藻谷浩介さん、経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのでしょうか?

藻谷浩介・山崎 亮 著

内容紹介

私たちが充実した暮らしを送るには”右肩上がりの経済成長率”という物差しが本当に必要なのだろうか。むしろ個人の幸せを実感できる社会へと舵を切れないか?日本全国の実状を知る地域エコノミスト藻谷浩介(『デフレの正体』)とコミュニティデザイナー山崎亮(『コミュニティデザイン』)の歯に衣着せぬ対談からヒントを得る!

体 裁 四六・200頁・定価 本体1400円+税
ISBN 978-4-7615-1309-2
発行日 2012/07/07
装 丁 藤脇 慎吾


目次著者紹介まえがきあとがきスペシャルムービー書評関連対談
まえがき──藻谷浩介

プロローグ 地域経済の専門家に聞いてみたかったこと

なぜ、それが気になるのか
鹿児島で出会った人たちはノリが良い
島根県海士町の人たちは楽しそうだ
家島の人たちの充実した暮らしぶり

1章 経済的指標と人びとの幸せとの関係を考えてみる

鹿児島のケーススタディ
老舗百貨店がコミュニティスペースを持つデパートに生まれ変わったいきさつ
マルヤガーデンズの考え方
なぜ、コミュニティデザイナー山崎亮がそこに呼ばれたのか
マルヤガーデンズが成り立つ絶妙な事情
ノリが良い町、悪い町

2章 経済成長率と実態が合っていないのではないか

一般的な印象と数字の違い
では、どんなストックがあれば豊かと言えるのか
マクロ経済学原理主義に気をつけよう
平均値だけで語ることの無意味さ
そもそもコミュニティデザインとはどこから出てきたのか

3章 「いつまでも成長し続けなければならない」ってホント?

あるポイントを過ぎれば、年収が伸びても豊かさの実感は伸びない
もし、経済成長至上主義者に怒られたら
地方自治体と交付税のからくり
税収を生む産業、生まない産業
税金システムの本当の受益者
「自立できない自治体は不合格」という意見について

4章 幸せは計るものではなく、実感するもの

金勘定上の損得は極論に行き着く
公共投資に頼らない生き方の選択
海士町がなぜ日本に必要なのか~島の幸福論~
「島留学」から見えること~経済成長ではなく個人が成長する可能性~
山奥のカフェから見えてくること
見えないストックでつくる新しい店
本当に日本はジリ貧になっているのか~数字で見る真実~

エピローグ 僕たちは時代の節目という面白い時を生きている

経済成長の、次のステージへ
質疑応答

少し長めのあとがき──経済成長と生活の豊かさについて考える 山崎亮
あとがきのあとがき──東京都青ヶ島村 藻谷浩介

藻谷浩介(もたに こうすけ)

1964年、山口県生まれ。㈱日本総合研究所調査部主席研究員。1988年東京大学法学部卒、同年日本開発銀行 (現、㈱日本政策投資銀行)入行。米国コロンビア大学ビジネススクール留学、日本経済研究所出向などを経ながら、2000年頃より地域振興の各分野で精力的に研究・著作・講演を行う。2012年度より現職。政府関係の公職多数。主な著書に『実測!ニッポンの地域力』(日本経済新聞出版社)、『デフレの正体』(角川oneテーマ21)。

山崎 亮(やまざき りょう)

1973年愛知県生まれ。studio-L代表、京都造形芸術大学教授。
地域の課題を地域に住む人たちが解決するためのコミュニティデザインに携わる。まちづくりのワークショップ、住民参加型の総合計画づくり、建築やランドスケープのデザインなどに関するプロジェクトが多い。「海士町総合振興計画」「マルヤガーデンズ」「震災+design」でグッドデザイン賞、「こどものシアワセをカタチにする」でキッズデザイン賞、「ホヅプロ工房」でSDレビュー、「いえしまプロジェクト」でオーライ! ニッポン大賞審査委員会長賞を受賞。著書に『コミュニティデザイン』(学芸出版社)、共著書に『コミュニティデザインの仕事』(ブックエンド)、『まちの幸福論』(ブックエンド)、『震災のためにデザインは何が可能か』(NTT出版)、『テキスト ランドスケープデザインの歴史』(学芸出版社)、『地域を変えるデザイン』(英治出版)など。

───藻谷浩介

これは、…本当は出したくない…と思いながらも、本当に仕方なく決心して出す本です。

内容には太鼓判が押せます。地域の現場でお仕事されているコミュニティデザイナー山崎亮さんとの、数百人の聴衆の前での対談を、その場で話が出たまま活字にしているのですが、自分で読み直してみても「なかなか深い話をしているな」と感心してしまうほどです(笑)。打ち合わせもなく話の流れも一切決めずに始めたのですが、お互いに相手を得たと申しますか、聴衆を意識した掛け合いの中で自然に筋道が立ち、事柄の本質に切り込んだ中身となりました。同じことを一人で書くのは到底無理であり、同じ設定をしても同じ話を再現するのは無理でしょう。
ですが私は、出版を想定していませんでした。山崎さんと聴衆に納得してもらい、これからもそれぞれの地域で元気に活動してもらうことが、私のその場での目的のすべてでした。そもそも自分の名前で本を出すこと自体に意義を感じませんし、第一このような題名で出版などすれば、「経済成長は不可欠だ」という信心に凝り固まった層から、当方の本来の意図とは無関係に攻撃を受けそうです。

ということで臆病風に吹かれ、対談後にさんざん出版話を引き延ばして来たのですが、ついに泣き落とされました。たしかにこの本は、地域の現場で経済の現実と苦闘している人には、大きな勇気を与えることでしょう。他方で経済学を本当に理解している人、内包だけでなく外延も把握している人は、「一般常識に沿った当然のことが書いてある」と思うだけで、別段怒りはしないでしょう。実際問題、これは経済成長の必要性自体を否定する本ではありません。ましてや経済学そのものに喧嘩を売っている本でもありません。

そうではなくこの本を読んでいただきたいのは、現実にこの二〇年間以上経済が成長していないこの国の隅々で暮らす普通の常識人です。みなさんにこそ知っていただきたい、ちょっとした自信と勇気と希望が湧いてくるような事実が、この本には書かれています。背景から離れて一人歩きしがちな数字を、生身の現実の中に引き戻す作業が、対話の中でわかりやすく繰り広げられています。きちんと最後まで読んでいただければ、「経済成長は目標ではなく、まあ要するに手段の一つ、では目標って何だったっけ?」という問い直しが、みなさんそれぞれの心の中に広がっていくことと思います。

なお、二時間という枠の中で話が転がって行った範囲をそのまま収録していますので、問題を網羅的に語っているわけではありません。山崎さんが地方の現場の活性化を主たるお仕事としている関係で、話の重点は、経済成長から取り残された過疎地をどう考えるのかというところに置かれています。またエネルギー面からの経済成長への制約という、震災後の日本と世界でより深刻化している問題にもまったく言及できていません。『デフレの正体』(角川書店、二〇一〇年)で指摘した私の持論の人口制約の問題にもほぼ触れられなかったくらいですから、以上のような偏りはどうかご容赦下さい。

みなさんも日々お感じではありませんか。皆が口にする、いかにももっともらしい総論が、どうも自分が身の丈で感じる現実とはずれているということを。そういう総論を、現場での経験から帰納する中でいかに修正し、自分の腑に落ちる話に組み立て直していくか。現代に生きる我々に不可欠なこの知的作業、知的遊戯の世界を、どうかページを開いてお楽しみ下さい!

