連載「食と建築をめぐる対話」(2)前編|塚本由晴(建築家)×正田智樹

イタリアの食の生産現場に訪れると、
さんさんと降り注ぐ太陽の下で育てられるレモンを支えるパーゴラや、
冷気からぶどうを守る象徴的なパーゴラの石柱、
眼鏡が曇るほどの湿度の中で生ハムにカビを生やすための発酵・熟成室といった、
美味しい食の背景には建築が関わっていることに気づいた。
そこには普段目にする建築とは少し違う、
食の生産ならではの建築の形や素材の使われ方があった。

(本書「はじめに」より)

Foodscape フードスケープ 図解 食がつくる建築と風景』(正田智樹著、10/10発行)では、ワインやレモン、醤油や日本酒、イタリアと日本の食の生産地16か所を詳細図で読み解きます。
各地の生産者を取材した著者・正田智樹さんが描くのは、光・風・熱を活かし、自然のリズムとともに生きる人と食と建築の関係。

この連載では、農業史・環境史の研究者・藤原辰史さん、建築家・塚本由晴さんとともに、土地の気候や地形に応じた人の暮らし、それを支える、食と建築を語ります。

正田智樹(しょうだ ともき)

1990年千葉県生まれ。東京工業大学大学院建築学専攻修了。一級建築士。2016-17年イタリアミラノ工科大学留学。現地ではSlow Foodに登録されるイタリアの伝統的な食品を建築の視点から調査。2018年-現在会社員。著書に『Foodscape フードスケープ 図解 食がつくる建築と風景』(学芸出版社)。

塚本由晴(つかもと よしはる)

アトリエ・ワン/東京工業大学大学院教授、博士(工学)。一般社団法人小さな地球代表理事。1965年神奈川生まれ。1994年東京工業大学大学院博士課程単位取得退学。貝島桃代と1992年にアトリエ・ワンの活動を始め、建築、公共空間、家具の設計、フィールドサーベイ、教育、美術展への出展、展覧会キュレーション、執筆など幅広い活動を展開。ふるまい学を提唱して、建築デザインのエコロジカルな転回を推進し、建築を産業の側から人々や地域に引き戻そうとしている。近年の作品に、ハハ・ハウス、尾道駅、恋する豚研究所、みやしたこうえん、BMW Guggenheim Lab、Canal Swimmer’s Clubなど。主な著書に『メイド・イン・トーキョー』『ペットアーキテクチャー・ガイドブック』『図解アトリエ・ワン』『Behaviorology』『WindowScape』『コモナリティーズ ふるまいの生産』など。

東京都内にて
(左:塚本由晴さん、右:正田智樹さん)

なぜ建築家が農に関わるのか

正田

塚本研究室で『スローフード生産にみられる資源の活用のための建築』と題した修士論文を書いてから6年経ちました。

その間日本の事例を調査しながら生産者の方々や調理人と会話すると、改めて私たちの暮らしが巨大なフードシステムに囲われていることに気づきます。私たちが生産性・効率性を求めてつくりあげてきた建築を見直し、この本で扱う自然を活かした建築と、それを起点とした人々の営みや風景を取り戻せないか、それは建築家が考えるべき問題だと感じています。

塚本先生が里山で農業や茅葺屋根の葺替えなどの実践をされながら、建築と農の関係をどう見られているのかなと、気になっていました。

塚本

まず私は都市生活者なんです。エネルギーも食物もサービスに依存していて、お金を払わないと手に入れられない。だから仕事をするし、よい収入を得るために自分がよい「人的資源」であろうとする。隣に居る人はライバルになり、生産性や効率で競うことになる。だったらそこから離れて、自分で食やエネルギーを獲れないかと考え始めたんです。

きっかけは3.11後の復興支援に行った先で、家も何も流されてしまった漁師さんたちに会った時でした。彼らは食べ物は海から獲ってくるし、田んぼがあるし山菜取りも得意で、山の杉を伐採して家を建てたりと、身の回りにある多様な資源を利用している。

それに比べるとサービスに依存した都市生活者は「人的資源」という都市の資源であって、存在としては脆弱です。身の回りの資源に直接アクセスできる人という意味で、漁師さんたちは「資源的人」だと考えるようになりました。

その後、縁あって千葉県鴨川市の釜沼という棚田が美しい集落で、林良樹さんと出会い、彼の暮らしや彼が続けてきた都市農村交流に参加してきました。

棚田オーナーとして米づくりを始めた2019年の秋、収穫の直後に大型台風15号が房総半島を直撃し、都市農村交流の拠点になっていた古民家ゆうぎづかの屋根のトタンが飛んで、下から茅葺が出てきました。これがすごく良くて、林さんと「茅葺に戻そう、茅場も再生しよう」ということになった。そこから学生たちを毎週末連れて行く里山再生活動が始まりました。

