白熱講義
これからの日本に都市計画は必要ですか

蓑原 敬・藤村龍至・饗庭 伸 著

内容紹介

日本の都市計画は何をしてきたのですか?近代都市計画とは何だったのですか?3.11で何が変わるのですか?今、私たちが引き受ける課題は何ですか?1930年代生まれのベテラン都市プランナーへ、1970年代生まれの若手が投げかける、差し迫った問いと議論の応酬。都市計画の現実、矛盾と展望を明らかにした現役世代に訴える一冊。

体 裁 四六・256頁・定価 本体2200円+税
ISBN 978-4-7615-2571-2
発行日 2014/06/01
装 丁 UMA/design farm


目次著者紹介まえがきおわりに書評イベント

1部:講義編
日本の都市計画は何をしてきたのか

第1講 近代都市計画とは何だったのか

1 近代都市計画を解釈する

何を読むべきか?!
都市計画は単なる技術ではない──日本人が書いた教科書の偏り
近代都市計画を読み直す──3冊のテキスト
近代都市計の解釈──ピーター・ホール『明日の都市』を読む
近代都市計画の起源──18世紀のスラム対策
19世紀の都市拡張と郊外化、田園都市の誕生
広域圏としての都市
記念碑的な都市と塔の都市──高層ビルの出現
自助の都市への注目──成熟期の反省
高速道路ネット上の都市──それでも都市の拡張は続く

2 都市計画の反省

理論上の都市──1940年代の都市計画理論
計画論が見直された背景
計画することで見えてきた問題
企業の都市──1980年代レーガン・サッチャーリズム
変わらぬ下層階級都市、変色した都市
近代都市計画史を私たちはどう解釈するか
日本の近代──村落共同体の破壊と無縁社会の発生
都市空間の整備とコミュニティ
日本人のルーツ──都市居住か、郊外居住か

3 グローバル化の再考

グローバル化した世界の都市3類型
グローバル化に対する七つの疑問
地域による「民主主義」の違い
日本的な公共性、民主主義の模索
新しい経済価値は根付くか──交換価値と使用価値

第2講 3.11で日本の都市計画は変わるのか

1 現代都市計画の転機

1933年、1973年、そして2013年
21世紀の新しいハビタットのパターン
1970年代からの近代の問い直しはどこで挫折したのか

2 震災を契機に価値観の転換はなされるか

エネルギー問題を真剣に問い直せるか
過疎地、漁村の復興問題
農林業を自然立地的土地利用へ切り替えられるか
都市計画は安全をどこまでサポートするのか
産業構造と人口の問題
リスクヘッジから国土を考えなおす
経験のない世代に復興が担えるのか

第3講 今、私たちの引き受けるべき課題は何か

1 更地から始まった近代、都市がすでにある現代

タブラ・ラサ(更地)を“善”とした近代
日本の不完全な設計主義
マスタープランは機能したのか
官僚組織の構造が抱えるジレンマ
土地所有の構造が抱えるジレンマ

2 都市へのモチベーションが見出しにくい現代

マーケットの圧力とどう戦うか
設計主義の実験──埋立地にできた幕張ベイタウン
人はどちらを選ぶのか──都市の快適性と大型SCの快適性
設計主義の実験──監理された都市シンガポール
人は自分の住環境に手を加える動物
3.11後の構造をどう読み、何をするか
次世代都市計画の課題

2部:演習編
蓑原先生、これからの日本に
都市計画は必要ですか?

問1 都市計画にマスタープランは必要ですか?(姥浦道生)

問い

日本と外国のマスタープラン
マスタープランの歴史
ビジョンとして、あるいは評価ツールとして
日本のマスタープランは空間的総合調整ツールになりうるか?

