瀬戸内国際芸術祭と地域創生
内容紹介
企画・運営を読みとき成功の秘訣を示す
毎回100万人前後が離島などの会場に来場し100億円規模の経済波及効果をあげる芸術祭。だが、それだけではない。地域資源の再発見、誇りの醸成を促し、交流と活動の連鎖から、小商いや移住・定住の増加など、地域の変化が起きている。その企画・運営、とりわけ行政と民間・住民の関わり方を読みとき成功の秘訣を示す
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目次
はじめに
1章 「地方消滅」の危機に対峙する ―現代アートが地域資源を呼び覚ます
1 「海の復権」を掲げた瀬戸内国際芸術祭
2 地域型芸術祭のパイオニア「大地の芸術祭」
〈この人に聞く〉 北川フラム氏 芸術祭は21世紀の社会運動である ―美術が地域を耕す
2章 瀬戸内国際芸術祭の展開 ―「近代の汚点」を超克し、21世紀を見据える
1 日本の玄関「瀬戸内海」―地政上の優位性、多様で豊かな歴史
2 第二次世界大戦を境に海が荒れ始める
3 近代化の負の遺産に向き合う―煙害の島/産廃の島/ハンセン病の島と芸術祭
〈この人に聞く〉 福武總一郎氏 在るものを活かして、無いものを創る
3章 瀬戸内国際芸術祭のマネジメント ―運営と仕組みづくり
1 瀬戸内国際芸術祭ができるまで
2 本気の官民協働 ―実行組織のあり方
3 経営資源をいかに集めるか
4 ノウハウの蓄積 ―批判、失敗を含め「プロセス」を引き継ぐ
5 まちづくり計画に伴走する
〈この人に聞く〉 真鍋武紀氏 熱意ある人材と適切な役割分担、最後は人と人との信頼関係
4章 瀬戸内国際芸術祭の参加者たち ―来場者/アーティスト/住民/サポーター
1 瀬戸内国際芸術祭来場者、その半数がリピーター
2 常連アーティストの心を惹きつける場所/人々 ―島に眠る物語を作品に再編集する
〈この人に聞く〉 王文志氏(台湾) 作品がなくなってもつながりが続く芸術祭
3 住民の関わり方が変わる ―受動から能動へ
4 ボランティアサポーター ―観る側から支える側へ
〈この人に聞く〉 浜田恵造氏 地方に何があるのだという問いへ一つの答えを示した
5章 交流から定住へ ―島の暮らしに新風を吹き込む
1 島に変化をもたらす「関係人口」
2 交流から定住へ
3 芸術祭を契機に人材が集まる
〈この人に聞く〉 大西秀人氏 新しい産業や文化を生み出しながら100年続く芸術祭を目指したい
6章 瀬戸内国際芸術祭の国際性
1 日本の芸術祭の特徴と国際化の課題
2 外国人来場者の上位は台湾、中国、香港
3 海外メディアで取り上げられる瀬戸内国際芸術祭
4 アジアに伝播する芸術祭
7章 公共政策からみた瀬戸内国際芸術祭
1 芸術祭への問題提起を考える
2 持続可能な地域をつくる ―芸術祭とまちづくり
終章 地域型芸術祭とソーシャルイノベーション
1 瀬戸内国際芸術祭の楽しみ
2 瀬戸内国際芸術祭、成功の要点
3 ソーシャルイノベーションとしての瀬戸内国際芸術祭
注・参考文献/あとがき
はじめに
近年、日本各地で文化芸術を活かした地域振興が注目されている。地域活性化の方向性がハードからソフトへ転換するなかで、多様なアート活動と地域を巻き込む芸術祭が数多く生まれている。日本における芸術祭のスタートは、1952年に毎日新聞社の主催で始まった日本国際美術展(東京ビエンナーレ)である。アジア最初のビエンナーレ形式の国際美術展だったが、1990年を最後に終了した(注1)。