フィールドで実践し考えることが、建築を含めこれからの暮らしを変えると確信しています。例えば、都市では経済が分母で、衣食住も文化も分子です。そこに疑う余地はないと思ってきたけど、釜沼など南房総に移住した人の話を聞いていると、それは都市における資本主義と民主主義のカップリングの帰結であって、分母を農にすることもありではないかと思い始めました。

正田

食べ物や建材、衣服をつくる材料は、自然を人の暮らしのために調整、加工した物です。先生は暮らしと自然の媒介、そのつなぎ方をデザインすることを農と捉えられているのだと感じました。

塚本

例えば茅葺き屋根は、建設業的に瓦か板金かシングルかといった選択肢に並べるべきものではなく、農の連関の中に位置づいているものです。

25世帯ぐらいで構成される結という組織が、金と材料と手を出し合って、毎年一軒ずつ屋根を直すので、25年に一度しか自分の家の番は来ない。屋根に葺く茅(ススキ、ヨシなど)は共有地の茅場で育て、毎年刈り取り、野焼きをしました。茅を結ぶための藁縄も各世帯で作って持ちよりました。農家の作りも大きさもだいたい同じ(5間×9間)で、それが茅場の広さ(2ha)を決めます。

葺き替えで出た古茅は農地に撒いて肥料にしました。建築、社会関係、茅場面積、茅の寿命まで、絶妙のバランスで成り立っていた連関が、若手が都市に流出することで崩れ、里山の風景にも影響が及んでいます。

正田

あるべき農の連関の全体を捉え、崩れた均衡を補修しデザインし直すことも、これからの建築家の役割だということですね。

熱を蓄えることで夜間の冷気からぶどうを守る石柱のパーゴラ
プレキャストコンクリートの柱が使用される
熱を蓄える石柱のパーゴラ(左図)と、冷気と湿気を活かす発酵・熟成室(右図)
地域の資源とワイン製造の工程を描いたバレーセクション(断面図)

不変の行程という拠り所

正田

一方で、伝統食を守る生産者さんのお話を聞くと手仕事による生産と機械生産の間で常に揺れ動いています。茅葺をやめることで里山の均衡が崩れてしまうように、食の生産も産業社会的連関の波に飲まれてしまうと工場が立ち並んでしまう。

『建築家なしの建築』を読み直すと、“ヴァナキュラー(風土的)な建築は流行の変化に関わりがない。それは完全に目的にかなっているのでほとんど不変であり、まったく改善の余地がないのである。”とルドフスキーが書いています。しかし、不変のもの、可変のものを見極める必要を感じます。

例えばワインの行程は昔から栽培、収穫、圧搾、発酵と不変のため、生産の場所や建築の規模が変わっても、行程に対する資源の活かし方は維持できます。

カレマ村では熱を蓄える石柱を維持するのが大変なのでプレキャストコンクリートの柱にすることで太陽熱との関係を維持していく。四郷の柿屋も大規模生産に合わせて鉄骨でスケルトンを建てるけれど風を全面に受ける関係は維持する。資源との関わりは維持しながら生産量や関係人口の変化、老朽化に合わせて建築の関わり方を上手に調整している。

塚本

ものづくりには昔から今まで変わらない行程があり、私はこれを「不変の行程」と呼んでいます。ものの摂理として「この順番は変えられない」というわけです。正田さんが描く食生産の図も不変の行程をなぞっている。暮らしの中にも、毎日の家事から葬式に至るまで、至る所に不変の行程があります。人間はむしろ積極的に、そうした行程に従うことで、ふるまいを整えてきました。

民家前のハゼで冷涼な風に吹かれる串柿
からっ風を活用するハゼ(左図)と大型柿屋(右図)
地域の資源と干し柿の製造工程を描いたバレーセクション(断面図)
風を活かすハゼと大型柿屋に吊るされて橙に色付くかつらぎ町大久保地区の風景

塚本

私は時間と予算で建築をがんじがらめにする現代社会において、建築の価値は本当に解体され切っていると感じています。このまま20世紀に建築の議論を牽引した「空間」概念に頼って良いのだろうか? と。

空間が建築の議論に登場し始めるのは産業革命の後のヨーロッパです。人間はこれまでにない高い生産力を手に入れ、自分たちが属していた地域的な事物の連関から自分たちを解放しました。そこでは空間という概念が抽象という方法と結びつき、物事の組み合わせに自由が持ち込まれ、拡大成長を牽引したのではないか?

問題は空間がその先の繋ぎこみについて説明する言語ではないことです。その果てが、地球環境への過大な負荷であり、南北格差であった。その過程で街をつくる行程も変えられてしまいました。道が交差し、人が集まり、市がたち、定住者が増え、家を建て、まちができるということが、ずっと不変の行程だったはずが、20世紀の住宅不足の時代に「先につくっても人が来る」経験を経て、住居を提供する産業が出来上がり、さらに投資の対象になって、マーケティングがマンションを建てさせるところまできた。

産業や資本の仕組みでまちづくりの不変の行程が変わってしまったんですね。

(つづく)

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