二〇一二年六月

少し長めの後書き
──経済成長と生活の豊かさについて考える  山崎 亮

※少し長いため一部抜粋

(前半省略)

GNPと幸せな生活の関係性

(省略)…経済成長の「経済」という言葉は、そもそも「お金」だけを意味する言葉ではなかったはずだ。経済の元となった「経世済民」という言葉は、「世の中をうまく治めて人びとが幸せな生活を送ることができるようにすること」というほどの意味だった。だから、お金をたくさん得ることというわけではなく、多様な方法で人びとがより幸せになることが本来的な意味での「経済成長」であり、お金がたくさん手に入ることはそのうちの一つの指標でしかなかったはずなのだ。

ところが、お金が手に入ればその他の指標もすべて満足させられるだろうという考え方が広がり、いつのまにか経済成長といえばお金がたくさん手に入ることを意味するようになり、他の指標を犠牲にしてでも金銭的な指標を高めることが大切だという発想になってしまった。このことによって、上記のように「ゆっくり語らう時間」や「自分がつくったものを贈るという行為」や「感謝の気持ち」が経済の指標から抜け落ちてしまったのである。

念のために書き添えておくが、お金は必要ないと言っているわけではない。お金を儲けることに注力しすぎて、その他の価値を減じすぎるのがもったいないと考えているのである。お金を支払って外食するのもいいが、仲間同士で食材を持ち寄って、一緒に食事を作って食べるのもいいのではないか。お金をあまり使わない方法でつながりを増やす生活があり得るのではないか。そんなことを考えるのである。

では、最低限どれくらいのお金があればいいのか。これに対する一般的な答えを僕たちは持ち得ない。都心部に暮らしていて、ワンルームマンションの一人暮らしでも月に一〇万円の家賃がかかるという人もいる。あるいは、中山間地域の空き家を仲間と一緒に改修して、月三〇〇〇円の家賃で暮らしているという人もいる。その意味では、年収一二〇万円だけど一年で一〇〇万円は貯金しているという人もいるし、年収三〇〇万円だけどお金が足りなくてしょうがないという人もいる。

よく言われる例えだが、子育てや老後のためにお金を貯めておかねばならないから、年収五〇〇万円以上は必要だとあくせく働くのもいいが、年収三〇〇万円で貯蓄がなくても地域の人たちとの信頼関係を築きながら生きるのもいいだろう。子育てや老後のために「お金を貯める」方法もあるし、「信頼関係を貯める」方法もある。どちらの方法も有効だろう。

地域の信頼関係があると、突然仕事が無くなっても、それを知った地域の人たちが食べ物を運んできてくれたり、次の仕事を見つけて紹介してくれたりする。だからこそ、他の人が困っているときには自分もできる限り手助けしようとする。こうした人間関係を構築しておくのか、「そんな時間はない」としてお金をたくさん手に入れて、誰の世話にもならずに生きていけるように準備するのか、それぞれの価値観があるだろう。

ただし、いずれの道を進むにしてもしっかりと働かねばならない。信頼関係を得る道も険しいし、お金を十分に得る道も険しい。「働く」という言葉は、「はた・らく」であり、「端(はた)にいる人を楽(らく)にする」という意味から来ていると言われる。信頼関係を得るにも、お金を得るにも、日々の働きが大切になるわけだ。

studio-Lの働き方

ちなみに、studio-Lという僕たちの事務所の働き方は前者に近い。変わった会社かもしれない。金銭的な利潤を最大化させるためにあくせく働くというよりは、地域のためになる仕事をするなかで信頼関係を少しでも多く手に入れたいと考えている。事務所の仕事には、営利事業と非営利事業がある。営利事業は外部から「頼まれた仕事」であり、お金をいただいて進める事業である。ただし、この事業もゆっくり進める場合が多く、委託費の多寡で仕事を引き受けるかどうかを判断することはほとんどない。むしろ、その仕事を引き受ける意義があるかどうか、担当者の熱意があるかどうか、地域の人たちのやる気があるかどうか、美味しい食べ物や気持ちのいい温泉が近くにあるかどうか、などが重要になる。それに加えて委託費が多いのか少ないのかを勘案しつつ、仕事を引き受けるかどうかを決める。営利事業とはいえ、多様な儲けを大切にしたいと考えているわけだ。

一方、非営利事業というのは「頼まれもしないのに取り組む仕事」である。こちらから勝手に押し掛けていってプロジェクトを立ち上げさせてもらう事業だ。かつては兵庫県のいえしま地域で活動させてもらっていたが、この地域に住む人たちがNPO法人をつくって事業を引き継いでくれたので、いまは三重県伊賀市の穂積製材所を中心にプロジェクトを進めている。この種のプロジェクトに人件費は出ていない。交通費や経費も自分たちで払ってプロジェクトに関わっている。こうした非営利事業のなかで試験的な方法を試してみて、うまく行きそうだということが分かれば営利事業に反映させる。お金をいただいている営利事業では、うまくいくかどうかが分からないような実験的な手法を試すわけにはいかない。これまで誰も試したことの無いような方法を実施してみようとする場合、まずは非営利事業でうまく行くかどうかを試してみて、それを営利事業へと移植することにしている。また、非営利事業で新人を育て、営利事業へとデビューさせるというのも僕たちのやり方だ。よく「お金ももらわずに、むしろ自分たちでお金を払いながらプロジェクトを続けるのはなぜですか?」と問われることがあるが、非営利事業は事務所のCSR活動であるとともに、以上のような実験場としての意味を持つので辞められない。

