳。
体 裁 A5・512頁・定価 本体3800円+税
ISBN 978-4-7615-4086-9
発行日 2009-07-10
装 丁 上野 かおる
謝辞
1 現在に生きるライト
2 出生と両親の物語
3 追憶の光と影
4 シカゴへの旅立ち
5 心酔の師 サリバン
6 「手中の良き鉛筆」を超えて
7 結婚、自邸、密造住宅そして別離
8 時代の寵児へ
9 初期プレーリー住宅
10 絶賛と確執の果てに
11 分離派会館を見つめて
12 突然の破局
13 苦悩と帰還
14 タリアセンの惨劇
15 太平洋を隔てて
16 痛み多きブロックへの挑戦
17 火宅の人
18 実り少なき時代
19 虚勢を糧に
20 ライト復活
21 ジョンソン・ワックス物語
22 ユーソニアン住宅誕生
23 忍び寄る大戦
24 大統領執務室にて
25 波乱のグッゲンハイム美術館
26 多作時代のフェローシップ
27 敬虔なるユダヤ寺院ベス・ショーロム
28 大規模公共プロジェクトの夢
29 老年期点描
30 永遠の天才魔術師
訳者あとがき
原註
本書は、1987年ニューヨークで出版され、現在も版を重ねるロングセラー、〝MANY MASKS〟の完全邦訳で、原著者は『ニューヨーカー』誌の記者を60年以上務めたジャーナリスト、ブレンダン・ギル(1914~1997)である。フランク・ロイド・ライト(1867~1959)の三番目の妻、オルギヴァンナの没後(1985)、時を経ずしての出版であった。ギルはライトの記事を書いたことから、個人的な交際に及び、お互いの家族を交えたディナーに至るほどの間柄となる。ライト没後50年となる昨今、直に接した友人という、現代では稀有となった立場からの記述は、著者の没後と言えども、具体的な論証および事実の重みを今に伝えている。
内容は、建築論に軸足を置きながらも、ライトの人生の歩みに加え、建築や建築家を取りまく社会背景、施主像、施主とライトとの群像を、ジャーナリストならではの冷徹なまなざしで客観的かつ赤裸々に描ききったノンフィクションである。建築界や建築作品に精通したギルの冴えも鋭い。現存する多数の書簡や手稿、取材対象者、事実から、天才ライトの天才たる所以を多角度から重層的に浮かび上がらせ、その像は現代の私たちに示唆するものが大きい。周知のように、ライトは毀誉褒貶に富む人物であり、波瀾万丈の生涯を送ったことは、これまでさまざまに紹介されてきている。が、しかし、題名が示唆するとおり、著者はいくつもの虚像をもとに語られてきたこれまでの人物像に、具体的事実や事実をもとにした推論から新しい光を投げかけ、ライトの〈真実〉が結果として建築作品に結実してゆく背景を丹念に描写するものである。ライトの非道なまでの自己中心性や欺瞞性などの欠点を描きながらも、ギルの怜悧な筆致と底に流れる大天才への敬服は、本書を、高品質な評論作品とするものである。言うまでもなく、評論とは論じる対象から本質を切り出す作業である。それは、とりもなおさず論者自らをあぶり出す行為でもある。その意味においても、ライトの第一級の評伝であると確信する。
デザインと社会背景を研究テーマとする私は、モダンデザインのパイオニア的建築家、ルドルフ・シンドラー(1887~1953)を追いかけるうち、ライトと出会うことになる。ライトの事務所の所員であったシンドラーは、峻烈なまでの手ひどい仕打ちを数々甘受しながらも、死の床にあっては、自分にとってはアルプスの高みのように仰ぎ見る存在であった、と師匠への賛辞を忘れていない。このように言わしめる、謎ともいえるライトの不思議な人間力。それに対する関心は、私をこの原書と遭遇させる。2005年、オークパークのライトのホーム&スタジオでのことであった。おもしろさに引かれ、むさぼるように読み始める。このおもしろさに共感し、励ましてくれた夫、建築家の塚口明洋に感謝したい。
そして、原書に対して高い評価をされている福山大学の水上優氏からは、写真を多数ご提供いただいた。厚くお礼を申し上げたい。
翻訳書の出版にこぎ着ける今日まで、温かく気長にお付き合いくださった学芸出版社の京極迪宏社長、そして編集者の永井美保さん、岩崎健一郎さんに、心よりのお礼を申し上げたい。彼らの存在がなかったなら、この書籍は世に出てはいない。
本文の最終章に、次のような記述がある。「われわれはライトを去らせようとはしないし、彼もわれわれを去らせようとはしない。」没後50年になるというのに、ライトを取りまく環境をみれば、この書籍が書かれた1987年から20年以上経った現在も、この記述がますます説得力を持つありさまである。意識的に、あるいは心ならずも、その「われわれ」の一人になってしまったあなたと、読後感を共有できることを願っている。
塚口 眞佐子
この本はニューヨークの雑誌記者が、建築家ライトの生涯を綴った『MANY MASKS』(1987年初版)の完全邦訳で、“天才建築家F.L.ライトの一生―その裏表―”ともいえるものである。私はライトの研究者でもないし、作品等もごく有名なものについて一般的な知識しがないうえ、ライトの自伝や他の著書もほとんど読んだことはない(写真集は書棚に並んではいるが)ので、ライトに関する本の書評を書く資格などあるはずがない。というわけで、どちらかというと読後感のようなことでお許し願いたい。