ディスカッション

日本におけるマスタープラン「的」なものの系譜
日本人は空間の秩序を求めているのか?
近代都市計画にとってのマスタープランを振り返る
1968年都市計画法制定時の実状
都市を包括的に捉える視点はずっと欠けていた
共有するビジョンの不在
マスタープランが調整機能を有するためには
担い手の不在
防災を手がかりにしたマスタープランの計画
都市像が拡散するなかでそもそもマスタープランは必要か

問2 都市はなぜ面で計画するのですか?(藤村龍至)

問い

2000年代以降の新しい傾向1:都市のような巨大建築の出現
2000年以降の新しい傾向2: 集合知という設計のイメージ
孵化過程・海市:炎上
多様かつ構築的な計画:使用者と設計者の双方の暴走を抑止する
模型性──コミュニケーションの可視性と双方向性
都市設計の模型性をどう担保するか
学校施設をコアにした公共建築マネジメントの可能性
点の集合が都市空間像を描く
蓑原先生、街は要るのでしょうか?

ディスカッション

資本の論理だけ考えれば「街」は要らない
都市に生産の場所はどうあるべきか
施設配置とそれを補完する小さなモビリティ
設計手法が生み出す多様性
社会はいろんな形で「収れん」されている
人口減少している社会が「街」の意味を考えるべき

問3 コンパクトシティは暮らしやすい街になりますか?(野澤千絵)

問い

固定観念としてのコンパクトシティ信仰
現実のライフスタイル──郊外型SCとネット通販への依存
コンパクトシティの実現手法を持たない都市計画
むしろネットワーク志向の都市計画、法制度へ

ディスカッション

郊外から都市へ移れば、どんな幸せな生活が待っているのか
公共サービスのない郊外にいつまで住み続けられるか
それでも郊外住宅地は拡がる?
市場ではなく福祉誘導型の判断基準を持てるか
施設整備の積み重ねで全体をコントロールできないか
次世代に引き継げるものを探す

問4 都市はどのように縮小していくのでしょうか?(饗庭伸)

問い

市場の発達を前提にした、近代都市計画の体系
従来からの課題
現実の都市はスプロール的に拡大し、スポンジ的に縮小する
地方都市における縮小の実践──「空き屋活用まちづくり計画」
脱市場化に都市計画は応えられるか

ディスカッション

中心市街地は捨てられつつあるのか?
集中という理念、分散する街の現実
現実の空間はランダムに変わる
そして縮小していく不動産市場
それでも都市開発事業はありうるのか?
市場と政府の再デザイン

問5 都市計画はなぜ人と自然の関係性から出発しないのですか?(村上暁信)

問い

過剰なインフラと自然災害
「土地を読む力」の劣化
地域の環境特性を生かせないエネルギーシステム
人口減少時代の土地管理
ランドスケープ・アーバニズム──人と自然の関わりから考える

ディスカッション

ランドスケープを軸にしたマスタープランの実効性
誰がそのマスタープランを描けるのか?
土地利用(Fプラン)と環境保全(Lプラン)の対立──ドイツの場合
都市開発と環境保全の対立──日本の場合
市民参加の有効性、産業化の可能性

問6 計画よりもシミュレーションに徹するべきではないですか?(日埜直彦)

問い

将来像を描くことの限界
将来のための計画ではなく、現在のための計画
シミュレーションの現代的可能性
現在のための計画の意義

ディスカッション

都市の将来シミュレーション
空間の可視化は合意形成の質を高める
シミュレーションの実効性
シミュレーション結果をどう描くか
遠い未来ではなく、近い未来を描くツール
従来の都市計画もシミュレーションは行ってきた
惰性的なルールより、多様な価値を勘定に入れたシミュレーションを!
担い手は誰か

問7 都市計画は「時間」にどう向き合っていくのでしょうか?(中島直人)

問い

変わりゆく都市計画と「過去」
補助線としての「過去」
生活環境としての「過去」
そろそろ文化としての都市計画を語りませんか

ディスカッション

技術・コストと都市文化のせめぎあい
空き地になった土地に意味は残るのか?
外からの文化移転を時間に取り込む
都市の多様性を担保する「時間」の役割
文化としての都市計画を支えるメディア・技術とは?
ドイツにおける都市計画家、都市計画部局の位置づけ