その後、2000年に新潟県の越後妻有地域で大地の芸術祭、2001年に横浜トリエンナーレが始まると、日本各地で「芸術祭」と呼ばれるアートイベントが開催されるようになった。日本の芸術祭は、農山村や離島で開催される地域型芸術祭と、横浜トリエンナーレに代表される都市型芸術祭に大きく分けられる。過疎・高齢化が進む農山村や離島で、現代アートを活かして地域を元気づける地域型芸術祭は、日本独特のものである。自然や歴史、生業、食など地域の伝統的な文化と現代アートの、ミスマッチともいえる出合いを通して地域を刺激し、その魅力を顕在化する。そして人々の交流を生み出し、地域を活性化させる。地域型芸術祭は21世紀の新しい芸術活動であると同時に、地域おこし運動である。
2010年の第1回に93万人を超える来場者を集めた瀬戸内国際芸術祭は、2019年の第4回には、世界32の国/地域から230組のアーティストが参加した。過去最高の118万人の来場者を集め、日本最大の芸術祭として注目された。
瀬戸内国際芸術祭は瀬戸内海の島々を舞台に開催される。風光明媚である。半面、公害やハンセン病の隔離島など重い歴史を背負いながらも、島民は、漁と畑作を生業にして島の暮らしを守り、受け継いできた。芸術祭は、そうした日本近代史(産業史、および地域社会史)を凝縮する島の歴史に向き合い、現代アートを対峙させる試みである。
瀬戸内国際芸術祭2019の経済波及効果は180億円に達した。しかし、話は経済効果に終わらない。驚くほど多くのサポーターが芸術祭の運営に参加する。アジアを中心に欧米からも駆けつける。島民とアーティスト、サポーターの交流が地域を元気にする。島の人々がささやかな商いを始める。それを起爆剤にし、芸術祭が移住/定住の輪を広げる。
「国際」芸術祭を名乗るに相応しい、興味深い波及効果である。決してアクセスがいいとはいえない瀬戸内海の離島に、なぜ国内外から多くの人々が訪れるのだろうか。彼らを惹きつける芸術祭の魅力はどこにあるのだろう。
林立する芸術祭に対し、均質化、肥大化、陳腐化といった批判がある(注2)。住民の主体性や内発性が必ずしも要件とされていない、という指摘もある(注3)。人口減少地域で開催される芸術祭は、とくに手間と時間がかかる。静かに暮らしたいと思う地域住民と摩擦を生むこともある。しかし、訪れる人たちだけではなく、それを迎える地域の人たちが芸術祭をきっかけに自らの地域を再発見し、自分たちの住む地域への誇りや愛着を育むことにつながれば、その意義は大きい。
瀬戸内国際芸術祭の島々を巡ると、アートは、瀬戸内の自然と出合い、島々の歴史を知り、人々の生活を感じるための案内役になる。ただそこを訪れただけとは異なる新しい視点、発見をもたらしてくれる。アーティストが朽ちかけた古民家に配する生活用品の数々は、人の不在をより強く感じさせ、過去の営みや豊かさへの思いを起こさせる。ハンセン病の療養所がある大島の入所者が自力でつくった散策路を歩くことは、大島に閉じ込められた人々の悲しみと日々のささやかな楽しみを追体験する心持ちにつながる。島のお母さんたちが地元の食材を使って拵える料理は、アーティストがつくる空間の中でよりいっそう美味しく、嬉しい食の風景となる。
笑顔で少し誇らしげに作品や地域のことを教えてくれる地元の人、芸術祭の一端を担う元気なボランティアサポーター、往復の船中や作品展示の場で出会う来場者同士の微かな仲間意識―こうした芸術祭で出会う人々との交わりも、都会の人々を惹きつける大きな理由の一つである。
地域の未来を少しでも動かすことができる芸術祭をつくりあげる。それを長期的なスパンで育む。住民自身も気づいていない地域の資源、地域の宝を、そこに住む人々の矜持につなげる。芸術祭を機に移住する人や地域と多様に関わる関係人口を、地域の新しい産業の振興や地域コミュニティを長期的に支える担い手に育てる。そのためには何が必要だろうか。
