都市計画の挑戦
あとがき−−この本の生い立ちと経緯
「都市計画は可能か」の段階
「まえがき」に述べた勉強会は、翻訳に取り組んでいた本の原著書名に近い主題で、先ず、大きく議論の場を設定するところから始まった。近代主義の都市計画の大きな枠組み、その時代が想定した都市像、計画という行為に関する基本前提などが議論の俎上に上がった。97年4月16日の研究会に出されたメモを参考のため記録しておこう(参考1)。
このような、鳥瞰的な、観念的な議論とは別に、私たちの現実の生活から起こして、私たちの本音でどんな街に住みたいのか、そのような街は造れるのかという議論があった。98年10月28日の会合で出されたメモが参考2である。
しかし、私たち「専門家」集団がどんな議論をしても、現実に、社会的なニーズがあり、社会的な問題として、経済的な枠組みを潜り抜け、政治的な争点にならない限り街づくりなど進むわけが無い。99年1月5日の研究会ではこのような観点からの展開があった。そのときのメモが参考3である。
「都市計画の挑戦」の段階
このような議論を重ねながら、各自の問題意識の焦点を合わせていき、いよいよ本格的に書き出そうという段階で、「都市計画は可能か」という題名に相応しい広がりと中身を詰めることは難しそうだということになり、今後の挑戦、将来への問題提起という意味を強くこめて、「都市計画の挑戦」という主題に改めた。
その上で、今まで議論されてきたことをもう一度再整理し、後は各自が勝手に問題領域を設定し書くということになった。その段階でのメモ、99年3月24日付けのメモが参考4である。
これらのメモの内容は、非常に観念的であり、抽象的であるように見えるが、実際に議論されたことは、自らの実感に基づいて、都市とは何か、その中での生活はどう変質しているのか、そのような都市の空間に秩序を与える行為が現に、どのように成立しているのか、そのような行為の合理性、正当性は何処にあるのかといった極めて実際的な議論が行われている。ただ、数年に及ぶ議論の通奏低音は、「都市計画を巡る公共性」の概念だったのではないかと思う。その結果が、この論文集にも明確に反映している。
こう書いてくると、秩序正しく、綿密な議論を積み重ねているように見えるかもしれないが、実際は、研究会をしながら、あるいは研究会の後、必ず美味いもの屋を探して一緒に食べ歩くことも重要な作業になっていて、楽しい集いの連続だった。
蓑原 敬 記
学芸出版社
トップへ
学芸ホーム頁に戻る