蓑原敬

1933年生まれ、都市プランナー

饗庭伸

1971年生まれ、首都大学東京大学院都市環境科学研究科 都市システム科学域 准教授

姥浦道生

1973年生まれ、東北大学大学院工学研究科都市・建築学専攻准教授

中島直人

1976年生まれ、慶應義塾大学環境情報学部准教授

野澤千絵

1971年生まれ、東洋大学理工学部建築学科准教授

日埜直彦

1971年生まれ、建築家。日埜建築設計事務所主宰

藤村龍至

1976年生まれ、建築家。東洋大学理工学部建築学科専任講師

村上暁信

1971年生まれ、筑波大学システム情報系社会工学域准教授

この本の若い執筆者たちと共に、都市計画とは何かという本質的な問題についての勉強会を始めたのは2010年、3.11東日本大震災の前年だった。

僕は1956年頃から、当時在籍していた東京大学アメリカ科でのアメリカの地域研究の一環として、ニューディール時代のテネシー川渓谷開発という広域圏の総合開発に興味を持ち、卒業論文のテーマとした。また、大学卒業後の仕事として何をしてよいかがわからないまま、遅まきながら、建築の勉強を始めた。日本大学工学部ではたった2年しか建築の勉強はしなかったが、いつの間にか、都市計画という領域にのめりこみ、卒業論文では「コミュニティー研究序説」という大仰なテーマに取り組んだ。当時の日本では、都市計画に関する文献などほとんどなく、もっぱら欧米の文献から学習していた。だから素直に、先進諸国で展開しつつある都市計画の現場と理論を吸収しようとしていた。

その後1960年、建設省に「建築職」で入省した。入省前は、そんなことを知る由もなく能天気だったが、それが身分制とも言うべき縦割りの仕組みに絡めとられる選択だったことを知って愕然とした。国際的な水準の都市計画から学習を始めた者から見ると、何ともやりきれない事態だった。同じ建築職でも、営繕局という公共建築実務を手がける部局が別にあり、僕がいた住宅局内にも住宅行政をする派閥と建築行政に携わる派閥が歴然と存在し、都市計画部局で働く専門家は、また全く別の人種であるかのような人事が行われていた。

幸い、入省後2年足らず、1962年にアメリカへ都市計画を勉強に行くことにした。1年間だったが、ペンシルバニア大学大学院で、都市計画や都市デザインの勃興期がピークを迎え、ポストモダン時代への予兆が出始めているアメリカの空気を吸ってきた。当時、コンピュータを駆使して非常に注目されていたリジョナル・サイエンス(地域科学)、その知見を背景に展開しつつあったトランスポーテーション・スタディ(交通計画)に触れ、住宅計画を学び、ランドスケープの考え方や技術の革新を先導していたアイアン・マッカー教授の仕事を垣間見た(彼のスコットランド訛りの英語には歯が立たなかったが)。同時に、設計主義的なマスタープラン批判と漸進主義(インクリメンタリズム)、市民参加の哲学の萌芽、日本を含む低開発途上国開発理論なども学んだ。広域圏の計画から、地区規模の都市デザイン、交通計画、住宅計画、ランドスケープ・デザインなど幅広い領域が学習の対象であり、このような総合的な取り組みこそが近代都市計画の本質だと確信した。

帰国後は建設省で、住宅行政、建築行政、都市計画行政など様々な領域で働かせてもらい、当時、首都圏整備委員会の所管だった首都圏計画や経済企画庁の所管だった全国総合開発計画にもわずかながら関与できた。茨城県に出向し、住宅課長と都市計画課長という現場経験も持つことができた。

そもそも東京大学に都市工学科ができたとき、創設を主導した高山英華先生は、おそらく僕が学んできた欧米流の近代都市計画を日本で確立する意図をもって始められたと思うけれども、残念ながら実態はそうならず、日本の都市計画は前近代的な法制や組織体制のまま今に到っている。

さらに、軍事戦争には負けたが、戦後の経済戦争に勝って高度な成長を遂げ、ジャパンアズナンバーワンと言われるような国の成長段階のなかで仕事をしてきた人たち、縦割り社会での成功体験に自信を持つ世代には、日本の都市計画の歪みを歪みとして見ることがなかった。見えていても、あえてそれを口に出す必要性を深刻に感じることがなかったのかもしれない。