かくいう僕たちも、生活に必要なお金はしっかりと手に入れたいと考えている。お金を得ることを目的化しないように注意しつつ、生活に必要なお金を得ることも重視している。ともすると「お金なんて無くてもいいや」なんて言葉が出てきそうだが、実際には事例を調べるためにインターネットを使うにも電話を使うにもお金が必要となる。書籍も大量に購入しなければならない。また、スタッフがそれぞれ生活していく上での費用も必要となる。基本的な生活が成り立っていないと、その上で楽しいことをやっていこうという余裕が無くなっていく。だから、スタッフはそれぞれ基本的な生活が成立するくらいのスキルを身につけようと努力するし、僕もそれに答えられるだけの仕事を生み出そうと試行錯誤する。

この試行錯誤にも二つの方法があるだろう。一つはスタッフが生活していけるだけのお金を手に入れるよう努力すること。もう一つはスタッフが生活していくためのお金を引き下げること。大阪の梅田に事務所を構えるということは、スタッフがそこへ通勤できる場所に住むということであり、どうしても家賃が高い場所に住まなければならないことを意味する。月に一〇万円の家賃がかかるような場所に住みながら大阪の中心部にある事務所に通うと、仕事から得たお金を毎月一〇万円分は他の誰かに支払うことになっている。なのに、事務所も自宅も狭い。食事代も高い。

そこで、事務所の一部を非営利事業が進む三重県伊賀市島ヶ原地区の製材所へと移転させることにした。すると、スタッフが住む家の家賃は格段と低くなる。一人暮らしなら一万円か二万円、家族と暮らしていても四万円か五万円で広い家を借りることができる。となれば、固定費は一気に半分以下である。可処分所得が増えることになる。製材所と大阪の事務所をスカイプで二四時間つないでおけば、窓の向こう側には常に大阪事務所が映し出されていて自由に会話ができるというわけだ(実際、この原稿を書いている今もディスプレイには島ヶ原の事務所が映し出されている。よしよし、みんなちゃんと仕事しているなぁ)。

生活するためにお金は必要。それをどこまで最小化できるかによって、その他の価値をどれくらい最大化できるのかが見えてくる。大阪事務所のスタッフがたくさん払っていた自宅の家賃を、まとめて島ヶ原へと異動させてしまったことによって小さく抑えてしまった。これは経済成長に貢献しない行為だろう。しかし、僕たちの働き方は多様度を増したし、広い事務所と広い自宅を手に入れることができた。経済成長と豊かな生活との関係について、実践的に考えている最中である。

***

経済の素人である僕との対談は、藻谷さんにとってさほど得るところがないものだったに違いない。にも関わらず、終止明るく話を展開してくれたことに感謝したい。また、本書のまえがきにあるとおり、藻谷さんは当初、この対談を書籍化するつもりはなかったそうだ。そこを曲げて書籍化に協力いただいたことにも謝意を表したい。出版社近くのホテルに泊まり込んで何日も校正してくれたと聞いている。ありがたいことだ。そのホテルに足しげく通い、本書を完成まで導いたのは対談の企画者でもある井口さんだ。彼女がいなければ対談も本書も生まれていない。今回も楽しい仕事だった。対談の会場を快く貸してくれた東京芸術学舎の関係各位にも感謝している。最後に、本書のテーマについて有益な方向性を示してくれたダグラス・ラミス氏の著書『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』に感謝する次第である。一〇年以上続く問題意識を醸成してくれる書籍に出合うことはそれほど多くない。こうした書籍と出合えたこともまた、僕の幸せを構成している一つの要素である。

「電力が不足すると経済成長は鈍化する。それは困るから原子力発電所を再稼働しよう」。こうした思考から抜け出す必要がある。ラミス氏は、二〇〇〇年に書いた著書の最後に「放射能付きのユートピア」という言葉を登場させている。東日本大震災を経験した僕たちは、遅きに失するとはいえ、もう一度暮らしの実感から各人の幸せについて真剣に考えるべきだろうし、それを実現するための新しい「常識」を掲げて行動すべきだろう。それこそが、二万人近くの犠牲者と、いまなお「幸せ」から遠い状態に追いやられている人たちに対して、僕たちがどうしても取り組まねばならないことだと思うのである。

あとがきのあとがき───東京都青ヶ島村  藻谷浩介

山崎さんの後書きのあとに、さらなる蛇足をお許しください。
以下は二〇〇八年度に、朝日新聞が土曜日に出している別刷り「be青版」に五〇回連載した記事の、第四九回目の原稿です。日本最小の自治体である東京都青ヶ島について書きました。この本を最後まで読んでくださったみなさんには、私の言いたかった趣旨がよく伝わると思います。

素晴らしい対談をしてくださった山崎亮さんへのお礼と、全国の地域の現場で頑張るみなさんへのエールも込めて、再録します。それではみなさん、お元気で。

東京都青ヶ島村

人口二一四人(二〇〇五年国勢調査)、日本最小の自治体だ。
東京より船で一一時間の八丈島からさらに七〇km南の絶海の孤島。全周が断崖絶壁で、南半分には巨大な火口が開く。「八丈沖の黒瀬川」(黒潮本流)を突っ切る困難から、往来は毎朝一便のヘリコプター頼みだ。海水をひんぎゃ(=火山の噴気)で三週間乾燥させた「ひんぎゃの塩」は全国に通販されるが、村の歳出一二億円に対し村税収入は四〇〇〇万円に満たない(二〇〇五年度)。

なぜそこまでして住むのか、その理由は島の歴史にある。江戸時代半ばまでは、火口の中の池のほとりで豊かな農業が営まれていた。しかし一七八五年の大噴火で全島が被災、救難船に乗れなかった一三〇名が命を落とす。助かった二〇〇名は八丈島内の荒地に入植し、艱難辛苦の末三九年後に全員で「還住」(帰島)。溶岩で埋まった火口内をあきらめ山頂の北側斜面に甘藷畑を開拓、一一年後についに検地を受け年貢を納めるに至り、誇りを込めて「再興」を宣言した。

当時の年貢も現代の天然塩売上も微々たるものだろう。だが生を受けた土地に根ざして道を拓き、微力でも社会参加を志す意思の尊さは、他所の住民に勝るとも劣らない。地震が多発する火山列島・日本に住まう者として、彼ら還住者の子孫の思いを否定できようか。

拙宅の棚の奥に、かの地で買い求めた「青酎」の一瓶がある。島の甘藷を各家庭に受け継がれた麹で醸した、左党垂涎の幻の酒。民宿のおかみさんは東京からの注文の電話に「量がないの。どうしても欲しかったら買いに来て」と答えていた。人生のこれというひとときにこれという相手にふるまい、こういう島が日本にあったことを共に喜びたい。

現役世代10人へのインタビュー & 対談超ダイジェスト!
“経済成長がなければ私たちは幸せになれないのでしょうか?”