芸術祭が一過性のイベントで終わることなく、①来場者と住民の双方が地域を再発見する機会につなげる、②地域の生活に根づき、地域創生を育む芸術祭にする―そのための知見、および要諦を、瀬戸内国際芸術際の企画・運営をとおして学ぶことが本書の目的である。芸術祭におけるアートの役割、社会課題との向き合い方、芸術祭のマネジメント、芸術祭が地域にもたらしたもの、さらには芸術祭の国際性など、さまざまな角度から瀬戸内国際芸術祭を調査・分析し、課題の解を探っていきたい。
なお、本書の構成は、以下のとおりである。
1章で、瀬戸内国際芸術祭を概観したうえで、地域型芸術祭の嚆矢である大地の芸術祭について取り上げる。瀬戸内国際芸術祭に10年先駆けて開催された大地の芸術祭は、過疎高齢化が進む中山間地域で、現代アートを媒介として地域資源や里山の文化を再発見し、世代や地域を超えた広範な人々の交流を促そうというそれまでにない試みであった。大地の芸術祭を開催するに至った経緯、芸術祭による地域づくりの効果としてソーシャルキャピタル(社会関係資本)に着目した定量的な研究などから、芸術祭が地域づくりにどのような影響を与えたのか、その成果と課題を整理する。
2章以降は、瀬戸内国際芸術祭に焦点を当てる。
2章は芸術祭の舞台である瀬戸内海に着目する。瀬戸内国際芸術祭が、多くの人々を惹きつける要因の一つに「瀬戸内海」という場の力がある。「世界の宝石」と言われた瀬戸内海の歴史、自然、内海の島嶼と文化、景観等の特徴を概観するとともに、近代化のなかで傷ついてきた歴史に向き合い、瀬戸内国際芸術祭が100万人余の人々を呼び寄せるに至った歩みを辿る。
3章では、瀬戸内国際芸術祭がどのように運営されているか。実行組織のあり方や財政基盤など、マネジメントや継続の仕組みを検証する。
4章、5章では、多くの来場者、繰り返し芸術祭に参加するアーティスト、こえび隊として活動するサポーターの状況など、交流人口の拡大と地域との関わりについて考察する。島民の芸術祭への関わり方、移住者の増加などから島の変容を探る。
6章では、瀬戸内国際芸術祭の国際性、アジアをはじめ各国に伝播する芸術祭の影響について検証する。
7章では、行政が公共政策として芸術祭を実施する場合の課題や留意点を整理し、検討する。
終章では、日本を代表する地域型芸術祭である瀬戸内国際芸術祭から得られる知見を整理し、他地域や芸術祭にとって有意義な示唆を導き出したい。
あとがき
「アートの力」を、改めて考えるきっかけになったのは、1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災の復興過程だった。震災の1ヶ月後に、被災した当事者によって文化の復興を目指す「アート・エイド・神戸」が立ち上げられた。さまざまな芸術がジャンルを超えて交流し、アーティストと市民、ボランティア、企業の文化支援などの幅広い連携が起こった。
翌1996年に始まった「南芦屋浜コミュニティ&アートプロジェクト」では、被災者のための復興住宅建設に当たって、入居後の暮らしを順調に立ち上がらせるために、建物が竣工する前から入居予定者らが集まり、新しいコミュニティをつくるためのワークショップが継続的に行われた。
集合住宅のロビーやピロティ、緑地等の公共空間では、場所の特性を活かしたアートワークや市民参加のアート活動を行い、日々の楽しみや癒やしをもたらす環境が創り出された。
中でも、田甫律子氏が屋外緑地に制作した「注文の多い楽農店」は、中庭に段々畑をつくり、住民が協働で農作業を行うことで、住民同士のつながりを深めコミュニティ形成に貢献しようという作品で、当時注目を集めた。生活の一部として機能するアートの可能性とともに、継続していくことの困難も含め、アートプロジェクトの社会的効果と課題を提起する試みであった。