その世代に育てられたさらに若い世代は、日本の高度成長期が終わり、人口の少子高齢化が実体化する社会のなかで教育されているので、本当の意味での近代的な都市計画を学んでいないのではないか、少なくとも体験的には、近代都市計画の前提になっている、総合的、分野横断的な視野で仕事をすることができなかったのではないかというのが、僕の長い間の危惧だった。

ところが、僕の孫世代には、子世代とは違う歴史的な感覚、国際的な感覚を備えた人たちがいることに気づいた。建築家大高正人の記録を書きとめる仕事に中島直人を巻き込んだことがきっかけとなり、彼を軸に僕の近代都市計画に関わる話を聴いたうえで、日本の都市計画を語り合う勉強会が発足した。最初は近代都市計画を鳥瞰的に眺めるテキストとして、ピーター・ホールとジョン・フリードマンを選び、さらに、中島さんがニューアーバニズムの最近の動向を報告した。

そこに、3・11の東日本大震災が発生した。そこには物理的空間が一旦消去されてしまった、タブラ・ラーサ(更地)の空間のうえに、いかに未来を構想するのかという、近代都市計画の初期において必要不可欠だった姿勢を持たざるを得ない状況があった。

しかし、若い世代のプランナーにとっては、すでにでき上がっている都市的な文脈のなかで、過去と現在をつなげながら、漸進的に仕事をしていくことが善であって、連続性が都市計画のキーワードである。そんな仕事経験しかない彼らに未知の場が発生してしまった。

そこでは、人口増、経済成長を当然の前提としていた戦後近代都市計画の時期とは全く違う社会経済的な条件を前提としなければならない。開発途上国として、先進国を追い上げ、工業化路線をひた走ってきた時期は完全に終わり、いまや先進国として後発国の追い上げに対処した成熟した経済政策を採り、地域政策に反映できなければ生き残れない時代になっている。しかも人口の少子高齢化が急速に顕在化し、被災地での生活再建のあり方は、大戦後の戦災、引き揚げ時のあり方とは決定的に違う。そして、高齢化が進んでいる被災地では、日常生活の回復が、何よりも優先されるべき課題だという視点から目を逸らすことができないことを若い専門家としての経験からも体感してきている。

つまり、なだらかに成熟と老化の道を辿れば済んだかもしれない時間が、震災によって暴力的に破壊されて、成熟と老化の道と同時に、それを支えるための部分的な成長のプログラムが不可欠な状況が、若いプランナーの前に立ちはだかったのだ。勉強会の若いメンバーたちも被災地の現場経験を経て、このことに気づいた。そして、勉強会は、俄然、活性化した。

近代都市計画の歴史やその課題、問題点を根本から考え直し、さらに自分が置かれている日本の現場と時代を踏まえて、日本の都市計画をラディカルに考え直すことが始まった。各自の問題意識に支えられたテーマを選び出し、報告し、それを皆で議論する段階に入った。

蓑原敬

蓑原敬先生を囲むかたちでの「白熱講義」、自称「次世代都市計画理論研究会」の最初の顔合わせは、2010年11月26日の18時から赤坂のアークヒルズで行った。それから3年半、首都大学東京の秋葉原サテライトを会場にほぼ隔月のペースで議論を続けてきた。最初に集まったメンバーのうち、地方に異動となった堀崎真一氏(国土交通省)が2010年度いっぱいで抜け、2011年6月から建築家の藤村龍至が加わった。1部第1講が行われたのは2011年3月2日、第2講が2011年4月1日、つまり、この間に東日本大震災が起きている。震災直後の不安、戸惑いの記録も含め、私たち自身が都市計画を問い直したプロセスをそのまま伝えている。2部に収録した各メンバーの発表とそれを受けての議論は、2013年6月9日に一日かけて行った。学芸出版社の前田裕資氏、井口夏実氏の関わりを得て丹念な編集、校正が施されたが、基本的には研究会の議論をそのまま記録したものと受け取ってもらっていい。つまり、本書は一種のドキュメンタリーである。