*制作協力:出野紀子(studio-L)

ここ数年「幸福論」がさかんだ。それらの多くは「経済と幸せは必ずしも比例しないよね」という割と曖昧な話である場合も多い。白状すると、僕は本書を読む前はこれもそうした曖昧な話ではないかと思っていた。実際この本は「成長が必要」なのかという問いに対して、経済の定量分析や新しい社会システムの話をふまえて究極的な答えを導き出す、というものではない。本書はこの問いの基本的な前提になる「価値観」「視点」についての議論であり、根本的かつ極めて重要な洞察に満ちた本である。

まず藻谷氏は経済成長の必要性を否定していない。ただ、成長は目的でなく手段であって、本来目指すべきゴールをきちんと設定しないとおかしなことになるのだと強調する。「外からもらうお金なしで自立できない島は、撤退すべきなのか?」と問いかけた上で例えば「会社には、さほど儲かっていなくてもウツになった人が直るための職場も必要」と例える。確かに僕らは「稼げもせず家族もいないお爺さんは死んでいい」とは思わない。経済合理性による判断を積み上げていくと、僕らが日本に住んで日本語を話していてはいけないという話にまで行き着いてしまう。個人に置き換えれば、収入アップだけを考えて努力した結果、人生つまらなかった、という話もあるだろう。そしてあとがきには山崎氏の重要なメッセージが込められている。いずれにせよしっかりと働かないといけない、幸せのあり方は多様だけれど、信頼関係をつくるのも金を稼ぐのも楽じゃないのだと。

ではそうした価値観・視点をふまえた上で、国全体として持続的成長なくして都市や地域の貧困は避けられるのか、アジアの急成長は僕らにどのような影響を与え、我々はどう立ちまわる必要があるのか。これらはこの先の議論である。しかし本書に込められている投げかけを経ることなくそうした課題に立ち向かっては、大きな誤謬を生んでしまうように思えるのだ。数多くの現場を見た2人の肌感覚があってこその説得力がここにはある。楽しくもシリアスな掛け合いを存分に楽しめる一冊だ。

(㈱スピーク共同代表/東京R不動産ディレクター/林 厚見)

書店からのメッセージ

久しぶりに、良いビジネス書を読みました。
経済書としてはここ数年で一番の本だと思います。
多分、日本の現状を一番正確に捉えているビジネス書だと思います。
本書に指摘の不景気の現状と、店の売上状況もリアルに一致するし、山崎さんの地方の町おこしも目からうろこでした。
この二人を対談させるなんて学芸出版社さんはいい本を作りましたね!
最近はビジネス書=自己啓発本で残念な感じなのですが、これは本当に読者に読んでほしい良書です。
今、藻谷さんの『デフレの正体』を読んでいます。
しばらく追っかけていこうと思います。

(パルナ書房(京都)/久野敦史さん)


この本で書かれているキーポイントは ・私たちが充実した暮らしを送るには「右肩上がりの経済成長率」という物差しが必要であるということを思い込まされている。 ・経済的指標と人びとの幸せとの関係を考えてみると、幸せは計るものではなく、実感するものである。 ・成長せずともトントンであればストックが維持できる。ストックがある内に、各人が持つ「しあわせの生態系」をうまく組み立て直す必要がある。 です。お金やモノを豊かに持つことが本当に第一義なのか、特に若者が家や車に固執しない、世の中がシェアの方向へ進む中、経済と幸せの関係を再確認する。

(井戸書店(神戸)/森忠延さん)


当店では良書をじっくり売っていく方針です。
この本も、一見ベストセラー狙いに見えますが、実はじっくり売っていくべき本ではないでしょうか。
年末までにブレイクしますよ・・・。予言が当るよう、がんばります!

(蔦屋代官山店/北川さん)

担当編集者より

“世の中の平均値がどうであろうとあなたには関係ない。それはなぜか?”

当日の対談は中盤(本では80ページあたり)からクライマックスを迎え、気づけばお二人に励まされ興奮したまま終わりを迎えていました。
その後の本づくりは…「まえがき」「あとがき」のとおり難航したのですが、その間、藻谷さんの人となりや考えに触れる機会が増えたことは幸運だったと思います。

草の根で活動する地域づくり関係者への敬意を根底に、(経済畑の一部の人たちへ喧嘩を売りながらも…)社会は少しずつ前向きに変えていけると説く藻谷さんの語り口にはいつも魅了されます。「地べたを歩き回ってます」と(藻谷氏)自ら言われるように、日々全国を駆け回るお二人の、現場からのメッセージを、なるべくその魅力と迫力を損なわずに伝えたいと思いながらつくりました。

(井口)


2011.6.20、8:00- @渋谷マークシティスターバックス
記録:編集部/井口夏実、撮影・協力:尾内志帆


藻谷浩介(もたに こうすけ)さんの紹介

1964年山口県生まれ。㈱日本政策投資銀行地域企画部地域振興グループ参事役。1988年東京大学法学部卒、同年日本開発銀行入行。米国コロンビア大学ビジネススクール留学、日本経済研究所出向などを経ながら、2000年頃より地域振興の各分野で精力的に研究・著作・講演を行う。平成合併前の約3200市町村の99.9%、海外59ヶ国を概ね私費で訪問した経験を持つ。その現場での実見に、人口などの各種統計数字、郷土史を照合して、地域特性を多面的かつ詳細に把握している。復興構想会議検討部会専門委員ほか政府関係の公職多数。著書に『実測!ニッポンの地域力』『デフレの正体―経済は「人口の波」で動く』


藻谷:これはひじょうに読みやすい本ですね。深く考えようとするとさっと読んだだけじゃわからないのですが、すごいなと思って読みました。鹿児島の話は知らなくて。すごいですね、いやあ、びっくりしました。今度、どんなことになっているか見てみます。

山崎:藻谷さんはもう全部ご存知ですからね。

藻谷:いや、でもちょっと油断している間に過去数年のことになってますから。

山崎:それにしたって藻谷さんのパソコンには、全国の市町村コード別のフォルダがあって各町の写真があるんですから。初めてお会いした時は、こういう人が居るんだ! とびっくりしちゃって。だいたいの町に行ったことがあるんだから。

藻谷:そういうことをしてきた立場で読んでいるのですが、確かに、知らずに読んでるとA町、B町みたいな話になってしまうんでしょうね。

山崎:例えば、笠岡諸島なんかを知ってると、ある種の声の大きな人がいるってことが分かって、だからこそああいうやり方したんだってことが、背景含めて理解できるんですよ。

藻谷:いやあ、因循姑息な瀬戸内海の島っていうのは難しいところですよ。ひと通り土建をした後で、ハイサヨナラってことになっている状況ですから。

藻谷それで、この本の反響はいかがですか。

山崎:本はお陰さまでかなり読んでもらってます。

藻谷:そうするとたくさん依頼があって大変でしょう。この人が来れば俺たちの地域は全部何とかしてもらえるんじゃないかって思いこまれちゃって。よく読むとそういう話じゃなくて、相当面倒くさいことをしなくちゃいけないってことが分かるんだけど。