本が届いて驚いた。なんと上下二段組みで500ページに及ぶ大作である。軽い気持ちで引き受けてしまったことを後悔した。しかし読みだすと面白く、毎日重くなったカバンを抱えて通勤する日が続いた。ライトの出生・少年時代からその生い立ちをさまざまな側面からこまかく述べられており、全30章に分かれていて、彼の性格や人生観または生き様といえるようなことがよく分かって読み物としては興味尽きない内容である。彼がサリバン事務所へ入所した時のことから、独立して自身の事務所をオークパークで始めたころのエピソード、その後オークパークに多くの住宅を設計していく際のクライアントとのスキャンダラスな話、もちろん有名な数え切れないほどの女性関係のことなど、まさに「事実は小説より奇なり」というフレーズそのままの、波瀾万丈の生涯を生きた有名建築家の全貌を知ることができる。
ここで、その内容を明かす必要はないかもしれないが、一つだけ、われわれがあまり知らなかったことを紹介しておきたい。それは、ライトはヨーロッパの同時代の建築からはあまり影響を受けていなかったと思っていたが、ラーキンビルやユニティー・テンプルは、オルブリッヒのゼッツエッション館の影響を受けているらしい、ということである。実際に影響を受けたかどうかの確証はないが、著者がいろんな資料から判断したらしい。それ以外にも多くの有名無名の作品について、クライアントとのエピソードを交えながらこと細かく述べられており、最後は“永遠の天才魔術師”という章で締めくくられている。
とにかく建築家でこれほどスキャンダラスな人生を送った人がいるのか、私のようにできるだけ波風の立たないように生きてきた人間にとっては、“そんなことはないだろう”と思うようなことの連続で、穏やかな人生を終わろうとしているものとしては、残されたあとわずかの人生をスキャンダラスに生きることに挑戦してみるか否か、何とも複雑な気分である。大部の翻訳書を読破するのは大変だが、ライトのファンもそうでない人も一読をおすすめしたい。それにしてもこんなボリュームの本の翻訳を成し遂げられた塚口真佐子さんに拍手を贈りたい。
(建築環境研究所/吉村篤一)
本書はフランク・ロイド・ライトの90年余の長きに亘る生涯をつぶさに辿り直す大部、その邦訳書である。
本書においてライトとは、もはや「建築家」という枕詞を付さずとも認知される偉人として、また最終章に至っては「神性」をもって描かれるような、歴史的な固有名詞としての響きを獲得している。無論、かれの思想や作品について、同時代を生きた筆者による目撃証言としての価値を十分に有する好著であり、「建築家」ライトに関心のある読者にとっても有意義な読書体験を提供するものであることは言うまでもない。
周知の通り、ライトの生涯は、本人の資質に由来するか否かに関わらず、常人の幾倍ものエピソードに満ちたものであった。そうした周知の事柄から、知られざるその裏側へと分け入ること、このことを多数の書簡や証言、著作に基づいて徹底するところが、本書の白眉であるといえよう。波乱の生涯のなかで、ライトはどのように自らを演出し、偶像化したのかが詳細に追跡されており、それが原題“MANY MASKS”の示唆するところであろう。なるほど一見すれば、ライトがその都度の意図で、仮面を変え、あるいは新しくつくりだしてきたかのように読める。しかしそれにしても、あれほどまでの窮地に至ってなおかれが楽観的に構えていられたのはなぜか。もしかすると、「非道なまでの自己中心性や欺瞞性」などという「仮面」にまつわる毀誉褒貶とはまったく無縁の境地で、ライトは変わることなく、唯一にして無垢な、それゆえに揺るぎない信念に満ちていたようにも思えてくる。ただライトの思う「常識」と、周囲が思う「常識」とが、あまりにもかけ離れてしまったことで、さまざまな困難が訪れたのではないか。とするならば「仮面」とは、ライト自身がつくりだしたというだけでなく、われわれがライトという「非常識的」な天才を理解するために、「常識的」な補助線としてつくりだしたものともいえるのではないか、とも読めるのである。
最終章で描かれるライトの「神性」とは、かれが生涯の果てに獲得しえた究極的な「仮面」であったといえる。本書を通読して振り返るとき、この最後の「仮面」こそ、これまでに詳らかにされたような作為的な偶像化というだけでなく、われわれが喜んでかれに差し出した称賛という意味のもとで読み解かれるべきであろう。「仮面」とはそのようにしてはじめて、ライトとわれわれとをつなぐ、架橋となるのである。
(京都大学大学院工学研究科建築学専攻助教/朽木順綱)
担当編集者より
本書は、ベテラン記者であり教養人である原著者が、膨大な史料の読み込みと原著者自身のライトとの交際の経験を基に、その作品論からスキャンダルまでを客観的に描き切った第一級の評伝です。ライトの重ねた嘘やスキャンダルに関して「ここまで書くか」と思われるほど冷徹に、赤裸々に描いていてどんどん読ませてしまう点は、本書の特徴の一つですが、一方で、常人には不可能なものを生み出してしまうライトという天才への畏敬の念が本書を貫いています。
これだけライトに振り回されながらも彼を支え続けた施主や友人たちの姿は、芸術家としての建築家と一般社会の関係について、一つの強烈な例をもって多くを示唆しているようです。ライト作品のファンのみならず、建築家という職業に関心を持つすべての方にお読みいただきたい一冊です。
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