蓑原先生は毎回のように幅広く深い知見のエッセンスを注ぎ込んだ問題提起や課題整理のレジュメを用意され、事前にメーリングリストで回覧された。メンバーはそのレジュメを読み込んで必死にメモを作成し、研究会に臨んだ。正直、毎回の宿題をこなすのは大変だったが、議論は真剣な知の往還となり、常にほどよい緊張感が漂ったまま、研究会は3年以上続いた。都市計画について、原論にまで立ち返って議論する場は意外なほど少ない。この研究会は私たちに貴重な経験をもたらしてくれたが、その経験を多くの人と共有し、都市計画のこれからにつなげることが本書刊行の動機である。

講義、議論のテーマは都市計画を巡る様々な面に及んだが、そこには通底する論点、問題意識があった。

日本の都市計画の歪みと現代都市計画への脱皮

本書の1部の多くは、近代都市計画の発展過程のレビューに費やされている。ピーター・ホールの『明日の都市』などを導き手として、欧米における20世紀の近代都市計画の展開を理解し、かつ21世紀の現代都市計画がいかなる方向に走り出しているのかを見てきた。

このレビューは、第一に、本場の近代都市計画と日本の都市計画との距離をどう見るか、という問いを投げかけてくる。蓑原先生は「日本の都市計画の歪みを歪みとして見る」ことの重要性を常に強調されていた。近代都市計画の出発点が欧州では市場経済への危惧から来る協同組合主義であるのに対し、日本(をはじめ後進都市計画国)では、国家権力への集権化の流れの中でそれを強化するかたちで導入されたこと、1950年代以降にアメリカを中心に始まった地域科学や1960年代の政府の都市計画に対する市民からの問題提起であった民衆都市計画論などの社会科学の知見を取り込んだ都市計画の理論化は日本ではほとんどフォローされなかったことなど、日本の都市計画の歴史的な展開を冷静に見つめ直してみたのである。この世界標準の都市計画に対する日本の都市計画の歪みを矯正し、近代都市計画を完成させよというのが、こうしたレビューの一つのメッセージである。

しかし一方で、蓑原先生は歪みを矯正するという構図自体が有効性を失っているとも言う。本場の近代都市計画を支えてきたのは、都市社会の未来ビジョンとその実現に向けた合理的な道筋をデザインできるという信念に基づく設計主義であったが、その設計主義自体がすでに歴史的産物となっている。今や「計画」の理念を大きく転換し、現代都市計画へと脱皮させなければならないのである。

演習編の「都市計画にマスタープランは必要ですか?」「計画よりもシミュレーションに徹するべきではないですか?」という問いと議論は、設計主義を乗り越える現代都市計画論を模索したものである。現実と理想のギャップをどう埋めるかという枠内での問題設定を超えて、マスタープランという理想そのものが本当に必要なのか、可能なのかを問うた。都市縮小の時代に、本当に将来の共通目標像としてのビジョンなどありうるのか。マスタープランは「漸進主義的なプランニングのツール」(姥浦)、「空間に関わる多様な価値観を勘定に入れたシミュレーション」(日埜)として、都市計画の計画性の中心をこれからも支えていくのだろうか。おそらく本書に明解な答えはない。それぞれの現場での具体的な課題への取り組みに答えを見つけ出していきたい。

制度論の前にあるべき都市像の議論

研究会を始めるにあたって、蓑原先生が会の趣旨としてお話されたことの一つに、都市計画の制度論ではなく、都市像を議論したいということがあった。自民党から民主党への政権交代直前の2009年7月に、国土交通省社会資本整備審議会に都市計画制度小委員会が設置され、都市計画法改正に関する議論が始まっていた。これに合わせ、都市計画制度の抜本的改革に関する議論が盛り上がりを見せていた。しかし、そもそも望むべき都市像の議論なしに、実現ツールとしての都市計画制度の改革などできるのか。赤坂のアークヒルズの最上階から見下ろした東京の捉えどころのない風景の広がりを前にして、制度論の前に都市像をという呼びかけがすっと腑に落ちたことを覚えている。

では、一体、都市像とは何だろうか。蓑原先生は「それぞれがどんなハビタットの空間イメージを持っているのか」、内省的アプローチからの検討を示唆された。20世紀を通じて、日本の国土全体にハビタットは拡散していき、散逸状態にある。さらにハビタットを支える地域共同体も個人主義の追求の結果、崩壊している。そして、近代において日本固有の街並みモデルは開発されず、その探求の努力も破棄されている。そうした状況のもとで、これからのハビタットを構想し、専門家としての自分の立ち位置をはっきりさせることが宿題となった。