山崎:本当はあなたたち自身が大変になるよっ、てことをわかってくれれば、覚悟も決めてくれるんだけど、おっしゃる通り、僕らが来たら何とかなるだろうと思っている人も結構いますね。

藻谷笠岡の例なんて象徴的で、ああいうところって多いじゃないですか。「この人たち、一体どうしたいんですか?」てところ。

山崎:多いですね。

藻谷:どういうヴィジョンをもって行動しているのか、ビジョンを持たずに行動してるのか、どういう行動原理で行動しているのか?、その辺を本ではさらっと流してありますね。
僕もそういう場面に突き当たってトラブルことがありました。彼らこそいわゆる選挙のたびに投票を間違える有権者で、何かあると文句をいう中心でもありますよね。ああいうふうに、「隣の人たちとは絶対一緒にできない」なんて言い続ける人たちの思考回路はどうなってるんですか。

山崎:やっぱり、よくわからないです。危機感がないということは本に書きましたけど、それがベースにあります。本人自身は自分に危機感がないという意識はしていないんだけれども、どうしていいかわからない。

藻谷:笠岡諸島なんてね、一般常識としてはそんなに余裕がないところですよ。

山崎:10人弱しか小学生が居ないんだから、10年後を計算すれば、しぼんでいくことは間違いない。ですが、本人たちそれに対してどう取り組んでいいのか、わからないんです。

藻谷:現時点では余裕でも、どこかの段階でもうだめだと思うんでしょうか。

山崎:手遅れくらいになってから気づくんでしょうね。でも一方で、何人かは気づいているんです。「このままいったらやばいだろ、現に子どもがこんなに減って!」と。でも一部の人からは「面倒くさいことはやらんといてくれ」みたいな話も出てきちゃうんですね。そういう場合はコンセンサスを取るのが難しい。
だから逆に言うと、だったら彼らが動きやすい状況を作れば良くて、そのためには大義名分がいるんです。島の子どもたちが総意で言っていることであれば、彼らも納得せざるを得ない。実際は本人(やる気のある大人)がやりたいことと、子どもたちがやりたいと言っていることをうまく重ねてあるんですよ。

藻谷:なるほどね。

山崎:子どもたちが言っただけじゃ実効性がなくてなかなか動かないってことは書かなかったですけれど、子どもから出てきた多様な意見をまとめているときに、実は、心ある大人が何人か頭には浮かんでいて、彼らが一番やりたいと思っていることを子どもたちの意見がとりまいてくれれば、彼ら立ち上がりやすくなる。まわりの大人も「子どもたちがそんなことを言っているのか」と、「あいつはそれで動きだしたのか、まあ、とりあえず見といてやるか」ということになる。それでちょっと、動きやすくなるんですね。

藻谷:なるほど。子どもの話をうまく出すことで、やる気のない大人を怒らせずに、やるべきことを受け入れさせる。

山崎:ただ一人、じいちゃんが、怒ってましたね。子どもたちが公民館をコンビニみたいにしたいと言いだしたときです。そのコンビニは地産地消型で、地域の人たちが作ったいろんな種類のものを買える場所にしたいと言ったんですが。
その近くに雑貨屋のおじいちゃんがいて、「コンビニなんてものはなあ!」って会議の場に乗り込んできたんです。「うちの商売がつぶれる」と思ったんでしょうね。
このおじいちゃんとはかなり時間をかけました。「実はコンビニという言葉を使ったのが間違っていました。コンビニエンスって便利ってことですもんね、ここでやろうとしているのは便利なことではないです。」といっておばあちゃんたちが作ったものを並べ、「もちろんあなたがお商売でやっているものとは抵触しないです」と。

藻谷下手に出ますよね~。あたしなんかもう、昔からそんなことがあると「お前がそんなことだから子どもがいなくなるんだ」と、つい面と向かって条件反射でガチンと言っちゃうんですよ。けんか別れになっちゃって。いいやり方じゃないんです。
山崎さんはそこの忍耐がすごいですよね。だって実際はその人が人口絶やしてる帳本人かもしれないじゃないですか。

山崎:そうなんですよ、まさに。結局のところ「コンビニなんかだめ」って言ったって、子どもたちは情報化社会でみな知っちゃっていて、本土に行けば便利だってことをわかっちゃってるので、そんなややこしいことを言われるなら、私たちは出ていきますって島からどんどん抜けていってしまう。間違いなくね。
僕が子どもたちに現状を伝えるときは、子どもたちが島の中でやる気になる方向に伝えないといけないし、おじいちゃん本人にも理解してもらいたい。

藻谷:なるほど。何歳くらいですか。

山崎:70・・・

藻谷:70代と聞いた瞬間にもう仕方ないと思ってしまいますね。無理ですね、変えようがない。そんな店しかないんですか。その人が亡くなったら店も無くなってしまいますよね。

山崎:そういうことを小中学生は知ってるんですよ。
ワークショップでは、人口統計の読み方や、他の地域の取り組み、地産地消がなぜ大事なのかを子どもたちのことばで理解していきます。すると、彼らがこの島で生きていくために、島の経済がなくなったら皆外に買い物に行くだろうから、ちゃんと中の経済をつくっておかなきゃいけないよね、という提案が出てくるんです。でも、まだ生きているその人は「なんだおれの仕事取るのかよ。しかもコンビニエンスストアかよ。子どもがそんなこと言ってどうする」みたいなことを旗印にして大人たちを叱りつけ、大人たちもしゅんとしてしまう。

藻谷:その話を聞いてつくづく思うんだけど、そういうことは本当は学校で教えておかなきゃいけないですよね。今の教育内容では、みんな東京に出て市場経済に参加して終わり、としか思わないですよね。

山崎:おっしゃる通りです。

藻谷:そうするとそんな島では「なんで自分はこんなところに居るんだ、馬鹿みてるじゃないか」と思っちゃうしかない、そういう教育内容です。
ところが実際、市場経済に参加しようと思って都会に出てくると、フリーターをずっとやらされたり、大企業の社員をやっていたって、まさにマルクスが言うように、誰からかは分からないけど、とにかく搾取されている状態になるわけです。ほとんど価値のないことを延々とやらされて何も残らない、実際それで抜け殻のようになってる人が大量に居るんだけど、本人はそうは気づいていない。山崎さんと同世代の1973、74年生まれ、30代後半に、すごく老けた顔の人が居るでしょう。僕より年上かと思いこんでいたら実は10歳以上年下だったりします。実はこんなに人を動員しなきゃいけない時代は、バブルどころか高度成長期で終わっていたのに。つまり彼らが生まれた時にはすでに終わっていた話なのに、ずっとそのシステムが続いてるんですよね。

