◆Lewis Mumford“都市の文化”1938CEcology, Regionalism, City"
◆都市とは何か……古典的都市概念の無力化……拡散する都市システム、 星雲状の都市。 「都市」の消失。 アメリカとヨーロッパの違い。 日本の都市の現状。
◆街は要りますか……古典的な都市が持っていた文化的な意味の問い直し。 アメリカ型の社会構造への追従への反省に及ぶ。 個人と世界との間の皮膜としての家族、 地域の再確認。
◆計画は可能か
参考1 「都市計画は可能か」へのメモ
97・4・16
◆ユートピアの都市計画―近代主義の都市計画の破産
・Le Corbusier Plan Voisin. 1925, CIAM 1933
……変えること、 全面的に造り直すこと。
・Jane Jacobs, Christopher Alexander
……“街”の復権、 “都市はツリーでは無い”
・Pruite Igoe. 1956C1976
……近代主義的アプローチの破産(空間的、 社会的)
・1958年INTERBAUと85年IBAとの差。
・開発途上段階の計画の必要性と不可避性(圧倒的に大きいフロー・ストック比)。
◆介入の論理と技芸
・成熟段階における社会的なシステムとしての計画の不可能性。 多元主義、 市場原理、 民主主義。
それにも関わらず人間集団に不可欠な理性的コントロール主体としての人間の営為としての計画または介入。
・場の構造。 リアル、 フェーク、 バーチャル。 散逸構造。 液状化しつつある意志決定システム。
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・パースペクテイブを持った個別介入……But How? 誰がアクターか。 市民参加の意味。 どんな立場で、 どんな権限を持って誰が介入するのか。 リーダ−シップとフォロワーシップ。
プランナーというプロフェッショナルの立場。 情報開示の仲介。 未来への提案(歴史と未来のバランス。 土地の力、 時間の累積、 変身の願望)夢のある空間像を提示できるか。
多数のアクターの調整のルール作りと組織化(押し屋(driver)、 仕掛け屋(contriver)、 繋ぎ屋(blender)、 納め屋(crystalizer))面倒な社会的、 政治・行政的調整に耐えられるか。
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