演習編では、ハビタットのパターンに関する問いかけがいくつかなされた。都市計画のあり方を通じて都市像を論じる、都市計画ならではの都市論が展開された。「都市はなぜ面で計画するのですか?」は、崩壊しつつある面=「街」はこれからも必要なのか、という問いでもあった。「街」を商業やモビリティといった単純な視角で捉えるのではなく、「もっと大きな社会的、経済的、政治的な枠組み」(蓑原)で捉えて初めて、本当に必要かどうかを判断できる。

一方、「コンパクトシティは暮らしやすい街になりますか?」という問いは、前提とされてきた将来のあるべきハビタット像についてのストレートな議論を誘発した。コンパクトシティが必要とする集中の焦点、定点は街にあるのだろうか。実態は拡散した「間にある都市」である。その現実を正面から捉え、時間軸を入れて議論するしかない。だとすると、もう一つの問い「都市はどのように縮小していくのでしょうか?」が重要となってくる。ランダムに発生する空き家、空き地を通じて縮小する地方都市において、都市像も究極の漸進主義でつくり出されるスポンジ型とならざるを得ないのではないか。私たちのハビタットは、コンパクトシティという実体性を欠いた概念の議論ではなく、現実の都市の動向の丹念な把握によって初めて、構想の端緒につくのだろう。

不連続点と私たちの世代の責務

議論を続けるなかで、蓑原先生は戦争体験、いや、その前後での日本社会の大転換を引き合いに出しつつ、「私の子ども世代は戦後生まれで成長期の縦割り社会で成功体験を持ってしまったがゆえに、日本の都市計画の歪みに気づかないままだ。しかし、君たち孫の世代は、仕事を始めた時にすでに成長期は終わっており、日本の世界的なプレゼンスが失墜していく様子を目の当たりにし、先行きの見えないなかで、返って冷静に日本の都市計画を見られている。だから、話が通じるのだと思う」という趣旨の発言を繰り返しされた。その一方で、私たちの日常の仕事が漸進的な「まちづくり」に限定されがちであること、地域の文脈やその連続性をアプリオリに善としていることについて、「経験のない世代」という言い方で、おそらく私たちの視野の狭窄に対する警鐘を鳴らそうとして、本来的な「都市計画」から学ぶ必要性を説かれた。あるところでは通じ合い、あるところではすれ違う、40才の差がある二つの世代の関係が、先に述べた研究会の緊張感を生み出していたとも言える。

そして、この通じ合い、すれ違う微妙な関係を議論の前景に押し出したのが、3.11という「不連続点」(蓑原)であった。メンバーはそれぞれの立場、タイミングで被災地に立ち、津波被害の跡を目の当たりにした。眼の前に広がる状況をタブラ・ラーサ(更地)と捉えるのか、何らかの文脈を見いだせるのか。成長や成熟でもない、破壊と衰退の現場には、日本の都市計画の歪みと現代都市計画への脱皮、都市像とそれを支える制度論、本書で議論したことが全て、課題として存在していた。

「都市計画はなぜ人と自然の関係性から出発しないのですか?」「都市計画は「時間」とどう向き合っていくのでしょうか?」という二つの問いは、少なくとも私たちの世代が身近に寄り添ってきた現代都市計画において、近代都市計画への批判としてその必要性が提起された土地の自然条件や歴史文脈の読解の意義を改めて問うたものであった。3.11を経験してもなお、タブラ・ラーサという割り切りよりも文脈を紡ぐことに拘る私たちの世代の立場を表明したものである。ランドスケープを読み解き、適切に管理する。過去と向き合い、現在、未来に活かしていく。それらはいずれも人間と環境の関係性の恢復という思いのもと、すでに「まちづくり」の大原則となっている。私たちの世代に課せられているのは、どうしたら「都市計画に展開できる状態」(蓑原)に持っていけるのか、その技術、方法を実践的に見つけることである。その時に初めて、ここで蓑原先生と舌足らずながら議論させてもらったことが説得力を持つのだろう。