山崎:結局、笠岡の子どもたちみたいな人が、東京や大阪へ出ていけば何とかなるだろうと思って出て行っては擦り切れてる。何とかならんかと思いますね。

藻谷:物の見事にそういう仕組みですからね。でも山崎さんが島の現状について子どもたちに伝えることは、良く分かってもらえるんですか。

山崎:「地域の中で地域のために働く」なんて、外へ出る前の子どもたちにとっては当たり前のことなんです。それが大人たちにとっては「何と斬新なことか」と受け取られる。単純に、ここで楽しく豊かに暮らしていくために、僕らができることをやっていかないとまずいよね、と話すんです。話しながらコミュニティ・ビジネスという言葉に置き換えてはいくんですが、子どもたちは「そうだよね」とすんなり受け入れてくれる。

藻谷:逆にいうと、その大人たちは高度成長にコミットできずに敗残者として生きてきたんだという、勝手に矮小化した自己否定があるのでしょう。西日本的に言うとやくざっぽくなって子どもたちからは、吸いつくしてやろうという雰囲気になる。東日本だと今度は黙~ってしまって路傍の石のようになる。怒鳴る人もいないけど誰も何もしない。実は怒鳴ってくる人と何かする人は同じエネルギーを持ってるんですが、エネルギーすら無い人たちですからすごく大変ですよね。

山崎:それはありますよね。

藻谷本ではこのあたりが全部省略して書いてありますけど、さぞやと思います。1つの話を今みたいに10倍にして書くと、リアルなやりとりが見えてきて乗り越えてきてるものが分かるんですよね。実際に活動している人が読めば、背景に何かあるなってことは当然わかるんでしょうけれども、活動したことのない人が読むと、「この人は魔法のように全国を治している」と、まるでトリックのおじさんのように受け取られるでしょう。

山崎:ツイッターの反応を見ていると、その人が地域に対してどのくらい真剣にやろうとしているかが、リトマス試験紙のように分かりますね。読んでも特に何も感じない人もいれば、確かに魔法のような話だと思われることもある。藻谷さんのように、開口一番「あえてこうは書いてあるけど、その背景はどうなんだ」と言ってくるのは、地域によく通っていて、何がどこまで行くと動かなくなるか、実際に体験している人たちですね。

藻谷こうやって掘りだしていくとめちゃくちゃ大変な仕事ですよね。

山崎:大変ですよ、大変です。ただ、それを上回って有り余るくらいに、嬉しいことがいっぱいあるんですが。今みたいな問題は、たいてい初動期によく起きるので、それを乗り越えたときに結束力が高まって、より主体的に取り組めるようになるんです。2、3年後に、僕らがもう必要ないくらいすごく盛り上がって活動しているのを見ると、抱えている新しい問題もあるけど、こうなるんだったら続けようかな、という気持ちになるんです。

藻谷:そんなこと書いてる暇はないからだと思うんですが、この本には白鳥が水面を泳いでいる姿ばかりで、もぐったり飛んだりしている話は書いてないわけです。
中には10年ほど続いているものもありますが、とにかく継続中のものが多いですよね。手をいったん離して、そのあとどうなっていたかという、継続の話は非常に興味があります。
手を離したあと、どのくらいの確率で自然死するのかあるいはしないのか、ケースバイケースだと思うのですが、実際死なずに続いているんですか。

山崎:母数が少ないのですが、我々が関わったものについては続いていますね。

藻谷:無いんですよね、自然死が無い、無いんですよ、そこがおそらく一番すごいところです。山崎さんご本人は自慢しないと思いますけど、第三者的な人が「なぜそこで自然死しないのか」ということについて突き詰めてくれるとなおのことすごいことになりますね。どういう仕組みでスタートしておくと、死なずに済むのか。
初期段階に、既に死んでいたり死にかけたりしているものを起こしていく過程で、いろいろな問題が手当てされているからだと思うんですけれど。その過程は最初はとてもしんどいし、リスクもとっている。でも、事前にかいておいた汗の量が、結果的に後の継続性を担保するので、そこが違う話なんですよ。今日お会いしたらそこの話を確認しようと思っていたんです。まさにそうなんですよ。これは本人が自慢してる暇はないと思うので、ぜひ、スタッフの人が裏話的に書くと面白いでしょうね。

藻谷ちなみに、山崎さんの事務所では若い人が育ちますよね。その人たちはどこかへ独立して散っていったりするんですか。

山崎:まだ独立はしてないですね。

藻谷:何人ぐらいですか。

山崎:10人です。

藻谷:すごいですよね。10人食わせるっていうのは大変なことですよ。ただ組織がでかくなっていくと、食わせるために仕事をとってくることになりがちですけど、クオリティの観点から、増えていく仕事量の問題はどうコントロールしていかれるつもりなんですか。

山崎:それはこれからの課題です。最初僕は何の根拠もなく10人と決めて、3年前くらいから10人にしちゃったのですが、誰も辞めないので、新しいスタッフは入ってないです。ただ、仕事量が莫大に増えているので、大変なことになってきていて、この「10人枠」をいつか諦めなければならないのか、もしくは暖簾分けをして彼らがまた10人ずつで動かしていくのか、もしくは別会社にするか。
クオリティコントロールができなかったり、管理職のようなことしかやらなくなっちゃうんでは、やってる意味がなくなってしまうので、僕らみたいな小さい組織が連結して、「今度のこれは一緒にやろう!」というチーム作りが要ると思うんです。やっぱり情熱大陸の放送の後はものすごい数の就職希望が寄せられましたね。

藻谷:来るでしょうねえ

山崎:その中には「10人というのは山崎さんを入れて10人ですか?」「除いて10人にしましょう」とか、「サッカーでも11人じゃないですか、11人にしましょう」とか言ってくる人もいるんですよ。いろんなアイデアがあるもんです。

藻谷:なかなか使える奴らですね~。

山崎:とんちが効いててね。

藻谷:それにしても、どうしましょうかね。

山崎:10人のうち1人、岡崎エミってのが北関東の栃木に1人でいるんですが栃木や関東方面の仕事でいっぱいになってきています。ちょうど、栃木でコミュニティ雇用が出ので、とりあえず4名採用を決めました。1年間ですが、彼女のもとで育てて、その中でいけるなと思える人間で、独立採算の支部を作っちゃおうかなと思ってます。