2000年代に入り、日本各地で芸術祭が開催されるようになった。地域型芸術祭は、アーティスト、住民、ボランティア、来場者、自治体職員など多様な人々の関わりによって成り立つ。人々のつながりやコミュニケーション、プロセスの共有が重視される。手間はかかるが、だからこそ地域や人に変化をもたらし、地域の価値を見直す契機になりうる。文化やアートが持つ社会的な力とは何か。芸術祭が人々の共感と活動を生み、地域の自然や産業、文化を土台にしながら、穏やかな、しかし確かな変化につながるには何が必要なのか。それを探求することが、本書のスタートであった。
調査研究に当たっては、多くの方々にお話を伺った。この場をお借りして深く感謝を申し上げます。
北川フラム氏にお話を伺ったのは、新型コロナウィルス感染拡大が続く中、第5回芸術祭の課題や対策を議論している時期であった。「島の人が開催を願ってくれるなら、何とか工夫を凝らしてやりたい」と言いながら、厳しい会議に臨んでおられた。
ニュージーランドにお住まいの福武總一郎氏には、オンラインでインタビューに応じていただいた。福武氏の「地方が輝く国づくりを」という言葉が耳に残る。文化、伝統、自然、産業、暮らしなど、日本の各地域の多様性をどう維持・活性化できるだろうか。
瀬戸内国際芸術祭の開催を決断された元香川県知事・真鍋武紀氏、芸術祭の継続・発展を牽引してこられた前香川県知事・浜田恵造氏、文化によるまちづくりを進める高松市長・大西秀人氏には、公共政策として芸術祭を開催する意義と地域創生への思いを伺った。
真の官民協働を実現する苦労と大切さを、瀬戸内国際芸術祭実行委員会事務局長を務めた佐藤今日子氏(現香川県観光協会専務理事)、同課長・幸田安隆氏に伺った。県庁の若手職員として芸術祭開催を提言した増田敬一氏にはスタート時の奮闘ぶりを聞くことができた。
福武財団事務局長・笠原良二氏には、瀬戸内国際芸術祭が始まる契機となった活動について、小豆島で「こまめ食堂」を運営している立花律子氏からは芸術祭による島民の変化を伺った。小豆島は故郷のようだと言う台湾の作家・王文志氏には、アーティストにとって瀬戸内国際芸術祭がどのような存在か、伺うことができた。
NPO法人こえびネットワーク事務局長の甘利彩子氏をはじめこえび隊の皆さん、島民の方々、船の中で、作品の空間で、ツアーで同席し、会話を交わした来場者諸氏との出会いにも感謝したい。
そして、香川県とのご縁や多くの貴重な出会いをもたらして下さった、元四国旅客鉄道株式会社会長であり、瀬戸内国際芸術祭実行委員会顧問を務めておられた梅原利之氏に、深く感謝申し上げます。
「文化の公共性と地域活性化」は、私の大学院時代からのテーマである。大学院修士課程では矢作弘先生(現龍谷大学研究フェロー)、博士課程では明石芳彦先生(現大阪商業大学教授)にご指導いただいた。改めて感謝を申し上げます。
矢作先生には、本書の編集で大変お世話になった学芸出版社・前田裕資氏との再会の機会もいただいた。重ねて御礼申し上げます。
地域が抱える課題解決は簡単ではない。それでも、地域の歴史や風土に根ざした文化的な力を顕在化しようとする試みは、各地で盛んになってきた。地域型芸術祭もその一つである。アートを媒介にした地域固有の資源の再発見である。住民の主体的関わりが生み出されることで、与えられたイベントから持続的なまちづくりにつながり、地域や人を動かしていく。
文化やアートのもつ公共性とは何か。それをどう活かして地域や社会の変革につなげていくか。地域の現場での学びからその普遍的価値を探り、論考を深めていくことを今後の課題としたい。
本書は、「令和5年度大阪商業大学出版助成費」を受けて刊行されたものである。研究、出版に際し、ご助言をいただいた先生方に感謝申し上げます。
最後に、本書の表紙に麗らかな瀬戸の海を描いてくださった銅版画家・安井寿磨子氏、装丁デザインを担ってくださった原田祐馬氏に、心より御礼申し上げます。
2023年 名残の夏、瀬戸の夕凪を思いつつ
狹間惠三子
開催が決まり次第、お知らせします。