以上のように、このドキュメントは「問い」には満ちているが、「答え」の多くは教えてくれない。蓑原先生は当初、この研究会を「若い研究者研究会」と呼んだ。ただ、私たちも「答え」を探求しながら、今度は自分たちの子ども世代に本当の都市計画を伝える役割を担う立場にいる。蓑原先生に学び、お互いに学び、3.11後の状況に学び、都市計画を巡る本質的な問題に触れたことで、もはや「若い研究者」に甘んじることなく、都市計画を人々の幸福に資する社会技術へと成長、成熟させていく持続的な運動の中核を担っていかないといけない、そうした自覚を持つようになった。本書が都市計画に関心を持つ方々の目を啓くきっかけとなることを願っている。同時に、私たち自身としては、本書を蓑原先生が主催した都市計画学校に通った証しとして、これからの都市計画人生において、大切にしていきたいと思っている。

饗庭伸・姥浦道生・中島直人・野澤千絵・日埜直彦・藤村龍至・村上暁信

評:佐々木晶二
((一財)民間都市開発推進機構)

都市計画とは、その時代、その時代における都市問題、地域問題を解決する技術体系、政策体系と考える。

日本の現在の都市計画法は、人口が増加し都市が拡大するときに、いかに都市の地域を抑制し、公共投資を効率的に実現するかを目的としている。

これが現時点での都市問題、地域問題の解決に不十分なのは明らかだ。
現在は、東京都心以外の部分の都市がすべて人口減少、少子高齢化に苦しみ、生産年齢人口の減少、グローバル経済化などから、製造業を中心にして地域経済の衰退が生じている。それに対応しようにも、国家財政、都市財政は大幅な赤字を計上していて、行政も身動きができない。
この現在の都市問題、地域問題を解決するために、当然、都市計画は大幅な改革、変革、見直しをしなければならない。

この本は、今の都市計画制度をつくった世代の簑原先輩が、いわゆる「都市計画」なるものの欠点とそれに対する若い学者からの疑問点に答えている。この議論によって、今の都市計画制度の欠陥はよくわかる。
しかし、「都市計画」なるものが、あらかじめ静的に存在すると考えなくてもいいのではないか。都市問題・地域問題を解決するための技術体系、政策体系であるならば、今の「都市計画」なるものが役立たないのであれば、役立つ都市計画にどんどん変えなければいけないということ。

まず、この本をよんで、現行制度を作った先輩の「都市計画」なるものの考え方を押さえた上で、若手の、都市計画の専門家、都市プランナー、建築家は、今すぐにでも、次のステップとして、「これからの日本に必要な都市計画は何か」という議論を始めなければならない。

佐々木氏のブログ

「革新的国家公務員を目指して―自由と民主主義を信じ国益を考える―」


評:藤原徹平
(横浜国立大学大学院Y-GSA准教授、フジワラテッペイアーキテクツラボ主宰)

「これからの日本に、都市計画が必要ですか?」という本がオモシロイとあちこちでしゃべっていたら、書評の話が来て勢い引き受けたのだけれど、実際のところどこから書くか困ってしまった。本書は大学院のゼミのように対話形式で進んでいくが、参加者が何しろ切れ者揃いなので圧倒的に情報量が多い。数ページ読むごとにこちらの傍線やメモがどんどん増えていくという次第で、建築家、都市計画家になりたい人の新たな定番書として知られていくことは間違いないだろう。膨大な情報量を前にどこから書くか逡巡していたら、〆切を過ぎ、インドの視察旅行に突入してしまった。

そんなわけで実はこのテキストをインドのチャンディガールで書いている。

チャンディガールは近代建築の巨匠・コルビュジェのデザインした都市で、都市計画として失敗だという悪い評判も聞いたことがあったので、コルビュジェの建築を楽しめればという程度の思いでやってきたのだが、むしろ私は都市計画に強く惹かれた。
最初の驚きは都市全体が森に包まれていることだった。インドというと砂岩の街というイメージがあったから、混植と単植を織り交ぜた深さのある植生や緑の厚み・量はすごいインパクトがあった。