藻谷:関東地方って連携しないところなので。やりだすと、たくさん仕事がありますよ。今放射能の問題もありますし、困ってますからね。
そうやってある程度暖簾分けしちゃって、そこの出身者がそれぞれやっていくやり方が本当はいいんでしょうね。
あと、年齢的にこんなこと言うとおっさん臭いのでしょうが、42歳で劇的に身体の性能が落ちるので、何らかの形でやり方を変える必要が出て来ると思います。僕は規則通り42歳の時に厄年がきて、徹夜が効かなくなってそれまでのペースでは続けられなくなったんです。37歳という山崎さんの年齢は1つの正念場で、最も燃えさかる時期ですよね。

藻谷:一方で、「できるかどうかわからないけど『やりたい』」という思いの若い人たちが増えてませんか。

山崎:はい。ものすごく増えてます。

藻谷:できるかどうかは分からないんだけど。

山崎:ふふふふふふ。

藻谷:話を聞いてみるとそんなにおっちょこちょいじゃなくて、ある程度考えていて、学生のときからそういう活動を知っている人達です。増えざるを得ない面もあるんですが、そういう人たちを雇える側の人間が今少ないんですよね。

山崎:どこに行けばそういう活動ができますか?と聞かれるのですが、聞かれても困るんですよ。

藻谷:絶対大企業はやってないですからね。普通は採算とれないです。この本には、どうやって事務所を回してるのかってことは書かれていませんが。

山崎:そうなんですよね。僕らは本当に小さくて、そんなに利益をとらなくても大丈夫なんですけど。

編集部:あの、こういう話の延長で、改めてお二人で対談される機会をいただけないでしょうか? 例えば「経済成長がなければ僕たちは幸せになれないのか」、というテーマで。

山崎:これは藻谷さんに初めてお会いした後に、次にお会いしたら聞いてみたいと思っていたことなんです。地域に行くと、たいていは成長よりむしろ衰退している場合が多く、ただその割には幸せな人間関係を作って楽しんでいるようにみえるんです。僕は経済の専門家ではないから、「経済成長」というものがそういう地域の生活をどのくらい支えているものなのか、ということを知っておきたいんです。それを知ったうえで、さらに充実した生活を送るために、僕らはお金以外の価値を高めていく活動をしていきたいんですよね。実際は、広い意味ではそれも経済だと思うのですが、ここでは狭い意味でのお金で数える経済のことを知っておきたいと思うんです。

藻谷:これはね、切り方としては大変面白い話なんですが、私のスタンスは怪しいスタンスなので、どうしようか、ということになるんです。私は「経済成長」と言っている人たちが何をもとに言っているのか、なんとなく分かるんです。他方で私自身は、「経済成長」というのは一種の宗教で、宗教でありますからして当然使い方によるわけで、つまりそればかり言っている人は怪しいわけです。もうちょっとマシだけど似たような話で、使い方を誤ると大変な言葉に「コミュニティ」がありますよね。

山崎:わかります。

藻谷:わかるでしょう。「コミュニティ」が独り歩きして、「昔のコミュニティは…」って言う人に話を聞いてみると、この人分かってないな、「おまえがコミュニティから外れてるんだよ」ってことになる。

山崎:「あなたこそがコミュニティに入ってないんだよ」と!

藻谷:そういう類の人と似てるところがあって、「経済成長」と言ってる本人は全然、経済成長していないことが多いですから。

山崎:なるほど!

藻谷:本来、経済成長できなかった人間が「経済成長、経済成長」って騒いでるんですね。自分ができていないくせに人に押しつけるわけです。学者ってみんなそうですよね。そんなに金儲けが好きだったら自分で儲ければいいのに。

山崎:やり方知ってるんだったら自分でやればいいのに、って話ですね。

藻谷:「経済成長」の中にどのくらい真実があるか、「それを一緒に考えましょう」というスタンスだったらお話できそうです。つまり、私はどうしてもはっきりしない言い方になってしまうんだけれども、話しているうちにはっきりしてくるってことならあるかもしれない。
山崎さんは経済成長という言葉について、うんちく的には何か持ってますか、経済成長についてかなり勉強されました? はたまた、世の中の人がこれだけ経済成長って言うけど、一体何なんだそれは、という感じですか。

山崎:いや、勉強してないです。その話が聞きたい、というくらいがスタートです。

藻谷:じゃあ、大丈夫です。いわゆる、ごく一般常識的な観点から「何それ?」と、延々突っ込んできてくれる方がいいな。「経済成長」のインサイダーではない立場からとことん語ってくださるわけですね。

山崎:そうそう、そうです。

藻谷:だとしたら、話はしやすい。お互いなんとなく裏を知った上で喋ると、何かねえ、という話になるので。純粋経済成長の人と話すと多分、全然かみ合わないんですよ。純粋経済成長の人たちはね、「経済成長を目指さなくてもいい」と言うと、「お前馬鹿か」っていきなり怒り出すんですよ。

山崎:分かります。「詳しくは分からないんだけど、経済成長なしでもさあ…」と言っちゃうと、「いや、なしではありえないだろう」という感じになっちゃうんですよ。

藻谷:原発もそういうところがあるんですよね。いきなり原発なしっていうと、「非常識だ馬鹿」って言って怒り出す人が必ず居るんです。よくよく聞いてみるといろいろな問題があることは確かなんだけど、いきなり怒り出す人はこれはもう駄目ですね。
だから、私は一応「経済成長」って言ってる人が何を言ってるかってことはなんとなくわかるので、そういう観点からやればいいですね。

編集部:お引き受けいただけますか?

藻谷:ええ、いいですよ。そういう話でしたら分かりやすい。ただ、いわゆるエコロジスト VS 経済学者の話とは全然違う、もっと柔かいスタンスの話ですから、聞き手に分かりやすいかどうかはわかりませんよ。
要するに、「経済成長」という言葉の先にある「人の幸せ」というものを、経済的には停滞か衰退かわからないけれども実現できちゃってるんだけどな…と思っている人、数字は成長していなくても実はそれも経済成長と矛盾しないんじゃないか、と思っている人との話ですよね。
そういう山崎さんみたいな人達は、いわゆる「経済成長」というのはその現実以外に何のことを言っているんですか? とも思っているわけです。「経済成長」を否定しているんじゃなくて、「経済成長」という言葉の定義が怪しいぞと思っているというか、別に「経済成長」とあえて言う必要がないと思われている。

山崎:なるほどね。

藻谷:だって、経済が成り立たなきゃいけないってことは分かってますよね。全員が原始時代に戻れなんてことは全く言うつもりはないでしょう。普通に経済社会のなかで、いろいろと数字は成長はしていないかもしれないけれど、でもハッピーにまわってますよね、ということですよね。
ちなみに「経済成長」を唱える原理主義者みたいな人は、経済成長の反対を原始社会だと思っているのです。

山崎:ほほう。そうなんですか。

藻谷:だからますます話がかみ合わないんです。別に原始社会でもなんでもない、成長はしていないけれど経済社会として成り立ってるよ、ということがリアリティとして全然分かっていない。仮に、彼らが成り立っているコミュニティを見るとするじゃないですか、すると彼らは「何か裏がある」と思うわけですよ。

山崎:!!