次に驚いたのは交通計画である。チャンディガールがセクターとよばれる自動車スケール(800m×1200m)の街区で計画されていることは知っていたが、各セクター内の道路パターンが実に緻密なデザインをされていて、とても歩きやすいことに驚いた。交通から考えた近代都市というイメージだったからもっと非人間的であると思っていたが、むしろ居住都市として丁寧にヒューマンスケールの道路を考えている印象だ。通過交通を抑制するパターン、細街路のグリッドにして通過交通も可能にしているパターン、低層コートハウスによる入り組んだ路地パターン、3~4層の住居ユニットと一体で道路率を下げグリーンベルトを内包するパターンなど、大した力の入れようである。私が歩いた15くらいのセクターは全て異なっていたから、もしかしたら57あるセクターは全て道路パターンが異なるのかもしれない。(ちなみにコルビュジェのマスタープランにあるセクター内の道路パターンと実際のパターンは違っているので要注意。)調べてみると、チャンディガールでは、7Vsという7段階の道路属性をもつ独自の交通デザイン思想があり、交通デザインを軸にWalkabilityやコミュニティスケールをデザインしていったのではないかと想像される。

私の知る巨匠コルビュジェはすごく大胆で、そして同時に結構大雑把な人という印象だったから一体どこにこんな緻密なマネジメントセンスがあったのかしらと、チャンディガールの建築博物館で資料を読み込んでみると、どうやらチャンディガールでは、コルビュジェのいとこのピエール・ジャンヌレが大きな役割を果たしていたようだった。ジャンヌレは、1949年にチャンディガールのシニアアーキテクトとタウンアドバイザーに就任し、以来1965年にチャンディガールを離れるまで16年間チャンディガールに滞在している。(ジャンヌレの遺灰は遺言でチャンディガールのスクナ湖に撒かれているからジャンヌレのまさにライフワークであろう。)ジャンヌレとそのチームが設計した建築と住宅タイプは90近くにもなるというのには驚いたが、同時にようやく腑に落ちるところがあった。オリジナルの交通システムをデザインし、それに呼応して無数の道路パターンを描き、道路パターンに連動して多量のハウジングユニットタイプをデザインし尽くすには、ビジョンだけでは足りず、現地での強烈なリーダーシップと緻密なコミュニケーションが不可欠であるはずだからだ。

さて、書評ということからすっかり遠く離れてしまったようにも思うが、私が「これからの日本に、都市計画が必要ですか?」という書物から受けた最大のインスピレーションは、都市をデザインするための簡単な方法なんていうものはなくて、コルビュジェ+ジャンヌレのようにビジョンだけでなく、マネジメントと思考と時間を捧げて初めて、何かを成し遂げられるのではないかということである。そのために必要な熱量と思考の深さについて本書は、繰り返し語っているようにも読める。
本書によって、一人でも多くの若い世代が、建築をオブジェクトではなく、都市や社会に関係があるものとしてデザインしていくための覚悟を胸に宿すことを期待している。

担当編集者より

都市計画は問題を抱え、時代について行けないまま、関心を持つ人(読者)が減っていく…、その状況で敢えてそもそも論に立ち返られたのが、大ベテランの蓑原先生と70年代生まれの若手研究者・実務者からなるチームだった。年代の違いによって、問題意識や姿勢の違いが議論にわかりやすく浮き出たと思う。建築出身のお二人の視点も新鮮だった。
編集にあたっては「関心を持つ人が減っている」という心配が大きかったから、それでも無視できない都市計画制度の存在感や問題点に気づいてもらうために、この本を「いかに手にとってもらうか」を考えることがミッションだった。タイトルや装丁も、執筆者の方々が真剣に議論を重ねてくださったおかげで実現したものだと思う。

(井口)

  • 2014.6.24(火)@京都「白熱講義〈演習編・関西版〉」開催!
    蓑原敬・藤村龍至・村上暁信+関西若手メンバー(終了)
  • 2014.7.15(火)19:30~@東京「白熱ディスカッション これからの日本に都市計画は必要ですか」@青山ブックセンター本店開催!(終了)
    ゲスト:西沢大良氏+執筆メンバー6名

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