藻谷:「俺が教わってきたこととは違う。こんなものが成り立つはずがない」と思うわけです。

山崎:たしかに。「経済成長はしてないです、高齢化でお店はどんどん閉まっていっている。だけど、みんないい感じで生活してるんですよ。」という話をすると、なぜかプリプリし始める人っているんですよ。だけど僕も、経済の大事なところを理解していない気がするので、確かに怒られることを言ってしまってるかもしれないな、と感じてきたんです。

藻谷:怒るってことは、何か弱みがあるから怒ってるわけです。今のような話をえぐっていったら面白い話になりますよ。やっぱり話しながらはっきりしていくでしょうね。
世の中で言われている多くのことが儒教のようなことです。要するに座って本だけ読んでいるおじさんが「おまえは儒教をわかっとらん」と怒ったりしてる一方で、全く儒教を知らないコミュニティに行ったら、そこで行われている暮らしは儒教そのものだったって話です。キリスト教宣教師が日本に来てみたら、「なんだこりゃ、こっちの方が神に愛されてるんじゃないか」と衝撃を受けるように。それで怒り出す。聖書も読んでないくせになぜなんだ、けしからんと。

山崎:すげえ面白い。

編集:いきなりこういう対談で始めてしまっていいんでしょうか。それぞれにレクチャーされますか?

藻谷:いやいや、僕はいきなり対談を始めちゃった方がいいですよ。ひとつ言うならば、山崎さんから「経済成長してないけれども幸せな例」を3つくらい喋ってもらって、そこからスタートしたらどうですか。

山崎:僕自身の疑問として「こういう状態があるんですけど、どうなんでしょう」と投げかければいいわけですね。

藻谷:そうそう、それで私は純粋経済学者はともかく、普通に経済が好きな人だったら理解できる言葉で、ブリッジをかけたいと思います。純粋経済学者の中にはブリッジがかからない人が居るんですよ。目的はよくわからないんですけど。

山崎:ひょっとしたら学会の中でのステイタスみたいものを守ろうとしてるんでしょうか。

藻谷:学会の中でのステイタスを守ろうとしていて、かつ、実はそんな学会のステイタスなんて持ってなかったりする人達なんですよ。

山崎:守ろうとしてるんだけど、守ろうとしてる相手からはあんまり相手にされてない。そういう人いますねえ…。

藻谷:そういう問題があるんですよ。それにしてもこのテーマはこの時期タイムリーですよ
僕の意見は、そういう単線的な評価をしようとするのをやめたいってことなんです。例えば「○○模試で100点を取るのが俺の目標だ」なんてことを言うのをやめていただいてね、どうしても勉強が好きだとしても、せめて「私は勉強ができる人になりたい」というくらいまで抽象化してくれると、まだ折り合いが付けられるわけです。あるいは、勉強というよりも、「生きる知恵が欲しい」とか、その辺りまで降りてきてくれるともう、ほとんどシンクロするんですけど。中には○○模試に限定的に狭めてきて、「○○大学に行くしかない」という人が居るもので、そういう人たちが生き残っちゃうわけです。日本みたいに、いわゆる経済成長が難しい地域があって、そこで経済成長が無い日本はもうおしまいだという悲観論をぶちまける人が居る。それはもう、僕にとっては大変困るんです。

:僕も困ってます。

藻谷:困るでしょうねえ。地域だと日常的にそういう人たちと対峙するわけですから。

山崎:テレビや新聞の影響で、せっかくまちづくりがいい方向に行っていても、「結局それって金を生みださないじゃん」とか、「経済が上向きになってないのにまちづくりとか言ったって幸せになるわけねえ」という話を横から知ったような顔して言ってくる人がいるんですよ。「本当にそうかな?」と思うんだけど、僕の専門でもないから言い返す言葉もないし。ただ、地域の人がそういう話をしだすと、やる気を妙なところから削ぐ言葉に変わってしまうんですよ。

藻谷:そうなんですよね!

山崎:「生活していけなきゃだめじゃん」とか、「金儲けしなきゃだめじゃん」と言われるんだけど、生活はまあできてるし、皆けっこう幸せそうなんだけどなあ。

藻谷:結構、金持ってたりもするんですよね。

山崎:ふふふ、そうなんですよね。そうやって地域で力を持っている人たちがテレビを見て「経済成長」を唱えることと、その人たちにとっては衰退しているその地域が、実際は幸せそうな様子、その間にはいったい何があるんだ! というのがずっと知りたくて。

藻谷私はね、ついついそういう人たちに向かって「馬鹿野郎」と言う方に入っていっちゃったんですね。そっちに行ってしまうと、具体的な改善はできなくなっちゃう。
そういうわけで、横合いからの独り歩きを無くさせる、内田樹が言う「やる気をなくさせる呪文」を唱えるような人たちをとりあえずやっつけようということですね。

山崎:力強いなあ! 僕は地域に入るから、藻谷さんは理論的な側面からやっつけていただけると。

藻谷:関係ないところでそれぞれ闘ってますっていうことになりますね。そういう自己否定はどこかで語っておきたいといつも思っているんです。現場に入って行くぞっていうのとは、僕は全然違うことをしてるんです、と。違うというか、はるかに端っこのことをやっているんだということを、みなさんに理解していただきたくて。鍋料理でいうと「僕がやっていることは水でも塩でもなく唐辛子ぐらいの話でして」と、折に触れてお話はしているのですが。
山崎さんがやってることは塩ですよね。要するに肉や魚を現地で調達してきて水で煮るだけではまずくて食えないけど、塩を入れると急に味が出る。唐辛子は基本的に入れなくて良いし、ごく稀に入れればいい、そしてたくさん入れて仕方がない。
コミュニティの中から肉を調達してきて、そのうち塩も自己調達できるようにしていくんですよね。

山崎:そうです。僕らみたいなことが出来る人を育てていかないといけないんですよね。

藻谷そういうお仕事をされているわけですよ。いやこの対談は面白いな。私は、ダラダラと話をするのが大変好きですし、しかもこのテーマで話ができる相手がなかなかいないから。コミュニティの質を相対化出来ている人と、同じくある程度経済学者の言っていることを相対化できる者との話ですから。この組み合わせはなかなかできないですよね。
もし山崎さんがお好きだったらエネルギーの話なんかもできるんですけど、まあ、お互い知見がないので難しいですか。
これとこれは論点を落として欲しくない、という点があれば、途中で振ってください。楽しみにしています。

(了)